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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

新型コロナウイルス  ④ パンデミック

2020-05-22 06:00:00 | つれづれに……

新型コロナウイルス ④ パンデミック
  人類の歴史とともに歩む感染症

 人類の歴史は、戦争と感染症の歴史でもある。
 紀元前1000年前後のエジプトのミイラに天然痘の痕跡が見られるそうです。
 日本では古くは縄文人の人骨にポリオに冒された人骨が見つかっており、
    弥生人の人骨には結核に冒された人骨も見つかっている。
 これまで何度も私たちは感染症と闘ってきた。
 感染症の世界的大流行(パンデミック)に見舞われても、
 人類の英知はこれと闘い、克服してきた。
 だが、私たちの社会から完全に抹殺できたのは、天然痘だけである。
 克服はできても、ウイルスは次々に新種を生み出し、
 最高の宿主である人間を標的にしょうと
 闇にひそみその機会をうかがっている。
 風邪のウイルスさえ根絶することができない。

 ペスト、天然痘、スペイン風邪、HIV、エボラ出血熱、
 SARS(重症急性呼吸器症候群)など、どれも野生動物を経て人間に感染する。
 エボラ出血熱は感染力も強く致死率も高い。
 また、HIVは感染力は弱いが、感染すると
 長い時間(数年~10年)かけて人間の免疫力を低下させてしまう。

 新型コロナウイルスの特徴
  感染力 ………… 非常に強い
  潜伏期間 ……… 長く(約2週間)、症状が表れなかったり軽症で済む人もい
            ると言われている。だが、重症化すると呼吸困難に陥って
            数日で死にいたる。
  
    

 自覚症状の軽い感染者が、市民生活の中に溶け込んでいる危険性が十分にある。
 「もしかしたら、自分の隣人が感染者かも知れない」という不安感は、
 感染者が増えてくれば恐怖感に変わってくる。
    次に訪れるのが、「監視」だという。
 営業自粛を守らない店がある。マスクをしないなんて不謹慎だ。
 等々私は感染しないょうに頑張っているのに、不謹慎だ、許せない。
 トラブルが起こり、生きづらい生活環境が続くようになる。
 ストレスがたまり、社会全体の意気が停滞してしまう。

 これ以上社会的規制が続くと、社会的な混乱が起きる。
 その寸前で我が国の感染拡大も収束の兆しが見え始めてきたようです。
 20日午後9時現在の感染者数は
  総数……1万7176人 新たな感染者全国で37人
  死者……  797人 昨日の死者11人
 やっと出口が見つかったようです。

  次回は20世紀最悪のパンデミックを引き起こした「スペイン風邪」について
  書きます。

      (つれづれに…心もよう№105)        (2020.5.21記)
 

 















 




新型コロナウイルス ③ 夕日に湖面が光った

2020-05-16 21:26:30 | つれづれに……

新型コロナウイルス ③ 夕日に湖面が光った
  照明の落とされた店内に、ハッチング姿の彼がいた
 「明日は緊急事態宣言が解除されるだろう」と報道が伝える。
   感染拡大も少しづつ収まりつつある13日、2カ月ぶりに孫二人を連れてドライブした。
   3カ月目に突入した「休校」で、家にいる日が多くなり、
   運動不足で幾分ポッチャリしてきた孫たちへのささやかなプレゼントである。
   自宅から30分、周囲6キロの湖めざして走る車の中で孫たちがはしゃぐ。
   春は湖畔に植えられた桜が美しく、湖畔を散策する人で賑わう。
  
 
   紫陽花の湖畔は、さわやかな風が通りすぎる。
   
   菖蒲園の木道は孫たちのお気に入りだ。用心深いウシガエルが水辺の草むらで泣いている。
   
   なんといってもお気に入りは湖を縦断する大橋だ。その中央、湖の真ん中あたりのお気に入りスポット。
   平和の象徴の乙女たち。
   
   黄昏の時間が流れ、暮れなずむ景色に孫たちの元気な声が流れる。
   桟橋で釣りをする人のシルエットが、心を和ませる。
   
   いつもなら、夕暮れの歩道を散策する人で、活気のある一日が終わろうとするひと時、
   短い時間の賑わいが訪れるのだが、さすがに「コロナ自粛」のこの時期、人影もまばら。
          孫たちの元気な声が、湖面を渡る風に乗って消えていく。

   人の少なくなった公園を後に、次の目的地に車を走らせる。
   目的地はここから5分。城下町の曲がりくねった狭い道路を通り抜けて、
   地方都市の小さな繁華街を抜け、
   人通りがまばらになる直前に今日の目的地がある。

   居酒屋「オーパー」。
   彼がオープンしてから10年以上の時が流れた。
   彼がどこで修行してきたのか、誰にもわからない。
   地方で居酒屋を続けるということは、目に見えない苦労が多いと聞く。
   客は名の通ったチェーン店に行きがちだ。

   頑張る彼の姿に、月に数度足を運ぶが、
   アルコールを飲まない私は、
   牛ステーキなど値の張るものを注文し静かな店の雰囲気に溶け込んでいく。
   
   マスクをした孫を車中に残し、
   予約しておいたテイクアウトのピザを受け取りに店内に入る。
   コロナ騒動で、営業自粛を強いられている店は灯りも落とし、
   ひんやりと冷たい風さえ流れて来そうな雰囲気だ。
   
