落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第64話 佳つ乃(かつの)の母

2014-12-18 10:55:17 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第64話 佳つ乃(かつの)の母



 
 芸妓は、伝統的に白塗りの厚化粧をする。
目の周りはぎりぎりまで白く塗るのにたいし、髪の毛の生え際は、
かなりの幅を取り、地肌を露出させる。
その結果。肌が白いことよりも、マスクをしているような印象を与える。
だがこの塗り残しには、わけが有る。


 塗り残しの地肌は、ヌーディティ(裸であること)を表している。
白い下着からチラリとはみ出た肌のように、瞬間的にかなりエロティックに、
男性客の気を惹くからだ。



 「堪忍してや。あんたも物好きやなぁ。
 ウチの化粧なんか見たかて、なんも面白いことなんてあらへん。
 だいいち男衆に、蝶に変身していく過程は見せまへん。
 諦めてください。サラには見せますが、あんたには絶対に見せまへん。
 ヌードが書きたいいうんなら一糸まとわず脱いで見せますが、
 それでは、あきまへんか?。
 ウチ、こう見えても、身体にはけっこう自信が有るんどす。
 いまのうちだけどすがなぁ。うっふっふ」


 白塗りの化粧の過程が見たいという似顔絵師の申し出を、佳つ乃(かつの)は
きっぱりと、笑顔で却下した。




 似顔絵師は、今日も団栗橋の橋の上にいる。
稽古帰りの佳つ乃(かつの)が、日傘をさして姿を見せた。
2人並んで下流を眺めているうちに、そんな会話が飛び出した。
稽古に通うときの佳つ乃(かつの)は、浴衣を着て、ほんおりとした薄化粧をする。


 それだけでもこの人は、充分に美しい。
顏も美しいが、それ以上に、身体全体から滲み出してくる芯の強さと色香がある。
長年にわたり、修行を厳しく積んできた結果として、自然に身に着いたものだ。
佳つ乃(かつの)が持っている雰囲気と同じものを、30代に入った芸妓たちから、
共通して感じとることが出来る。


 本物の美しさは、内面からにじみ出る。
道を究めるための努力の積み重ねは、人を大きな高みに導く。
流してきた涙と、汗の量は、決して嘘をつかない。
凛と立つ佳つ乃(かつの)の横顔を見るたびに、似顔絵師はいつもそんな風に感じる。



 「ウチなぁ。お母さんらしい人に行きあいましたえ」


 「え・・・・」



 「名のある、老舗お茶屋の女将どす。
 大きゅうなられましたなぁ、という挨拶のひとことだけどしたが、
 なぜかそのとき、ピンときました。
 確信はあらへん。ただその一言の中に、ウチが何んかを感じただけや。
 けどなぁ。その女将さんはいつでも、ウチのことを何ともいえん目で見るんどす。
 芸妓は結婚できまへんが、置屋の女将とお茶屋の女将なら所帯が持てます。
 あん人はもう、別の家庭を持っとるお人です・・・」



 「え。祇園の芸妓は、結婚できないのかい!」



 「なんや、あんた。そんなことも知らんのかいな。
 祇園は、最高級に輝く女たちが、男はんを夢の世界へいざなう場所や。
 男はんを知り、結婚すると、どことなく辛気臭くなります。
 夢の道先案内人が、所帯じみて、辛気臭いようでは仕事になりまへん。
 芸妓が結婚するときは、芸妓をやめる時どす」


 「結婚はタブーでも、恋愛は自由なんだろう?
 まさか芸妓のうちは、恋愛も禁止なんてことは無いだろうねぇ」



 「恋愛まで禁止された世界なら、ウチはもうとうの昔に、
 鴨の川原でさらし首どすなぁ。
 人の生き方は、川の流れのようなもんどす。
 流れに逆らえば必ずおぼれます。けど、流され過ぎれば自分自身を見失います。
 どう生きていくのが正解なのか、ウチにはさっぱり分かりまへん。
 鴨川の流れのように、滔々と静かに、海まで流れていきたいもんどすなぁ」



