落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第59話 サラと京舞

2014-12-11 11:22:40 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第59話 サラと京舞



 祇園甲部の舞は、井上流に統一されている。
厳しい稽古がおこなわれることと、しきたりと礼儀作法を厳しく
伝えていくことで有名だ。
厳しい稽古に耐えられるだけの、芯の強さが要求される。


 屋形のお母さんによる、立ち振る舞いの作法と、行儀の躾(しつけ)。
お姉さんやお茶屋の女将さんをはじめ、髪結いさんなど、いつも
お世話になる周りの人たちにたいする、礼儀と気配り。
宴席での修行と、人に言えない苦労などが、見かけの美しさだけでなく
内から洗練された、祇園の女の美しさを作り出していく。
舞妓に憧れ、地方から出てきて修業を始めた女の子たちが、しっとりとした
心使いのできる、京都の女性として完成していく。


 京都の5花街には、芸事を教えるそれぞれ専属の学校と稽古場が有る。
芸妓や舞妓たちは毎日ここに通って、稽古に励んでいる。
入学は有るが、卒業は無い。
舞妓の時はもちろん、芸妓になっても、現役である間は毎日ひたすら通う。
ここで芸を磨き、精進を続けていくのだ。



 目的もなく、大学へ通う同世代の女性たちとは、雲泥の差が有る。
屋形へ住み込んで舞妓を目指している女の子たちは、目的意識をはっきり持ち
プロへの道を、ここからまっすぐ突き進む。


 特記すべきことが、ひとつある。
京都の芸妓は全員が、独身であるという事実だ。
世帯じみた匂いを、夢の世界に持ち込まないというプロの心意気だ。
そうすることで、しっかりした伝統が祇園の町で守られていく。
そう言う意味で言えば芸妓は厳しい芸の修業を経た、嫁入り前の娘たちなのだ。


 井上流の舞は、能が源流にある。
振りの少ない直線的なキレのよい動きが、最大の特徴だ。
情緒的なものを一切排し、表情を付けないことに特徴がある。
女らしい色気のようなものはまったく表現されず、笑顔は厳に戒められている。
安っぽい笑顔が流行る、いま風の踊りとは心が根本的に異なる。



 せっかく来てくれた「仕込みちゃん」に、辞められては大変だと、
日々の躾も控えめにしている女将の心配をよそに、師匠は厳しい稽古を要求する。
ドタバタした足の運びには、『うちは踊りやのて、舞ぇ~や、舞ぇ~」と
激しい叱咤の声が飛ぶ。
中途半端な気持ちでいる女の子は、これだけで脱落をしていく。


 いまどきの子でも、本当にやる気のある子は、この厳しい修行に耐えていく。
仕込みちゃんから舞妓を経て、芸妓になる頃には、舞の技だけではなく
修行を通してしっかりとした人格が形成されていく。
舞の名取になっても芸妓たちは、毎日、女工場学園の稽古場へ通う。
井上流は芸妓たちの精神的バックボーンとして、明治以来130年あまりにわたって、
祇園の町を陰から支えてきた。



 京舞の師匠と、置屋・福屋の女将は、おちょぼ時代からの『戦友』だ。
『戦友』とは、同時期にデビューを果たした、舞妓たちの横のつながりの事だ。
同じ時期に修行に入り、同じ舞台に立った者たちは、おたがいに強い連帯感と共感を持つ。
苦しい心の内を、ゆいいつ明かすことができる祇園の同級生なのだ。



 「あんたぁ。青い目の女の子を引き受けたんやって」


 「青い目やのうて、薄いブルーの瞳や。
 縁あって帰国子女を引き受けた。けど、母親も本人もりっぱな
 日本国籍の持ち主や。
 そういう意味では、何の問題もあらしまへん」

 
 「躾もせんと自由奔放にしとるから、あちこちでキスされたりハグされて
 祇園中が大騒ぎや。
 身長が170センチ近いという噂やないか。
 どないすんねん、そんな大きな子を引き受けて。これから先のことは」



