落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (79)警戒区域に乗り入れる

2014-09-11 10:44:51 | 現代小説
東京電力集金人 (79)警戒区域に乗り入れる


 


 「あんたもたぶん同じような経験しているから、良く分かるだろう。
 家族と、無事に会えただけでも最高だ。
 体育館には柔道用の畳が敷いてあり、温かだったさ。コンビニのおにぎりが用意されていた。
 梅とおかかと、もう1個はなんだったかな? 
 ともかく最初の1個はどこを通ったかわからなかったが、とにかくうまかった。
 うまかったというのだけは、いまでもよく覚えている。
 ずっと浪江でそばとうどんの店をやってきて、お客さんに食べてもらう立場だったからね。
 それがおにぎりをもらう側になって、食べ物がこんなにおいしいものだと
 初めて知ったような気分だった。

 考えてみると、地震と津波がきたときは、前の店で従業員の昼ご飯の準備をしていた。
 だから、よく考えると、11日の昼は何も食べていない。
 ということは14日の昼まで丸3日も、何も食べていなかったことになる。
 家族からは、『やせたね』と言われたさ。あっはっは。
 水ですか? さあ、飲んだかな。コンビニでペットボトルの水を買ったような気もするが。
 いや、やっぱりよくは覚えていないなぁ。
 異様な雰囲気の中で、あっというまに、家族はばらばら。
 そんな状況に置かれると人間は、空腹なんか感じないものかもしれない。
 再び店をやれるとは思っていなかったが、広野に住む釣り仲間が力を貸してくれて、
 昨年7月1日に、ここで開店することができたんだ。
 毎日、それなりにお客さんたちが来てくれている。恵まれすぎだと思います。
 以前から『お客さんにはお腹いっぱいになってほしい』と思って仕事をしてきたからね。
 震災後、自分の体験もあって、ますますその思いが強くなったさぁ。
 前の店では焼そばは、並が700円だったが、いまは550円で提供している。
 大盛りは、850円を700円にした。
 浪江の町が今後どうなるかは、原発の結果次第です。
 先のことを悩んでも結論は出ない。
 お金のことはいいんだよ。毎日、こうして仕事さえできていれば、
 いまはそれだけでいいんです」



 店主の愛想のいい笑顔の送られて、俺たちは広野の駅を後にした。
まったく住人の気配を感じない住宅街をふたたび抜けて、幹線道路の国道6号へ戻る。
国道6号は、東京都中央区から宮城県仙台市まで行く、一般の国道だ。
同じ区間を内陸部の谷伝いを通過していく国道4号とは異なり、関東平野を縦断したあと、
水戸から太平洋沿いの海岸線を、6号線は海に沿ってひたすら北進していく。


 原発の事故にともない立入禁止の「警戒区域」が設定されたため、2012年6月以降から、
周辺の自治体において許可をされた車両以外、通行が出来ない一帯が有る。
事故直後の検問は、「Jビレッジ」が有る広野町と楢葉町の境界付近に設定された。
その後、国が避難計画を見直したことにより、検問所はさらに6号線に沿って北上をした。



 もう、これが要るわねぇとるみが、ダッシュボードから空間線量計を取り出した。
人が浴びる放射線量を測定するものが、個人線量計だ。
特定の場所の放射線量を測り、空間の線量率を表示するものが、空間線量計だ。
「空間線量」は場所によって異なるため、場所ごとの放射線量を測る場合に用いられる。
スイッチを入れた瞬間、「あら」とるみが表情を曇らせる。
空間線量計が平時の4~5倍に匹敵する、毎時0.45マイクロシーベルトを記録しているからだ。



 「嘘!。壊れているんじゃないの、これっ」


 
 るみが慌てて、デジタル表示の画面を、大きな瞳で覗き込む。
しかし、機械の誤表示ではないようだ。
チェルノブイリで設定された避難勧奨区域は、0.232マイクロシーベルト。
米軍が危険地帯として捉え、兵士を派遣しない目安が、0.32マイクロシーベルト。
人が住む区域で、空間線量が毎時0.23マイクロシーベル以上と測定された場合と、
放射性物質が蓄積しやすい側溝や雨樋などで、地表から1m高さの空間線量が
1マイクロシーベルトよりも高いと測定された場合、すぐの除染が必要とされている。


