落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第69話 祇園の最長老

2014-12-23 11:38:37 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。


おちょぼ 第69話 祇園の最長老





 祇園にも最長老の芸妓が居る。今年、93歳。
舞うことには無理がある。しかし、長年鍛えてきた三味線には定評がある。
背筋をピンと伸ばし、今日も颯爽と花見小路を歩いていく。
目の前を通りかかったサラを、93歳の現役芸妓が先に呼び止めた。


 「これ。お前が香港からやって来たという、勝乃のところのおちょぼかい?」


 「はぁ。ウチの名前はサラと言います。
 どなたかは存じませんが、どうぞ今後ともご贔屓にお願いいたしますぅ」」


 「贔屓にするかどうかは、お前さんの話を聞いてからじゃ。
 どうじゃ、時間が有るなら少しあたしと付き合うか?」


 「へぇ。喜んでお付き合いいたします。どこぞかでお茶でもいたしましょうか?。
 お茶でもコーヒーでも、どこまででもお供をいたしますぅ」


 「おや。驚いたねぇ、英語じゃないんだ。
 祇園の言葉はまだまだどすが、なるほど、日本語はそこそこのようどすなぁ。
 あたしは、今風のカフェやら若い者が入る喫茶店と言うのは、身体に合いません。
 ちょうどそこに馴染みのお茶屋がある。
 女将に言って、ほうじ茶でも入れさせようじゃないか」


 
 (お茶屋さんでほうじ茶どすか。ずいぶん突拍子もないな組み合わせですねぇ・・・)
小首を傾げながらサラが、93歳の現役芸妓の後ろに着いていく。
「ごめんやす」と最長老の芸妓が、老舗お茶屋の格子戸をくぐり抜ける。



  午前中の花見小路は、人の通りが少ない。
眠りについたままの通りの様子は、どこを見ても何故か殺風景に見える。
日が暮れて、赤い提灯が軒下に灯されると花街として息を吹き返すが、午前中の今は、
ただただ静かに静まり返っている。
江戸時代をしのばせる紅柄格子の建物だけが、どこまでも静かに立ち並んでいる。


 昨夜の喧騒を終えたお茶屋の内部も、午前中はひっそりとしている。
最高齢芸妓の声を聞きつけて、奥からあわててお茶屋の女中が飛んできた。
「この子がいま評判のサラだ。少し話がしたいから、わたしに奥の座敷を貸しておくれ。
お茶はいつものほうじ茶だ。わるいねぇ、じゃ頼みましたよ」
くるりと背を向けて去りかけていく女中に、「女将によろしく」と老芸妓が、
小さく包んだチップを渡す。



 「「お前さんの事は、元気な女の子が来たと言うので、評判だ。
 舞の仕上がり具合はどうだい。来年の、都をどりには間に合いそうか?」


 「おばあちゃんは、三味線の名手と伺っております。
 名手のおばあちゃんが、なんでウチみたいな駆け出しに興味なんかあるんどすか?」



 「このあいだ。勝乃と同期の置屋の女将と、行きあってきた。
 磨けば光る必ず原石だと、お前さんの事を褒めていました。
 辛口の女将が、来たばかりのおちょぼなんぞを褒めるのは、珍しいことだ。
 どんな子だろうと興味をそそられて、あたしものこのこと出かけてきたのさ」


 「ごめんやす」と女将が、ほうじ茶を運んできた。
「女将。朝早くからドカドカと押しかけて済まないね。あたしゃ朝のほうじ茶が一番の好みだが、
この子の好みはまだ聞いておりません。いいのかいサラ。あたしと同じほうじ茶で?」
「はい。いただきます、ありがとうございます」とサラが長身をペコリと
小さく2つに折りたたむ。



 「あんた。頭の下げ方があかんなぁ」とすかさず女将から、声が飛ぶ。
「胸から先に前へ出して、後ろの襟首が見えるか見えへんくらいまで、頭を下げるんや」
あわててお辞儀をやり直すサラの様子を見て、女将が目を細める。
「そうや。そんな風に頭はさげるんや。ええ子やなぁ。すぐに正直に応じるなんて」
気に入ったでぇあんた、とさらに女将が目を細めていく。



