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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (112)すずの、あたらしい習慣

2015-08-26 11:46:23 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(112)すずの、あたらしい習慣



 すずが老眼鏡を取り出した。
古布で作った愛用の巾着から、厚めのノートも取り出す。



 「いつもの習慣。書き始めてもう、2年近くになるかしら。
 今日有った出来事を順番に全部思い出すの。間違えないよう、順番通りにメモします。
 それが今日一日、わたしが無事に生きた証(あかし)です。
 いつの日か必ず、全部忘れちゃう日が、間違いなくやって来る・・・
 不安なのよ、それが。
 だからこうして、思い出せなくなったその日のために、毎日メモを取っておくの」


 老眼鏡をかけたすずが、今日一日の出来事を思い出している。
すべてのことをちゃんと思い出せているのかどうか、それは本人以外、分からない。
しかしすずはこうして、習慣として毎日、自分の一日と向かい合っている。
老眼鏡をかけたすずの横顔は、おだやかだ。
長年の日記を普通につけているような、そんな落ち着いた所作と雰囲気が漂っている。



 枕元へ置いた勇作のタブレットから、着信音が響く。
一人娘の美穂から、メールが届いた。
記憶障害に関する、長い論文がようやく届いたようだ。




 「どなたから?」

 「女医をしているぼくの友人。君のひとり娘、美穂ちゃんからだ。
 認知症に関するわかりやすい論文が有るので、あとで送ると昨日、約束をした」


 「今日はわたしのほうも、いろいろと有りました。
 いつも以上に時間がかかりそうです。
 遠慮しないで、読んだらどう。それが届くのを、待ちわびていたんでしょ?」



 「そうかい。じゃ遠慮しないでそうしょうか。
 ねぇ。ここじゃ読むのに暗すぎる。そっちへ行ってもいいかい?」


 「どうぞ」とすずが、テーブルの上を片づける。
壁際に作られたテーブルは、食事用のスペースとしては狭すぎる。
食事のためのテーブルは別に、ベッドの下に収納されている。
朝のコーヒーを飲むときや、読書のためにと、椎名が特別に備え付けてくれた。



 至近距離で見るすずの顏とおだやかな表情は、どうみても、健常者そのものだ。
多恵と恵子と別れて以降。はじめて、すずと2人で過ごしたことになる。
その中ですずの認知症を疑うような出来事は、ひとつも見つけることが出来なかった。
昔からよく知っているすずが、勇作の目の前に普通に居た。


 ノートを覗き込んだ勇作が、「あれ?」と小さな驚きの声をあげる。
昔からすずの文字は、流れる様に美しい。
美しかったすずの文字が、画期的にさらなる進化を遂げていた。



 「メモを書くために、ボールペン習字をならいました。
 身体に染み込んだものは、忘れないってよく言うでしょ。
 あるピアニストが認知症になったそうですが、家族の顔がまったくわからなくなった
 にもかかわらず、ショパンを見事に弾き切ったそうです。
 必死で頑張っているのよ、これでも。あたしなりに」



 うふふとすずが、老眼鏡の下で小さく笑う。
認知症はゆるやかにすすみながら、記憶を失っていく病気だ。
その人の持っている記憶が、根こそぎ失われてしまうわけではないが、
進行し始めた病いはやがて、おおくの領域を破壊していく。
喪失する領域は時間とともに広がっていく。
いつの日か、すべての記憶を喪失する瞬間がおとずれてしまう可能性もある。



 いま目の前でメモを書いているすずに、異常はまったく見られない。
物忘れと、必死でたたかっている力みも感じられない。
ノートに書き込まれていくボールペン文字も、見るからに美しい。
いつものすずが、いつものように、丁寧にノートに文字をかいている。



 認知症も最初のうちは、癌などと同じように静かに進行していく。
歯周病や、骨がもろくなっていく骨粗しょう症などもサイレント・ディジーズ(静かな病気)
と呼ばれている。
うつ病も同様に、本人が気がつかないうち静かに進行していく病いだ。


 勇作が早期退職を決めた、57歳の春。
すずはいつもと異なる、自分の脳の働きに気が付いた。
「加齢によるただの物忘れ、だけではさなそうです」そう気が付いた瞬間から、
すずの軽度認知障害(MCI)とのたたかいが、幕を開けた。


 
(113)へつづく
 

『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (111)初めての車中泊

2015-08-25 11:48:59 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(111)初めての車中泊