 「育ちざかりやさかいなぁ。もう、170センチを越えたかもしれへん。
 ウチが中途半端に行儀作法を教え込むより、あんたがビシビシ修行してくれたほうが、
 はるかに、効果が有るやろ。
 あんたに任せるさけ、好きなように舞を仕込んでや」


 「親が躾を放棄するんかいな。無責任やな、あんたも・・・」


 「そうやない。帰国子女が祇園に入って来たというだけで、外野が騒々しい。
 けどなぁ。サラには舞の天分が有ると、ウチは最初から確信しとる。
 絶対に逸材やで。10年に一度、出るか出ないかの原石や」

 
 「10年に一度とは、また大きく出ましたなぁ。ホントかいな?。」



 「天分が有るかどうか、あんたがその眼で確かめればええことや。
 芸を磨くことが、あんたの仕事やろ。
 外野を静かにさせるため、あんたのその腕で、サラにホントの舞を仕込んでや。
 頼むわ。戦友のあんただけが頼みの綱どすさかいなぁ」


 
第60話につづく

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おちょぼ 第58話 広がる波紋

2014-12-10 12:39:46 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第58話 広がる波紋




 青い目をした「仕込みちゃん」の登場は、祇園の町に一石を投じた。

(今度、福屋に入った仕込みちゃんは、よく見たら目が青いで。
 あの子は、外人かいな)
(母親は日本人だが、旦那はイギリス人と言う話や。
 香港から帰って来たばかりの、帰国子女らしい)



(けど大物やで。ゆうに、170センチは有るやろう)



(髪結って、おこぼを履くと190センチを越えそうやな。
 バレーボールの選手や有るまいし、大きいのにも限度っちうものがある。
 お座敷に入るとき、鴨居に頭をぶつけるでぇ)


(誰彼かまわず、突然キスとハグをするそうや。
 そういう文化の国で育ったから、それが当たり前ちゅう話やな。
 この間も四条通りのど真ん中で、佳つ乃(かつの)ちゃんがハグをされとったで。
 スキンシップやなんか知らんが、妙なものが祇園で流行ったら困るわなぁ・・・)



 遠くから、サラの行動を注目している外野の声は喧しい。
だが当のサラは、そんな外野のささやきを一向に気にしない。
今日も舞の稽古の帰り道、團栗橋で仕事している路上似顔絵師を訪ねてきた。


 「お兄ちゃん。また路上で商売かいな。
 佳つ乃(かつの)姉さんに知れたら、こっぴどく叱られまっせ。
 路上で似顔絵なんか書かないで、あちこちの美術館巡りをして、
 しっかり、研鑽しなさいと言われたばかりでしょ」


 「研鑽(けんさん)などという、難しい言葉をもう覚えたんだ。
 凄いね、君は。美術館巡りは、どうにも性が合わなくてね。
 気が付いたら、やっぱりこうして、いつものように団栗橋に
 腰を下ろしているんだ」



 「ふぅ~ん。路上似顔絵師の持っている、悲しい職業的な性(さが)かいな。
 兄ちゃんも、気の毒な星の下に生まれたんやなぁ」



 サラの笑顔は、あどけなく、屈託がない。
瞳が薄いブル―というだけで、あとは何処からどう観察してみても、
少しばかり背の高い、日本の女の子だ。
見慣れてきたせいか、浴衣姿もさまになってきた。
だが、依然として、帰国女子ならではの習性が残っている。
場所をわきまえず、キスしたり、ハグしょうと言う行動が自然に出る。
先日も路上で出会った福屋の先輩芸妓に、いきなり真正面から抱き付いた。


 「これ、サラ。あかんゆうたやろ。路上のハグは!」



 佳つ乃(かつの)に大きな声で怒られて、サラがぺろりと赤い舌を出す。
悪気は一切無いのだ。
親しみの気持ちを表す行動が、キスであり、所構わぬハグなのだ。
15歳になるまで、あたりまえのように、キスとハグを連発してきた女の子だ。
いまさらやめろと言われても、本能的に唇が反応するし、抱擁するために
自然に手が伸びる。
サラはもともと、社交性が豊かな女の子としてのびのびと育ってきた。
天性の資質は、祇園の町中を歩いているときにも現れる。