   予想はしていたが、ここ2カ月の間に見せの雰囲気はすっかり変わり
   8時までの時短営業だが、「ほとんど客は来ない」と、
   ハッチングをかぶり直して自嘲気味につぶやく。
   3名のアルバイト店員もいない。
   
   独り身の彼は、生活費だけがあれば2が月ぐらいは耐えていける。
   だが、店舗の家賃や賃貸マンションの家賃を考えると、
   もう限界だと呟く。
   「明日は緊急事態宣言が解除になるだろう。
    だが客足が戻るにはおそらくあと数カ月はかかるだろう」

   「解除はしたが、三密は守り、人との接触はできるだけ避けるように」
   と、専門家や地域を背負う知事等は注意を促している。
   段階的に営業や自粛の規制を解除するが、2次感染の恐れがないわけではない。
   
   私たちが今置かれている状況は、
   バランス感覚の取れない綱の上に立っているのと同じ状況です。

   コロナウイルスを封じ込めるために「経済を今しばらく停止して、大不況の引き金を引く」
   のか、「疲弊した経済を立て直す」ために、危険なパンドラの箱を開けて、感染の拡大を内
   蔵する扉を開けるのか。
   経済が立ちいかなければ、私たちの生活も立ちいかなくなってしまう。
   つまり、「経済か 安全か」という二者択一ではない。

   感染拡大を抑制しつつ、経済も立て直す政策が今望まれています。

   私的生活の範囲の中で考えれば、「緊急事態宣言」が解除されても、
   当面の間私たちの生活は何も変わらず、
   感染の状況に応じて徐々に自粛の枠を外していく、
   という努力が必要なのではないか。
   二次感染が起きてしまえば、再び客足は遠のき、
   彼のような経済的弱者の息の根を私たちは止めてしまうのだ。

   帰路の車の中で考えた。
   「客足が戻るのに数カ月はかかるだろう」と彼が言った言葉が、
   心に澱(おり)のように沈んでいる。
   彼にとっては、今を生きることが、今日を生きることが大切な峠越えなのだ。
   その一日一日の峠越えを、見守りながら、私は何ができるのだろうと、
   無力な自分が安全の扉の内側に避難し、
   何もしてこなかったことを懺悔(ざんげ)しながら、軽くブレーキを踏んだ。

   信号は赤。
   ピザの匂いが立ち込める車内で、久しぶりの外出に孫たちがはしゃいでいる。
   信号が青になった。
   ブレーキから足を外し、アクセルを軽く踏み、車をスタートさせる。
   あと信号を三つ超えると自宅だ。

   若葉が茂る街路樹の道を車のスピードを上げた。
           三つ目の信号を渡り、小さな踏切を渡ると自宅だ。

   「明日は彼に電話をしよう……」
   
        
             (つれづれに……心もよう№104)
                                 (2020.05.17記)  



新型コロナウイルス ②-② またしてもトイレットペーパーがなくなった

2020-05-12 08:18:50 | つれづれに……

新型コロナウイルス ②-② 
             またしてもトイレットペーパーがなくなった
    なぜ、トイレットペーパーなのか?

東日本大震災:
 9年前の2011年3月11日に起こった東日本大震災。
 大規模で広範囲にわたって、壊滅的な被害が東日本を襲いました。
 この時は、トイレットペーパーだけでなく、
 あらゆるものが買占めの対象になったようです。
 
 ガソリンは交通網が地震や津波などにより、
 通常の流通を維持することが困難になってしまったため、
 広範囲の地域でガソリンスタンドの前に、長い車の列ができました。
 日用品では、
乾電池 ティッシュペーパー トイレットペーパー  紙おむつ  
 ガソリン携行缶。
 食料品 では、飲料水・米・カップラーメン・缶詰など広範囲に渡って買い占めが
 行われました。
 スーパーもコンビニも商品棚は空っぽだから、一層物がほしくなる。
 とりあえず必要ではないが、予備のために購入する人が多くなる。
 「早い者勝ち」という風潮が蔓延し、我先にと売り場に殺到する。
 買占めに走ることを、「浅ましい」と思いながら、
 多くの人が同じことをやっていると、
 「浅ましい」とか「品位に欠ける」などという感覚は薄れてしまうのでしょう。
 それでも、暴動や略奪に発展しないだけ良しとしなければならないのでしょう。


新型コロナウイルス騒動でもやっぱりトイレットペーパーが……

 今度もまたマスクやトイレットペーパー、ティッシュなどとともに、
感染症対策とは無関係と思われる米、カップ麺、電池などが買占め(?)などにより、
店頭から姿を消したようです(いうまでもなく、
現在ではマスク以外は十分に供給されているようです)。
 
今回の騒動は「トイレットペーパーが不足するらしい」
というデマがSNSて流れたことが発端のようです。
 製造メーカーなどではコスト削減のため、
徹底した在庫管理やデーター分析をおこない、
生産量は近年及び前年の流通実績をもとに厳しく生産管理をしています。
したがって、ある時期過剰に増えた急な需要に生産量が追いつきません。
メディアによる品不足の情報が、
連日報道で繰り返し流されることで、「買占め」を誘発する遠因にもなっています。

 一見平和で穏やかに見える社会も、
大きな社会的な負の出来事が起きると、
実はとても脆い危うさを持っていることがわかります。
日常の生活から逸脱し、非日常の生活にさらされた時、
私たちは混乱し、自分を優先してしまいがちです。
社会的混乱の延長線上に「買占め」という
「自我の優先」という感情が出てしまうのも仕方のないことなのかもしれません。
 もう少し柔らかな表現をすると、
コロナ感染拡大という社会的な非日常の世界にさらされた私たちの不安は
増大していきます。
先の見えないことに対する不安を抱え、
「品薄の商品」を買うことで、
わずかばかりの安心感を手に入れることができるからではないのでしょうか。

 なぜ、トイレットペーパーなのか?