 るみが手にした空間線量計は、それよりもはるかに高い数値を表わしている。
国道のわきに、国が設置をしたアルタイムの測定システムにも同じように、やはり、
0.45マイクロシーベルトの数字が表示されている。
急に空間線量が高くなるのは、いったいどうしてなのだろうか・・・
空気中に滞在している放射性物質が、雨や雪によって、急に地上へ降下してくる場合が有る。
または風の流れの変化により、舞い上がった物質がそれまでとは全く別の場所へ、
あらためて蓄積を見せる場合などが有る。



 これらか侵入しょうしている立入禁止の警戒区域には、実は広大な面積の、除染待ちの
空間が手つかずのまま残っている。
汚染地帯から舞い上がった大量の放射性物質が、すでに除染が終った地帯に、
あらためて舞い降りるという可能性は常にある。
それが警戒地帯に乗り込むということのリスクだろう、と、あらためて線量計の
凄い数字を、横目でにらんだ。
どうやらこの先は、片時も空間線量計を手放せないという展開が当分の間、
続きそうな気配がしてきた。


 ピークを記録した地点から2キロほど離れたところで、空間線量計がしめす数値が、
徐々にだが、降下をしてきた。
るみが安心して短い溜息を見せた頃、20キロ圏内の最も南の外れにある
楢葉町が、俺の車の前方に近づいてきた。
現在の楢葉町は、町のほとんどが日中の立ち入りが可能な「避難指示解除準備区域」に
指定されている。



 立ち入りが可能になってきたため、除染やインフラ整備が急ピッチで進んでいる町だ。
国道6号線沿いの「セブン-イレブン楢葉下小塙店」は、福島第一原発に最も近いコンビニだ。
作業服姿の男性や、東電関係者と思われる客たちでおおいに店先がにぎわっている。
広い駐車場には、車がびっしりと停まっている。


(いよいよだ。ここから俺たちは、警戒区域に乗り入れることになる・・・)
ごくりと生唾を呑み込んだ瞬間、思わず、ハンドルを握る手が何故か、じっとりと
汗ばんできた。


(80)へつづく


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東京電力集金人 (78)広野町で食べる、「浪江の焼きそば」

2014-09-10 11:05:58 | 現代小説
東京電力集金人 (78)広野町で食べる、「浪江の焼きそば」




 広野駅に向かう途中で、大きな屋敷が立ち並ぶ通りに出た。
住民は避難しているため、どの家の窓にも同じように重いカーテンがかかっている。
当然のことだが、通りには、まったくと言っていいほど人の気配が無い。 
立派な家が並んでいるのに、人が居ないなんて・・・・そう想いながら角を曲がった瞬間、
目の前にスパーが見えて、裏口から人が出てきた。


 だが、表に回るとスーパーは閉鎖されてままで、固くシャッターが降りている。
住民がいなくなり経営が成り立たなくなったスーパーマーケットを、ゼネコンが借りあげ、
現場事務所として活用しているようだ。


 広野町の中にある民宿や旅館、アパートなどはすべて、全国から集まってきた
作業員たちの宿舎として、借り上げられ使われている。
飲食店を探してみたが、どこも同じように固くシャッターを降ろして閉店をしたままだ。
これでは集まってきた人たちが広野の町の中で、食事を採ることができない。


 原発関連だけでも、何千人もの人々が、働きながら寝泊まりをしているはずだ。
除染作業を迅速化させるため新たに投入された人員は、すくなく見積もっても3000人を超えている。
そんな彼らはいったい何処で、どんな風な食べ物を口にしているのだろうか・・・
そんな俺の疑問を、たまたま見つけたコンビニが答えを教えてくれた。



