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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

雪中の狩人 ピーテル・ブリューゲル(父)

2018-02-13 22:28:10 | つれづれに……

 異常寒波による雪の被害が北陸を中心に続いている。
石川県から福井県にいたる国道では約1400台のトラックなどが、
30時間以上も立ち往生していると報道は伝える。
明るいニュースも報じられている。
沿線沿いにある「餃子の王将」は、立ち往生しているドライバーなどに、
無償で約500人前の料理を届けた。
酢豚に焼きめし、天津飯、ギョウザ…など。
店は大雪のため前日から臨時休業だったが、余った食材で昼過ぎから調理し、
ドライバーたちに提供した。
雪害を伝えるニュースの中のホットニュースだ。


「雪中の狩人」1565年 ピーテル・ブリューゲル(父)

 前回のブログで「北越雪譜」 で吹雪にまつわる哀しい夫婦の物語を紹介した。(2018.02.06)
今回も、雪にまつわる話をアップしようとネット上を彷徨っているうちにこの写真に遭遇した。
画家のピエール・ブリュゲールには、心当たりがないが、この絵にはかすかな記憶がある。
おそらくそれは、中学校あたりの美術の教科書に載っていただったように思う。
「なんと寒々しく、暗い絵なのだろう」

この何とも言えない暗さが、少年だった私の記憶の谷間に引っかかっていたのだろう。

 一面雪に覆われた山際にひっそりと広がる村の風景です。
雪の林を抜けて行く、三人の狩人が描かれています。
冬は農民たちにとって過酷な食糧なんの時期になり、
農民たちは獲物を求めて狩人になる。
うつむいて歩く3人。先頭を行くひとりは、黒い樹木に溶け込んで上半身が見えない。
狩りのために連れ出された大勢の犬たちまで、尻尾を垂れさげ、うなだれて疲労困憊しているように見える。
獲物は痩せた野兎か野ぎつねが一匹だけ。
足は重い。
だがその3人の狩人の足は、食糧の乏しい冬の食べ物を補充するために雪をかき分け、
林を抜け森の奥深くまで獣を追いかける逞しく太い脚をしている。

 鉛のように重い脚を引きずりながら、眼下に広がる村に向かって一歩づつ歩んで行く。

だが、ブリューゲルはこの「雪中の狩人」だけを描こうとしたのではない。

歩んで行くその先には、凍った池でスケートをする人々が描かれています。
  



 拡大しなければわからない小さく描かれた氷上の人々ですが、
遊ぶ人々の姿が細やかに生き生きと描かれているのに気付きます。
橋の上には薪(たきぎ)を背負って行く人が描かれ、橋の下の氷上には人を乗せた橇(そり)を引く人がいます。
村の背後には岩肌をむき出しにし、人の近づくことを拒否しているような峻険な山が連なっています。
おそらくはアルプスをイメージして描いたのだろう。
作品の舞台となっているネーデルランドには存在しない風景だそうです。

 さて、最初の絵をもう一度見てみましょう。
画面左上端に描かれた絵、大きな家が描かれ、看板らしきものが見えます。
「居酒屋」「旅籠」と思われます。
その脇で火を燃している人がいます。
この絵でたった一つ「あたたかさを感じる」点描です。
或る解説書によると、豚の毛焼きをしているところだそうです。
「居酒屋」に集う村人に提供する肉料理の準備なのでしょうか。
或いは、寒さに体の冷えた旅人をもてなす準備なのでしょうか。

 息も凍るような厳寒の村の風景です。
「寒くて、暗くて、寂しい村の風景」というイメージが強く印象に残っています。
中学生だった私が、美術鑑賞でどんなことを教わったのか全く記憶にありません。

しかし、今こうして改めて眺めると、
厳寒の風景に描かれた村人の生活が生き生きと描かれていることに気付きます。

寒いとか、暗いとか、寂しいだけの風景だけではなく、
「絵」全体から伝わってくる物語性がじんわりと感性に響くから、
この絵に魅力を感じるのかもしれません。

  最後に美術に造詣の深い人の、鑑賞の手引きの一部を紹介します。
 この絵から伝わってくるのは、そこに住む人々の生活感や喜怒哀楽なのですが、
それさえも雄大な自然の前では無力でしかないという趣があります。
「もしかしたら人生で体験する様々な喜怒哀楽は、私たちが考えているほど大したことではなく、ほんの些細な事なのかもしれない……」と思えてくるから不思議です。
寒々しくはあるけれども、
神秘的で深みがある落ち着いた空の色や雪、
山々の深遠な姿はとても印象的ですし、
微動だにしない存在感を放つ手前の木々や奥行きのある風景がこの絵をますます魅力的にしています。