 「ここの女将も、勝乃と同期どす。。
 同期の3人が揃うと、そりゃあもう、ピーチクパーチク賑やかどしたなぁ。
 それがいつの間にか一人前になり、3人ともそろって屋形の女将におさまっておる。
 あたしゃ窮屈な女将暮らしより、お座敷で三味線を弾いていたほうが性に合います。
 祇園で芸を披露してかれこれ、80年。人間、長生きはしてみるもんですねぇ。
 おかげさまでこうして、青い目をしたおちょぼとお茶が飲めるんだから」


第70話につづく

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おちょぼ 第68話 お茶屋遊び

2014-12-22 11:00:00 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第68話 お茶屋遊び



 お茶屋遊びの楽しいところは、浦島太郎によく似ている。
浦島太郎は、助けた亀の背中に乗せられて竜宮城へ遊びに行く。
乙姫様の御馳走に、鯛や平目の舞踊りを見るような、夢の世界へ招待される。


 祇園花見小路は電線の地中化工事により、無粋な電柱が地上から消えた。
おかげで祇園の空に、江戸の昔が戻って来た。
花街の通りへ一歩入ると黒ずんだ紅殻格子の窓と、格子の引き戸が連なっている。
2階の窓にはすだれが下がっている。
それを見るだけで江戸時代の昔の気分に、浸ることが出来る。


 暖簾をくぐりお座敷に案内されると、突然、時空を超えた別世界が目の前に広がる。
一般的なお座敷のメニューは、お茶屋の座敷を借り、仕出屋から料理を取り、
芸妓か舞妓を2~3人呼んで、2時間ぐらいというのが定番だ。
だが、その先で何が起こるかわからないのが、祇園という世界なのだ。



 酒宴がはじまってしまえば、監督役はお茶屋の女将だ。
場を仕切るのは、その席で最年長にあたる芸妓だ。
主賓を中心に、お座敷の形態はガンガンと変化していく。
宴が盛りあがるにつれて、酒の量と種類が増えていく。
何時の間にか有名店の仕出しが届く。
呼んでもいない芸妓や舞妓が、ひっきりなしにお座敷に出入りする。
何が何やらわからない状態で、最後はお開きになる。
そんなお座敷を任された幹事は、「いったいいくらかかるのか」と肝を冷やして
気が気ではない。



 「祇園が粋なのはこうして浮世を忘れ、ハチャメチャに楽しめるトコなんどす。
 興が乗って来れば、際限が無くなるんどすなぁ。
 いつものように仕出し屋から差し入れが届き、帰りがけの芸妓さんが
 ひょいとお座敷に顔を出すと、もう、お座敷の統制がとれまへん。
 乱痴気騒ぎの始まるのどす。
 誰が誰やら分からなくなり、呑めや食えやの大騒ぎがお座敷ではじまんのどす。
 あんたは若いころから舞も上手やったけど、男衆をその気にさせるほうも、
 天才やったからなぁ」


 女将が目を細めて、31歳になった佳つ乃(かつの)の全身を見つめる。



 「お母さん。口に気を付けておくれやす。
 その気にさせるのが上手なら、いまごろは子供の一人も産んで引退をしてたはずや。
 ウチの色気は見かけだけどす。女としては未成熟かもしれまへんなぁ・・・」


 「そうやなぁ。あんたは、男はんを知らんからなぁ。
 あ、下衆な意味やおへん。父親からの愛情が足らんかったと言うだけの意味や。
 「S」のオーナー、弥助さんがイギリスから戻ってきたのは、あんたが5歳の時や。
 小学校を卒業するまで、目に入れても居たくないほどあんたを可愛がった。
 けどそれが手遅れなことは、当の弥助さんも、あんたもようわかっていた。
 傍目から見たら、非の打ちようのない仲良しの親子どしたが、
 物心がつく頃の空白は、どないに努力しても埋められなかったなぁ。
 それもまた、わたしの配慮不足ゆえの失敗や。
 堪忍な、佳つ乃(かつの)はん」