 「本当のお母さんのことを、静かに忘れたいという意味・・・なのかな。
 もしかして?」



 「ウチには、屋形のお母さんと、「S」のオーナーが居ります。
 もうひとり。ウチを産んでくれた本当のお母さんが、祇園の町で生きてます。
 それだけのことどす。それだけで充分かもしれまへん。
 けどなぁ。一度でいいから、本当の家庭というものを知りたかったんどす、ウチは。
 けど。ウチが生きている限り、それは絶対に無理やろうと思います・・・」



 ふっ~と短い溜息をついた佳つ乃(かつの)の横顔を、
似顔絵師が、複雑な思いで見つ返す。



第65話につづく

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おちょぼ 第63話 芸妓の化粧

2014-12-17 11:11:59 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第63話 芸妓の化粧




 「お姉さんの化粧を、じっくり見ることどす。
 湯上りのほんのり上気した顔で鏡台の前に座り、首筋を深く抜いた浴衣姿で、
 びん付け油を掌に乗せて、じっくり溶かすことからはじめます。
 両手で顔にまんべんなくつけた後、水で溶かしたおしろいを、
 刷毛で鼻筋に沿って引くんどす。
 それから顔全体、首筋、背中と、全部、自分で器用に塗らはるんどすなぁ。
 眉を描き、目を描き、最後に目元と唇に朱を入れると、
 顔全体が、ぱぁっと花開いたように明るくなります。
 あたしは、お祖母さんの化粧する様子を見ながら、こども心にも
 色っぽいなぁと感心してました。
 あんたもこれから、おしろいの使い方を習得する必要がおます。
 けど。あんたの姉さんの佳つ乃(かつの)はんは、もともと美形どすが、
 祇園のおしろいにかけても、屈指の達人どす。
 あとでゆっくり教せてもろたら、ええ」



 「おしろいを使いこなすのは、そこまで難しいもんなんどすか!」



 「出たての舞妓に、いきなりの白塗りは無理やなぁ。
 たいていは屋形の女将か、専属の美容師が舞妓の顔をつくりあげる。
 出たての舞妓の白い顔が、まだら模様になっていたのでは、話になりまへん。
 白、赤、黒の3色で、祇園で働く女は見事なまでに変身します。
 ま、あんたもそのうちに分かることどす。
 あ。いけん、もうこんな時間や。片づけなならん仕事が有ったんや」


 慌てて置屋の女将が立ち上がる。
立ち去ろうとする女将の手もとから、サラがするりと伝票を奪い取る。



 「お母さん、あきまへん。
 ためになるお話を聞いたうえ、お茶までごちそうになったらバチが当たります」


 「何言うてんの。年配者が払うのは、この世界ではあたりまえのことや。
 あんたは気にせんと、ごちそうさんと笑っていればええことどす」



 「それでは、ウチがお母さんに叱られます。
 帰国子女ですから、ウチはあちこちで面倒かけることが多くなります。
 おしゃべりしてくれたお礼に、どなた様であれ、お茶代くらいは払いなさいと
 勝乃お母さんから、きつく言われとります。
 接待交際費をけちったらあかん。というのがお母さんの日頃からの口癖どす」


 「ほう~。改革派の勝乃らしい教育方針やな。
 よし、分かりました。今日は喜んであんたのごちそうになりまひょ。
 けどなぁ。勝乃とは、死ぬまで一緒に頑張ろうと誓い合った同期の戦友や。
 このまま引き下がったんでは、あたしの女が廃ります。
 ウチからご祝儀をあげますさかい、なんかのときの足しにしたらええ」



 くるりと背を向けた女将が、財布から1万円札を取り出す。
和紙に包もうとしたが、あいにく持ち合わせがない。
懐から取り出した友禅染の端切れに、はらりと包んでサラに手渡す。



 「帰国子女じゃ無理やろうと、正直あたしも思っておりました。
 けどなぁ、はなしをしてみてようやくわかりました。
 薄いブルーの眼をしているけど、あんたは、正真正銘の日本の女の子や。
 けどなぁ。祇園は伝統と格式に異常なまでにこだわる特殊な世界や。
 古典芸能で生きる人たちの中には、保守的な考え方のお人がけっこう多いんや。
 才能のある子でも、普通に挫折するのがこの世界どす。
 結果はシンプルや。競争に生き残った者だけが祇園での成功者や。
 負けたらあかんで絶対に。
 偏見や、誹謗中傷なんかに負けたらあかん。見事に生き残ってごらん。
 その時はあたしも、大手を振ってあんたを応援するひとりになってあげます。
 けどなぁ。いまは隠れた立場の応援者や。
 お母さんの勝乃に伝えておいてや。
 将来楽しみな新人が現れましたねぇ、と、かつての戦友が言っとりましたとね」


