「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第61話 舞に近道は無い
サラが舞の稽古に通い始めて1ヶ月。
浴衣姿は様になって来た。だが、稽古の成果はいまだに見られない。
イヤホーンを通して毎日お囃子を聴いているが、さすがにそれにも飽きてきた。
「舞の手っ取り早い上達の方法でっか・・・
そうどすなぁ。どんな風にするんが近道なのか、ウチにもようわかりまへん。
けど、ウチの体験で良ければお話しますが、それでもええやろか?」
サラが、最近顔見知りになった置屋の女将さんを路上で捕まえた。
舞の手っ取り早い上達法について、何かないかと聞いている。
ブルーの瞳の女の子が、仕込みの生活に入ったことを知り、興味を
示している置屋の女将さんの一人だ。
「祇園の舞は昔から井上流で、それ以外のものはしまへんなぁ。
井上流の舞は、祇園でしか習えません。
京舞と言い、地唄の伴奏に合わせて舞う、座敷舞どす。
女の身体の持つやわらかさ、しなやかさを内に溜めて舞うんどす。
色気を出さず、感情表現をあまりしないという、難しい舞どすなぁ。
お稽古の厳しさはほかの流派と比べて、群を抜いているのとちがいますかぁ」
「やっぱりなぁ。厳しいことは教わっているウチにもよう分かる。
おっ師匠さんは優しい笑顔の下に、鬼のような、厳しい心を持ってはります」
「旨いこというなぁ。サラちゃんは。
ウチも習い始めた時分には、わけのわからんことばかりがようおましたなぁ。
習い始めたのは6歳くらいの子どもやさかい、余計どした。
いまのおっ師匠はんは、井上流の5代目どす。
ウチは先先代の3代目、井上八千代さんに教わりました。
正式に入門してからは、そら厳しおした。
祇園以外のお町の子供たちも来はるんやけど、そのひとたちのお稽古と
あたし等は、まったくの別扱いどす。
舞妓に出る子は、お町の子の10倍も20倍も要求しはるんや。
お師匠さんの身振り手振りをまねるんやけど、こっちは一生懸命やっても、
「駄目」「違う」の連発どす。泣きたくなるようなこと、ばっかりどした」
「ウチと一緒どす。何回やっても『はい。もう一度』の繰り返しばかりどす。
何回やってもお師匠さんの、『OK』が出まへんねん」
「しかたあらしまへん。最初のうちはみんな同じどす。
けど、昔のお稽古はもっと厳しかったで。
何回やっても駄目が続くと、そうのうち癇癪を起こしたお師匠さんの
手が飛んできはります。
稽古をつけてもらうために待っているお友達の前で、きつう叱られます。
もう情けないやら、恥ずかしいやら、怖いやらで泣き出してしまいますのや。
それでも、辞めたいとは思わへんどしたなぁ。
やるもんやと思うてましたさかい、どんなに叱られてもまた、
次の日になると『お師匠さん、おたのもうします』というて行くのどす。
そのころお師匠さんに言われたことで、いまも覚えているのは
『ちゃんと腰を、おおろし』ということどす。
今思うと、能の所作と同じなんどすなぁ。
両ひざを付け合せて曲げ、上体は垂直に、腰をぐっと落として
おへその下に力を入れます。この姿勢が井上流の基本どす。
そのために、『ちゃんと腰を、おおろし』こればっかりをいわれるのどすなぁ」
「そうかぁ・・・やっぱり、なんといっても基本が大事やね。
舞妓は舞が命や。厳しすぎるのは、あたりまえの事になりますねぇ・・・
やっぱり。いくら探しても、舞に近道はなさそうどすなぁ」
「身に着いた芸は、一生のもんどす。
あたしら祇園に生まれた女の子は、小さな頃から、舞妓になるのを夢見てきました。
女紅場に行くようになると、いつ舞妓になれるんか楽しみになります。
『○○ちゃんが、おちょぼさんにならはったでぇ』
『○○ちゃんの店出しが決まったでぇ』という話を聞くたびに、
あたしも、早くなりたいと思うたもんどす」
「そらそうや。
舞妓になりたいと思うのは、別に京都に生まれた女の子だけや、あらへん。
ウチは香港で暮らしていたころから、お母さんが生まれて育った故郷の
この京都で絶対に舞妓になろうと、こころに決めていたんや」
「近道はありまへんが、日々、精進を重ねることが結果的に近道どすなぁ。
お稽古は、1日や2日で結果が出るもんやおまへん。
精進を重ねて、半年がたち、1年が経つと、惚れ惚れするほど上手になるんどす。
経験者が言うんどすから、絶対に嘘やおまへん。
しっかり気張ることや。諦めたらその場で負けやでぇ、」
また声をかけてやと女将が、ニッコリ笑って立ち去っていく。
第62話につづく
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