 例えば「米」がなければ「麺類」や「パン」で代替えすることができます。
パンツや靴下がなくても決定的なダメージにはなりません。
しかし、水洗トイレが普及した現在においてトイレットペーパーは代替え品ではまかなえない、
水と同じように絶対の生活必需品なのです。

 買いだめをした人の9割の人が、
「トイレットペーパーが不足する」という情報が「デマ」だと知っていても、
店頭に走った、という調査結果があります。
不安に駆られた人々が店頭に走ったとしても、
その行為を責めることはできないと思います。
ワンロールのトイレットペーパーを得るために、
「品位」を捨てたとしても、
家族というかけがいのない小さな社会を守るために、
店頭に走った行為を責めることはできません。

 必要なことは、「情報」におどらせられない冷静さを持つということだと思います。
メディアが流す「情報」がいつも正しいとは限らないのですから。

 昨日 今日のニュースから
   新型コロナウイルス感染者 全国 1万5905人(前日比+45人)
     東京 4883(+15)  大阪 1751(+1)  神奈川 1178(+7)
  
  ○ コロナ再陽性 全国で35人
     治ったはずなのに、検査で再び陽性になった感染者、全国で35人。
     この感染症が容易ならざる性質を持っていることを示しています。
     感染者の集計の数字は減少の傾向を示し、
     各地で感染対策の緩和が検討されていますが、油断は禁物です。
 
  ○ 理由は再燃か再感染か 「再陽性」について
     検査で陰性と確認された後に再び陽性になる。その原因がわからない。
     ウイルスの特性を理解するにはまだまだ時間が必要なのでしょう。
     
  ○ 学校9月入学 課題山積
     過去に何度も検討しながら実現しなかった経緯があり、
     義務教育の開始年齢が諸外国より遅れる恐れがあり、十分な議論が必要です。

  ○ 児童虐待1~2割増し
     休校や外出自粛が原因ではないか。大人の神経も疲れています。
     我慢を強いられるということは、大人にとっても、子供にとっても苦痛なのです。
 
  ○ ソウル86人集団感染
     感染拡大が沈静化し、行動制限を大幅に緩和した韓国。
     クラブの客を中心とした集団感染。「三密」を犯すことの危険性が改めて確認されました。 


(つれづれに……心もよう№103)            (2020.5.11記
)

 

 

 

 

 

 


新型コロナウイルス ② またしてもトイレットペーパーがなくなった

2020-05-05 17:42:48 | つれづれに……

新型コロナウイルス ② またしてもトイレットペーパーがなくなった
 新型コロナウイルスが私たちの社会を侵食し始めたころ、の時だった。
 またしても、トイレットペーパーが店頭から姿を消した。
 パニック。買占め。
 買えないとなると、どうしても欲しくなるのが人の常。
 一つよりも二つ、二つよりも三つ。
 買占めが始まり、パニックに拍車がかかり、
 新聞もテレビも同じニュースを連日流すから

 煽られた人たちの心に火が付き、トイレットペーパーの争奪戦が展開する。
 そういえば以前にも同じようなことが……

 オイルショック 1973(昭和48)年のときだった。
 第4次中東戦争をきっかけに石油価格が急に上がり、
 世界経済が大きな打撃を受けました。
 日本でも物価が上がり、モノ不足に。
 特にトイレットペーパーの買い占めが社会問題となりました。
 1973年12月20日朝刊には
 「石油危機 倒産・失業救済へ特別法 助成資金を拡充」の記事が1面を飾っていました。
 低迷する経済を何とか立て直そうという政府の大きな課題だったような気がします。
 特に、自営業者や商工業者の倒産などが多かったようです。
 ガソリンが高騰し、
 スタンドによっては過去の販売実績による割当制を実施するところもありました。

 主婦にとって、生活必需品がなくなるということは、
 とても大変な出来事で、家族のためになんとかこれを確保しようとする努力はよくわかります。
 なりふり構わず、人を押しのけ、早い者勝ちの争奪戦が繰り広げられたのも
 ある面いたし方のないことだったのでしょう。
 ここには人格とか、品位とか、譲り合いなどという感情は胡散霧散し、
 争奪戦の渦に巻き込まれてしまえば、戸惑いや遠慮や他人への配慮などを考えていては、
 獲物を獲得できない敗者になってしまうのです。
 良識をかなぐり捨てての争奪戦です。
 不幸にして獲物を獲得できなければ、
 明日の敗者復活戦に挑むということになります。
 ここに、当時の写真があります。
  (トイレットペーパーがなくなる)
 「争奪戦」と私は書きましたが、写真を見る限りそういう雰囲気はありません。
 この特設会場の人混みの中で、なぜか笑顔さえ浮かべています。
 でも、両手にしっかりと獲物をゲットしています。
 極めつけは、両手に抱え更にあごの下に一個を確保する人もいたと聞いています。
 子連れのお母さんもいて、穏やかで、少しばかり気恥ずかしいのか
 はにかみわらいをしている人の集まりです。
 掲載写真の日付から連想するに、
 「どうやらトイレットペーパーが値上がりし、不足するらしい」
 という話が巷でささやかれ始まった初期のころの写真なのです。
 だから、購入者の顔にはまだ余裕すら浮かんでいたのではないでしょうか。