 喫茶室を出た2人は、ゆっくりとパーク内を歩く。
東京ドームがいくつも収まってしまいそうな広さが、2人の目の前にひろがる。
普通乗用車だけでも200台。大型専用の駐車スペースが10台分ある。
トイレと駐車場は24時間つねに、通りかかったドライバーたちのために、
明かりをつけて開放されている。


 「四国の山ん中の片田舎に、信じられないほど広い敷地の道の駅がある・・・
 いったいどうなっているんだ、日本の道路事情は?」



 「あら。片田舎だからこそ、広い敷地が確保できるのよ。
 大都会の真ん中なら50坪も確保しただけで、ここの建設費用がなくなります。
 いいんじゃないの。田舎だからこそ確保できる、広大な敷地。
 見かたを変えれば、これも一種の贅沢ですね」 



 道の駅は、午後5時に営業を終わる。
閉店間際に物産館へ戻った2人が、香川名物のうどんを頼む。
香川と言えば、讃岐うどんが有名だ。



 温暖で雨が少ない気候は、うどんの原料、小麦の栽培に適している。
さぬきうどんのために開発された「さぬきの夢」が、日本一のうどんの味を支える。
さぬきうどんの特徴は、なんといってもこしの強さに有る。
こしを決めているのが、独自の塩加減。
香川で生産されている塩は、赤穂(兵庫県)とならんで特に良質と言われている。


 いりこの利いた独特の出汁に、すずが「美味しい~」と嬉しそうに目をほそめる。
「そうかい?。俺には少しばかり、魚の匂いが強すぎるがなぁ・・・」
と勇作は首をかしげる。



 瀬戸内海ではいりこと呼ばれるイワシの煮干しを、出汁を採るために使う。
すずが育った北陸地方では、北上してくるトビウオを使う。
あごと呼ばれ、独特の香りの高い上品な出汁がとれる。
だが、関東風のカツオからとる出汁にすっかり慣れてしまった勇作には、
どうにも魚の匂いが強すぎる。
しかし、さぬきうどんの歯ごたえはさすがに旨い。
あっという間に完食した勇作が、手持無沙汰に周囲を見渡す。


 「うどんはのど越しと言うけれど、それにしても食べるのが早すぎますねぇ、勇作は」



 「昔から、早飯でね。
 生産が忙しかったころは、昼飯を噛み噛み、午後の仕事をこなしたもんだ。
 もっともいまどきは、そんなことをしたらパワハラだの人権無視だと、大騒ぎになる」


 「あなたったら、どんなに手間暇かけてご飯を作っても、
 3分で食事を終えてしまい人だもの。
 わたしにしてみれば、張合いが無いッたら、ありゃしない」



 「そうかい。ただ、君の食事が遅すぎるだけだろう」
フンと鼻を鳴らして、勇作が席を立つ。
物産館の中を歩き始めた勇作が、閉店間際の直販店の前で立ち止まる。
カウンターのすぐ奥。ガス台に乗ったセイロから、白い蒸気がもくもくとあがっている。
おそらくまんじゅうをふかしているのだろう。
「いくら?」と声をかけると、「10個で350円です」と店員から声が返って来る。



 「あら。名物の鳥坂(とっさか)まんじゅうじゃないの。
 創業は150年前。江戸時代から続く峠のまんじゅうとして有名です。
 味の決め手は、秘伝のまんじゅう専用の自家製の甘酒。
 これを使った生地で、甘さ控え目のこしあんを包み、30分ほどかけてじっくりと蒸す。
 ふんわりしっとりとした食感は、最高だそうです。
 うふふ。食後の甘味なんてずいぶんと洒落てるじゃないの、勇作。
 わたしのために眼を着けるとは、見直しました」



 遅れてやって来たすずが、勇作の背後でニッコリとほほ笑む。
「さっきは少し、言い過ぎた」と勇作が、買ったばかりのまんじゅうの包みを差し出す。
「いいのよ。あたしの食事が遅いのは、いつものことだもの」と嬉しそうに受け取る。


 冬の日暮れは早い。5時を過ぎると、駐車場全体が真っ暗になる。
24時間解放されているトイレだけが、闇の中にぽっかりと浮かび上がる。
宿泊ができる最奥の温泉施設にも、点々と部屋の明かりが灯る。
だがそれ以外に、道の駅の広い空間に照明は無い。
広大なテーマパークが、冬の闇の中に急速に沈んでいく。
小高い山に囲まれていることもあり、陽が落ちるとあっという間にすべてが真っ暗になる。



 初めての常夜灯が、後部キャビンに点灯される。
正規品では明るすぎるため、椎名が特別にLIDで製作してくれたものだ。
書き物をするには少し暗すぎるからと、テーブルの上に特製の照明も追加してくれた。
今夜はじめて、追加された照明も点く、。