 祇園でお姉さんたちを見つけるたび、サラは足早に駆け寄っていく。
「ごきげんよう、サラどす。おはようございます」
ピョコンと頭を下げたあと、抱擁のために出した手を、あわてて握手の形に切り替える。
他所の屋形のお姉さんであれ、サラは同じ挨拶を同じように繰り返していく。


 (かなわんなぁ、あの子の元気な挨拶には・・・)



 (エネルギッシュでええやんか。祇園の新しい時代を予感させる子やなぁ。
 あの子は、広東語と英語と、祇園の言葉を自在にあやつるそうや。
 外国の要人がお忍びでお客はんとして、祇園にやって来る時代や。
 あんな子が、いまに、祇園に旋風を巻き起こすかもしれまへんなぁ・・・)


 元気いっぱいに駆け去っていく長身に、お姉さんたちが笑顔で苦笑を洩らす。



 (この子は、きわめて頭の良い子だ)目の前に座るサラ見つめて、
似顔絵師がぽつりとつぶやく。
ひとの気持を変えるために、全身で相手にぶつかっていく姿勢を持っている。
だが、控えめが美徳とされている花街では、誤解されやすい性格だ。
しかしサラは、まったく臆することなく、いつも全力で相手の心の中へ飛び込んでいく。


(この子は自分の欠点さえ、魅力に変えてしまう女の子かもしれないな・・・
 そこぬけに明るく見えるところが、なんとも微笑ましい。
 でもなぁ。長年にわたって築き上げてきた祇園のしきたりと格式は、強敵だ。
 君がその階段を、どこまで登っていけるか、いまから楽しみだな)



 「一枚、書いてあげようか」と似顔絵師がスケッチブックを取り出す。
「はい!」と元気に答えたサラが、満面の笑みを浮かべる。
「こう、どすかぁ」と、早くもしゃなりとしたポーズなどを取ってみせる。


第59話につづく

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おちょぼ 第57話 佳つ乃(かつの)の愚痴  

2014-12-09 11:40:49 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第57話 佳つ乃(かつの)の愚痴


 
 「理事長はん。お母はんにもうちびっと厳しくするように言うておくれやす。
 まるで孫と遊んでいるような始末で、サラに甘くし過ぎどす。
 あれでは人は育ちません。なにごとも最初が肝心どすさかい」


 「まぁまぁ。お前はんの気持ちもよう分かるが、サラはなにしろ、
 右も左も分かれへん帰国子女や。
 そのうち祇園の水にも慣れてくるやろう。長い目で面倒を見てやってくれ」


 「理事長はんまで呑気な事を言うから、お母はんがサラに甘くなるんどす。
 立ち振る舞いの厳しい、伝統芸能を身に着けるんどっせ。
 厳しいのは、本人のためどす。
 甘やかはんと、ウチが屋形に入った頃のようにビシビシ叱るよう、
 理事長はんからも、女将に助言してください」



 「そんなに甘いのか。女将はサラにたいして?」



 「甘いなんてもんやおへん。
 そばで見ていてじれったくなるほど、サラに優しくし過ぎどす。
 仕込みの生活と言えば朝の5時に起床どす。
 掃除やら洗濯やらの雑用がはじまるわけやのに、サラが起きてくるのは、
 6時半でっせ。
 起きて『おはようさんはん』と挨拶した後は、2人で座ってテレビどす。
 8時を過ぎてから、舞のお稽古のための浴衣を着付けますが、
 いまだに女将が着せとる始末どす。
 浴衣くらい、ひとりで着られなければいつまでたっても、
 祇園の着物文化に馴染めまへん!」



 「そうだよな。お前はんがおちょぼやっとった頃は、女将も厳しかった。
 福屋といえば、女の大所帯やった。
 お前はんの上に、住み込みの芸妓も含めて、7~8人が居たんと違うか。
 おおぜいの人間がひとつ屋根の下で暮らしていれば、確かに
 家事もぎょうさんになる。
 せやけど芸妓たちもみんな独立して、いまは女将がひとりで暮らしてるはずや。
 最後に育ったお前はんだって、独立をしてマンション暮らしやろ。
 久しぶりに仕込みが登場したが、女将してみれば、
 親戚の子供が、なんとなく、遊びに来とるような気分なんやろ。
 焦るな。女将の指導にも、そのうち火が点くやろ」



