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落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (89)浪江町民を襲った「赤い舌」

2014-09-23 10:22:19 | 現代小説
東京電力集金人 (89)浪江町民を襲った「赤い舌」



 その後るみと女将さんは、市の体育館へ避難した。
従業員たちの無事と家族の無事を、避難先の体育館でかろうじて確認することができた。
冷静さを取り戻した女将が、体育館の外へ出る。
停電してるのにも関わらず、町の方向が明るいことに気が付く。


 燃料会社から漏れ出した油と、流された車から火がつき、大きな炎があがっている。
町中を燃やし尽くそうとしているような、すさまじい勢いがある。
夜空を赤く染めあげる、浪江の町の火災の光景だ。
翌朝になっても、一帯に燃え広がった炎が消えることはなかった。
津波のために道路が寸断されてしまった町に、消防車が駆けつけてくるはずがない。



 それでも女将さんたちは12日の未明から、ふたたび救助活動を再開させた。
前夜は、屋根の上に避難したり、腰まで水に浸かったりしながら助けを求める人のために、
10時半頃まで、必死の思いで救助活動を続けた。
だが余震がひどく、川も増水していたため、二次被害の危険性が生まれていた。
これ以上は危険だという判断が下された。
明るくなってから再開しようということになり、この日の捜索は打ち切りとなった。


 だが12日の未明。予期せぬ展開が浪江の町に発生をする。
そしてこの出来事が、やがて浪江町の人々のすべての人生を狂わせる出発点になる。
3月12日の朝、5時44分頃のこと。
浪江町の町長が役場の災害対策本部でテレビを見ていると、首相官邸の記者会見があり、
「福島第一原発から10キロ圏内の方は、至急避難して下さい」という発表があった。
町長がこのテレビを見たのは、全く偶然の出来事だ。


 国や県、東京電力から浪江町へ、危険だから避難しろという連絡は入っていない。
10キロ圏内には、およそ1万6千人の町民が生活をしている。
町は10キロ圏内に住む人達に避難を呼びかけるため、すべての消防車と広報車を動員した。
苅野小学校。大堀小学校。やすらぎ荘といった10キロ圏外の公共施設へ、
避難することを住民たちに呼びかける。
「一夜明ければ津波の被害に遭い、救助を待っている人たちを助けられるかもしれない」
と考えていた町民たちも、に後ろ髪引かれる思いで10キロ圏外への避難をはじめる。


 しかしこの日のうちに、致命的な事態が発生する。
12日午後3時36分。福島第一原発の1号機が、水素爆発をおこす。
「この場所じゃダメだ」と言う声が、10キロ圏の避難民たちから一斉に上がる。
3月12日午後6時25分。福島第一原発からの避難指示は、半径20キロ圏に拡大される。



 浪江町の西側。山間部にある津島地区には、役場の津島支所がある。
原発から27キロも離れているため、ここに避難すれば安全だろうと8000人余りの住民が、
津島へ向かって大移動を開始する。
安全なはずの津島地区に向かって大移動をはじめた数千人の住民たちを、今度は
空気中に放出された放射能雲、「赤い舌」が襲いかかる。


 「赤い舌」とは、高濃度の放射能が特に密集している状態を指す。
3月15日。福島第一原発から漏れ出た大量の放射性物質は、海から北西方向へ吹く風に乗り、
請戸川の谷筋に沿って上昇したあと、川の上流にある津島地区に向かって流れた。
「赤い舌」は谷間の地形をもつこのあたりを舐めつくした後、山脈にぶつかる辺りから、
この日降り始めた雪とともに、多くが地上に舞い降りた。


 残りの「赤い舌」は、風に乗り山塊を越えた。
飯舘村から伊達市、福島市あたりまで流れていったと推測がされている。
「赤い舌」は、安全なはずの津島地区の一帯を、高濃度の汚染地帯に変えてしまったことになる。
このため津島の住民2800人と、町からの避難者を合わせた1万1千人あまりの人たちが、
軽度とはいえ、全員が被ばくをするという状態を生んでいる。
国と東電からもっと早く、正確な情報が伝えられていればこうした悲劇は生まれていない。

 政府は大金を投じた最新鋭の予測システム、「SPEEDI」を持っている。
3月12日には、福島原発から大量の放射能が漏れていたことを、既に把握していた。
だが政府がSPEEDIによる予測を初めて公開したのは、原子力緊急事態宣言から
2週間近くが経過した、3月23日のことだ。



 当事者でもある浪江町民の悲劇は、これだけでは終わらない。
3月14日11時ごろ、3号機が水素爆発をおこす。
さらに15日朝6時頃には、2号機。4号機も同じように水素爆発をおこしてしまう。
「これ以上は、津島ももうダメだ。もっと遠い安全な場所に避難しよう」という結論が出る。
3月15日朝7時。二本松市の市長にたいし、浪江町の町長が避難民受け入れの要請を出す


 40か所ほどの避難所が、隣接している二本松市から提供される。
午前10時からピストン輸送で、ふたたび二本松市に向かって全町民の避難がはじまる。
避難にともない役場の機能もまた、二本松市へ避難していく。
東京電力の社員が、ようやくこの段階になって避難中の役場へ出向してくる。
やって来たのは、二本松市出身という福島支店の社員が2人。
2012年10月、現在の浪江町役場の二本松事務所ができるまで、この職員は
ずっと常駐をしていくことになる。


 浪江町は震災以降、役場の移転だけでも4回を数えた。
浪江町の本所から津島支所。二本松市の東和支所。さらに二本松市の男女共生センター。
そして現在の二本松事務所という遍歴を繰り返した。
浪江町の役場はいまも地元へ帰れず、借り家住まいの行政活動を余儀なくされている。
それはまた避難をしている町民たちにも、同じことが言える。


 原発のメルトダウン発生からの一週間。
もっと正確な情報と、適切な避難指示が原発周辺の自治体に提供されていたら、
事態はもっと良い方向に改善されていたと思えてならない。
3.11の震災とその後に襲ってきた大津波は、たしかに、防ぎようが無い自然による天災だ。
だが福島第一原発のメルトダウンと、その後に政府と東電がとった放射能の対策は、
誰がどう見ても、明らかな「人災」そのものと言えるのではないだろうか・・・


(90)へつづく

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