「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第57話 佳つ乃(かつの)の愚痴
「理事長はん。お母はんにもうちびっと厳しくするように言うておくれやす。
まるで孫と遊んでいるような始末で、サラに甘くし過ぎどす。
あれでは人は育ちません。なにごとも最初が肝心どすさかい」
「まぁまぁ。お前はんの気持ちもよう分かるが、サラはなにしろ、
右も左も分かれへん帰国子女や。
そのうち祇園の水にも慣れてくるやろう。長い目で面倒を見てやってくれ」
「理事長はんまで呑気な事を言うから、お母はんがサラに甘くなるんどす。
立ち振る舞いの厳しい、伝統芸能を身に着けるんどっせ。
厳しいのは、本人のためどす。
甘やかはんと、ウチが屋形に入った頃のようにビシビシ叱るよう、
理事長はんからも、女将に助言してください」
「そんなに甘いのか。女将はサラにたいして?」
「甘いなんてもんやおへん。
そばで見ていてじれったくなるほど、サラに優しくし過ぎどす。
仕込みの生活と言えば朝の5時に起床どす。
掃除やら洗濯やらの雑用がはじまるわけやのに、サラが起きてくるのは、
6時半でっせ。
起きて『おはようさんはん』と挨拶した後は、2人で座ってテレビどす。
8時を過ぎてから、舞のお稽古のための浴衣を着付けますが、
いまだに女将が着せとる始末どす。
浴衣くらい、ひとりで着られなければいつまでたっても、
祇園の着物文化に馴染めまへん!」
「そうだよな。お前はんがおちょぼやっとった頃は、女将も厳しかった。
福屋といえば、女の大所帯やった。
お前はんの上に、住み込みの芸妓も含めて、7~8人が居たんと違うか。
おおぜいの人間がひとつ屋根の下で暮らしていれば、確かに
家事もぎょうさんになる。
せやけど芸妓たちもみんな独立して、いまは女将がひとりで暮らしてるはずや。
最後に育ったお前はんだって、独立をしてマンション暮らしやろ。
久しぶりに仕込みが登場したが、女将してみれば、
親戚の子供が、なんとなく、遊びに来とるような気分なんやろ。
焦るな。女将の指導にも、そのうち火が点くやろ」
理事長から見れば、サラは、目に入れても痛くない可愛い孫だ。
福屋の女将にすべてを託した以上、横から口をはさむわけにもいかない。
佳つ乃(かつの)の不満も分かるが、立場上、身動きがとれないのも、また事実だ。
(悪いなぁ、佳つ乃(かつの)。愚痴は分かるが今のワシには、なんにもでけん)。
小さくつぶやいたあと、苦い顔を見せたまま、ウイスキーグラスを
そっと口に運ぶ。
舞妓を志願する者は、縁組の出来た屋形へ入る。
ほとんどの場合。屋形の女将や先輩の舞妓、まだ独り立ちをしていない
芸妓たちと、ひとつ屋根の下で一緒に暮らすことになる。
雑用をこなしながら、舞や三味線を学ぶ技芸専門の学校へ通う。
早くても半年。たいていの場合、1年間近い苦しい修行の時期を体験する。
これに耐えられない子は、自ら辞めていくしかない。
修行中の子は、「仕込みさん」と呼ばれる。
厳しい稽古に耐えられる熱意のある子と、我慢のできる子だけが
将来の舞妓として育っていく。
昨日まで甘やかされ、叱られずに育った子や、Gパンを履いてあぐらをかいても
注意されなかった子が、別世界の試練を受ける。
箸の正しい使い方、座り方、歩き方ななどなど・・・
屋形のお母さんの密着指導による、立ち振る舞いの厳しいしつけがはじまる。
舞と芸の稽古は、きわめて厳しいことで有名だ。
花街言葉の修業に加えて、先輩のお姉さんやお茶屋の女将さんにたいする
礼儀や心配りなど、いままであまり教わってこなかったことを、
日々の生活から学んでいく。
祇園でつかわれる花街言葉は、京都独特の文化だ。
優しく甘く、やわらかな口調は、相手をゆったりとした癒しの世界へ引き入れる。
日常と異なる、別世界へいざなう絶大な効果を秘めている。
基本となる部分は、昔から京都の町で使われてきた京言葉だ。
京都出身者なら、あまり苦労なく身に着けることができるが、地方出身者の
場合は大変だ。
帰国子女ともなれば、さらに大変な苦労を重ねることになる。
「そういえばサラは、日常的にキスとハグが当たり前という
文化の中で育った子や。
ハグの習慣が抜けないうちに、サラのために、屋形へ差し入れを持っていこうかな。
170センチの女の子の抱擁か。さぞかし、強烈だろうなぁ・・・
むっふっふ」
「んんもう。お父さんまで、なんて不謹慎な事を言い出すの!。」
目じりを下げて笑っているバー「S」のオーナーに向かって、
大きな声で佳つ乃(かつの)が、抗議の声をあげる。
第58話につづく
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