 「あら・・・意外に落ち着きますねぇ。この雰囲気は!」



 FF暖房機が。静かに動き出す。
快適な温度になった室内を見渡して、「これならぐっすり眠れそう」と、すずが
はじめてほっとしたように笑う。
すずは実は、極端なまでの冷え性の持ち主なのだ。


 
(112)へつづく
 
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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (110)単刀直入に・・・

2015-08-23 11:54:38 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(110)単刀直入に・・・



 2人のあいだに、少しのあいだ沈黙の時間がおとづれる。
すずの横顔が、窓の外を見つめている。
勇作は黙り込んだまま、静かに、コーヒーカップを掻きまわす。



 (何から切り出せばいいんだろう・・・単刀直入に質問したらたぶん、すずが傷つく)


 少しずつ、沈黙の時間が重くなる。
静かなすずの横顔は、相変わらず、窓の外を見つめている。
(君は認知症だろうと言えない、俺には。どう切り出せばいいんだ、こんな時・・・)
カップを掻きまわす勇作の手は、いつまでたっても止まらない。



 「遠慮しないで正直に聞けばいいでしょ。君はMCI(軽度認知障害)だろうって」



 窓の外を見つめていたすずの視線が、いつのまにか勇作の正面に戻って来た。
一番言いにくいはずの言葉を、すずは、臆することなく口にした。



 「自分でもはっきり、初期の認知症と気が付いています。
 でもねぇ。最初は加齢から来る、ただの物忘れだとばかり思いこんでいました。
 普段から使っているお野菜の名前が、ある日突然、出てこなくなるの。
 形はちゃんと覚えているのよ。だけど、野菜の名前は出てこない。
 焦りました、そのときは。大丈夫なんだろうか、わたしの頭はって・・・
 その頃かしらねぇ。
 その日の出来事や、会話の内容などを、せっせとメモするようになったのは」


 「いつからなんだ。君が、認知症と気がついたのは?」


 「皮肉よね。あなたが早期退職を決意した、あの日。
 退職して福井に帰ると、わたしに電話をくれたでしょ。ちょうどその日。
 有頂天になって喜んでいたわたしが、次の瞬間、あれ?て、自分の不調に気が付いた。
 あなたが帰って来る日。あなたの好物をたくさん作って歓迎しょうと考えたのに、
 いくら考えても頭の中に穴が開いたまま、あなたの好きなものが浮かんでこないの。
 なんでだろうと焦ったわ。その時は。
 でもね。その後そんな症状が、たびたび私の頭の中で発生するようになりました」



 午後2時を過ぎた喫茶室に、2人以外、誰の姿も見えなくなった。
賑やかに動いていた厨房の食洗器も、今は静かに停止している。
閉店したわけではない。2人に遠慮するように、周囲の物音が急に静かになった。


 「恋しい人が、ようやくのことでわたしの手元へ帰って来るというのに、
 言えないでしょ、認知症になりましたなんて。
 平静を装うために苦労してるのよ、これでもせいっぱいに。あたしったら」


 すずがにこやかに、いつもの笑みを顔に浮かべる。
すずはすでに、自分の病気を知っている。
知っているからこそ、病気に抗うため必死になって、事細かなメモを取り続けている。
事実を知った勇作が、ふぅ~っと重い溜息をつく。



 「そんな風に重い溜息をつかないちょうだい、勇作。
 事実なのだから、仕方がありません。
 あなたに謝るようですね。
 せっかく戻ってきてくれたというのに、わたしがこんな女で申し訳ありません」



 「君が悪いわけじゃない。病気だもの、仕方がないさ。
 だけど正直、こころの底からショックを受けた・・・
 65歳以上の5人に1人が、やがて、痴ほう症になる時代が来ると言われている。
 だけどまさか現実に、君がそのひとりになるとは、夢にも考えていなかった」



 「でもこれが、いまのわたしの事実なの。
 夢ならいいけど、記憶を忘れたくなくて、必死に抗っているわたしが居るのよ」



 すずが毅然と胸を張る。その言葉に迷いは見られない。
(すずはひとりで、MCI(軽度認知障害)とたたかいはじめている。
俺とすずの老後は、認知症とのたたかいになるんだろうか・・・)
勇作の胸の中を、不安を帯びた重い黒い雲が、ゆっくりと横切っていく。


(111)へつづく


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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (109)喫茶室の片隅で

2015-08-22 12:47:48 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(109)喫茶室の片隅で