 「お母さん。謝らないでおくれやす、絶対にそんなことはあらへんて。
 ウチがただ、男はんにたいして、臆病なだけどす・・・」



 そう答えた佳つ乃(かつの)が、唇を噛んで黙り込む。
祇園に育った芸妓は身体を決して売らないが、お色気だけはたっぷりと売る。
色気にほのかな上品さが漂うのは、清潔感がそこに有るからだ。


 磨き抜かれた清潔感は、妖艶な雰囲気をさらに増幅させる。
幼いころから芸事の修練を積んできた佳つ乃(かつの)は、そうした雰囲気を、
すでに、デビューの前から身に着けていた。
佳つ乃(かつの)が放つ色気は、言い寄る男衆どころか、おおくの女たちまで魅了した。
19歳で襟替えの準備が始まったころ。
佳つ乃(かつの)はすでに、妖艶な美しさを持つ祇園屈指の芸妓に
進化していた。


第69話につづく

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おちょぼ 第67話 IT企業の風雲児

2014-12-21 12:48:38 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第67話 IT企業の風雲児



 IT企業の風雲児と呼ばれ、「秒速で1億円を稼ぐ男」と呼ばれた人物が
知人のつてで、ある老舗お茶屋に上がったことが有る。
本来ならこんな成り上がり男が、のこのこと上がれるようなお茶屋ではない。


 京都の花街は、「一見(いちげん)さんお断り」で有名だ。
初めての客は簡単に受け入れませんという、昔からのしきたりが有る。
だが祇園において、いまだに一見さんが入れない店は、お茶屋と一部の料理屋ぐらいだ。
祇園にひしめいている沢山のお店の数からみれば、数%にも満たない。
しかしその数%の中に、祇園という世界が存在している。



 どうしてこんなシステムがまかり通っているのか、不思議に思っている人も多い。
酒を呑む場は、雰囲気が一番大切になる。
酒場へ通う常連客は、そこの雰囲気が気に入ってその場にとどまる。
雰囲気の異なるお客が入ってくると、其処はもう、酒場としてはだいなしになる。
馴染みのお客さんによっては、足が遠のいてしまう場合も生まれる。
得体の知れない一見さんを断り、馴染みのお客に店の雰囲気を保証するシステムが、
祇園の「一見さんお断り」という習慣だ。

 
 裏で、よほど大金が動いただろうと、当時の人たちは憶測した。
金で買収されたのは、お茶屋ではない。
心を動かしたのは、長年、お茶屋に通っていた常連客たちだ。
「重要な客だから」と女将に念を押したうえで、舞妓としてデビューしたばかりの
佳つ乃(かつの)に、白羽の矢を立てた。


 呼ばれたのは、佳つ乃(かつの)だけではない。
法外な花代(華やかな花に見立てて花代と呼ぶ。玉代とも言う)を払い、
綺麗どころと人気芸妓を、10人近くお座敷にかき集めた。
6時頃からはじまった宴席が、えんえんと深夜の1時過ぎまで続いた。



 酔いに任せたIT企業社長の乱行が、深夜の零時頃からはじまった。
懐から札束を、ドンと取り出した。
「面白いものを見せた奴には全部やる」と見せびらかす。
「ならばウチが見せてあげましょう」と、最初に佳つ乃(かつの)が立ち上がった。
一同が見守っている中、グラスに溢れるまでなみなみと日本酒を注ぐ。
佳つ乃(かつの)が、満杯になったグラスを頭上高く持ち上げる。



 「どこのどなた様かは存じませぬが、祇園で札束を見せびらかせて、
 芸妓に面白いことをやれとは、しきたりをしらぬ愚の骨頂。
 あなたが本物のIT企業の風雲児と言うなら、私がそそぐお酒の滝を、
 ものの見事に登って来てください。
 お姉さんがた。賑やかに鳴り物などをお願いします」