 当時の朝日新聞の世論調査から、
 人々はどんなことを思っていたか考えてみましょう。

 「世の中、間違ってると思うこと」ではという問いで、
 「買い占め、モノ不足」は4%ちょっと予想外のパーセンテージでした。
 この項目、1番多かったのは「人の心と風俗の乱れ」17%でした。
 さらに、「これからの世の中で一番大切なもの」では、
 「人の和、友情、信頼」が25%で最も多く、
 これに「心、道徳」を上げた人を加えると、35%に達しています。

 物不足や物価の高騰は将来の家庭生活にどのように影響していくのか、
 という不安は当然あるのでしょうが、
 こうした社会不安よりも人の心の在り方を危惧している答えが多くあったことに、
 私は安堵しました。

 「業者の買い占めや、不安にかられた人々の買いだめによって、当時のモノ不足は加速し、
 パニックが拡大しまいました。そんな時だからこそ、人の和や信頼を求めていたのかもしれません」。
 と記者は記事を結んでいます。
                                       (この項つづき)
      昨日・今日のニュースから
    新型コロナウイルス感染者 全国1万5261人(プリンセス号除く)
   
    東京 4654人(新たな感染者87人)

    大阪 1682人(  〃   13人
)
    神奈川1109人(  〃   10人)

                4日 午後9時現在

    人口10万人当たりの感染者
        全国平均 11.7人
          東京 32.8人 石川23.2人 大阪18.9人
          岩手  0人   鳥取 0.5人  鹿児島0.6人 岡山 1.2人
                3日時点、朝日新聞の集計
    
    ○ 緊急事態宣言31日まで延長
       14日をめどに感染状況などを分析し、解除の前倒しを検討する。
    ○ 感染の広がりを長期的に防ぐための「新しい生活様式」が提示される。
    ○ アヒガン治療薬の薬事承認「月内めざす」。 
    ○ 大相撲 夏場所中止、名古屋場所は国技館で。
    ○ 安倍首相会見(冒頭発言)
       緊急事態宣言から間もなく1か月。一時は一日当たり700人近くまで増加した全国の感染者
       数は、3分の1まで減少した。収束に向けた道を着実に前進している。欧米のような感染爆
       発が起きるのではという悲観的な予想もあったが、感染拡大を回避し、減少へと転じさせ
       
ることができた。国民一人一人が強い意志を持って可能な限りの努力を重ねてくれた成果
       だ。

           (つれづれに……心もよう№102)        (2020.05.05記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


忘れないよ ユカちゃんのこと 

2020-04-06 10:06:43 | つれづれに……

忘れないよ ユカちゃんのこと
 
また来ん春……

     また来ん春と人は云ふ
      しかし私は辛いのだ
      春が来たって何になろ
      あの子が返って来るぢゃない
     
      おもへば今年の5月には
      おまへを抱いて動物園
            象を見せても猫(にゃあ)といひ
         鳥を見せても猫(にゃあ)だった

      最後に見せた鹿だけは
      角によっぽど惹かれてか
      何とも云はず 眺めてた

      ほんにおまえもあの時は
      この世の光のたゞ中に
      立って眺めてゐたっけが……
               中原中也「在りし日の歌」より

 中原中也の詩集は、生前に彼が刊行した『山羊の歌』と『在りし日の歌』だけである。
  
本書の冒頭には「亡き児文也の霊に捧ぐ」とある。
 中原の愛児・文也は1934年10月に生まれた。詩集『山羊の歌』が刊行される2か月前のことである。
中也の喜びもつかの間、『在りし日の歌』が編集・清書される10ケ月前に病気で急逝する。
2歳と1ケ月の短すぎる命だった。
中也の悲しみが詩集「在りし日の歌」の冒頭に「亡き児文也の霊に捧ぐ」と
挿入したのも、中也の深い悲しみが感じられ、その心中を思えば痛々しい。
このことが中原の過敏な神経をいためつけた。
神経衰弱に結核性脳膜炎を併発し、
1935年文也が亡くなった1年後に文也の後を追うように逝ってしまった。
享年30歳。
早すぎる死であった。
「在りし日の歌」の原稿は親友・小林秀雄の手に託され1938年創元社より刊行された。
中也没後三年後のことである。

 かけがいのない人を喪うこと、
 愛しい人を喪うことは、
 辛く果てしのない悲しみを引きずって、
 苦しい人生行路を歩んでいくことになる。

 「時が過ぎれば、また春がめぐってくるよ」。
 一見、優しい言葉のように思われるが、
 当事者にとっては部外者の心無い慰めにしか聞こえない。
 黙って見守り寄り添うことが、
 暖かい掌で傷ついた部分をそっと包んでくれる人がいれば、
 人は立ち直ることができます。

