東京電力集金人 (79)警戒区域に乗り入れる
「あんたもたぶん同じような経験しているから、良く分かるだろう。
家族と、無事に会えただけでも最高だ。
体育館には柔道用の畳が敷いてあり、温かだったさ。コンビニのおにぎりが用意されていた。
梅とおかかと、もう1個はなんだったかな?
ともかく最初の1個はどこを通ったかわからなかったが、とにかくうまかった。
うまかったというのだけは、いまでもよく覚えている。
ずっと浪江でそばとうどんの店をやってきて、お客さんに食べてもらう立場だったからね。
それがおにぎりをもらう側になって、食べ物がこんなにおいしいものだと
初めて知ったような気分だった。
考えてみると、地震と津波がきたときは、前の店で従業員の昼ご飯の準備をしていた。
だから、よく考えると、11日の昼は何も食べていない。
ということは14日の昼まで丸3日も、何も食べていなかったことになる。
家族からは、『やせたね』と言われたさ。あっはっは。
水ですか? さあ、飲んだかな。コンビニでペットボトルの水を買ったような気もするが。
いや、やっぱりよくは覚えていないなぁ。
異様な雰囲気の中で、あっというまに、家族はばらばら。
そんな状況に置かれると人間は、空腹なんか感じないものかもしれない。
再び店をやれるとは思っていなかったが、広野に住む釣り仲間が力を貸してくれて、
昨年7月1日に、ここで開店することができたんだ。
毎日、それなりにお客さんたちが来てくれている。恵まれすぎだと思います。
以前から『お客さんにはお腹いっぱいになってほしい』と思って仕事をしてきたからね。
震災後、自分の体験もあって、ますますその思いが強くなったさぁ。
前の店では焼そばは、並が700円だったが、いまは550円で提供している。
大盛りは、850円を700円にした。
浪江の町が今後どうなるかは、原発の結果次第です。
先のことを悩んでも結論は出ない。
お金のことはいいんだよ。毎日、こうして仕事さえできていれば、
いまはそれだけでいいんです」
店主の愛想のいい笑顔の送られて、俺たちは広野の駅を後にした。
まったく住人の気配を感じない住宅街をふたたび抜けて、幹線道路の国道6号へ戻る。
国道6号は、東京都中央区から宮城県仙台市まで行く、一般の国道だ。
同じ区間を内陸部の谷伝いを通過していく国道4号とは異なり、関東平野を縦断したあと、
水戸から太平洋沿いの海岸線を、6号線は海に沿ってひたすら北進していく。
原発の事故にともない立入禁止の「警戒区域」が設定されたため、2012年6月以降から、
周辺の自治体において許可をされた車両以外、通行が出来ない一帯が有る。
事故直後の検問は、「Jビレッジ」が有る広野町と楢葉町の境界付近に設定された。
その後、国が避難計画を見直したことにより、検問所はさらに6号線に沿って北上をした。
もう、これが要るわねぇとるみが、ダッシュボードから空間線量計を取り出した。
人が浴びる放射線量を測定するものが、個人線量計だ。
特定の場所の放射線量を測り、空間の線量率を表示するものが、空間線量計だ。
「空間線量」は場所によって異なるため、場所ごとの放射線量を測る場合に用いられる。
スイッチを入れた瞬間、「あら」とるみが表情を曇らせる。
空間線量計が平時の4~5倍に匹敵する、毎時0.45マイクロシーベルトを記録しているからだ。
「嘘!。壊れているんじゃないの、これっ」
るみが慌てて、デジタル表示の画面を、大きな瞳で覗き込む。
しかし、機械の誤表示ではないようだ。
チェルノブイリで設定された避難勧奨区域は、0.232マイクロシーベルト。
米軍が危険地帯として捉え、兵士を派遣しない目安が、0.32マイクロシーベルト。
人が住む区域で、空間線量が毎時0.23マイクロシーベル以上と測定された場合と、
放射性物質が蓄積しやすい側溝や雨樋などで、地表から1m高さの空間線量が
1マイクロシーベルトよりも高いと測定された場合、すぐの除染が必要とされている。
るみが手にした空間線量計は、それよりもはるかに高い数値を表わしている。