 そう宣言した瞬間、佳つ乃(かつの)が、大量のグラスの酒を
社長の頭上から、あっという間に浴びせかけてしまう。
老舗お茶屋のお座敷が一瞬にして、大混乱に陥ったことは言うまでもない。
真夜中だというのに福屋の女将が、電話で「とにかく一大事だ」と呼び出された。
当の佳つ乃(かつの)は、「もう夜も遅い故、ウチは、お先に失礼をいたします」と
涼しい顔をみせて、お座敷を後にしてしまう。
女将は、米つきバッタのように畳に頭をこすりつけ、居合わせた面々に
何度も何度も、平謝りに謝り続けた。



 だが佳つ乃(かつの)に「数日休め」と音沙汰が有ったきり、
それ以降は、なんの処分もやって来ない。
女将にも、厳重注意と書かれた文面が検番から届いたきりで、
その後の話はうやむやになった。
負けを自ら認めたIT企業の社長が、いさぎよく京都を後にしたからだ。
この日以来。デビューしたばかりの舞妓・佳つ乃(かつの)に、
「じゃじゃ馬佳つ乃(かつの)」の異名がつく。



 「そういえば、そんな昔もありましたねぇ」と、佳つ乃(かつの)が
ふたたび頬を赤くする。



 「ひとたびお座敷に上がれば、何が起こるか見当がつきまへん。
 聖人君子がお酒を呑んで、芸の優等生が舞を披露するだけでは祇園のお座敷は、
 盛り上がりまへんからなぁ。
 少しばかり破天荒な子がいて、酔狂なお客さんがいてこそ場も盛り上がります。
 けどなぁ。あんたの場合は例外や。
 何度真夜中に呼び出され、ペコペコ頭を下げたことやら数えきれまへん。
 それから見たら、おちょぼのサラなんか可愛いもんや。
 あんたを台風に例えれば、サラは街角に吹くつむじ風のようなもんどす。
 うっふっふ。でも懐かしいどすなぁ、あのころが・・・」


 女将が懐かしそうに目を細めて、遠い昔のことを思い出している。



第68話につづく

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おちょぼ 第66話 逆風が吹く

2014-12-20 13:09:14 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第66話 逆風が吹く



 サラが祇園にやってきてから、3ヶ月が過ぎた。
置屋の福屋では相変わらず、のんびりとした行儀見習いが続いている。
「それほど、焦る必要もないでしょう」と佳つ乃(かつの)の抗議を、
女将の勝乃は、ニコリとほほ笑んで受け流す。



 「お母さん。ぼけが始まったのと違いますか?。
 見習い中のサラに、厳しく仕込まないでどうすんの。
 あとで恥をかくのはサラちゃんどっせ。
 いままでのように、定規とはたきを両手に持って、ビシビシと
 仕込んでくださいな」


 「それがなぁ。畳のヘリも踏まんし、障子の開け閉めも完璧や。
 畳に座ってのお辞儀も板に着いてきたし、舞も筋がいいとお師匠はんが褒める。
 これといって欠点が見当たらん子や。
 いったい、なにを叱ればいいんかいなぁ」



 「うふふ。上手い風に言い張りますなぁ、お母さんも。
 ホントはそうでは、おへんでしょ。
 誰も居なくなって、屋形の中が寂しすぎて、サラを追い出すのが辛いんでしょ。
 顔に書いてありますでぇ。
 やれやれ、仕込みの鬼も、ずいぶん甘くなりましたねぇ」



 「そうでもおへん。辛い波風に当っとんのは、サラ自身どす。
 日本国籍が有るとは言え、半分は、青い目の外人さんで有ることに変わりはおへん。
 しきたりやら格式やらと、祇園は何かとうるさい世界どす。
 それはようわかっとんのどすが、ようやくのことで日本に帰ってきたあの子に、なんや、
 ビシビシ指導する気になれんだけのことどす。
 あたしが、歳を取りすぎたせいですかねぇ。
 あんた。あたしのかわりに、ビシビシとサラを厳しくしつけてや」