 何か有ったらまたおいでと、女将さんが木屋町のカフェを後にする。
(祇園はやっぱり小粋だな、・・・)離れた席から一部始終を見ていた
路上似顔絵師が、そっと小さな声でつぶやいた。




第64話につづく

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おちょぼ 第62話 舞の仕上がり

2014-12-16 12:38:02 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第62話 舞の仕上がり



 「舞の仕上がりが一番大切どす。
 舞妓としてお披露目する前に、ちゃんと舞が仕上がっていなければなりまへん。
 いうてみれば舞妓としてのデビューは、舞の仕上がり次第です。
 そやからそろそろ舞妓になる時期やいう子供へのお稽古は、
 一段ときつうなるんどす」



 サラが今日も、別の屋形のお母さんを捕まえた。
午前中の稽古を終え、祇園甲部の歌舞練場を出たサラは、必ず、
花見小路のお茶屋街を通って自分の屋形へ帰る。
花見小路通りを行くことは、回り道ではないが近道でもない。
此処を歩くサラの目的はただひとつ。
通りで見かけたお茶屋のお母さんに、遠くから声をかけることだ。



 だが運悪く、通りにこの日の獲物が見当たらない。
そのまま足を伸ばして、通りを上り、四条の通りに出た時のことだ。
八坂神社の方向から、足早に戻って来るひとりの女将さんを見つけ出した。
(おっ、あたらしい獲物や・・・)
早速飛び出したサラが、路上でお母さんを捕まえる。



 「舞のお稽古の話どすかぁ。長くなりますなぁ。
 まぁ、ええやろ。ウチも青い目のおちょぼさんには興味があります。
 そのへんのカフェで、お茶でもしますかいな?」


 快く応じてくれた女将が、目ですぐ近くにある喫茶店を指し示す。



 「目標に近づけば近づくほど、お稽古は厳しくなるわけどすか・・・
 それが仕事ですさかい。厳しくなるのは、当たり前になるんどすなぁ」



 「そうや。けどサラちゃんが本当に怖い目に遭うのは、これからや。
 井上流には『おとめ』というのがあるのどす。
 おさらいをさぼったり、あまりにも呑み込みが悪いと、お師匠さんが怒らはります。
 家に帰してもらえんと、お稽古場に足止めされるんどす。
 『分かるまで、そこにいなはれ』と、怒られたら最後、
 外が暗ろうなっても、家には帰してもらえまへん。
 お師匠さんの家では夕食がはじまり、ええ匂いがお稽古場まで漂ってきます。
 こちらは泣いて泣いて大泣きして、疲れ果てて、おまけにお腹もペコペコどす。
 すきっ腹に夕食の匂いが入ってきますし、もう、なんともたまりまへん。
 ずっと家に帰れんのやないかと思うたら、情けのうなって、
 また泣けてくるんどす。
 そうこうしているうち、家からの迎えの者が来て、ようやく帰されるんどす。
 ほて、次の日はお祖母さんやらお母さんやらが一緒に謝りに来てもろうて、
 ようやくまた、再出発するんどす。
 子ども心にも地獄でしたぇ、舞の『おとめ』は。
 もう2度といややと思うても、また同じことをして、あたしは3度ほど
 『おとめ』を食らいました」


 
 サラは目を大きく見開いて、人の話を、食い入るように真剣に聴く。
砂漠に、水がしみこんでいくようだ。
こぼさず知識を吸収していく姿勢に、多くの人が好感を持つ。
催促されたかのように、屋形の女将の舌がさらに饒舌になっていく。