 この詩を紹介した遠藤豊吉氏は、編者の言葉として
 次のような言葉を載せています。
 生徒を愛する教師の気持ちが読む者の心を捉えます。

 二学期がはじまった九月一日。ユカちゃんという女の子が無人踏切で電車に触れて死んだ。
 上りと下りの電車のすれちがいに気づかず、一方の電車が通りすぎたとき、飛び出したのだ。
 美しい死に顔だったという。
  担任の先生は、その日から二か月ほどの間、げっそりとやせ、ほとんどものも言わずに、ぼ
 うっと日を送ることが多かった。まわりがいくらなぐさめても「ユカちゃん、まだ夢に出てく
 るもんな」と言って目をうるませるのだった。
  そのできごとがあってから、何年もの間、A先生は九月一日が近づくと、ゆううつになってく
 
るのだった。その九月一日が無事にすぎると、かれはわたしに言ったものだった。「遠藤さん、
 あの事故にあわなければ、ユカちゃんは、いま○年生だな。」
  やがて、中央線は高架になった。わたしたちは地上から五メートルも高いところを走る電車を
 見ながら「ああ、子どもの鉄道事故もなくなる」と話し合ったものであるが、A先生はそのつど
 「でも、ユカちゃんはもどってこない」と、ことぱ少なに、そうつぶやくのだった。

 「でも、ユカちゃんはもどってこない」。
 この最後のフレーズに、A先生の悲しみが続いていることが読者に伝わってきます。
 そして、A先生の孤独と無常感が表れているようにわたくしは思うのです。

     (つれずれに……心もよう№100)     (2020.4.6記)





描かれた仏たち

2019-12-28 22:05:03 | つれづれに……

描かれた仏たち あや絵作家・川崎是空と
              日本画家・田中嘉三

  

   あや絵作家・川崎是空の作品
                            聖観音  

 

                                      四天王
  

                        

                           不動明王                  孔雀明王

     
      
                                    釈迦三尊
    

    「あや絵」(下記に説明文あり)という技法で製作された作品だが、
   写真ではとてもその美しさを伝えることはできない。
   粒子のように画面全体にきらきら光っている輝きは、
   過去に幾多の芸術家や仏師たちが求めてやまなかった後光の美しさを具現したような美しさを秘めている。
   この色彩感覚が見る人の心を捉えて離さない。
   華麗な輝きとそこから醸し出るやさしさに私は、
   「聖観音」や「不動明王」の作品の前から動くことができなかった。

  
 『川崎是空』の画像
 崎是空 (かわさき ぜくう 1922-2014) 着物染色作家の川崎是空(本名 一與四)は、
 大正11年、石川県に生まれた。
 京都西陣織図案見習いを経て昭和23年に上京し、着物染色の道を選んだ。
 東京在住の染色家たちによって現在の常総市坂手町に水海道染色村の設立が計画されると、
 昭和49年の先発隊12世帯の一人として移住し、以後この地で染色作家として創作活動を続けた。

 自身が考案した「あや絵」は、佐賀錦の白生地を図に従って染色し、
 それを裁断してパネルに貼り合わせて制作した絵画で、
 照明や見る角度によって様々な雰囲気を醸し出し、独特の立体感を表現する。
 染色の技術を発展させ、約30年にわたって自らが創作した「あや絵」の美を追求し続けた川崎は、
 平成26年7月、92歳の天寿を全うした。 (企画展パンフレットから引用)




日本画家 田中嘉三の作品
     
                              仏陀と弟子
          

                        憤怒像

 

                  大仏殿炎上


  下図はトリミングしたものです。左下、燃えさかる大仏仏殿に攻め入って来た
  武士の姿が見える。抜き身の刀を肩にかついで、大仏殿に駆けこもうとしてい 
  る。右側・半開きになった大扉の下に炎と黒煙に巻かれた大仏に対座している
  僧の姿が見える。おそらく大半の僧が阿鼻叫喚の中を逃げ去り、一番乗りで侵
  入する敵兵と僧以外に人の姿は見当たらない。
  渦巻く黒鉛と黒煙に巻かれた大仏に向かって、身じろぎもせず、読経する僧の
  姿が印象的である。
  また、二人の人物と大仏を描くことで、大仏の大きさ(偉大さ)と人間の卑小さ
  (愚かさ)さえ表しているように見える。

 

                              八部衆

 八部衆は仏法を守護する八神。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に 帰依し、護法善神となったものである。十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める。なじみの深いものは夜叉(鬼神)、阿修羅(戦闘神)などがある。残念ながらこの絵の中の八神を特定するだけの知識が私にはない。
 『田中嘉三』の画像 田中嘉三 (たなか かぞう 1909-1967)   日本画家・田中嘉三は、明治42年に現在の笠間市に生まれた。  幼少のころから絵に親しみ、14歳から同郷の日本美術院同人・木村武山に日本画を学び、  武山の逝去後は奥村土牛に師事。昭和4年の第14回日本美術院試作展、  同12年の再興第24回日本美術院展(院展)に初入選を果たしてからは院展を主な発表の場として活躍、  昭和23年の再興第33回院展に出品した「一字金輪仏」は院賞首席を受賞した。  そのひたむきな創作姿勢から生み出される作品は洗練された画面に穏やかな雰囲気を漂わせ、  多くの人に安らぎを与えた。しかし、さらなる円熟を期待される中、  昭和42年、春の院展に「胎蔵諸尊」を出品したのち、病により58歳でその生涯を閉じた。  (企画展パンフレットから引用)
  