 コンビニに居るのは、全員が、白い作業服に身を固めてた男たちだ。
買っているのは、弁当とペットボトルに入った飲み物。レジには小さな行列ができている。
弁当のコーナーには、各種の弁当やおにぎりが詰まったケースが、2列になって
ぎっしりと積み上げられている。
「広野町のいまの食の主役は、みんなが同じ、コンビニの弁当なのね。」
ぽつりとつぶやいたるみのひとことが、俺の耳にこだまのようにいつまでも響き渡った・・・



 「有った。よかった、開いてるよ!」



 るみの明るいひとことに、俺の重い気分が救われた。
広野の駅に着き、駅前の建物の2階に、暖簾を出した食堂があるのを見つけた瞬間だ。
風になびいている暖簾の下には、「営業中」の小さな看板も揺れている。
いびつに歪んでしまった空間の中に、ぽっかりと、いつもと変わらぬ人々の営みが
生き残っていたような気がして、思わず気持ちがほっとした。
暖簾の横で、ハタハタとなびいているのぼりの様子を見て、るみが思わず歓声を上げた。
「浪江焼きそば」と黒々とした文字で、はっきり書かれてあるからだ。


 浪江の焼きそばの特徴は、もっちりとした太麺だ。
「こんなところで、懐かしい焼きそばに出会えるなんて」とるみが、目を潤ませている。
「そうか。あんたも浪江の出身かい。苦労したねぇ、お互いに」と、50過ぎと思われる店主が
手をエプロンで拭きながら、厨房から出てきた。


 「3月12日。震災翌日の朝のことだった。
 とにかく避難しろと言われて、取るものも取りあえず、車で指定された場所に向かったさ。
 家族は先に避難させておいたから、残っていたのは私ひとりだ。
 普段なら40分で行ける場所なのに、その時は渋滞がひどくて5時間以上もかかった。
 国道6号沿いの店を出て、すぐに自衛隊員と警察官の姿を見たが、
 全員が完全な防護服姿をしていた。
 『もしかして、原発が爆発したのか?』と直感的に感じたほどだ。
 その当時、事故のことはまったく、浪江の町民には知らされていなかったからね」


 隣のテーブルの椅子を引き寄せると、店主がどかりと勢いよく腰を下ろした。
どうやら、話が長くなりそうだ。だが、店主の話の先に興味が湧く。
「それでどうなったのですか?」と尋ねると、店主の話が堰を切ったように
前に進み始めた。



 「最初は2、3日も避難すれば、簡単に自宅へ戻れると思っていた。
 だから気がついたら、いつも厨房で着ている白衣のままだった。
 最初の避難所から、此処も危険だということで、南相馬市の馬事公苑まで逃げることになった。
 車のテレビを見ていた人が『原発が水素爆発をおこした。ここも危ない』と言うので、
 今度は方向転換をして、川俣町に向かった。
 高校の体育館が避難所になっていたが、中は満員で入ることが出来ない。
 校庭に車を止めて、そこで過ごすしか手がなかった。
 同じような車が、見渡す限り、校庭を一面に埋めていたからね。
 14日の昼になってから、俺の家族が、会津若松に避難していることがわかった。
 ガソリンが途中でなくなったら車を捨てる覚悟で、若松に走った。
 幸いガソリンも何とか足りて、家族の居る総合体育館に、無事に着くことができたさ」


 「よかったですねぇ、家族と無事に再会ができて。なによりです」


 店主に応えるるみの声にも、どこか心地よい響きが含まれている。
慣れ親しんだ浪江の焼きそばと、懐かしい生まれた土地のイントネーションを、
たっぷりと懐かしく耳にしたからだと思う。
「帰ってきた!」と叫んでいるるみの心の声を、どこかで
聞いたような気がした・・・・


(79)へつづく


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東京電力集金人 (77)広野から北へ 

2014-09-09 10:12:33 | 現代小説
東京電力集金人 (77)広野から北へ 



 
 現在の常磐道の終点は、常磐富岡ICだ。
この先は警戒区域内にあたるため、工事の完成は数年先に据え置かれている。
俺たちは、ひとつ手前の童謡の町・広野のICで一般道へ降りた。