 理事長から見れば、サラは、目に入れても痛くない可愛い孫だ。
福屋の女将にすべてを託した以上、横から口をはさむわけにもいかない。
佳つ乃(かつの)の不満も分かるが、立場上、身動きがとれないのも、また事実だ。
(悪いなぁ、佳つ乃(かつの)。愚痴は分かるが今のワシには、なんにもでけん)。
小さくつぶやいたあと、苦い顔を見せたまま、ウイスキーグラスを
そっと口に運ぶ。



 舞妓を志願する者は、縁組の出来た屋形へ入る。
ほとんどの場合。屋形の女将や先輩の舞妓、まだ独り立ちをしていない
芸妓たちと、ひとつ屋根の下で一緒に暮らすことになる。
雑用をこなしながら、舞や三味線を学ぶ技芸専門の学校へ通う。
早くても半年。たいていの場合、1年間近い苦しい修行の時期を体験する。
これに耐えられない子は、自ら辞めていくしかない。


 修行中の子は、「仕込みさん」と呼ばれる。
厳しい稽古に耐えられる熱意のある子と、我慢のできる子だけが
将来の舞妓として育っていく。
昨日まで甘やかされ、叱られずに育った子や、Gパンを履いてあぐらをかいても
注意されなかった子が、別世界の試練を受ける。
箸の正しい使い方、座り方、歩き方ななどなど・・・
屋形のお母さんの密着指導による、立ち振る舞いの厳しいしつけがはじまる。


 舞と芸の稽古は、きわめて厳しいことで有名だ。
花街言葉の修業に加えて、先輩のお姉さんやお茶屋の女将さんにたいする
礼儀や心配りなど、いままであまり教わってこなかったことを、
日々の生活から学んでいく。


 祇園でつかわれる花街言葉は、京都独特の文化だ。
優しく甘く、やわらかな口調は、相手をゆったりとした癒しの世界へ引き入れる。
日常と異なる、別世界へいざなう絶大な効果を秘めている。
基本となる部分は、昔から京都の町で使われてきた京言葉だ。
京都出身者なら、あまり苦労なく身に着けることができるが、地方出身者の
場合は大変だ。
帰国子女ともなれば、さらに大変な苦労を重ねることになる。



 「そういえばサラは、日常的にキスとハグが当たり前という
 文化の中で育った子や。
 ハグの習慣が抜けないうちに、サラのために、屋形へ差し入れを持っていこうかな。
 170センチの女の子の抱擁か。さぞかし、強烈だろうなぁ・・・
 むっふっふ」


 「んんもう。お父さんまで、なんて不謹慎な事を言い出すの!。」


 目じりを下げて笑っているバー「S」のオーナーに向かって、
大きな声で佳つ乃(かつの)が、抗議の声をあげる。



第58話につづく

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おちょぼ 第56話 ハグとレディファースト

2014-12-07 11:34:10 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第56話 ハグとレディファースト




 帰国子女、サラの日本語は、周囲の心配をよそに日に日に上達していく。
難しいと思われた祇園の言葉も、なんとなくだが身についてきた。
井上流の入門も許され、舞の稽古が始まった。
サラがお稽古用の浴衣に着替えた時、最初の問題が発生した。


 祇園伝統の浴衣には、子ども用であることを示す肩上げと腰上げが
ついている。これには実は訳が有る。
昭和初期までの祇園では、10歳から13歳までの子供が舞妓をしていた。
舞妓の装いは、子供の可愛らしさを強調する役割がある。
舞妓の年齢が16歳から20歳位に上がった今でも、それらの名残が残されている。
子供であることをしめす肩上げや袖上げ、腰上げなどを残したことが
それにあたる。



