舞うが如く 最終章
(5)タケの生きざま

内村鑑三と浅田タケとの間に生まれた女の子は、
琴により、改めて「詩織」と命名されました。
1878年(明治11年)に新島襄の指導のもとに湯浅治郎をはじめとする地元の求道者、
30名が洗礼を受け、群馬県安中市に安中教会が創立されました。
これは群馬県で最初に建てられたキリスト教会であり、同時に、
日本人の手により創立された最初のキリスト教会が誕生をしました。
この安中教会で、神学を志す内村鑑三と浅田タケが出合います。
周囲と家族による反対を押し切って、わずか半年後に、
この二人が電撃的に結婚をしてしまいました。
「熱病のようでもありました。」と、タケが当時の事を振り返ります。
タケは明治11年に、安中の教会で洗礼を受けました。
同志社女学校にすすんだのち、さらに、横浜の普通学校(共立女学校)でも学びます。
初めて会った時の印象について、
「おとなしいが、なかなか教養のある頭の切れる女性です。
いくつかの困難をなめ、キリストのために働く精神に満ちている。
年は21歳。内気で、英語力は劣るが日本語の文は上手である」
と内村鑑三が友人にあてた手紙の中で、このころのタケの印象について書き送っています。
しかし実際には、タケは二歳ほど若く偽っていて、
年齢は内村より10日ほど早いだけで、同年の生まれでした。
この偽りが、のちの破局の一因にもなります。
結婚式は友人たちを招いて、上野の料亭で挙げました。
出席した新渡戸稲造が、札幌の友人である宮部金吾に
その結婚式の模様を、次のように伝えています。
「ロンの結婚式も、昨夜無事にすみました。
彼女について、ぼくからなにもお知らせなかったので
君は心配のあまり速達便をよこしたが、それには子細があって今は話せません。
3年から5年のうちには、あらためて打ち明けましょう。
新婦は、聡明な女性です。
彼らが幸福に暮らすように祈っています。」
と、書き送っています。
「ロン」とは、長身で脛の長いことからきた、内村鑑三につけられたニックネームのことです。
ある程度の、不安な材料をかかえながらの結婚だったということを、
うかがい知ることができる、そんな内容の手紙です。
その後、鑑三自身からも友人にあてて、こんな手紙もとどいています。
「妻の元気がよすぎて、
彼女自身の性格の情熱を抑えるのに、いつも、たいへんに苦労をしている。」
と、書かれています。
いくつかの妻への疑念までも含んで書かれている、この手紙がしめしたように、
そのよからぬ未来は、早々にやってきました。
実際にこのわずか8ヵ月後に、二人の生活が崩壊をします。
破局の理由について問われたときに、
タケは自嘲も含めて、次のように内村の言葉を引用しました。
「悪の張本人であるとか、
羊の皮を着た狼などとも、言われておりました。
妻の姦淫とは、肉体的なものとはかぎらず、
精神的意味合いにおいても、成立をいたすそうです。
わたくし自身の持つ、虚言癖や虚栄心も問題とされました。
ともあれ、破局へは半年足らずで至りました。」
「では、あの子は、
離別してから生まれた子なのですか。」
「はい。
認知を求めて、友人の新渡戸さんたちにも奔走をしていただいたのですが、
内村は、がんとして受け入れてはくれませんでした。
自身は米国へと渡り、神学に身も心もささげる決意だと
語るのみでありました。」
「なるほど。
あなたはそれほどまでに、
罪深い、おなごにあたるのですか?」
「はい、そうなると存じます。
性分というよりは、性(さが)にあたるかも知れませぬ。
好みと有れば、すぐに親しくいたしまするゆえ、
誤解の向きも多々にございます。
巷でも、常より
恋多きおんなとも、慎みが足らぬとも、
口々に言われておりまする。」
「あなたは何事においても、つつみ隠さない性格ですね。
熱情的すぎる生き方とでも、褒めるべきでなのでしょうか・・・
私には、とうていに
真似のできない生き方です。」
「褒められる生き方をしているとは、当の本人も承知をしてはおりません。
ただこの身の中で、女の血が無性にたぎる時がありまする、
琴様には、ございませぬか。」
「タケどのとは、少々異なるようにありまする。
私は、自分からは迫りませぬ。
幼き頃より、自分より弱い男のもとには嫁がないという一念だけで、
武芸の世界に生きてまいりました。
時には一人前に、紅などもさしたことはありましたが、
それ以上の事は何一つありませんでした。
剣に明け暮れたあまりに、
私は、女を磨く事を忘れてしまったようです・・
ゆえに、わたしはこの歳になっても
いまだにの、一人身なのでしょう。」
「琴さまは、
ご見識といい、容姿といい
おなごから見ても、申し分がないと、思われまする。
なにゆえの、一人身にございまするか。」
「縁(えにし)ある殿方は、
いちようにして、死に別れをいたしました。
おなごから、心底惚れられたことも
ございまするが・・・。」
「まァ…」
「生き方は十人十色。
あなたも咲も、まだまだこれからの人生にありまする。
私はもう、それを見守るだけの立場です。
あなたたちは、新しい時代の中を、
己だけをひたすら信じて、乗り切らなければなりません。
私は薙刀で、ひたすら己の身体を鍛えてまいりましたが、
これからの時代は、おなごにも、
心の鍛錬が必要とされるようありますね。
強くしっかりとした心を持つことができるようになれば・・・
もしかしたら、いつの日か、
おなごの時代が来るかも、しれませぬ。」
最終章(6)へ、つづく

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (29)もしかして、わざと間違えた?
http://novelist.jp/62321_p1.html
(1)は、こちらからどうぞ
http://novelist.jp/61553_p1.html