 警戒区域の最南端の町・広野町へは電車でも行くことができる。
茨城県の「いわき駅」から常磐線を北上し、仙台まで行くことができたが、
現在は「広野駅」が終点になっている。
そこから北へ進むことは出来ない。
20キロ圏の警戒区域内にあたるため、線路は続いているが運転はここで中断をされている。
国道6号線も同様に、許可がないと「広野」から北へは行くことができない。


 広野町は、福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外側に位置している。
町内には東京電力の広野火力発電所、1~5号機がある。
3月11日に発生した福島第一原発の事故で、全域が緊急時避難準備区域に指定をされた。
すべての町民が避難を余儀なくされたという、苦い経緯を持っている。


 原発が広野の町内に存在していないのにもかかわらず、2011年3月11日以降は、
事故収束のための最前線の町に様相を変えた。
最北部に位置しているサッカー施設「Jヴィレッジ」が、東京電力や自衛隊の
前線基地になり、全国各地から廃炉や除染のための作業員たちが、ここ広野町に
ぞくぞくと集まってきた。



 住民票を持たないまま、町で暮らしている作業員たちは、およそ2600人。
住民票を持つ5200人の町民のうち、町に戻ったのは、1350人(2014年2月25日現在)。
広野町で暮らす作業員たちの数は、町民の2倍近くまで増えている。


 全町民の強制避難が実施された広野町だが、2012年3月31日、
国の一方的な判断により、避難指示が解除された。
双葉郡の9町村のトップを切って、町役場が、1年ぶりに広野の町へ帰ってきた。
行政は帰って来たものの、町民の帰還の足はすこぶる鈍い。
町へ戻って来た町民の数は、全盛時のわずか4分の1に過ぎない。
全町民帰還の夢は、いまだに不透明のままだ・・・


 「住民が住む仮設には見えないな。あの、ごついプレハブの建物群は・・・」


 「住民のものじゃないわ。復興関連の人たちが泊まるための、プレハブの宿舎よ」



 広野町を拠点に、業務を行っている復興関連企業の数は80社。
内訳は、東京電力の原発・火力発電所の関連が30社。除染関連の業者が18社。
警備やリース、道路工事などにあたる関連企業が全部で32社。
これらの企業に務める2600人のうち、900人は町内の民宿やホテルを利用している。
残りの1700人が、企業が用意したプレハブ宿舎や、住民から借り上げた一般の住宅で
寝泊まりをしている。



 「おびただしい数のプレハブが、復興の実情を良く表しているわ。
 見たでしょう。広野町のあちこちに、にょきにょきと立ち並んでいるプレハブの建物を。
 ここはかつては、童謡の町と呼ばれた温暖な町なのよ。
 でもいまは、復興と、原発終息のための最前線の町に表情を変えているわ。
 でもね、これが事実なのよ、東北の。
 と言っても、まだ此処は、そのほんの入り口に過ぎないけどね」


 流れていく町の景色を見つめているるみが、静かに、そんな言葉を吐き捨てる。
浪江町で生まれたるみや、ボランティアのために東北3県へ足を運んでくる先輩たちから
すれば、こうした光景はおそらく日常的に見慣れてきた光景なのだろう。
だが俺の眼から見れば、これはどうにも非日常的な、異様な光景としか見えない。


 国道6号線をさらに原発に向かって走っていくと、何故か道路が混み始めてきた。
東京方面に向かう上りの車線はがらがらなのに、北へ向かう下り車線だけが異様に混んでいる。
「原発の作業に向かう車です」と助手席からるみが、素っ気なく答える。
「停めて」とるみに言われ、あわてて車を停めたのは、広野の町役場の建物の前だった。


 
 役場は全町民非難のために、一時的にいわき市に移転していたが、
2012年の3月に、避難した自治体のトップを切って、ふたたび此処の地へ戻ってきた。
移転を余儀なくされた9つの町村の中で、最も早い行政の帰還だ。
だがこの時点で広野町に住んでいた住民の数は、わずかに、たったの250人。
先頭を切り、役場は元の場所に戻ってきたが、夜になると役場に勤めている職員たちも、
町外にあるそれぞれの宿舎や、仮設住宅のあるいわき市へ戻っていく。
行政のよるただのパフォーマンスかもしれないな・・・・そんな想いをかみしめながら
俺たちの車は、町役場を後にする。


