落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(58) 第二幕・第二章 「恋人たちに幸運を呼ぶ鐘」 

2012-10-21 05:51:25 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(58)
第二幕・第二章 「恋人たちに幸運を呼ぶ鐘」 




 淡水で見つけたホテルは、日本風の別荘のような造りでした。
早速、風呂場を覗きに行くとやはり、嬉しい事に深い浴槽が設置をされていました。
これなら充分にお湯を溜めて、身体を沈めることができそうです。



 「シャワーだけでも充分だと思うけど、
 どうして日本人は、お湯に漬からないと満足をしないのかしら。
 不思議ね」



 小高い丘陵地に建つここからは、淡水の海が一望できました。
大きな窓ガラスに張りついたまま海を見下ろしている貞園はよほど気にいったのか、
いつまでたってもそこから離れようとはしません。
久々にたっぷりのお湯につかりお風呂を満喫して部屋に戻ると
もうすっかりと外は、真っ暗な海に変わっていました。
それでも貞園はまだ、明かりが揺らめく淡水の海を見下ろしています。
ビールを勧めると、警戒しながら軽く一口だけを含みました。



 「いくら誘惑をしても、順平は手を出さないのね。
 せっかく恋人たちの聖地までやってきたというのに、
 さっさと一人でお風呂に入っちゃうし、
 勝手にビールを呑み始めるんだもの。
 ねぇ・・・・
 日本に居る奥さんが、そんなに怖い?
 それともやっぱり、私に魅力が無いせいかしら」



 「そうでもないさ。
 第一に、奥さんに近い存在の人はいるけれど、
 残念ながらまだ独身です。
 第二に、貞園は充分にチャーミングだよ。、
 大人の女性に負けないほどの、お色気と綺麗な身体もちゃんと備えている。
 でもね、愛と性というのは、実は難しい問題だ。
 本来は表裏一体のはずだけど、ゆがんだ部分も沢山あって、
 そいつが、なにかと厄介な問題を生み出すからね」



 「愛は、理性から出発をするけど、
 性は本能から生まれるから、両立をさせるのは厄介よね」



 「旨い事を言う。
 2つの生産と言う哲学の話を知っているかい。
 人間による社会的生産と、生命の再生産と言うはなしだけど」



 「もしかして、エンゲルスの著書? 」



 「さすがだね
 大学で、人間行動学を学んでいるだけのことはある。
 社会的生産と言うのは、人が豊かに暮らしていくために不可欠な
 物質的生産のすべてのことをさしている。
 便利に快適に暮らしていくために、労働は欠かせないという意味だ。
 生命を再生産するというのは、社会を維持するために
 常に子孫を残す必要があるという行為のことだ。
 でもね・・・・
 男女の間では、愛が無くても性があるように、
 それとは逆に、性がなくても愛は存在できるんだよ。
 女性としての魅力を充分に認めたうえで、
 強い自制心で、欲望を抑え込むことができる、
 という時もある」



 「男女の間でも、禁欲ができると言う話なの? 」



 窓から離れた貞園が、まっすぐな瞳でみつめてきました。
昨日のことで用心をしているのか、舐めるようにして呑んでいるビールですが
すでに白い肌の頬には、ほんのりと赤みがさしています。



 「この先を少し歩くと、岬に出て
 その先端には、鳴らすと幸せになれる恋人たちの鐘があるんだって。
 恋人たちの幸運を呼ぶ鐘っていうんだけど、ロマンチックでしょう、
 行こうよ、順平」



 狭い部屋の中で、男女が面と向かって話す話題にしてはちょっと過激すぎたため、
すこし歩くのもいいだろうと考え二人で表に出ました。
昨日今日と低い湿度が続いている亜熱帯の夜の風は、思いのほか肌寒く、
表に出たとたんに貞園が、身震いをして胸の中に飛び込んできました。



 明るい月が、銀色の海面の上にうかんでいました。
点々と連なる街灯と少なめの家の光は、満天の星の輝きを邪魔することもなく、
観光客の去ったリゾート地に静寂をもたらしています。
月の明るさが、眠りにつこうとする時期外れのリゾート海岸の全てを照らしだし
さらに岬に向かう細い路を、白く浮かびあがらせていました。



 「戦争と言う異常な現実が、
 従軍慰安婦や公娼制度を生み出したのかしら。
 男の人の性は、只の本能だもの、
 暴走し始めると際限がないものだから、怖いわね。
 性にまつわる生理的な要素や本能が、理性だけで制御できるのかしら
 難しい問題だと思うけど」



 「貞園はまだ18歳だ、焦る必要は一切ないさ。
 愛と性にまつわる出来事は、古今から山のような事例があるよ。
 人間のもつ本来の清純さからくる、美しい愛と性もあれば、
 獣まがいというか、表には出せないむごいものまであまたある。
 人類がこの世に生き続けている限り、
 男と女が生きている限り、
 その人数分の愛と性の形が、常に生まれるし、
 頭数の分だけ、いろんなドラマが生まれるし造られる。
 生きざまという、深淵だ。
 とても解明できるものじゃない」


 
 「なんだか、うまくはぐらかされちゃった。
 順平にかかると、燃えかかった火まで、うまく消されてしまいそう。
 つまんない! 」



 「そんなことよりも、早くも岬の突端だ。
 可愛い展望台があるけれど、貞園の言う恋人たちの鐘は見当たらないね。
 道を間違えたかな 」

 「ちゃんと、鳴ってるわ、ここで」



 くるりと振り返った貞園が、恥ずかしさを精いっぱいに見せながら
胸の膨らみに自分の両手を置きました。
ほのかな月明かりの下でも、真っかになっている貞園の横顔が見えます。
「どれ」と、遠慮をしないで庭園の形よく隆起した胸に、左の耳を寄せました。
貞園の両手が、囲い込むように私の頭を引き寄せました。



 「本当だ。
 最大限に祝福をしながら、早鐘のように鳴り続けている。
 じゃあ、ご褒美をあげよう 」


 前髪をすこしかき分けて、
現れた白い額にかるくキスをしてから、両肩に手を置いて、
貞園の見開いている瞳を覗きこみました。



 「君はもう、今でも充分にチャーミングだ。
 でも、今の君の若さの中には、
 たくさんの可能性と一緒に、良い大人の女性になるための条件が、
 まだ此処に君のふっくらとした胸の中に
 眠っているままなんだ。
 これからたくさんの人を好きになって、泣いたり笑ったりを繰り返しながら、
 いつの日か、素敵な女性に成長を遂げて行く力が
 貞園の形のいい胸の中で、まだ息をひそめて眠っている。
 焦らなくてもいいというのは、そう言う意味さ。
 あと、数年したら君ともう一度あいたいね、
 おそらく、私を含めて、おおくの男性が、きっと
 君の虜になるだろう。
 君には、そういう可能性が充分にある、
 私たちは会うのが、ちょっぴり早すぎたかもしれないね」



 それが想いつく、精いっぱいのいい訳でした。
そんな風に自分にも言いきかさなければ、一線をこえてしまいそうな気配さえありました。
淡水の海を静かに照らす明るい月といい、ほのかに寒い海からの潮風といい、
健気に瞳を濡らしているこの18歳を前にした時の、それは精いっぱいの
私の抵抗そのものでした。
 



 
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