 (つれづれに……心もよう№73)                           (2018.02.13記)

 
 
 
 
 

  

 

 


イルミネーションとケーキのクリスマス

2017-12-25 08:30:00 | つれづれに……

イルミネーションとケーキのクリスマス

 寂しい……
                      2015.12.25の振り返り記事です。
        この年の2年前の12月、私は14歳の孫を突然になくしました。
        あれから4年の辛い時間が流れましたが、
        いまだに悲しみは当時のままで癒えることがありません。 
        それでも、時は流れ、私は年を取って行く。
        孫の逝った世界に一歩づつ近づいていくのだなと、
        めっきり弱くなった足の筋肉を撫でながら、老いの坂道をゆるゆると下っていきます。
        荒涼とした風景は、あの日の哀しい思いに繋がっていくので好きではないが、
        明るく華やかな景色も馴染めません。

        グラスに揺らぐシャンパンの気泡を見つめながらの
        ちょっと寂しいクリスマスですが、
        老妻と二人だけのクリスマス・イブも結構心の安らぐひと時でした。
          

 
街はクリスマスを迎え、葉を落とした街路樹に、化粧を施し、

 イルミネーションの瞬きで 急速に賑やかさを増してゆく。

 若い世代、恋人同士、幼児を連れた家族ずれたちが

 イルミネーションのトンネルや飾り立てたモミの木のツリーに集う

 

 人それぞれに、幸せの概念は異なるけれど、

 メディアはこの時期、一斉にこうした街の風景を報道する。

 

  クリスマスの賑やかな風景も悪くはないが、

  どこかに違和感があって 素直に喜べない自分がいることに気づく

 

  賑やかさの裏に潜んでいるある種の寂しさを

  敏感に感じとり、

  街路樹だって決して歓迎しているわけではないと思う

 

  夏には日陰をつくり 秋には木々の葉を落とし

  眠りに着こうとするこの時期、

  木々たちは安眠を妨げられ、

  かりそめの華やかさにうんざりしながらも

  黙って耐えている

 

  町の喧騒を離れ ひっそりと迎えるクリスマスがあってもいいはずだ

  高価なデコレーションケーキではなく

  ショートケーキのイチゴを食べながら、

  電気を消し、ろうそくの明かりに揺らぐ互いの存在が、

  かけがいのない存在だと思えれば

  これは極上のクリスマスだ。

  その時、

  シャンパングラスの中で揺れている灯りが

  どんなイルミネーションよりも輝いて見える

    (当時の心境はカテゴリー「翔の哀歌」に綴りました。)

           (2015.12.25記に加筆しました)


楽園追放 禁断の木の実を食べて楽園を追放される

2017-11-09 18:00:00 | つれづれに……

 

  楽園追放

 

     禁断の木のみを食べて楽園を追放されるアダムとイブ

「マザッチオ作  1427年頃」
楽園追放の最も有名な絵画。神は天地を創造し、6日目に自分をかたどって土で人を造った。
また、アダムの肋骨から女を造った。男の名はアダム、女の名はイヴ

二人はエ デンの園で暮らしていた。
神は「この園にある全ての樹の実を食べても良いが、善悪の知識の木の実だけは決して食べてはならない」と言った。

ある日、エデンの園を歩いていたイヴは、
蛇にそそのかされて禁断の木の実(善悪の知識の木の実)を食べてしまった。
イヴはアダムにも食べさせた。
すると、2人は自分たちが裸であることに気づき、
恥ずかしさのあまり体をイチジクの葉で隠した。

 神は約束を守らなかった罪(原罪)により、
二人を楽園から追放し(失楽園)、蛇を地を這う動物とした。
以後、女には産みの苦しみが与えられ、
男は苦労して地を耕さなければ食料を得ることができなくなった。
誘惑者の蛇は手足を失い、一生腹で這い回る姿になってしまう。
          