国道のわきに、国が設置をしたアルタイムの測定システムにも同じように、やはり、
0.45マイクロシーベルトの数字が表示されている。
急に空間線量が高くなるのは、いったいどうしてなのだろうか・・・
空気中に滞在している放射性物質が、雨や雪によって、急に地上へ降下してくる場合が有る。
または風の流れの変化により、舞い上がった物質がそれまでとは全く別の場所へ、
あらためて蓄積を見せる場合などが有る。
これらか侵入しょうしている立入禁止の警戒区域には、実は広大な面積の、除染待ちの
空間が手つかずのまま残っている。
汚染地帯から舞い上がった大量の放射性物質が、すでに除染が終った地帯に、
あらためて舞い降りるという可能性は常にある。
それが警戒地帯に乗り込むということのリスクだろう、と、あらためて線量計の
凄い数字を、横目でにらんだ。
どうやらこの先は、片時も空間線量計を手放せないという展開が当分の間、
続きそうな気配がしてきた。
ピークを記録した地点から2キロほど離れたところで、空間線量計がしめす数値が、
徐々にだが、降下をしてきた。
るみが安心して短い溜息を見せた頃、20キロ圏内の最も南の外れにある
楢葉町が、俺の車の前方に近づいてきた。
現在の楢葉町は、町のほとんどが日中の立ち入りが可能な「避難指示解除準備区域」に
指定されている。
立ち入りが可能になってきたため、除染やインフラ整備が急ピッチで進んでいる町だ。
国道6号線沿いの「セブン-イレブン楢葉下小塙店」は、福島第一原発に最も近いコンビニだ。
作業服姿の男性や、東電関係者と思われる客たちでおおいに店先がにぎわっている。
広い駐車場には、車がびっしりと停まっている。
(いよいよだ。ここから俺たちは、警戒区域に乗り入れることになる・・・)
ごくりと生唾を呑み込んだ瞬間、思わず、ハンドルを握る手が何故か、じっとりと
汗ばんできた。
(80)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
「あんたもたぶん同じような経験しているから、良く分かるだろう。
家族と、無事に会えただけでも最高だ。
体育館には柔道用の畳が敷いてあり、温かだったさ。コンビニのおにぎりが用意されていた。
梅とおかかと、もう1個はなんだったかな?
ともかく最初の1個はどこを通ったかわからなかったが、とにかくうまかった。
うまかったというのだけは、いまでもよく覚えている。
ずっと浪江でそばとうどんの店をやってきて、お客さんに食べてもらう立場だったからね。
それがおにぎりをもらう側になって、食べ物がこんなにおいしいものだと
初めて知ったような気分だった。
考えてみると、地震と津波がきたときは、前の店で従業員の昼ご飯の準備をしていた。
だから、よく考えると、11日の昼は何も食べていない。
ということは14日の昼まで丸3日も、何も食べていなかったことになる。
家族からは、『やせたね』と言われたさ。あっはっは。
水ですか? さあ、飲んだかな。コンビニでペットボトルの水を買ったような気もするが。
いや、やっぱりよくは覚えていないなぁ。
異様な雰囲気の中で、あっというまに、家族はばらばら。
そんな状況に置かれると人間は、空腹なんか感じないものかもしれない。
再び店をやれるとは思っていなかったが、広野に住む釣り仲間が力を貸してくれて、
昨年7月1日に、ここで開店することができたんだ。
毎日、それなりにお客さんたちが来てくれている。恵まれすぎだと思います。
以前から『お客さんにはお腹いっぱいになってほしい』と思って仕事をしてきたからね。
震災後、自分の体験もあって、ますますその思いが強くなったさぁ。
前の店では焼そばは、並が700円だったが、いまは550円で提供している。
大盛りは、850円を700円にした。
浪江の町が今後どうなるかは、原発の結果次第です。
先のことを悩んでも結論は出ない。
お金のことはいいんだよ。毎日、こうして仕事さえできていれば、
いまはそれだけでいいんです」