 「あたしはお祖母さんが屋形をしていることもあって、
 実家から舞妓になる支度ができたんどす。
 そやさかい、よその屋形さんで奉公せず自前で支度をし、屋形「草月」の
 内娘としてデビューしました。
 そうでない場合は、芸妓や舞妓を抱えている屋形と8年とか5年とかの
 年季契約を結びます。
 仕込み、またはおちょぼと呼ばれる見習いの時期を過ごさないけません。
 舞妓になるまでに、えらいお金がかかるんどす。
 女紅場のお稽古代、支度、ご祝儀・・・なんぼかかりますことやら。
 それをみんな、屋形のお母さんに出してもらいます。
 そのかわり、舞妓になった後は、給料なしで屋形のために働くんどすなぁ。
 いわゆる年季奉公です。
 舞妓になるための住み込みの仕込み期間は、昔は2年から3年。
 舞妓になりたい子は、8歳から9歳で祇園に来ました。
 いまは法律が整備されたため、中学を卒業してからの1年間どす。
 そのあいだに、屋形のお母さんやお姉さんから、舞妓としての立ち振る舞いや
 挨拶の仕方などを、日ごろの生活の中で鍛えてもらうんどす」



 「古いお母さんたちがウチのことをさして、おちょぼと呼んではります。
 なんのことかと不思議でしたが、ようやく意味が分かりました。
 へぇぇ。呼び方にも、歴史が有んのどすなぁ」


 「そうや。昔はおちょぼと呼びましたが、いまは「仕込みさん」どす。
 仕込みさんの仕事は、奥の女中さんのお手伝いです。
 昔は何処の屋形にも、女中さんがおりました。
 炊事、掃除、洗濯は女中さんがする仕事どす。
 仕込みさんは玄関周りの掃き掃除やら、ちょこっとしたお使い、
 お姉さんの身の周りのお世話などが、主な仕事どす。
 ゆくゆくは舞妓として、綺麗にして出さはるのですから、
 汚れが染み付くような下働きはやらせまへん。
 ただ、朝は忙しいおす。
 朝ごはんの手伝いをして、寝ぼけのお姉さんが稽古に行くのを起こします。
 自分もさ~と朝ごはんを流し込み、女紅場へ行かなあきまへん。
 女紅場のお師匠さんたちは、寝ぼけを異様なまでに嫌います。
 お稽古の順番が一番最後になると、よう見てもらえへんからどす。
 そやからみんなビリにならんように、あせってお稽古場へ飛んで行くんどす。
 けどなぁ。午後になると、もうひとつの大切な仕事が、
 「仕込みさん」には、有るんどす」


 「えっ・・・・もうひとつの、大切な仕事?」


 サラがブルーの瞳をさらに大きくして、女将の顔を覗き込む。



第63話につづく

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おちょぼ 第61話 舞に近道は無い

2014-12-15 13:19:40 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第61話 舞に近道は無い



 サラが舞の稽古に通い始めて1ヶ月。
浴衣姿は様になって来た。だが、稽古の成果はいまだに見られない。
イヤホーンを通して毎日お囃子を聴いているが、さすがにそれにも飽きてきた。
 

 「舞の手っ取り早い上達の方法でっか・・・
 そうどすなぁ。どんな風にするんが近道なのか、ウチにもようわかりまへん。
 けど、ウチの体験で良ければお話しますが、それでもええやろか?」


 サラが、最近顔見知りになった置屋の女将さんを路上で捕まえた。
舞の手っ取り早い上達法について、何かないかと聞いている。
ブルーの瞳の女の子が、仕込みの生活に入ったことを知り、興味を
示している置屋の女将さんの一人だ。



 「祇園の舞は昔から井上流で、それ以外のものはしまへんなぁ。
 井上流の舞は、祇園でしか習えません。
 京舞と言い、地唄の伴奏に合わせて舞う、座敷舞どす。
 女の身体の持つやわらかさ、しなやかさを内に溜めて舞うんどす。
 色気を出さず、感情表現をあまりしないという、難しい舞どすなぁ。
 お稽古の厳しさはほかの流派と比べて、群を抜いているのとちがいますかぁ」