日本人がイメージする禁断の果実は、赤いリンゴ。ヨーロッパでは青リ 
         ンゴ。イブが食べたリンゴは、聖書には木の実としか記されていない。                  後世、リンゴが美味しくてかわいいことからリンゴとされたようです。また、
          ふたりが身にまとっていた木の葉が、イチジクの葉なので、イチジクの実と
          解釈する人もいるようです

 
 顔の部分を拡大して見ましょう。
 中世の「宗教画」には、無表情な人物描写が多い中で、
 この絵には「失楽園」の嘆きと悲しみが豊かに描かれているように思います。

 「シャルル・ジョセフ・ナトワール作  18世紀半ば」
こちらのアダムは神の怒りに対し手を合わせ、許されるよう懇願して
います。イブは泣いているのか、眠そうにしているのか、
どちらなんでしょうか・・・。左の背後で蛇が脱走中です

  

  
「マイスター・ベルトラム(ベルトラムの親方)作  14‐15世紀」
神は禁断の木の実を指さし、「お前たちがこの果実を食べたのか」と叱責します。
問われたアダムは首を傾げ、「イブが私に勧めるから、ついつい……」とイブを指さしますが、
顔も視線もイブを見ていません。
イブのせいにして、責任逃れをしようとするアダムのやましい姿に見えます。
一方、名指しされたイブの表情は、晴れ晴れとした表情で、
「いいえ、私が果実を食べたのは、この蛇がしつこくに誘惑したからなのです」。
「決して私が悪いのではありません」
罪の意識も恥じらいもないようです。
木の葉で股間を隠し(恥じらいの自己防衛)、
責任転嫁という意識がすでに追放を前にして現れている絵だと思います。


 絵画鑑賞には、文字からの情報や知識だけに頼らずに、自分の感性を磨き、
作者が何を表現しようとしたのかを捉えることができれば、
楽しい鑑賞ができるのではないでしょうか。
         (2017.11.09記)  (つれづれに……心もよう№70)

 

 

 


秋雨

2017-10-20 22:12:13 | つれづれに……

秋雨


雨に濡れた萩の花が

   散っている
     たわわに実った紫式部の実が
        重そうにしな垂れている
            いま、ほんのわずか
                黄色いツワブキの花が
                    しずくを払うように
                         風に揺れた
 秋雨は晩秋の庭に
   ひと時のやすらぎと
       寂寥の時間を降り注いで
            暮れていく景色に
                今日の終わりを伝えている


          萩くぐる秋雨傘を傾けて  ……富安風生






    芭蕉翁の句を集めてみました
『この道や 行くひとなしに 秋の暮れ』
  ただひたすら、わびさびを追い求めて行脚した俳聖芭蕉の孤独が、
      秋の淋しさにダブっています。
      芭蕉の孤独な後ろ姿が浮かんできます。


『白露も こぼさぬ萩の うねりかな』
  萩の花を見つめる芭蕉の後ろ姿が浮かんできます。
  萩の花のうねりの中に芭蕉は何を見たのでしょう。


『枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ』
  宮本武蔵の絵(古木鳴鵙図・こぼくめいげいず)に漂う、
      張りつめた緊張感の漂う中に、
  晩秋の枯れ木に止まった鵙(もず)の孤独が感じられます。
  それをひしひしと感じる芭蕉の心もまた孤独に満ちているようです。
(宮本武蔵・古木鳴鵙図)
      (2017.10.20記)          (つれづれに……心もよう№69)

遠ざかる昭和(2) 少年の心に裕次郎の映画が焼き付いた

2017-09-11 08:00:00 | つれづれに……

遠ざかる昭和(2) 少年の心に裕次郎の映画が焼き付いた
  北海道小樽市の石原裕次郎記念館が8月31日を持って閉館になった。
  幼少期に過ごした同市に1991年にオープン。
  26年間の来館者は約2千万人だが、26年も経過するとスクリーンの裕次郎に心ときめかされた
  当時の若い世代も高齢になり、小樽まで足を延ばすのもしんどい年になって来たから、閉館と
  なっても仕方のないことなのでしょう。