 前方に、「二ツ沼総合公園」の大きな看板が見えてきた。
パークゴルフ場や体育館などを備えている、広大な敷地を誇る地元の公園だ。
だが、門は固く閉じられている。
園内の空地には、プレハブの建物が何棟も並んでいる。
原発関連作業を請け負っているゼネコンの事務所と、兼用で使われている宿舎の群れだ。
研修室を備えた温室にも、ゼネコンの大きな看板がかかっている。
マスクをした作業員たちが、頻繁に事務所から出入りしている。


 公園の駐車場は、どこもかしこも満杯だ。
除染用と思われる給水車や、ほうきを積んだワゴン車なども見える。
その前を、白い防護服を着た作業員の一団が、のそのそと歩いて行く・・・
「廃炉を進めるための、最前線の町よ。ここは」と言い捨てたるみのひとことを、
瞬間的に、身体で理解をした一瞬だった。



(78)へつづく


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東京電力集金人 (76)東北へ

2014-09-08 05:01:35 | 現代小説
東京電力集金人 (76)東北へ



 5月連休初日の、4月29日の午前8時きっかり。
俺たちは先輩から借りたクラウンにさっそうと乗り込んで、群馬県を後にした。
一番近いインターから北関東自動車道に乗り込むと、すぐに群馬と栃木の県境がやってくる。
北関東を縦走していくこの高速道路は1時間足らずで、東北自動車道との合流点に着く。


 「合流点から東北道を北上していけば、君が生まれた福島までは一本道だ。
 楽勝だね。もう、先が見えたようなものだ」

 「芸がないわね。東北道をひたすらまっすぐ行くなんて」


 助手席でるみが不満そうに、ふんと鼻を鳴らして顔を反らす。
ついでに可愛い唇まで尖らせている。北関東道を走り始めて、間もなくのことだ。
北関東自動車道は、震災の年に開通をした高速道路だ。
北関東から東北方面へ北上していくためのルートは、いくつか有る。
簡単でもっとも分かりやすい道が、前述の東北自動車道を北上していくルートだ。
ただし全線が内陸部を通過していくため、被災地の様子は分かりにくい。
そのことが、るみにはどうやら不満らしい。


 走行中にナビの再検索をするわけにもいかず、早々に出流原パーキングエリアに飛び込んだ。
走り始めてまだ、15分足らずでの出来事だ。
出流原(いずるはら)は、佐野市にあるパーキングエリアで、大型と普通車が30台も止まれば
いっぱいになりそうな、自動販売機とトイレしかない小さなサービスエリアだ。



 高速道路を使わずに、一般国道を北上していくという手も有る。
内陸部を東北道と並走しながら北上していく国道4号線は、東京から青森までをむすんでいる
全長が700キロ余りにもおよぶ最長の国道だ。
もうひとつ、海沿いを仙台まで行く国道6号線が存在している。
6号線は常磐高速道と並走をしているが、福島県内に走行不能の場所が一部ある。
「3・11は、太平洋の海岸線にそって大きな被害を残しているの。
どうせ選ぶのなら、海沿いのルートにして。
多少は遠回りになっても、あなたに見てもらいたいのは、そっちの道だから」
とるみが、助手席から俺の顔を見上げる。

 
 再検索の末、ナビが選んだのは、北関東自動車道を茨城県の水戸まで走り、
国道6号線と並走しながら、海沿いを北上していく常磐道を走るというルートだ。



 常磐道の現在の終点にあたる常磐富岡まで、3時間21分と言う予測結果が出た。
さらに国道6号に乗り換え、双葉町を経由してるみの生まれた浪江町まで、
1時間15分ほどかかると言う検索予測が出た。
高速道路と国道を乗り継ぎ、ノンストップで走ればおよそ4時間半のドライブになる。