 「やっぱりなぁ。厳しいことは教わっているウチにもよう分かる。
 おっ師匠さんは優しい笑顔の下に、鬼のような、厳しい心を持ってはります」


 
 「旨いこというなぁ。サラちゃんは。
 ウチも習い始めた時分には、わけのわからんことばかりがようおましたなぁ。
 習い始めたのは6歳くらいの子どもやさかい、余計どした。
 いまのおっ師匠はんは、井上流の5代目どす。
 ウチは先先代の3代目、井上八千代さんに教わりました。
 正式に入門してからは、そら厳しおした。
 祇園以外のお町の子供たちも来はるんやけど、そのひとたちのお稽古と
 あたし等は、まったくの別扱いどす。
 舞妓に出る子は、お町の子の10倍も20倍も要求しはるんや。
 お師匠さんの身振り手振りをまねるんやけど、こっちは一生懸命やっても、
 「駄目」「違う」の連発どす。泣きたくなるようなこと、ばっかりどした」



 「ウチと一緒どす。何回やっても『はい。もう一度』の繰り返しばかりどす。
 何回やってもお師匠さんの、『OK』が出まへんねん」



 「しかたあらしまへん。最初のうちはみんな同じどす。
 けど、昔のお稽古はもっと厳しかったで。
 何回やっても駄目が続くと、そうのうち癇癪を起こしたお師匠さんの
 手が飛んできはります。
 稽古をつけてもらうために待っているお友達の前で、きつう叱られます。
 もう情けないやら、恥ずかしいやら、怖いやらで泣き出してしまいますのや。
 それでも、辞めたいとは思わへんどしたなぁ。
 やるもんやと思うてましたさかい、どんなに叱られてもまた、
 次の日になると『お師匠さん、おたのもうします』というて行くのどす。
 そのころお師匠さんに言われたことで、いまも覚えているのは
 『ちゃんと腰を、おおろし』ということどす。
 今思うと、能の所作と同じなんどすなぁ。
 両ひざを付け合せて曲げ、上体は垂直に、腰をぐっと落として
 おへその下に力を入れます。この姿勢が井上流の基本どす。
 そのために、『ちゃんと腰を、おおろし』こればっかりをいわれるのどすなぁ」


 「そうかぁ・・・やっぱり、なんといっても基本が大事やね。
 舞妓は舞が命や。厳しすぎるのは、あたりまえの事になりますねぇ・・・
 やっぱり。いくら探しても、舞に近道はなさそうどすなぁ」



 「身に着いた芸は、一生のもんどす。
 あたしら祇園に生まれた女の子は、小さな頃から、舞妓になるのを夢見てきました。
 女紅場に行くようになると、いつ舞妓になれるんか楽しみになります。
 『○○ちゃんが、おちょぼさんにならはったでぇ』
 『○○ちゃんの店出しが決まったでぇ』という話を聞くたびに、
 あたしも、早くなりたいと思うたもんどす」


 「そらそうや。
 舞妓になりたいと思うのは、別に京都に生まれた女の子だけや、あらへん。
 ウチは香港で暮らしていたころから、お母さんが生まれて育った故郷の
 この京都で絶対に舞妓になろうと、こころに決めていたんや」


 「近道はありまへんが、日々、精進を重ねることが結果的に近道どすなぁ。
 お稽古は、1日や2日で結果が出るもんやおまへん。
 精進を重ねて、半年がたち、1年が経つと、惚れ惚れするほど上手になるんどす。
 経験者が言うんどすから、絶対に嘘やおまへん。
 しっかり気張ることや。諦めたらその場で負けやでぇ、」



 また声をかけてやと女将が、ニッコリ笑って立ち去っていく。

 
 
 


第62話につづく

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おちょぼ 第60話 サラが舞う

2014-12-13 10:44:30 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第60話 サラが舞う



 井上流の舞の基本姿勢は、中腰だ。
流麗な印象を受ける京舞だが、中国の太極拳などと同じように、
中腰姿勢での動作が基本になっている。
さらにスクワットのように、ゆるやかな足腰の屈伸が常にともなう。
滑らかな動きとは裏腹に、強靭な脚力と体力が必要になる。
30分あまりの稽古で、汗だくになる。