 「責任放棄かいな。無責任やな、お母はんも。
 ウチかて厳しいのは嫌いや。けどどないなん、実際の反応は」



 「この間なぁ、検番から電話がかかって来よったでぇ。
 あんた。本気で青い目に鑑札を取らせるつもりかと、えらい権幕どした。
 舞妓に出るためには、検番に名前を登録せななりまへん。
 検番言うのは、管理組合みたいなもので、いまは組合事務所と呼んどりますなぁ。
 丸山公園にある保健所へ行き、身体検査をしてから検番へ行きます。
 仕事をするための許可証をもらうんどす。
 許可証のことを、鑑札と呼ぶんどす。
 鑑札いうたら、命の次に大切なものどす。
 芸妓も舞妓も、これがなければ、祇園で仕事することができまへん。
 うちは外人なんかには許可証は出さんと、いきなり喧嘩腰での電話ですねん。
 驚きましたなぁ。
 誰ぞの入れ知恵やと思いますが、なんや空気がピリピリしてきましたなぁ」


 「鑑札なんて、ずいぶん先のことやおまへんか。
 舞妓にもなってへん子に、ずいぶんと手回しのええことどす。
 多少の逆風は覚悟してましたが、検番さんまで手え回すとは、用意周到やなぁ。
 こちらもそれなりに対策などを考えておかな、あきまへんなぁ」



 「そん時はそん時で、裏の手も奥の手もあるさかい、どうでもなるでしょ。
 下らんことに惑わされず、サラちゃんのやる気を潰さないほうが肝要どすなぁ。
 サラは、まるでブルドーザーのように突っ走る女の子や。
 躊躇せず、人様の気持ちの真ん中へ突っ込んでいく、小気味のよさが取柄どす。
 この祇園に、新風を巻き起こす可能性を秘めている子や。
 あたしはなぁ、そんなサラのエネルギーをいつまでも大事にさせてやりたい、
 そんな風に思ってんのどす」


 「まったくぅ・・・呑気なことをいわはるなぁ。お母さんも。
 野放しにしておいて、あとでどうなってもウチはいっさい知らんでぇ」



 「あんたかて、サラに負けないくらい昔はやんちゃをしたでぇ。
 覚えておらんのかいな、16歳の時の、あの武勇伝を・・・」


 (16歳くらいの時の、武勇伝?)ウチにもそんな時代が有ったかいな、
はてなと佳つ乃(かつの)が、小首をかしげる。
「あっ!」と当時の事を思いだし大きな声をあげ、やがて、
頬を真っ赤に染める。



第67話につづく

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おちょぼ 第65話 祇園の申し子

2014-12-19 12:31:18 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。



おちょぼ 第65話 祇園の申し子




 「置屋の女将に、母親らしい面影を見つけたって?
 本当に佳つ乃(かつの)が、そんな風に言っていたのかい」


 なるほどねぇ、と似顔絵師の話を聞き終えたバー「S」の老オーナが、
ぷかりとパイプをふかす。
充分過ぎる甘い煙が、カウンターの中を流れていく。



 「いまさら隠し事をしてもはじまるまい。
 当時のいきさつはこうだ。
 商社に勤めていたワシは、5年の予定でイギリスに行くことになった。
 留守の間。乳呑児をかかえた乳母がやってきて、ワシの家に住み込んだ。
 そのときの乳呑児が、佳つ乃(かつの)だ。
 祇園の芸妓は、結婚と同時に辞めるというしきたりが有る。
 だがシングルマザーとして、子どもを産むことは昔から許されておる。
 祇園の芸妓は、人妻にはなれないが、母親にはなれる。
 佳つ乃(かつの)は、そんな背景の中で生まれてきた女の子のひとりだ」