 華麗な「あや絵」の川崎是空と、静かな清澄感漂う田中嘉三。
 どちらも茨城に関わりのある二人の作品に癒されたひと時でした。

(画像は企画展パンフレットより引用)

        (つれづれに…心もよう№99)

 

 

 

 

                                               

          

 

  


悪いものは悪い… 共感と受容

2019-12-06 06:00:00 | つれづれに……

 悪いものは悪い…… 共感と受容
  
 会津藩に、「什の掟」という六歳から九歳までの藩士の子どもたちに向けた教えがあります。

    一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
   一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
   一、嘘言を言ふことはなりませぬ
   一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
   一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
   一、戸外で物を食べてはなりませぬ
   一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
      ならぬことはならぬものです
 
  現代ではそぐわない教えもありますが、

  会津武士として成長していく子どもが守らなければならない「什の掟」です。
  「什」とは、地区ごとに集まる10人前後の子供たちの集まりという意味だそうです。
  「什」によって内容は少し違っていたようです。

  各教えは「なりませぬ」で統一され、最後は「ならぬことはならぬものです」と締めくくられています。

  「会津の武士の子どもはこうあるべきだ」というこの教えは、問答無用なのです。
  「ならぬものはならぬのです」と、掟の教えの絶対性を強調しているのでしょう。

  現実社会においては、
  「悪いものは悪い」という常識的一般論があります。
  法を犯すものに対しては、厳しい法による制裁が加えられます。
  大人の社会で通用する論理です。
  時によっては、問答無用で切り捨てなければならない事例もあります。
  この考え方の根底には、自己責任、
  つまり自分でしたことは自分で責任を取るという社会の責任があるからです。

  しかし、社会福祉の世界や、精神の発達途上ある児童に対しては、
  自己責任という意識が十分に発達していない段階にあるわけですから、
  一般論を押し付けても、自己満足に陥ってしまう場合が多いのです。

  常識的一般論で誰にでもできることです。
  対象とする事例を「一緒に解決しよう」という姿勢がなければ、閉ざされた心はなかなか開いてくれません。
  「相手の話をよく聞く」という「傾聴」という姿勢が必要となります。
  その上で、相手のあるがままの姿を認めることが必要になります。
  これを、「受容」といいます。
  社会福祉やカウンセラーに携わるひとに要求される基本姿勢です。

  私たちは人が好ましくない行動や行為をしたときに、その行動や行為を否定するところから
  相手へのコミュニケーションを試みようとしますが、
  否定するということは相手を否定することにつながってしまう場合もあります。
  
  心の問題を解決するとき、「なぜ」「とうして」という観点から相手の気持ちに沿うようにして、
  解決の糸口を一緒になって見つけられるよう進めなければなりません。
  ここに、「共感」という姿勢が生まれます。
  相手の痛みを自分の痛みとして感じ取れるような感性が必要になります。
  この感性の乏しい人は、社会福祉やカウンセリングが必要となる職業に
  就くことは望ましくありません。

  「共感」とは相手と同一視線に立つということです。
  上から目線や常識的一般論が通用し難い社会であることを忘れないでほしいと思います。
  
  今日一日元気で過ごすことができたなら、
  明日も元気に過ごせるという小さな希望が育つ社会であってほしいと思う。
  
    (2019.12.5記)  (つれづれに……心もよう№97)

 


 


アスリートとスポーツ

2019-11-15 15:51:58 | つれづれに……

アスリートとスポーツ
 
東京5輪を一年後に控えて開催側の準備も徐々に整ってきた。
 この段階で突然、マラソンと競歩の会場が東京から札幌に変更になってしまった。
 変更の理由は
 「開催地の気候的条件が、
 選手たちにとって過酷で健康を損なう恐れがある」ということらしい。
 しかし、「札幌に決定」と公式発表まで小池東京都知事には何の相談・打診もなかった。
 全くの蚊帳の外ということだ。
 当然のことながら事前に相談・打診をすれば都民の代表である都知事としては絶対に譲れない内容だ。
 変更案に対する懐柔案を出し、
 対抗姿勢を堅持するだろう。
 
 だから外堀を埋め内堀をひそかに埋めたうえで、説明をする。
 

 「もう決定したことです。」
 言われてしまえば、返す言葉がない。
 後は「蚊帳の外」に追いやられた
都知事としての体面をどう保って、
 相手の言い分を承諾するか。
 この会場変更の幕引きの対応を誤ってしまえば、
 都知事の面子が丸つぶれになってしまう。
 そのことだけは何としても避けたいと思う都知事でした。

 「長」と呼ばれ、トップに立つ者の立ち位置はいつも孤独だ。
 部下も仲間も信頼の絆で結ばれているかに見える関係でも、
 いつ何時袂を分かつかわからない。

 「昨日の敵は今日の友」という言葉があるが、
 「昨日の友は今日は敵」などということも珍しくない。
 「寝首をかかれる」という現実も珍しくない。

 安心のできない日々を過ごさなければならない孤独との戦いが続く。

 アスリートたちの挑戦は孤独だ。
 切磋琢磨し一緒に練習に励んできた中も、器量が拮抗すればライバルになる。
 自分を奮い立たせるライバルであり、決して敵ではない。

 長く苦しい孤独の戦いだ。
 その上、選手生命は短い。
 現役を引退した後、関連スポーツの世界で生きていけるアスリートは非常に少ない。
 記録という実績だけでは、生きていけない。
 経験に裏打ちされた技術と人を引き付ける魅力がなければ、
 尊敬される指導者にはなれない。

