「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第59話 サラと京舞
祇園甲部の舞は、井上流に統一されている。
厳しい稽古がおこなわれることと、しきたりと礼儀作法を厳しく
伝えていくことで有名だ。
厳しい稽古に耐えられるだけの、芯の強さが要求される。
屋形のお母さんによる、立ち振る舞いの作法と、行儀の躾(しつけ)。
お姉さんやお茶屋の女将さんをはじめ、髪結いさんなど、いつも
お世話になる周りの人たちにたいする、礼儀と気配り。
宴席での修行と、人に言えない苦労などが、見かけの美しさだけでなく
内から洗練された、祇園の女の美しさを作り出していく。
舞妓に憧れ、地方から出てきて修業を始めた女の子たちが、しっとりとした
心使いのできる、京都の女性として完成していく。
京都の5花街には、芸事を教えるそれぞれ専属の学校と稽古場が有る。
芸妓や舞妓たちは毎日ここに通って、稽古に励んでいる。
入学は有るが、卒業は無い。
舞妓の時はもちろん、芸妓になっても、現役である間は毎日ひたすら通う。
ここで芸を磨き、精進を続けていくのだ。
目的もなく、大学へ通う同世代の女性たちとは、雲泥の差が有る。
屋形へ住み込んで舞妓を目指している女の子たちは、目的意識をはっきり持ち
プロへの道を、ここからまっすぐ突き進む。
特記すべきことが、ひとつある。
京都の芸妓は全員が、独身であるという事実だ。
世帯じみた匂いを、夢の世界に持ち込まないというプロの心意気だ。
そうすることで、しっかりした伝統が祇園の町で守られていく。
そう言う意味で言えば芸妓は厳しい芸の修業を経た、嫁入り前の娘たちなのだ。
井上流の舞は、能が源流にある。
振りの少ない直線的なキレのよい動きが、最大の特徴だ。
情緒的なものを一切排し、表情を付けないことに特徴がある。
女らしい色気のようなものはまったく表現されず、笑顔は厳に戒められている。
安っぽい笑顔が流行る、いま風の踊りとは心が根本的に異なる。
せっかく来てくれた「仕込みちゃん」に、辞められては大変だと、
日々の躾も控えめにしている女将の心配をよそに、師匠は厳しい稽古を要求する。
ドタバタした足の運びには、『うちは踊りやのて、舞ぇ~や、舞ぇ~」と
激しい叱咤の声が飛ぶ。
中途半端な気持ちでいる女の子は、これだけで脱落をしていく。
いまどきの子でも、本当にやる気のある子は、この厳しい修行に耐えていく。
仕込みちゃんから舞妓を経て、芸妓になる頃には、舞の技だけではなく
修行を通してしっかりとした人格が形成されていく。
舞の名取になっても芸妓たちは、毎日、女工場学園の稽古場へ通う。
井上流は芸妓たちの精神的バックボーンとして、明治以来130年あまりにわたって、
祇園の町を陰から支えてきた。
京舞の師匠と、置屋・福屋の女将は、おちょぼ時代からの『戦友』だ。
『戦友』とは、同時期にデビューを果たした、舞妓たちの横のつながりの事だ。
同じ時期に修行に入り、同じ舞台に立った者たちは、おたがいに強い連帯感と共感を持つ。
苦しい心の内を、ゆいいつ明かすことができる祇園の同級生なのだ。
「あんたぁ。青い目の女の子を引き受けたんやって」
「青い目やのうて、薄いブルーの瞳や。
縁あって帰国子女を引き受けた。けど、母親も本人もりっぱな
日本国籍の持ち主や。
そういう意味では、何の問題もあらしまへん」
「躾もせんと自由奔放にしとるから、あちこちでキスされたりハグされて
祇園中が大騒ぎや。
身長が170センチ近いという噂やないか。
どないすんねん、そんな大きな子を引き受けて。これから先のことは」
「育ちざかりやさかいなぁ。もう、170センチを越えたかもしれへん。
ウチが中途半端に行儀作法を教え込むより、あんたがビシビシ修行してくれたほうが、
はるかに、効果が有るやろ。
あんたに任せるさけ、好きなように舞を仕込んでや」
「親が躾を放棄するんかいな。無責任やな、あんたも・・・」
「そうやない。帰国子女が祇園に入って来たというだけで、外野が騒々しい。
けどなぁ。サラには舞の天分が有ると、ウチは最初から確信しとる。
絶対に逸材やで。10年に一度、出るか出ないかの原石や」
「10年に一度とは、また大きく出ましたなぁ。ホントかいな?。」
「天分が有るかどうか、あんたがその眼で確かめればええことや。
芸を磨くことが、あんたの仕事やろ。
外野を静かにさせるため、あんたのその腕で、サラにホントの舞を仕込んでや。
頼むわ。戦友のあんただけが頼みの綱どすさかいなぁ」
第60話につづく
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