 だが、ひとつだけ、非常に厄介な問題が残っている。
福島第一原発の20キロ圏内には、いまだに立ち入り禁止の区域が残っている。
海岸線を行く6号線は、この危険区域の真っただ中を、南北に縦走していく。
しかも、事故を起こした福島第一原発の原子炉から、数キロの距離まで最接近をする。
「おいおい大丈夫、本当に・・・」と、不安な目でナビを見つめている俺を、
るみがふふんとまた、冷たく鼻で笑う。

 「なにおじけづいてんの。もう、臆病風に吹かれているわけ?。
 確かにエフワン(福島第一原発)の近くは、いまだに高濃度に汚染されたままだから、
 立ち入り禁止の区間が多いけど、迂回をすれば、私が生まれた浪江の町へ戻れるわ。
 それとも厄介な女を乗せて、訳アリの道を走るのは嫌いなのかしら」


 「いや、おじけづいたわけじゃないが、ずいぶんややこしくて走りにくそうだ」



 「東北は今、復興途上だもの。走りにくいのは当たり前の話じゃないの。
 だいいち、こんなものまで用意をしてくれた先輩に、申し訳がないじゃないの。
 ほら、見てよこれ」



 るみがダッシュボードから、2枚の証明書を取り出した。
1枚目は先輩がボランティア用に所有している6か月間有効の、「浪江町通行証」だ。
2枚目の種類には、「浪江町臨時通行証」と印刷されている。
こちらには必要最小限に限るという規制があり、原則は当日のみで最長でも一週間と
使用の期間が限られている。
良く見ると、驚いたことに、るみと俺の名前が書類の中に記入されている。
先輩が浪江町の立ち入りコールセンターへ連絡をとり、
おれたちのために取り寄せたものだろう。
地区内に住所を持つるみが同乗しているため、短かい時間での取得が可能になったと思われる。


 だが添付されている立ち入りのためのルート図を見て、俺は、愕然とした。
許可されているのは、たった4方向ルートからの立入りのみだ。
時間帯も、午前7時から午後7時までに限ると、明確に書かれている。



 (復興途上どころか、まるで、戒厳令の町の中に突入していくような気分がしてきた。
 本当に大丈夫なんだろうか、福島にこのまま乗り込んでも・・・・)


 許可証を手に、思わず俺は生唾をごくりと呑み込んだ。
早くもこの先の未知の不安に、とりつかれはじめている意気地なしの俺が、そこにいた・・・・


(77)へつづく


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東京電力集金人 (75)漆を採る兄弟 

2014-09-07 09:49:01 | 現代小説
東京電力集金人 (75)漆を採る兄弟 



 
 このあたりには森で漆を取るのを生業とする、仲の良い兄弟が住んでいた。
山で漆の木を探し、傷をつけて出てくる汁を採取する。
だが森にある漆の木には限りがあり、取れる漆の量は年ごとに少なくなっていく。


 ある日、兄が来たことのない霧の谷間に出ると、見たことのない淵が目の前に現れた。
兄が採取用に使うナタを、不用意に落としてしまう。
それを取りに淵に潜ると上漆(じょううるし)が大量に集まった、溜まりを見つける。


 その日を境に兄は、森の中を歩くのをやめてしまう。
人が変わったように昼間から酒を飲み出し、ぶらぶらとした暮らしを始めてしまう。
弟が上漆の在り処を聞こうとするが、兄は決して教えようとしない。
ある日、弟はそっと兄の後をつけ、ついに、淵の上漆の在り処をつきとめてしまう。



 「自然が勝手に集めたもので、誰が採ろうと文句はないはずだ」と弟も淵の上漆を
採るようになり、やはり兄と同じく森に入ることを忘れ、ぶらぶらと暮らしはじめる。


 兄は、弟に漆の在り処を知られたことが悔しくてたまらない。
「あれは自分が見つけた漆だ。例え弟でもやりたくない。ただ採るなとは言えない・・・」
考えに考えたすえ、兄は、木から龍の像を、それは必死になって彫り出した。
それを漆のある淵の底へ沈めて、弟が近づけないように細工しょうとした。