 170センチと言うサラの長身が、災いをした。
大人の女性用の浴衣の場合、165センチ前後が標準サイズになる。
舞妓見習いの場合は、必然的にもっと小さなサイズになる。
女将が慌てて、あちこちへ電話をかけまくった結果、ようやくのことで、
特大サイズの浴衣が見つかった。
だが肩上げを作り、腰上げを縫い付けると、やはり浴衣が小さくなってしまう。


 「とりあえずこれを着ておきなはれ。あとで特注サイズ発注するさかい。
 それにしても、やっぱり、大きい子やな。
 見上げているわての首が、いまにも折れそうや・・・」


 ようやくのことで浴衣に着替えたサラが、感謝の思いを込めて、
女将を力いっぱい、ハグ(抱擁)してしまう。
女将も突然のことで目を丸くするが、応える形でしっかりとサラの身体を
抱きとめる。



 「これ、サラ!。何度言ったらわかるんや。
 ハグは御法度やさかい、簡単に人様に抱き付いたらあきまへん。
 うんもう。この子ったら、何べん言うてもハグの癖が治りまへんなぁ。
 お母さんまで何どすか。ハグを返したらあきまへんて!」


 ふすまの向こうから佳つ乃(かつの)が、ハグをしているサラを厳しく叱る。
女将のほうが、「まぁまぁ」と佳つ乃(かつの)をなだめる。



 「キスをしなくなったさかい、それだけでもめっけもんや。
 帰国子女は、キとハグが当たり前で育った子や。
 サラは産まれた時から香港で育ったさかい、生粋の西洋文化の子や。
 レディーファーストにも抵抗がない子やからな。
 これから、古い祇園のしきたりを身に着けていくのが、至難の業やなぁ」


 「そんなことあらへんて。
 ウチなぁ、ずいぶん日本語も上手になって来たし、祇園の言葉もしゃべれます。
 早く舞を覚えて、お店出ししたいと思ってまんねん。
 ウチの指導者のお姉さんは、売れっ子芸妓の佳つ乃(かつの)はんや。
 早いうちにお姉はんをしのぐ超売れっ子の、舞妓になって
 お見せしますぅ。」



 サラは自分の意見を、ストレートに口にする。
様子を見に来た佳つ乃(かつの)も、口を開けたまま、呆然と言葉を失う。
自信過剰というタイプではないが、帰国子女のサラは言いたいことを、
常に口に出してはっきりと言う。



 「文化の違いと言えばそれまでやけど、口は昔から災いの元や。
 サラ。口にする前に、言葉の良しあしをもう一度ゆっくりと考えて下さい。
 言って良いこと。悪いこと。
 その境目が自分の人生を、簡単に変えてしまいます。
 と言っても、帰国子女のサラには、何のことだか分からないか・・・。
 自己主張することが、当たり前の国で育った子だもの。
 奥ゆかしく振る舞うことを美徳と考える祇園の文化は、難しすぎますなぁ。
 言葉がなくとも通じ合う、以心伝心を教えるのは大変どす。
 気が重くなってきました。サラに日本の古典芸能を教えるのは・・・」


 「お前さんが今からさじを投げて、どうすんのさ。
 サラは将来を期待されている、大物の大型新人どす。
 びしっと祇園の文化を教え込んで、花街の人気舞妓に育て上げておくれよ。
 ブルーの目の舞妓どす。きっと、国際的なスターに育ちます、サラは」


 「お母さんだけどす。そない呑気なことを言うてはるのは。
 大型新人ゆうても、大きいのは外観だけですえ。
 見かけも中身も、純日本製に作り変えていかなければなりまへん。
 実に多難な道になりますなぁ・・・サラも、あたしも」


 ふう~と重い溜息をついている佳つ乃(かつの)をしり目に、
当のサラは、はじめて浴衣に袖を通したことで、歓喜のあまりピョンピョンと
裾を翻しながら、座敷の中を飛び跳ねていく。



第57話につづく

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おちょぼ 第55話 祇園の申し子

2014-12-06 12:17:50 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第55話 祇園の申し子



