落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (64)尊氏の謀反(むほん)

2015-06-24 13:04:43 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(64)尊氏の謀反(むほん)




 迫りくる諏訪の大軍を前に、守備隊は、いくさを放棄して鎌倉を明け渡す。
尊氏の弟・足利直義は、京からの援軍を待ちながら、西に向かって落ちていく。
京では足利尊氏が、数千騎の討伐軍を編成している。
朝廷に討伐の勅許と征夷大将軍を要請するが、帝は何も応えない。
しびれを切らした尊氏は沙汰を待たず、弟の窮地を救うために兵を旅立たせる。
8月2日。尊氏は勅状を得ないまま、京を後にする。


 この直後。尊氏の背中を追うように、後醍醐天皇が征東将軍の称号を与える。
あわてて尊氏に追認を送ったのには、訳が有る。
足利一門は、武士たちの頂点に立つ軍閥だ。
だが、こと軍略と覇権争いに関しては、超一流の研ぎ澄まされた感覚を持っている一門だ。
過去には主家であった北条氏を、遠征と見せかけて裏切っている
いまこのタイミングで、足利一門が、大軍を率いて都を離れることに危惧が有る。



 新しい主人である後醍醐天皇に、反旗を翻す可能性が考えられる。
『実力者の機嫌を損ねては、あとあとが必ず不味くなる』と計略をめぐらせたのだろう。
朝令暮改を繰り返す、後醍醐天皇らしい節操を欠いた追認だ。


 もうひとりの武家の頂点、新田義貞は、京に留まったままピクリとも動かない。
事態を見つめたまま、静観を守る。
足利尊氏を総大将とする討伐軍に加わることは、自尊心が許さない。
曖昧になっている新田氏と足利両家の主従関係が、明確になることを避けたからだ。
だが歴史の歯車は、ここから新田と足利の対決の構図を作り出していく。

 尊氏の率いる討伐軍が、鎌倉から逃げだしてきた直義の軍勢と合流する。
道中で、同族の吉良氏や細川氏たちも援軍として駆けつける。
1335年8月8日。追走してきた北条軍と、大井川を挟んで向かい合う。
この時、足利勢はすでに一万騎を越える大軍になっている。



 勢いのある足利勢は、大井川で北条軍を簡単に撃破してしまう。
その勢いを保ったまま、鎌倉へ兵をすすめる。
『大井川で北条軍が破れる』敗戦の知らせを聞いた諏訪頼重は、主力の諏訪軍を
引き連れて、防衛の拠点・箱根へ自ら出向いていく。
箱根峠の戦いは、2日間にわたって続く。



 2日間にわたる激戦の末。足利軍の有利が確定的になる。
もはやこれまでと諏訪軍を見捨てて、脱走する武将たちが相次いでくる。
北条時行もいち早く逃走してしまう。。
総崩れとなった戦況のもと、諏訪頼重以下が敗戦の中で、ことごとく散り果てる。
1335年8月19日。北条氏再興の夢はたったの25日間。
ほんのいっとき、鎌倉を支配しただけで北条の残党とその一族はふたたび、
歴史の表舞台から消えていく。


 鎌倉を取り戻した尊氏は、すぐさま治安の回復にとりかかる。
間髪を入れず。武将たちの恩賞に取り掛かる。
尊氏にしてみれば、故郷へ錦を飾る、久しぶりの凱旋だ。
尊氏は、下野(しもつけ)にある本領・足利の領地ではなく、幕府が置かれていた
北条氏の鎌倉の地で、足利一門の嫡男として誕生している。
ひさしぶりに見る関東の地。気心の知れたかつての人々。
尊氏にとっては何もかもが、心の底からの安らぎとして映る。



 この地を離れたくない。尊氏が強く、そのように願っても無理はない。
もともと鎌倉は、武士が武士のために開いた武士政権の所在地だ。
朝廷が武士の聖地として認めた鎌倉に、領主が留まったところで何の遠慮もいらない。
家臣の多くも、久しぶりの帰還におおいに浮かれている。
尊氏のことを、公然と、新しい鎌倉殿と呼ぶ。
誰もが、ふたたび武士による鎌倉幕府が、再興されたと信じて疑わない。


 尊氏が幕府を復活させたといううわさは、またたく間に後醍醐帝の耳へ届く。
足利尊氏の謀反。後醍醐天皇が最も恐れていた事柄が、にわかに現実味を帯びる。
間髪入れず。後醍醐帝が、尊氏討伐の命令を下す。



 静観を守る義貞に、絶好の好機が訪れる。
皇軍側の総大将として、朝敵討伐の大号令を出すことが出来る。
そうなれば尊氏は、源氏の同族たちから見放されて、孤立無縁の状態になる。
この勢いに乗れば、必ず、尊氏を打ち倒すことができるであろう・・・
義貞に、願ってもないチャンスが巡って来た。
宿敵の足利尊氏を倒し、名実共に源氏の頭領になれる可能性が、前途に、
にわかに浮上してきた。


(65)へつづく

『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら


 

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