 「ということは、そんな風にして生まれてきた子が此処には、
 たくさんいるという意味なのですか?」



 「少なくはないが、たくさん居るわけでもない。
 佳つ乃(かつの)のように、祇園の申し子として生まれてきた女の子は、
 それほど多く無い。
 未婚の芸妓が子どもを産んでも、仕事を持っているために
 ほとんどの場合、自分では育てられない。
 里子に出すか、乳母に託して育ててもらうのが通例だ。
 佳つ乃(かつの)は、後者のケースだ。
 ワシがイギリスから戻った時、佳つ乃(かつの)は幼稚園に通う5歳の
 女の子になっていた。
 ワシの家に乳母を派遣していたのは、福屋の女将、清乃だ。
 清乃との約束で、12歳になるまでワシのところで育て、小学校が終ったら
 おちょぼとして屋形に引き取り、中学へ通わせることが決まっていた」


 「最初から、芸妓になることが運命づけられていた女の子なのですか。
 佳つ乃(かつの)さんは」



 「見方を変えれば、佳つ乃(かつの)は恵まれた道を歩いてきたことになる。
 面倒をみた乳母は、かつては祇園甲部で3本の指に入った芸妓だ。
 隅々まで行き届いた躾をちゃんとほどこした。
 4歳になったとき、井上流への出入りも許された。
 そう言う意味から言えば、佳つ乃(かつの)は祇園生粋のサラブレッドだ。
 すべてのものを幼いうちから身に着けて、なるべくして芸妓に育った子だ。
 ワシは、佳つ乃(かつの)の父親じゃない。
 そうした一連の流れを、一番近くで長く見つめてきただけの男だ。
 ワシと佳つ乃(かつの)は、そういう関係だ」


 「絶対に、母親のことだけは明かさない。
 そういう密約が、佳つ乃(かつの)さんを取り巻く皆さんの間に有るのですね?」



 「それ以上のことは聞くな。
 聞かれてもワシも福屋の女将も、それ以上のことは言わん。
 佳つ乃(かつの)は生まれた時から、祇園ひとすじに生きてきた女の子だ。
 外の世界の事は、何ひとつ知らずに育ってきた女の子だ。
 1歩も外に出ないまま、女たちによって純粋培養で育てられてきた。
 外への憧れと、家庭の味に飢えていることは、ワシから見ても良く分かる。
 佳つ乃(かつの)のそんな想いが、外から来たお前さんを受け入れたんだろう。
 もしかしたらこの人が、わたしを外へ連れ出してくれるかもしれない。
 そんな期待を込めて、君を選んだのかもしれないな」


 「不自由なく育ったサラブレッドのはずなのに、どこかに不満があると言うのですか?。
 綺麗な着物を着て、超一流の人たちを接待するんですよ。
 やり甲斐だって充分にあるはずです。
 外のつまらない世界よりも、格式も素養も有る祇園で生活していったほうが、
 よほど充実していると思いますが・・・」


 
 「ワシは父親らしい愛情をあの子に、プレゼントできなかった。
 見守るだけで、精いっぱいだったのさ。
 祇園の申し子だ。祇園の宝として育てようと、周りが決めていた女の子だ。
 どうしても近寄り切れない最後の1歩が、残ったワシには有った。
 だからあの子は、男親の愛を知らん。
 恋愛をするたびに、何故かあの子は、立ち振る舞いが不器用になる。
 人を好きになるたびに、臆病になる自分が居るんだ。
 そうさせたのはワシのせいだと、今でも後悔をしている。
 だが君が現れたことで、じつは、ワシもホッとしているんだ。
 自然に、素直に自分自身を見せたまま男と付き合っているのは、君が初めてだ。
 そういう子なんだよ。
 佳つ乃(かつの)という、サラブレッドの芸妓は」



 「S」のマスターがまた、ぷかりとパイプをふかす。
充分すぎる甘い香りが、ふたたびカウンターの中を流れていく。
「さて、開店しょうか」マスターの声に促されて路上似顔絵師が、「オープン」と
書かれた札を持ち、ドアに向かって歩いて行く。


 
第66話につづく

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