 佳つ乃(かつの)は、純和風のカフェを好む。
着物で出入りしても、違和感を覚えないで済むためだろう。
京都には昔からの町屋を改造した、カフェやレストランがあちこちに有る。
そのひとつ。鴨川を見下ろすカフェで、佳つ乃(かつの)が昔の話をはじめた。


 「バー「S」のオーナと血はつながっておへん。まったくの他人どす。
 産まれたばかりのウチを引き取り、自分の子として12年間育ててくれたお人どす。
 次に引き取ってくれたのが、置屋、福屋の女将、勝乃母さんどす。
 『学校いき』さんとして3年間、置屋から中学へ通いました。
 たぶん祇園で、行儀見習いをしながら中学に通ったのは、ウチが最後だと思います。
 舞妓としてデビューしたのが15歳。
 襟替えをして、芸妓になったのが19歳。
 以来、祇園の生え抜き芸妓として、気が付いたら30を過ぎております。
 これがいままでウチが辿って来た、人生どす」



 「なぜ突然。育った家を見せたり、昔の話をする気になったの?」


 「ウチの全部を知ってほしいからどす。
 いつかは話さなければおへんし、隠し通せることでもおまへんから」


 「君のお母さんは、どんな人なの?」


 
 「祇園甲部で、5本の指に入る芸妓だったそうどす。
 ウチが生まれた後、半月もしないうちに亡くなったそうです。
 でもホントは、不倫の末に生まれた子どす。
 手元に置いて育てるわけにいかず、知人を頼って秘密のうちに
 里子に出されたという話どすなぁ」


 「じゃ、生きている可能性が有るんだね。君の本当の母親は・・・」



 「真相を知っているのは、バー「S」のオーナーと、福屋の女将だけどす。
 それと、おおきに財団の理事長はんもたぶん、ご存じのはず。
 けど、3人とも口の堅いお方どす。
 頑張っている姿を見せることで、お母さんもきっと満足しているだろう、
 というだけで、真相は闇の中に伏せたままどす。
 お前は祇園の申し子だと笑うだけで、誰も、ホントのことなどは
 教えてくれまへん」


 「君は、ホントの母親に逢いたいと思っているの?」



 「昔は、逢いたいと思うてました。
 けど、いまでも逢いたい気持ちに変わりは有りませんが、母が
 別の家庭を持っていたら、今度はウチが困ります」



 「別の家庭を持っている可能性が有る?
 じゃ君は、だいたいの見当がついているのかい。ホントの母親の」



 「ウチの父親は、12歳まで面倒を見てくれたバー「S」のオーナーです。
 母の愛情と、優しさと、厳しさを教えてくれたのは、福屋の勝乃女将です。
 このお2人が佳つ乃(かつの)の両親だと、感謝しとります。
 親と呼べるお方が2人も居るというのに、ウチは家庭の味を知りまへん。
 ごく普通の家庭の生活に、憧れているウチが居るんどす。
 けど、それは贅沢すぎる話どす。
 ウチは祇園の申し子というだけで、充分どす。
 少なくてもあんたと行きあうまでは、そんな風に自分に、
 言い聞かせておりました」

 
 コーヒーカップを口に運んでいた似顔絵師が、慌てて手を停める。
「それは、どういう意味?。」似顔絵師が、上目使いで佳つ乃(かつの)を見つめる。
佳つ乃(かつの)は涼しい顔をしたまま、冷めたカップを口元へ運ぶ。




 「苦いですねぇ。今日のコーヒーは」


 「逸らすなよ。さっき言いかけただろう、大事なことを君は。
 最後まで言え。結論が聞きたい!」


 「はて~。曲がり角の先のことなんぞ、誰にも分らしまへん。
 曲がってみて、はじめて先が見えるものどす。
 ええやおまへんか。どうせ人生は一度きりどすからなぁ。
 鬼が出るか蛇が出るか、出たとこ任せで。ええやないですかぁ。
 うふふ・・・なんや。それでは不満そうやな、その顔は」



 でももう、いくら尋ねられても、それ以上のことは絶対に語りませんと、
鴨川を見下ろす佳つ乃(かつの)の瞳が、決意を語っている。



第56話につづく

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