店主の愛想のいい笑顔の送られて、俺たちは広野の駅を後にした。
まったく住人の気配を感じない住宅街をふたたび抜けて、幹線道路の国道6号へ戻る。
国道6号は、東京都中央区から宮城県仙台市まで行く、一般の国道だ。
同じ区間を内陸部の谷伝いを通過していく国道4号とは異なり、関東平野を縦断したあと、
水戸から太平洋沿いの海岸線を、6号線は海に沿ってひたすら北進していく。
原発の事故にともない立入禁止の「警戒区域」が設定されたため、2012年6月以降から、
周辺の自治体において許可をされた車両以外、通行が出来ない一帯が有る。
事故直後の検問は、「Jビレッジ」が有る広野町と楢葉町の境界付近に設定された。
その後、国が避難計画を見直したことにより、検問所はさらに6号線に沿って北上をした。
もう、これが要るわねぇとるみが、ダッシュボードから空間線量計を取り出した。
人が浴びる放射線量を測定するものが、個人線量計だ。
特定の場所の放射線量を測り、空間の線量率を表示するものが、空間線量計だ。
「空間線量」は場所によって異なるため、場所ごとの放射線量を測る場合に用いられる。
スイッチを入れた瞬間、「あら」とるみが表情を曇らせる。
空間線量計が平時の4~5倍に匹敵する、毎時0.45マイクロシーベルトを記録しているからだ。
「嘘!。壊れているんじゃないの、これっ」
るみが慌てて、デジタル表示の画面を、大きな瞳で覗き込む。
しかし、機械の誤表示ではないようだ。
チェルノブイリで設定された避難勧奨区域は、0.232マイクロシーベルト。
米軍が危険地帯として捉え、兵士を派遣しない目安が、0.32マイクロシーベルト。
人が住む区域で、空間線量が毎時0.23マイクロシーベル以上と測定された場合と、
放射性物質が蓄積しやすい側溝や雨樋などで、地表から1m高さの空間線量が
1マイクロシーベルトよりも高いと測定された場合、すぐの除染が必要とされている。
るみが手にした空間線量計は、それよりもはるかに高い数値を表わしている。
国道のわきに、国が設置をしたアルタイムの測定システムにも同じように、やはり、
0.45マイクロシーベルトの数字が表示されている。
急に空間線量が高くなるのは、いったいどうしてなのだろうか・・・
空気中に滞在している放射性物質が、雨や雪によって、急に地上へ降下してくる場合が有る。
または風の流れの変化により、舞い上がった物質がそれまでとは全く別の場所へ、
あらためて蓄積を見せる場合などが有る。
これらか侵入しょうしている立入禁止の警戒区域には、実は広大な面積の、除染待ちの
空間が手つかずのまま残っている。
汚染地帯から舞い上がった大量の放射性物質が、すでに除染が終った地帯に、
あらためて舞い降りるという可能性は常にある。
それが警戒地帯に乗り込むということのリスクだろう、と、あらためて線量計の
凄い数字を、横目でにらんだ。
どうやらこの先は、片時も空間線量計を手放せないという展開が当分の間、
続きそうな気配がしてきた。
ピークを記録した地点から2キロほど離れたところで、空間線量計がしめす数値が、
徐々にだが、降下をしてきた。
るみが安心して短い溜息を見せた頃、20キロ圏内の最も南の外れにある
楢葉町が、俺の車の前方に近づいてきた。
現在の楢葉町は、町のほとんどが日中の立ち入りが可能な「避難指示解除準備区域」に
指定されている。
立ち入りが可能になってきたため、除染やインフラ整備が急ピッチで進んでいる町だ。
国道6号線沿いの「セブン-イレブン楢葉下小塙店」は、福島第一原発に最も近いコンビニだ。
作業服姿の男性や、東電関係者と思われる客たちでおおいに店先がにぎわっている。
広い駐車場には、車がびっしりと停まっている。
(いよいよだ。ここから俺たちは、警戒区域に乗り入れることになる・・・)
ごくりと生唾を呑み込んだ瞬間、思わず、ハンドルを握る手が何故か、じっとりと
汗ばんできた。
(80)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