「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。
おちょぼ 第52話 サラと、コンタクトレンズ
「ずいぶん粋な仕事をするんどすなぁ。路上の似顔絵師さんは」
いきなり背後から、声が飛んできた。
似顔絵師が振り返ると、日傘をさした佳つ乃(かつの)がそこに立って居た。
「なんだ。ずっと居たのか、そこに。
人が悪いなぁ、君も。ビックリさせるなよ。居るなら居ると言ってくれ」
「びっくりしたのは、ウチのほうどす。
高校生相手に似顔絵を描くというから、どんな作品になるんか楽しみに見とったら、
ピカソどころか、まるで小学生が書く落書きではおまへんの。
ずいぶん洒落た技を使いますねぇ。
絵は下手やけど、説得力満天の、恋のキューピットやね」
「似顔絵師の仕事は、人を見てその都度、臨機応変に絵を変える。
あの2人に必要なのは、心からの笑顔だ。
それを手助けするために、ピカソ風の絵を描いただけの話さ」
「なるほど。そのほうが人助けになるもんね。
で、どうするの。そろそろ店じまいの時間になると思うけど、
残業をしてみる?」
「君の顔を書くと言うなら、ごめんだよ」
「冷たいわな。じゃ、そのあたりでおぶ(お茶)と言うのはどうかしら」
「そちらの意見には大賛成だ。
急いで店終いをするから、少し待ってくれ」
荷物と言ってもロクにない。
携帯用の小さな椅子と画板。足元に置いてあるクーラーボックスを
担ぎ上げればそれで撤退準備が完了する。
団栗橋を東へ渡ると、京阪本線へつづく広い交差点に出る。
そのままさらに東へ進むと、南北を貫く通りの一つで北は三条通りから
南は安井北門通りまで続く、花見小路通りにぶつかる。
先に歩く佳つ乃(かつの)が交差点で、見覚えのある背中を見つけた。
ジーンズにピンクのTシャツ。
栗色の髪をサラリとなびかせている長身は、おちょぼのサラだ。
大きな荷物を手にしている様子から見ると、お使いの途中の様だ。
「サラ~」と呼んで手を振ってみるが、サラは前方を見つめたまま、
何故か振り返ろうともしない。
「これ、サラちゃん。あんた何ぼーっとしてんのえ。
さっきからウチが手ぇ振ってんのに」
「あ、佳つ乃(かつの)姉さん、えらいすんまへん。気が付きませんどした。
うち今日、コンタクトつけるのん忘れて来たんどす。
せやさかい、3メートル先で、誰が誰やらまったく分らしまへんねん」
「大丈夫かいな、そんなんで、屋形まで無事に帰れんのんか?」
「大体の景色で分りますから、たぶん大丈夫どす。
けど信号機が見えへんさかいに、周りの人が歩きだしたら付いて行きますねん」
「そら危ないがな。車にでもはねられたらどないしますのん。
丁度ウチらも、同じ方向に行くさかい、連れてったげるわ。
ちゃんと横に付いといないや」
「おおきにお姉さん。お世話かけますぅ」
仕込み修行に入って数週間だというのに、サラはたくさんの言葉を覚えた。
聞いた言葉を英語で書き、ローマ字に変換してから、さらに祇園の言葉に変える。
はじめた頃の片言から比べると、物人のような進化を遂げている。
交差点を歩きはじめたサラの背中を、ドンと佳つ乃(かつの)が平手で叩く。
「これ、サラちゃん。背中を曲げたらあきまへん。
身長が高いことを気にすることはあらへん。
そない猫背で歩いたら、周りからの印象が悪くなってすぎますえ。
もっと胸を張って、堂々と歩いたらよろしいねん」
「そんなこと言うても、お姉さんを見下ろすようで気がひけますなぁ」
「そんなことは気にせんといて。
今度から、ウチが高い下駄を履くから気にせんと、
あんたは胸を張って歩くんや。
ウチが今度入った大型新人やて、誰にも分かるように歩いておくれ。
うふ。並んで歩くと、ホントにあんたは、バレーボールの
大型新人みたいやなぁ」
「お姉さん。それ、気にしとんのですから、それ以上は
言わんといておくれやす」
「ええやんか。お姉はんを見下ろす大型新人なんて、祇園甲部で初めてや。
ウチも明日から、ヒールが10センチも有る高い靴を履こうかな。
あんたに負けへんように。うっふっふ」
第53話につづく
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