  みんなが輝いていた1957年代、ゴム草履に短パン姿の裕次郎が現れた。
  物おじしない、ある意味で傍若無人の不良青年だったようです。
  それでも、目に優しさが漂い、何よりも人を惹きつける魅力とリーダーシップで
  撮影所内で注目された。そして、当時日活に在籍したプロデューサーのターキーこと
  水の江滝子の目に留まったのがスターの階段を登るきっかけになったようです。
  芥川賞新進作家の兄慎太郎の「太陽の季節」がヒットし、「太陽族」「慎太郎刈り」など
  社会風俗の波に乗ったことも大きな要因だった。
  社会が豊かになり、「湘南の海」「ヨット」など、一般の人には憧れの情景がスクリーンに
  映し出され、僕らは見果てぬ夢を見るように、ポケットに両手を突っ込み、短い脚を引きずって
  歩いたものだ。
   「……ぜ」という言い方が不良ぽっくて、ぼくらは真似をした。
  
   「ドラム合戦」に魅了され、裕次郎の映画に踊り子役で出ている
                白木マリの踊りに心ときめいた。
   風は気ままに 吹いている
                鳥は気ままに鳴いている
                どうせ男に生まれたからにゃ
                胸の炎は気ままに燃やそ
                意地と度胸の人生だ
 「明日は明日の風が吹く」のフレーズを呟いて、粋がっていた。
   「ジャックナイフ」が流行りました。「飛び出しナイフ」という
    のもあってボタンを押すとパチンと飛び出すものと、前に突き出すものがあり、ジャックナ
      イフはぼくらの憧れで、ポケットに忍ばせ、友だちに見せびらかし自慢したものだが、学校
    で所持禁止品になってしまった。

  三国連太郎と共演の「鷲と鷹」、「紅の翼」など少年の僕には心躍る作品だった。
  しかし、ぼくの心を捉えたのは、慎太郎原作を映画化した「狂った果実」だった。
  この映画を見て、大人の世界をのぞいたような妙な興奮をしたのを今でも覚えているが、
  この映画の良さがわかるのは、もっと後になってからだった。

  ぼくが、中学2~3年生ぐらいの「夢多き少年時代」の映画でした。
  裕次郎が逝って26年、昭和が遠くなっていきます。
      (2017.9.10記)                 (つれづれに……心もよう№68)


遠ざかる昭和(1) 童謡・あめふり

2017-09-09 08:30:00 | つれづれに……

遠ざかる昭和 (1) 童謡・あめふり
    朝から雨が降っている。天気予報では、終日雨になるらしい。
  畑仕事も今日は休み、久しぶりに蔵書の整理をする。
  童謡の本が出てきた。
  
   
  今ではほとんど歌われなくなってしまった「あめふり」だ。
     作詩・北原白秋 作曲・中山晋平

  1949(昭和24)年。僕は田舎の小学校に入学した。
  世の中はまだ貧しさが続いていた。
      僕らは下駄を履いて学校に行った。

  雨の日には、はだしで登校する生徒も多かった。
     (1) あめあめ ふれふれ かあさんが
       じゃのめで おむかい うれしいな
            ピッチピッチ チャップチャップ
      ランランラン

  雨降りはうれしかった。心がはずんだ。
  大好きな母ちゃんがカラカサを持って迎えに来てくれる。
  その期待感にワクワクしながら、
  授業が終わると下駄箱のある昇降口に飛んで行った。

  三番の歌詞も妙に僕の心を捉えて離さなかった。
  貧しさゆえに弁当を持ってこられない生徒は、弁当の時間教室を抜け出し、
  運動場の端にあるブランコで遊んでいた。
  時々は先生の弁当を分けてもらっていたことなど鮮明に覚えている。
  そんな生徒は雨が降っても親が迎えに来ない時が多く、
  僕とは反対にずいぶん寂しい雨の日を迎えていたのだろう。

      現在の学校では、「置き傘」といって予備に一本学校に置いておくので
  下校時に急な雨が降っても、迎えに行く必要がない。
  だから、きっと、この童謡は歌われなくなっていったのだろう。

   (3) あらあら あのこは ずぶぬれだ
        やなぎの ねかたで ないている
        ピッチピッチ チャップチャップ
        ランランラン

   (4) かあさん ぼくのを かしましょか
       きみきみ このかさ さしたまえ 
       ピッチピッチ チャップチャップ
       ランランラン
  

   (5) ぼくなら いいんだ かあさんの
        おおきな じゃのめに はいってく
        ピッチピッチ チャップチャップ
        ランランラン
       