 その夜、弟が淵に漆を採りに潜ると、沈めてあった龍の像におおいに驚く。
「兄さんに早く知らせないと・・・」と、命からがら、淵から逃げ出す。
それを遠くからみていた兄は「これで独り占めできる」と笑いながら淵へ潜っていく。
ところが、木彫りの龍は何倍もの大きさの本物の龍になっていて、兄に襲い掛かってきた。
兄も命からがら必死の思いで、淵の底から逃げ帰った。
淵に沈む漆はその後、誰も採る事ができなかったという言い伝えが、この淵に残っている。


 上流にダムの堰堤が出来たため、淵の水量はかつての数分の一と言われている。
それでも蒼蒼とよどむ水には、龍神が棲んでも可笑しくないだけのたたずまいが、いまも有る。
ホタルの里は、龍神の淵から少し離れた場所の湿地帯だ。
浅い水深と、うっそうと岩を覆う水苔と、上流から流れてきた程よく濡れた土の塊が、
ホタルにとって、好都合な環境を生み出す。



 龍神の伝説を聞き終えたるみが、月明かりが届かない漆黒の闇に眼をこらす。
月が消えたわけではないが、うっそうと茂るミズナラの巨木が、月の光をさえぎってしまう。
街灯はおろか、周囲に、人工的に作られた明かりはひとつもない。
ここだけがまったく別の、自然のままといえる暗闇の中だ。
何も見えない空間の中で、中腰の態勢になったるみがホタルを探して必死で目をこらす。


 「落ちるぞ、お前」背後から声をかけると、それほど私が心配なら支えてよと、
るみが細い指を、暗闇の中から俺に向かって差し出してくる。
このあたりの川むらに杉原医師は、毎年、成虫のホタルを放すという。
運が良ければ発光すると言っていたが、4月か半ばの夜の気温は15~6℃ときわめて低い。



 ホタルが活動するのは、気温が高く、月明かりのない曇った日に限定されている。
風のない夜が、もっとも適していると言われている。
日没後、2時間ほどたつと、ホタルが活動しはじめる。
水温は18℃。気温が20℃を超えると、ホタルは活発に飛び始める。


 だが今夜の気温はせいぜい15~6℃と、ホタルが飛ぶには寒すぎる。
真っ暗闇の水辺で観察を続えること、10数分。
中腰のるみを支えるのに俺の腕が疲れた頃、ついに奇跡の瞬間がやってきた。



 水辺に茂る、細い草の葉の陰に、小さな光が点った。
「ホタル・・・」大きな声をあげそうになったるみの口元を、慌てて指でふさぐ。
ホタルは真っ暗闇の空間と、静寂をこよなく愛する、きわめて繊細な昆虫だ。
人の発する大きな声は、ホタルの警戒心を強く呼び起こす。
息をひそめて見つめているるみの目の前で、ホタルが低く、水面上を飛び始めた。


 寒い日のホタルは、水面の近くをゆっくりと低く飛ぶ。
上空に群れて、鮮やかな光の航跡を描きあげるのは、もっと夜の気温が高くなってからだ。



 「光りながら飛翔するのは、オスだけだ。
 メスは光るが、葉の上に居てほとんど空は飛ばない。
 オスは点滅を繰り返しながら、葉の上に居るメスに向かって光で求愛の行動をする。
 オスが一回に飛翔できるのは、20分前後。
 この限られた短い時間の間に、メスと出会うというのは、至難の業だ。
 だから8時前後に一度光ったあと、深夜1時前後にもう一度
 メスを探してオスは、必死に空を飛ぶ」



 「へぇぇ・・・ホタルの発光って、生殖のための求愛行動なんだ。初めて知ったわ。
 今年初めて飛んだホタル君に、うまく相愛の相手が見つかるといいわねぇ。
 あら・・・・」


 るみが、水辺の草の上に小さく点る、もうひとつの光を見つけ出した。
「どうやら、奇跡が起こりそうだぜ」るみの背中へ汗ばんだ手を置くと、「そうね」と
嬉しそうなるみの瞳が下から、俺の顔を、優しく見上げてきた。


(76)へつづく


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