 組織を牛耳り、スポーツを利権獲得の手段として利用し、
 スポーツ界を追われた人を私たちは何人も見ている。


 有森裕子は言った。

 「自分で自分をほめたい」と。
  1992年バルセロナ五輪マラソンで銀メダル。
  その4年後、アトランタ五輪で銅メダルを獲得
  目指した金メダルは逃したけれども、2大会連続女子マラソンで獲得した有森は言った。
  「メダルの色は銅かもしれませんけども……。
  終わってからなんでもっとガンバレなかったのかと思うレースはしたくなかったし、
  今回はそう思っていないし…。
  初めて自分で自分をほめたいと思います」

  苦しい練習と自分との孤独な戦いに勝った人の言葉の意味は重い。

高橋尚子は言った。

  「夢は持ち続ければ叶えられる」と。
  
  2000年シドニー五輪    金メダル 五輪記録
  2001年ベルリンマラソン  優勝   世界記録

   努力と精進を重ねた結果として獲得した輝かしい実績を持つ彼女の言葉には
   重みと説得力がある。

  円谷幸吉は自らの命を絶った。
   「父上様母上様三日とろろおいしゅうございました」
   
   あまりにも悲しい遺書が痛ましい。

   1964年東京オリンピック。
   55年前のことだ。
   
   代々木の国立競技場に2位で戻ってきた円谷。
   だが彼は3位で円谷を追ってきたイギリスのヒートリーに抜かれ惜しくも3位に。

   4年後、1968年メキシコオリンピックに国民の期待は大きくなる。
   期待が大きくなればなるほど、円谷はその重圧に押しつぶされそうになる。
   彼は頸動脈を両刃の剃刀で切り、自らの命を絶った。



   頑張れ!
   孤独な戦いに挑むアスリートたちよ。
   
   目指す金を逃したとしても、金が人生のすべてではないのだ。

   (2019.11.15記)       (つれづれに…心もよう№96)
   
   

 


 

 







 


縄文最古の人骨

2019-10-23 10:27:20 | つれづれに……

縄文最古の人骨が語るもの
  この人骨から種々のことが判明した。

 栃木県宇都宮市の大谷寺(大谷観音)

 写真でお分かりのように、
 大谷石凝灰岩(吸湿性に富み、柔らかく加工しやすいために蔵の外壁や屋敷を囲む塀などに利用される)が、
 風化し浸食してできた洞窟内に建てられた洞窟寺院である。
 凝灰岩の岸壁に掘られた4.5メートルの千手観音が本尊であるところから大谷観音とも称される。

     

 
伝承であるが、この磨崖仏の千手観音は、
平安時代初期の弘仁元年(810年)弘法大師の作と伝えられています。
千手観音を含む、伝釈迦三尊像、伝薬師三尊像、伝阿弥陀三尊像の10体は学術的にも貴重なものといわれ、
国の特別史跡と重要文化財に指定され、日本最初の二重指定を受けています。

 最初は、岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、
更に漆を塗り、一番表には金箔が押され金色に輝いていたが、長い年月を経て風化し、
現在は写真のように当時の光り輝く神々しさは失われている。
最新の研究では、バ―ミヤン石仏との共通点が見られることから、
実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロ―ドと考えられています。(大谷寺・ホームページより抜粋)

 
 これらの石仏群のある洞窟は、古代人の住居だったようです。
新聞記事を紹介しましょう。
読売新聞1998(平成10)年5月29日の新聞記事で、33年前に出土の人骨としてあるので、
1955年に発見、今から64年前の発見ということになります。
 



  
 記事の概略
   最初は縄文時代早期の約7,000年前の人骨とみなされていた
  がその後の研究で縄文時代最古の草創期にあたる1万7000年前の人骨と判明。
  この人骨は、完全な形で出土した人骨としては縄文最古の人骨ということが判明。
  年齢は二十歳前後の男性で手足を折り曲げた屈葬の状態で出土した。
  身長は154センチ、痩せ型。

  



     大谷寺岩陰遺跡刻まれた先に紹介した磨崖仏10体が刻まれる遥か昔にこの岩窟に、
  縄文人の生活の場があったという。
  人骨の発見は、磨崖仏の保存工事の過程で発見された。
  なんと、感慨深いことか。
  「磨崖仏のお導き?」などと、古の昔に思いを馳せ、想像力を広げるのも楽しい。

 

  
   
  縄文草創期から人間を襲う感染症があった。


  
  大谷寺洞穴遺跡 病んだ人骨の語るもの。
  

  2000年3月。
  栃木県立博物館が次のような研究結果を発表した。
  1998年に出土した17000年前の草創期に属する二十歳前後の男性の骨に、
  本来対称性である上肢骨と鎖骨に非対称性病変があり、
  末梢神経損傷、脊髄性小児麻痺(ポリオ)等の筋疾患が考えられるというのだ。

  
  この遺跡では縄文前期(縄文草創期・男性人骨が生きていた時代の次の時代)の成人女性の人骨も
  出土している。
  しかも、この女性の下肢骨にも同様の病変のあることが分かった。
  