     (1)(3)はよく覚えているが、他は記憶にない。
 
  みんなが貧しく、洗濯たらいや洗濯板が活躍していた時代。
  冬は靴下ではなく足袋を履いていた。
  つぎはぎだらけの足袋だったが  
  母ちゃんが夜なべで繕ってくれた足袋を恥ずかしいとは一度も思わなかった。
      家族のためにみんなが寝静まった後も、なにかをしていた母ちゃん。
  火鉢の五徳に載せられた薬缶の湯気がチンチン音を立てて立ちのぼっていた情景を、
  
今でも鮮明に 思いだすことができます。 

  景気が上向き、「神武景気」と言われる時代が来た。
  1955(昭和30) 年 僕は6年生になっていた。
  
三種の神器と言われ、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビジョンが家庭の経済状態のバロメー 
  ターとなった。
  封書10円 はがき5円の時代だった。

  昭和の時代が遠くなっていきます。
               (つづく)
     (つれづれに……心もよう№67)  (2017.9.8記)



















供養花火 ー定命ー

2017-08-14 08:30:00 | つれづれに……

供養花火 定命
     それぞれの思いを乗せて
 夏の花火大会は、全国いたるところで開催され、夏の風物詩になっています。
私たちの同窓会は今年も「供養花火」ということで、
一足先に彼岸のかなたに旅立たれた23名の方のご冥福を願って打ち上げました。

 小さな花火大会だが、ローカル色豊かな花火大会です。
 家族安全祈願、商売繁盛、合格祈願、初孫誕生祝い等々花火に寄せる思いは様々です。

 
 この「供養花火」を会の活動として提案した〇瀬〇磨が逝ってから早いもので6年の時が流れました。
後を追うように、高〇輝〇、小〇崎〇、〇瀬〇則さんが旅立ちました。
無常とはいえ、昔いっしょに学び舎を共にした仲間が減っていくのはさみしいものです。

 仏教に、「定命(じょうみょう)」という考え方があります。
人には、生まれながらに与えられた命の長さがあり、
人は生まれた瞬間からこの「定命」という命の砂時計の砂を
最期の時に向かって休みなく落としていると考えられています。

こうした考え方から、「無常」(とどまることがなく、時は流れていく)という観念が生まれてきたのでしょう。
鎌倉時代の吉田兼好が
「徒然草」の中で「行く河の流れは絶えずして、もとの水にあらず」
「(好むと好まざるにかかわらず)全ては泡沫のように消えていく」と、無常観を表しました。

 命の砂時計の砂ももう残りがだいぶ少なくなってきました。
「残りがあとどのくらいあるか」は誰にもわかりません。
今日かもしれないし、明日かもしれません。
命の砂の残りを気にして生きるのではなく、
明日砂が尽きても悔いの無い生き方を日々送れるよう心がけることが豊かな人生に繋がるのではないでしょうか。

                                  ※ 同窓会通信はがきより転載しました
             (2017.08.13記) (つれづれに……心もよう№66)        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


昭和が遠くなる (俳句二首)

2017-08-02 08:30:00 | つれづれに……

    昭和が遠くなる
   夏の暑さが尋常ではない。
   熱中症のニュースが流れる。
   私が子供の頃は「熱中症」という言葉はなく、「暑さ負け」が一般的表現だった。
   「…症」ではなく、「…に負ける」という意味合いが強い。
   夏休み。
   エアコンなぞなく、扇風機も珍しい時代に私たちは「うちわ」で扇(あお)
いで暑さをしのいだ。
   
   朝の涼しいうちに、「夏休みの友」や「宿題」を済まし、9時頃には外に飛び出す。
   「帽子を被らないと暑さ負けするぞー」という母の声を背中に元気に飛び出していく。

         プールなんてなかったから、パンツ一枚になって川で泳ぐ。泳ぎは上級生が教えてくれた。
   川遊び、釣り、昆虫取り。
   日焼けした皮膚の皮の剥きっこは、楽しい遊びだった。

   こうした子供たちの遊びもなくなり、
   大人たちからも昭和の匂いが無くなっていく。
   ちょっと寂しいレトロな昭和がだんだん消えていく。


  
かの夏や野外映画のなつかしく
                            
………越谷市 新井高四郎 朝日俳壇2017.07.24

  下町に残る昭和の夕焼けかな
                           
………新居浜市 三浦八重子 朝日俳壇2017.07.24

          (つれづれに……心もよう№64)                                                                  (2017.08.01記)