 「背筋を伸ばしたまま、おいど(お尻)をしっかり降ろすんや。
 はい。そのままの姿勢や。背筋をすくっと伸ばしたまま、我慢、我慢。
 ひたすら我慢やで!」



 グラグラ動いてはいけません、と、舞の師匠が声を張り上げる。
井上流は、お尻を降ろしたこの形を身に着けることから稽古をはじめる。
並みの体力や脚の力では、すぐ我慢の限界がやって来る。
膝が笑い出す。太ももにしびれがやって来る。
やがて、上体が揺れ始める。
我慢の限界がやってくると、耐え切れなくなった新人たちが、
へなへなと、板の間の上に崩れ落ちていく。


 「あきまへんなぁ、あんたたちは。いまからそんなことでどないすんの。
 来年の春には、都をどりの舞台が待ってんのやでぇ。
 サラを見てごらん。顔色一つ変えずに、辛抱できてんのや。
 生粋の大和なでしこのみなはんが、帰国子女に負けていてどないすんねん。
 でけん子は、このまま祇園から出て行ってもらいます。
 それが嫌だというのなら、歯ぁ食いしばって、しっかりと立つんやな」



 稽古に容赦はない。
舞の形が出来なければ、祇園を去る運命だけが待っている。
何度も崩れ落ちていく同期を尻目に、サラは汗もかかず姿勢を維持して見せる。
(ホンマや。この子の持久力と筋力は半端やない。
勝乃が言う通り。10年に一度の逸材と言うのは、まんざら嘘ではなさそうや。
けどなぁ。体力が有っても、それほど甘くないのが京舞の世界や。
それにしても久しぶりに、しごき甲斐の有る逸材が登場してくれました。
どこまで頑張れるか、ウチもしごき甲斐があります。
楽しみどすなぁ。うふふ)



 新人が最初に手ほどきを受ける舞は、「門松」だ。


  君が代は、つくや手まりの音もがな、
  はやす拍子の若菜ぐさ、にっこり笑顔や、角に松



 雅(みやび)な囃子に、可愛い振りがつく。
井上流では、初期のものを『手ほどきもの』と呼ぶ。
続いて習うのが、「子守』「相模あま」と入門用の舞が続く。
これらの手ほどきものが出来るようになると、「松づくし」「菜の花」
「七福神」「四つの袖」「黒髪」と順に、大人が舞う舞へ難度があがっていく。



 手ほどきにも、井上流ならではの独特の教え方が有る。
弟子と師匠が正対をする。
正面に座った師匠が、本来の右手ではなく、左手で舞扇を持ち、
細かいしぐさを弟子に教える。
弟子が見やすいように、鏡のように、左右を逆にして舞のしぐさを見せる。
弟子は同じ方向へ動くことで、ただしい舞の形を習得できる。


 ひとつの所作を繰り返し丁寧に、何度も教え込む。
出来がるまで、何度も同じ所作を繰り返す。
丁寧に何度も教えるというこの方法は、まったくもって効率の悪い指導法だ。
弟子の数をこなさなければならない私的な稽古場とは異なり、
プロの舞妓を育てる井上流では、こうした方法の妥協しない綿密な稽古が、
古くから、連綿とおこなわれてきた。



 「サラ、あんた。
 身体の動きはしなやかで、リズムもテンポもダンスなら申し分ないどすなぁ。
 そやけど井上流は、西洋ダンスではおへんのや。
 日本舞踊には、微妙な間と言うものがおます。ちょっとこっちへおいで」

 
 帰りがけにサラが、師匠から呼び止められた。
「毎日聴いて、日本舞踊独特の、間というものを身に付けなさい」
はいと手渡されたのは、携帯用の音楽プレーヤーだ。



 「あんたがこれから覚える、6つの舞の楽曲が全部入っとる。
 あんたは、カンも動きもええ。
 けど。テンポとリズムがめちゃくちゃや。
 謡いには、ゆったりとした独特の間と流れがおます。
 あんただけやおへん。誰もがこの間を身に着けるのが、一番難しいんや。
 24時間離さずに、身体の隅々にまで間が染み込むまで聴くんやで。
 これは、超薄型の最新鋭の機械どす。
 ええなぁ今どきの子は。こない便利に携行できる道具が、仰山あって」


第61話につづく

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