 
 道の駅ふれあいパークみのは、四国霊場第71番札所、弥谷寺の麓にある。
道の駅と言うよりも、休憩施設と地域振興施設が一体となった道路施設という感が強い。
子供たちのための遊具が、とにかくたくさんある。
まるで小規模の遊園地といった雰囲気が到着した時から、漂っている。
地下1700メートルからくみ上げた温泉を使ったプールまで有る。
当然のことながら、一日中ゆっくり出来る温泉施設も、敷地の奥に建っている。


 「簡単に車中泊が出来ると思っていましたが、実はそうでないことに気づかされました。
 道の駅は、ドライバーや同乗者がトイレや休息のために利用するもの。
 疲れた時にとる仮眠と、車中泊がまったく別物という事も初めて知りました。
 難しいものなんですねぇ。車中泊の旅というものは」



 喫茶室の窓際に座ったすずは、外に見える子供たちの遊具の多さに目を見張りながら、
覚えてきたばかりの車中泊の知識を、語り始めた。
冬の日差しが降りそそぐ中。それほど多くない数の子供たちが厚着のまま、
遊具の中で大きな歓声をあげている。
子供たちは遊びの道具さえあれば、どんなタイミングでも元気に騒ぐ。


 めいっぱい重ね着をした親たちが、心配そうに遊具の上の子供たちを見つめている。
風でもあれば「もう寒いから帰ろう」と言えるのだろうが、あいにく今日は天気が良い。
「子供たちの元気な歓声を聞くと、なんだか、こちらまで元気をもらいます。
心が洗われますねぇ」コーヒーカップを持ちあげたすずが、小さくほほ笑む。



 「いつのまに勉強したんだ。車中泊の事をいろいろと?」



 「もっと大きな車が良いと駄々をこねたら、あなたったら本当に車を乗り換えてしまうんだもの。
 焦ったわよ、あたしだって。
 もうこのあたりで、覚悟を決める必要があると決心しました。
 本音はね。キャンピングカーなんか買って、どこに泊まるの? 野宿なんて絶対に嫌。
 って、そんな風に思っていたの。
 だけどもう、走り始めたあなたを止められないでしょ。
 道路は綺麗に整備されているけど、車に泊まりながら旅を続けるのには、
 意外に遅れている国だという事も、ちゃんと勉強しました」


 「えらい。俺より勉強家だ。その通りだよな。
 宿泊するなら、安全で、静かで、周囲の迷惑にならない場所で滞在を楽しみたい。
 だがそんな場所は、めったにない。
 整備されたオートキャンプ場や、道の駅や温泉施設などの一画に設けられた、
 車中泊専用の有料宿泊エリアは、実は、意外なほど少ない。
 結局。停める場所が無くて道の駅や、高速道路のSAや、PAを利用することになる」



 「道の駅はあくまでも、ドライバーたちが、休憩や仮眠のために使う場所。
 通りかかった人に、土地の物産や観光資源をPRするのが目的だから、宿泊施設ではありません。
 深夜から朝方にかけて数時間、仮眠をとる程度ならともかく、終日の宿泊、
 まして連泊するなどは、絶対にNGです。
 椅子やテーブル、オーニングなどを出して食事をしたり、くつろぐなどは、
 絶対禁止の、もってのほかの行為です。
 高速道路のSAやPAも、同じことです。
 こちらも道の駅と同様、ドライバーが休憩したり仮眠するために設けられているものです。
 基本的には、交通安全のために使われる施設です
 とはいえ、道の駅やSAや、PAは、キャンピングカーでも無料で使えるありがたい施設。
 車中泊をするわたしたちが、使っていけないわけではありません。
 でもたとえば、昼食時や夕食時などの混雑時は、長時間居座らずに用事が済んだらすぐ出ることや、
 ゴミを持ち込まないようにすることが大切です。
 公共のマナーを守りながら、少しでもいいから有料施設やお店を利用して、
 お金を落としましょう。
 ちょっとした心がけで、施設を気持ちよくつかわせてもらうことが出来ます。
 どうかしら。ナビゲータとして、少しは役に立ちそうかしら、あたしは」



 「完璧だ。けど俺のために、そこまで無理することはないさ、すず。
 俺の知っている、いつものままの、すずでいいよ」



 「でもあなたは、あたらしい私の事を、ほとんど知らないでしょう?」



 すずが「あたらしい私」という部分に力を入れて強調した。
昼食のピークを終えた喫茶室に、人の姿は少ない。
窓の外も静かになってきた。
さっきまで無心に戯れていた子供たちの姿も、いつの間にか見えなくなっている。
(やっぱり知っているんだ、すずは。自分の病気のことを・・・)