さよならだけが人生か

2017-07-26 17:30:00 | つれづれに……

さよならだけが人生か

     
 
月に叢雲(むらくも) 花に風
  とかくこの世はままならぬ
   誰が言った言葉でしょうか。ままならない人生の例えとして、名月を鑑賞しようとすれば
    風に流された雲がせっかくの機会を台無しにしてしまう。
    花に誘われ酒宴をあげようとすれば、春風が吹きみるみる花を散らしてしまう。
    ままならない物の代表として、とても分かりやすい。

   「ままならないなぁー」と嘆く人生はやがて「諦観」というあきらめに変わってしまう。
         少なくとも、若い時には私はそう思っていた。

    さよならだけが人生だ
 
            ということになるのかも知れない。これは、井伏鱒二が『勧酒』という漢詩を訳したフレーズだ。
        以下訳文を掲載します。
    この杯を受けてくれ
    どうぞ並々つがしておくれ 
    花に嵐の例えもあるさ
   「さよなら」だけが人生さ 

           別れに当たって、どうぞ私の杯を受けてほしい。
    そして、このなみなみとついだ杯を
一気に飲干してほしい。
    長い人生の内には、思い通りにいかないことや、辛いこと哀しいことがあるでしょう。

    人生は生きていくうえでのしがらみを一つ一つ乗り越えていけばいい。
    人生に別離はつきものだよ。
    さあーこのひとときを呑もうではないか。
    このひとときを大切にしようではないか。

     別れの数だけ、出会いの数もあるのだから…  

    諦観でもなければ、哀しいわけでもない。
    人生の定離を「別れの酒」に託して歌っている。

    
思い通りにいかないのが人生だ。
     それ故 生きづらさを感じる人もいるだろう。

           よく考えてみれば、思い通りにいかないことの方が多いのかもしれない。

     金持ちになれというのではない。
           努力がきちんと報われる社会でありたい。

    でも、どんなに努力したって報われないことだってある。
     それでも、
    「さよならだけが人生」ではない。

     若くして逝ってしまった小林麻央さんだったけれど
     充実した人生を歩んだはずだ。

    思い通りにはいかなかった人生だけど
    みんなに感動を与え、闘病している人々に勇気を与え
    二人の子どもたちに夢を託し、
    夫・海老蔵さんに、とっておきの言葉を残し
    子どもたちと三人に「生きる希望」を残してくれた。

    「さよならだけが人生」ではないことを、麻央さんは身をもって示してくれた。

    ありがとう、麻央さん。
                   (つれづれに……心もよう№63)  (2017.07.26記)

 


生きる希望

2017-07-18 21:07:26 | つれづれに……

  落ちる夕日の優しさが

 母のふところのようにやわらかく優しい

 ふる里のようになつかしい夕暮れの景色を

 西の空に描いてくれるから

 
明日も生きていこうと

 小さな希望がわいてくる。



 キラキラ輝いて

 水平線を金色に染め

 あるいは、

 山あいの狭間から稜線を光の矢を放ちながら

 昇って来る朝の光は

 やがて、

 私のベットの東側の小さな窓に差し込んでくる

 この光があるから

 今日も一日

 生きられる。

    
 6/23以後、体調を崩し なんの前振れもなくブログをお休みしました。
      6月初めごろから、腰痛が悪化し、パソコンに向かうことができなくなりました。
      加えて、7月10日頃から、腹痛に襲われ水様便に悩まされ、
      食事を受け付けなくなってしまいました。

      診断の結果は、4月から2カ月妻が遠くの病院に入院し、
      一人暮らしの慣れない自炊暮らしが始まりました。
      徐々に暑さが増す中、畑の除草に追われ、孫たちの保育園送迎をこなし、
      週に3~4回、高速に乗って片道90分の道のりを病院に通いまいした。

      6月の初めに妻は退院し、術後の予後もよく、
      週に一度の通院はあるものの生活も徐々に以前の生活に戻りつつあり、
      ほっと一息、という頃に私が倒れた。

      どうやら、ここ数カ月の無理がたたり、
      「ストレスによる体調不良」という診断で幕が下りそうです。
      念のため今週胃カメラの予約を入れました。

      貴重な良い体験ができたと、プラス思考に考えています。
      今日から、ぼちぼち不定期ですがブログ再会です。
      どうぞよろしくお願いします。

              (つれづれに……心もよう№62)