  脊髄性小児麻痺(ポリオ)はウィルスの伝染によって、
  全身性感染を起こす病気で、身体の一部に麻痺を残す。
  死亡率も高い。
  これらの病気がポリオだとすれば、
  この地域では長い間にわたって生命を脅かす感染症に悩まされていたことになる。
  縄文人を悩ませた病気に虫歯があり、地域によっては抜歯の風習も確認されているが、
  この習慣は虫歯予防の呪術的な意味もあったのかもしれないですね。

  脊髄性小児麻痺(ポリオ)に罹り、運動能力の著しい低下を招いた縄文最古の成人男性は
  手厚く葬られていたことに古代人の死者に対する思いやりが感じられます。

  大谷寺の屈葬された縄文最古の人骨は、同寺の資料館の片隅で
  17000年の時を今も眠り続けている。

          参考資料:     大谷寺パンフレット
                  列島の考古学 縄文時代 能登 健著 河出書房新社2011刊 
                                                  
                                                  ポリオ ポリオウィルスによる感染症で、脊髄神経の灰白質が侵され、
                  夏かぜのような症状が現れたのち、急に足や腕が麻痺し動かなくなる
                                                   疾患・指定伝染病(ニッポニカより要約)


    
      (2019.10.23記)     (つれづれに…心もよう№94)
                
                                     メモ№1362
  


  
  

 

 

 
  

 


血圧の話  健康について……

2019-05-21 22:41:43 | つれづれに……

  血圧の話  健康について…
  
  自分の健康は自分で守る
  少し長い話になってしまいましたが、血圧で不安を抱いている方
  最後まで読んでいただけると幸いです。
  
  健康でありたい…。
  幸せ願望と同じく多くの人が望むことである。
  生きて来た証に老後が病に冒され、
  痛みに耐えながら最期を迎えるのは辛いです。
  
  と、願いながらついつい健康管理を怠ってしまうケースは珍しくありません。
  健康に自信があるから無理もする。
  暴飲、暴食、そして不摂生。
  肝臓も腎臓も、五臓六腑はこの世に生を受けた時から、
  わが身のために健康支えの柱となって役割を果たしてくれる。
  だが、私たちはこうした陰で支えてくれる臓器たちの恩恵を忘れがちである。

 2年ほど前の話になります。
 頭痛が激しく、肩こりもひどい。
 通常、市販の鎮痛剤を一度飲めば改善してしまう症状なのだが、
 薬を飲んでも治らない。
 1日、2日、3日……
 一向に改善する気配がない。
 明らかに異常を感じ、主治医のもとへ。

 血圧測定の結果、最高血圧が200mmHg。
 車を運転してきた私は、帰ることを禁じられ、
 血圧降下剤の点滴を施療される。

 軽く考えていた私に、
 医師は「今ここで倒れてもおかしくない血圧だ」と警告の一言。

 以来、朝一錠の降下剤を服用、おかげで安定した状態を保つことができている。

 医学事典によれば、高血圧症とは、

 
最高血圧が140mmHged以上かつ、または、最低血圧が90mmHg以上の状態
 
   というが、肝心の年齢による対処法が書いてない。
 加齢とともに、血管や血液の老化に伴って血圧は高くなっていくから、
 医学事典の記載にすべての人が当てはまるわけではない。

 医師によっては血圧測定しても、
 「年相応の血圧ですね」と結論のみを言い渡され、詳しい説明をほとんどしてくれ
 ない。そこで、「最新の血管常識を緊急レポート」(医学専門ライター・水沢徹)な
 るものを読んでみた。


 前述した医学事典の記述はかなり厳しい基準だと指摘している。
 年齢を加味した高血圧の基準は、おおむね次のような計算式で判断できるという。
 「最高血圧=年齢+90mmHg」という診断法がある。
 つまり、65歳なら「65+90=155」で、155以下なら正常(投薬の必要なし)
 ということになります。
 
   記述はここまでですが、この説明でも不測の部分があります。
 高齢者が増え、80歳以上人も多い。
 前述の診断法に当てはめると80歳の人は「80+90=170mmHg」。
 つまり、80歳の人は170mmHgでも正常値ということになつてしまい、
 この判断でいいのかと、新たな疑問にぶつかりましたが、これ以上の
 高血圧と投薬と年齢の総合関連を見つけることはできませんでした。

 医師によって、投薬の指示が一定していないのも
 こうしたことが原因になっているのかもしれませんね。
 たかが血圧といわずに、
 自分の体調などによって医者の施術に疑問を感じたら、
 セカンドオピニオンを試みることも必要と感じています。


 高血圧は多くの病気の原因になることは確かです。
 
 「高血圧を放っておくと、心臓は高い血圧に対抗して働くため負担がかかり、
 次第に機能が低下します。
 また、血管に高い圧力がかかるために、血管壁が厚くなり、
 動脈硬化を起こします。

 その結果、心不全・腎臓病・脳梗塞などにかかりやすくなります」
                   (東京女子医科大学名誉教授 横山 泉)
 
 「治療は、まず食事療法が大原則、さらに、定期的に適度な運動も必須」と、
 先生はおっしゃっています。

 降下剤の投与は、血圧を下げるための補助材料だと認識したほうが良いと
 私は思っています。

  (つれずれに……心もよう№92)