 勇作がすずに返すべき言葉に、少しのあいだだけ詰まった。


 
(110)へつづく
 

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つわものたちの夢の跡・Ⅱ (108)道の駅 

2015-08-21 10:50:41 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(108)道の駅 




 駐車場へ入る瞬間の軽い衝撃で、すずが目をさました。
「道の駅、ふれあいパークみの・・・」目の前の看板を、小さな声で読む。
「あら・・・いつの間にか寝ていたのですねぇ、あたしったら。ごめんね、勇作」
歳をとると困ったものですねぇと笑いながら、すずが身体をおこす。


 「道の駅みのといえば、車中泊ランキングで、たしかAの評価を得ていたはず。
 勇作。車中泊しましょうか、この道の駅で」


 「車中泊にランキングなんかついているのかよ、へぇぇ・・・初めて知った。
 それにしても驚いたなぁ。いつのまに仕入れたんだ、車中泊の知識なんか?」



 「これ。車中泊の専門誌、『CarNeru(カーネル)』という雑誌です。
 これからたびたび、キャンピングカーに乗って旅に出るんでしょ。
 車中泊の知識とマナーをちゃんと身に着けていないと、皆様に笑われてしまいます」



 「なるほど。秀才の君らしい発想だ。
 ということはこの道の駅は、車中泊には、おすすめの場所なのか?」


 
 「Aランクですが、おすすめとは紹介されていません。
 車中泊が正式に許されているのは、有料無料を問わず全国の「オートキャンプ場」か
 ほんの一部の道の駅だけです。
 高速道路のSAやPAは禁止していませんが、公認しないという姿勢をとっています。
 認められた場所以外で車中泊をする事は、黒ではありませんが白でもありません。
 グレーに近い行為であることを、理解しておく必要があると、この雑誌は書いています」


 「おっ。本格的な見識だな。
 驚いた。ハンドルを握っている俺よりも、ちゃんとした知識を身に着けている」



 「オートキャンプ場なら、警官から職質で起こされるようなことはありません。
 ですが他の場所では、そうした事を受ける可能性は、十分にあります。
 実際に職質を受けた方は、少なくないと書いてあります。
 今は黙認をしている道の駅も、マナーの悪化やトラブルの発生、住民からの反対運動などが
 あれば、そのうちに車中泊一切禁止という看板が立つでしょう。
 現実に車中泊を禁止している道の駅も、少しずつですが増えてきたようです」

 
 「よし。じゃ今日は、君がおすすめという、ここで一泊するか。
 そういえば、車中泊するのは初めてだ。このキャンピングカーで旅に出てから」



 「せっかく新しいキャンピングカーで出かけてきたというのに、車に泊まらず、
 ホテルの泊まりばかりが続きました。
 偶然ではありません。すべて恵子さんの差し金です。
 最初に車中泊を体験するのはわたしたちではなく、すずさんですと笑っていました。
 そういう配慮ができる方たちなんですねぇ。
 長年祇園で生きてきた女将という特別な職業の、特殊な人たちは」


 (特別で特殊な人たちか・・・なるほど。確かにそれは当たっている)
ウンとうなずく勇作に、さらにすずがとっておきの情報を追加する。



 「それにここは、弥谷山ふれあいの森を中心とする道の駅です。
 休息で立ち寄るだけでなく、子供たちが1日中遊べるレジャー施設がたくさんに有ります。
 夏休みに入ると、家族連れで大混雑をするそうです。
 敷地内には天然温泉の「大師の湯」が有ります。
 源泉かけ流しの温泉ですので、疲れを癒すのには最適だと書いてあります」



 車中泊の専門誌、『CarNeru(カーネル)』を、すずが得意そうに見せる。
よく見れば表紙もページも、何故かよれよれになっている。
よほど乱暴に取り扱ったのか、そうでなければ、繰り返し擦り切れるまで読んだ跡が有る。



 「物産館や、野菜の直販所なども整備されていると書いてあります。
四国にはどんなお野菜が有るのでしょう。楽しみです。先に行って見学してきます」
と、すずがひらりと降りていく。
ひとり残された勇作が渡されたよれよれの雑誌、『CarNeru(カーネル)』を
握り締めながら、恵子の言葉を思い出している。



 (すずさんは、すでにご自分の病気を自覚しているようどすなぁ。
 眠る前。今日有ったこと、あなたと交わした会話のすべてなどを、せっせとメモしています。
 涙ぐましい努力ぶりどす。ウチなら絶対できません。
 忘れたくないんですねぇ。大切なあなたとの思い出を、いつまでも・・・)



 
(109)へつづく
 

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