落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(59) 第二幕・第二章 「台湾流のサヨウナラ」

2012-10-22 10:46:00 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(59)
第二幕・第二章 「台湾流のサヨウナラ」


 

 帰路の予定は、午後の飛行機です。
亀田社長と金型工場へ最後の挨拶をするために、貞園の真っ赤なBMWは、
午前6時になる前に淡水のホテルを出発してくれました。
運転中の貞園は、昨日よりずっと艶やかでした。
見送りの礼儀だからと、早い時間から起きて念入りにお化粧を施していました。



 金型工場での会議とひそひそ話は、2時間近くを要しました。
事態は日を追うごとに深刻となり、今後の対応を検討しましたが妙案などはありません。
この先の苦戦を予測させるような暗い空気のまま、ただその深刻さだけを確認しあうという、
実りのすくない打ち合わせになってしまいました。
あいかわらず大汗を流している亀田社長とは、そのまま会議室で別れました。
同席した部品会社の担当者とは玄関先で、握手ひとつでお別れをしました。
さあて、すべて用済みだと背伸びをする暇もなく、もう貞園の真っ赤なBMWが
私の目の前に滑り込んできました。



 「貞園、真っ赤なBMWもいいけれど、やっぱり最後はスクーターがいいな。
 空港までは、君を後ろに乗せて走りたいね。
 最後の想いでのために」



 「それもいいわね、
 じゃ、先に私の家に行きましょう。
 最後に、ローマの休日のように、
 おもいっきり台北を疾走しましょう! 」




 台北は「新しさと古い歴史が混在する都市」と呼ばれています。
町並や建物などもその例外ではありません。
数百年の歴史を持つ中国式の伝統的家屋や、お寺の向こうには、
台北を代表する高層のビルや新光三越といった超高層ビルがそびえる風景が広がっています。
いったい自分がどこの時代にいるのか、迷ってしまうような
そんな少し不思議な気分にもさせてくれる景色です。




 市街地を北へ抜けた貞園のBMWは、小高い丘に向かって進路をとりました。
ほどなくすると前方には、赤いレンガの塀にぐるりと囲まれた伝統的な
四合院建築スタイルの大きな屋敷が近づいてきました。



 台北に残る建物の中でも、最も保存状態のよいという古民家のひとつで、
竣工されたのは、清の時代で1783年に建てられた豪邸です。
200年以上も昔に建てられたというのに、外観は信じられないほどの美しさをいまだに保っていました。


 四合院建築とは、中庭を中心に4棟の建物を対称的に配置をした
明や清の時代の福建省の典型的な建築様式です。
ツバメの尻尾に例えられるそりかえった屋根は、赤い瓦を幾重にも重ねてあり、
微妙なカーブが落ち着いた雰囲気を演出しています。



 建築のスタイルだけでなく、建材も中国大陸産を採用しているのが
この家の持っている大きな特徴のひとつです。
そのほとんどを海を越えた福建省から名産の杉を取り寄せました。



 高温多湿の台湾では鉄釘は錆びやすいために、
ほとんどの木材が、竹や木製の釘で留められています。
壁は赤レンガと土レンガなどに、粘土と石灰を塗って仕上げられています。
庭の石畳に使われている石は紅普石と呼ばれ、中国大陸からの渡航船の船底に重石として置かれ、
バランスをとるために使われたものだそう。
苔が生えず、滑りにくい点が石畳としてぴったりでした。



 「おいおい、貞園、・・・・凄い豪邸だ。」



 「遠慮しないで、誰も居ないし。
 築200年の、ただの大きすぎるタイムカプセルみたいなものだから」




 どっしりとした門をくぐると、
美しく整えられた庭と半円形の池が目に入いってきました。
この池は優雅に「月眉池」と呼ばれています。
半月のように美しく整えられた眉型の池の様子に、
さすがに豪邸は池の名前までもが優雅だと、妙なところで納得をしてしまいました。
また美しいだけではなく、防衛や防火、魚の養殖、邸内の温度調節などと、
さまざまな用途にも使われています。
庭に植えられている花々や草木も、実はほとんどが薬草でした。
美しさと同時に、薬効までも得ているとは住人の知恵ぶりに脱帽をしました。




 「たいしたことはないって。
 たまたま、おじいちゃんが福建省からここへ来て、
 成功をした時に手に入れただけだもの。
 パパは仕事の都合で、市内の新築マンションに住んでいるし、
 ママも時々、私に会いに帰ってくるだけよ。
 ここに残っているものは、建物と同様にただの過去の遺物だけ。
 それでよければさあ、どうぞ」


 
 