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
(5)タケの生きざま

内村鑑三と浅田タケとの間に生まれた女の子は、
琴により、改めて「詩織」と命名されました。
1878年(明治11年)に新島襄の指導のもとに湯浅治郎をはじめとする地元の求道者、
30名が洗礼を受け、群馬県安中市に安中教会が創立されました。
これは群馬県で最初に建てられたキリスト教会であり、同時に、
日本人の手により創立された最初のキリスト教会が誕生をしました。
この安中教会で、神学を志す内村鑑三と浅田タケが出合います。
周囲と家族による反対を押し切って、わずか半年後に、
この二人が電撃的に結婚をしてしまいました。
「熱病のようでもありました。」と、タケが当時の事を振り返ります。
タケは明治11年に、安中の教会で洗礼を受けました。
同志社女学校にすすんだのち、さらに、横浜の普通学校(共立女学校)でも学びます。
初めて会った時の印象について、
「おとなしいが、なかなか教養のある頭の切れる女性です。
いくつかの困難をなめ、キリストのために働く精神に満ちている。
年は21歳。内気で、英語力は劣るが日本語の文は上手である」
と内村鑑三が友人にあてた手紙の中で、このころのタケの印象について書き送っています。
しかし実際には、タケは二歳ほど若く偽っていて、
年齢は内村より10日ほど早いだけで、同年の生まれでした。
この偽りが、のちの破局の一因にもなります。
結婚式は友人たちを招いて、上野の料亭で挙げました。
出席した新渡戸稲造が、札幌の友人である宮部金吾に
その結婚式の模様を、次のように伝えています。
「ロンの結婚式も、昨夜無事にすみました。
彼女について、ぼくからなにもお知らせなかったので
君は心配のあまり速達便をよこしたが、それには子細があって今は話せません。
3年から5年のうちには、あらためて打ち明けましょう。
新婦は、聡明な女性です。
彼らが幸福に暮らすように祈っています。」
と、書き送っています。
「ロン」とは、長身で脛の長いことからきた、内村鑑三につけられたニックネームのことです。
ある程度の、不安な材料をかかえながらの結婚だったということを、
うかがい知ることができる、そんな内容の手紙です。
その後、鑑三自身からも友人にあてて、こんな手紙もとどいています。
「妻の元気がよすぎて、
彼女自身の性格の情熱を抑えるのに、いつも、たいへんに苦労をしている。」
と、書かれています。
いくつかの妻への疑念までも含んで書かれている、この手紙がしめしたように、
そのよからぬ未来は、早々にやってきました。
実際にこのわずか8ヵ月後に、二人の生活が崩壊をします。
破局の理由について問われたときに、
タケは自嘲も含めて、次のように内村の言葉を引用しました。
「悪の張本人であるとか、
羊の皮を着た狼などとも、言われておりました。
妻の姦淫とは、肉体的なものとはかぎらず、
精神的意味合いにおいても、成立をいたすそうです。
わたくし自身の持つ、虚言癖や虚栄心も問題とされました。
ともあれ、破局へは半年足らずで至りました。」
「では、あの子は、
離別してから生まれた子なのですか。」
「はい。
認知を求めて、友人の新渡戸さんたちにも奔走をしていただいたのですが、
内村は、がんとして受け入れてはくれませんでした。
自身は米国へと渡り、神学に身も心もささげる決意だと
語るのみでありました。」
「なるほど。
あなたはそれほどまでに、
罪深い、おなごにあたるのですか?」
「はい、そうなると存じます。
性分というよりは、性(さが)にあたるかも知れませぬ。
好みと有れば、すぐに親しくいたしまするゆえ、
誤解の向きも多々にございます。
巷でも、常より
恋多きおんなとも、慎みが足らぬとも、
口々に言われておりまする。」
「あなたは何事においても、つつみ隠さない性格ですね。
熱情的すぎる生き方とでも、褒めるべきでなのでしょうか・・・
私には、とうていに
真似のできない生き方です。」
「褒められる生き方をしているとは、当の本人も承知をしてはおりません。
ただこの身の中で、女の血が無性にたぎる時がありまする、
琴様には、ございませぬか。」
「タケどのとは、少々異なるようにありまする。
私は、自分からは迫りませぬ。
幼き頃より、自分より弱い男のもとには嫁がないという一念だけで、
武芸の世界に生きてまいりました。
時には一人前に、紅などもさしたことはありましたが、
それ以上の事は何一つありませんでした。
剣に明け暮れたあまりに、
私は、女を磨く事を忘れてしまったようです・・
ゆえに、わたしはこの歳になっても
いまだにの、一人身なのでしょう。」
「琴さまは、
ご見識といい、容姿といい
おなごから見ても、申し分がないと、思われまする。
なにゆえの、一人身にございまするか。」
「縁(えにし)ある殿方は、
いちようにして、死に別れをいたしました。
おなごから、心底惚れられたことも
ございまするが・・・。」
「まァ…」
「生き方は十人十色。
あなたも咲も、まだまだこれからの人生にありまする。
私はもう、それを見守るだけの立場です。
あなたたちは、新しい時代の中を、
己だけをひたすら信じて、乗り切らなければなりません。
私は薙刀で、ひたすら己の身体を鍛えてまいりましたが、
これからの時代は、おなごにも、
心の鍛錬が必要とされるようありますね。
強くしっかりとした心を持つことができるようになれば・・・
もしかしたら、いつの日か、
おなごの時代が来るかも、しれませぬ。」
最終章(6)へ、つづく

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (29)もしかして、わざと間違えた?
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(1)は、こちらからどうぞ
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