「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第70話 最長老の、むかし話
「ハトが豆鉄砲食らったような顔してますなぁ。無理もありまへん。
まずはあたしの自己紹介をしまひょ。
芸妓名は、「小染め」言います。
あたしの家は、四条通りを挟んで八坂神社の北側、祇園町の末吉町どす。
観光客でにぎわう四条通りから、ほんの少し入ったところで、
お茶屋さんや屋形やらの古い家が並んでいます。
昔とかわらないたたずまいの一角どす。
あたしのお祖母さんと、お母さんも、舞妓から芸妓にならはったお人どす。
あたしで数えて3代目の芸妓どす。
産まれは大正の10年の6月どすが、お母さんがずぼらです。
届けたのが7月で、戸籍上では7月の25日か26日が誕生日になってます。
父親の顔も名前も知りません。
祇園の場合、これがわりと当たり前の出来事なんどす」
小染めと名乗った93歳の現役芸妓が、サラを相手に身の上話をはじめた。
最長老の芸妓は、祇園を歩く生きた字引だ。
「戸籍どすか。みんな母親の姓を名乗るんどす。
昔は、15歳くらいで子を産まはる妓もいました。
水揚げしたり、旦那はんがつかはって引かされ、与えられたお家で
お子さんを産む場合もありました。
お腹が大きくならはると、屋形のお母さんやらお姉さんやらが、
あんた、子供は産んどきいなあ、というようなもんどす。
いまは芸妓さんが子どもを産むということは、あんまりおまへんなあ。
当時とちごうていまのひとは、あとあとのことまで考えて産まはらへんのと
ちがいますやろか。
認知やら養育費やら、きちんとしてくれはったら産むのやろうけどねぇ。
昔は『産んどきいなぁ。べつに悪いようにはしやはらへんえ』と、まあ、
祇園全体で子供の面倒を見たいう感じどしたなあ。
女の子やったら、『いや~、よかったなあ』って喜ばれます。
女の子の場合も、赤ん坊のうちは、よそに預けられたんどす。
あたしの場合は、お祖母さん、お母さん、2人とも芸妓でお座敷に出んならん
さかい、あたしの面倒はようみられしまへん。
お乳の出る人を探して、預かってもらったんどす。
それを一種の商売のようにしているひとがいまして、祇園の子は
みんな預けられたんとちがいますか」
「へぇぇ・・・凄いお話ですねぇ・・・」サラが青い目を真ん丸にする。
「無理あらへん、あんたが生まれるずっと前で、年号が昭和に変った頃の話や。
関東大震災と言うのが有って、東京が全滅したことが有んのどす。
そのせいで、映画の撮影所が京都に移ってきはりました。
映画関係者やら俳優さんやらで、京都の町が賑やかになった頃のことどす」
関東大震災ですか・・・ふぅ~ん、初めて聞きましたと、サラがあいづちを打つ。
「預けられたのは、左京区の岩倉と言うところでいまはお街になってますが、
当時は農家ばかりの、えらい田舎どした。
里親は野良仕事で忙しいさかい、みんなが畑仕事をしているときは、
籠のようなものに入れられて、あぜ道に置いとかれるんどす。
月に一度、お母さんが預け料みたいなお金をもってきはるんどすけど、
あたしの汚れた顔を拭うたり、着物を着替えさせて、なんやたまらなく
不憫やったといいますえ。
祇園で毎日きれいにして暮らしているお母さんから見たら、
あたしのことが、すすけたような姿に映ったんどっしゃろなぁ。
けどあたしは子供心に、なんも覚えておりません。
生まれてすぐに預けられましたやろ、そういうもんかいなと思うて
別にどういうことおへんどすたぇ。
祇園の子供の父親は、名の通ったお方や、由緒ある家の旦那さんが多かったんどす。
けど中には、え、あんな男が、と陰口を言われるような場合もあります。
実を言うとあたしの父親もそうで、物心ついたころ、
お祖母さんにきつく言われました。
『ええか。お父ちゃん言うて会いに来ても、決して会うたらあかんよ。
あんたに迷惑をかける男どすぇ』と、何度も言われました」
第71話につづく
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