 貞園が先にたって歩き始めた建物本体の内部には、
中庭を中心に、門に向かった正面に先祖を祀る廟があり、左右には翼にひろげたように
書斎や寝室など生活のための部屋が、合計で34部屋がつらなっていました。
建物内は窓がほとんど無いため昼でも薄暗いのですが、
天井が高いおかげで圧迫感は感じません。
直射日光が入らないおかげで、夏でも涼しく、また冬も暖かいそうです。





 一部屋ごとの面積は四畳半程度で、
主寝室などはベットと鏡台を置いただけで、もう満杯といった感じです。
これは一部屋一部屋を小さくすることにより、壁の数を多くして、
屋根を支えるという効果を産んでいました。



 壁やドアのいたるところに龍や鳳凰、
桃や蓮の花といった縁起の良い模様が描かれたり、彫刻がなされていて、
これには先祖を敬うという意味もあるそうです。
それを丁寧に見ていくだけでも、時間があっという間に過ぎてしまいます。




 「大富豪で資産家の娘だったんだ、貞園は。
 なるほどね、それで、どこかに育ちの良さがあったわけだ・・・・
 最後になって、やっといまごろ納得だ」



 「今頃になってなにを納得しているわけ。
 満開になったお花は大好きだけど、私みたいにまだまだ中途半端で、
 蕾のままの小娘なんか、少しも眼中にないくせに。
 さぁ、行くわよ」



 すでにスクーターの後部座席では、
ヘルメットをかぶって笑顔の貞園が待機をしています。
台北のはずれから、中正国際空港までは50分ほどかかります。
飛行機の予約が午後3時過ぎということもあり、比較的すいていた道路を
いつものように貞園と二人乗りで、最後のスクーターを飛ばしました。
出発ロビーで航空会社カウンターに荷物を預け搭乗手続きを済ませると
搭乗までは2時間ほどの余裕が残っています。




 機内へ持ち込み用の手荷物検査が終了したころに、貞園がやってきました。
1979年の2月に開港したばかりの、この中正国際空港は、
中華民国の初代総統である蒋介石の名前を冠した新国際空港で、機内のアナウンスなどでは
「蒋介石国際空港」と紹介をされていましす。
広いロビーを挟んで、真新しい免税店や飲食店などが軒を連ねていました。




 住所と電話番号を書いたメモ用紙を手渡すと、
貞園は四隅をきちんと合わせて、丁寧に2つ折りにしてからポケットにしまいこみます。
並んで座った窓際のカフェの大きなガラス越しには、
離陸のために滑走路を静かに移動をしていくいくつもの機影が見えました。




 「上野駅から、一本だけ桐生駅終着の特急電車があるのね。
 一日に、たったの一本と言うのも凄いわね・・・・
 行けるといいなぁ、順平の町に。
 あなたが書きあげると言った、黒光の舞台も是非見たい。
 本気で考えようかしら、留学を」



 「例の女性評論家の、金美齢にも誘われたんだろう。
 おいでよ是非。
 黒光や碌山の故郷、安曇野の大自然も素敵だよ、
 大歓迎で、君を案内してあげる」



 「恋人として?
 それとも、台湾の妹として?
 まあもういいか、あまり順平を困らせても可哀想だし・・・・
 もう行きましょう、搭乗案内がはじまるわ」



 ターミナルの3階に有る出国審査に向かう通路で貞園がまた、立ち止まりました。
その先の階段を上がれば、出国のための通路が始まりその奥には搭乗ゲートでの
別れが待っていました。




 「ローマの休日では・・・・
 愛し合った王女と新聞記者は、階段をはさんで
 静かに目と目をあわせてお互いの心だけに分かる、お別れを交わした。
 でも、台湾流のお別れは、映画とはすこしだけ違うわよ。 来て 」



 貞園に強い力で引かれたまま、階段には背を向けた位置に有る
大きな柱の陰に連れ込まれてしまいました。
通路を行きかう人たちの目を遮り、正面には整備中の飛行機しか見えない空間です。
目を閉じた貞園が、右の頬へ、ついで左の頬へと軽く唇を触れました。
「目を閉じて居てね」そうささやいてから、今度は静かに唇を重ねてきます。
長い時間をかけての貞園のキスがつづきました。


 
 「私をわすれないでね。
 きっと貞園は、いい女になってから会いに行きます」




 一度、唇を離した貞園が、私の瞳をまじかに覗き見るともう一度、
ふたたび目を閉じて、ゆっくりと唇をかさねてきました。



 ※中正国際空港は2006年に「桃園国際空港」と改称されました。






 第二幕 ・完・






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