落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(89) 

2013-09-17 11:06:34 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(89) 
「なんだかんだ言ったって、男はやっぱり『赤いトラクター』」




 連日の水路工事が続く中、畑の土壌改良も始まりました。
草ばかりが茂っていた畑は、五六が持ちこんできたトラクターにより1日がかりで
綺麗にロータリーがかけられ、元通りの大地がようやく蘇ってきました。
黒々とした大地が現れただけで、なぜか良い土地に戻ったような錯覚さえ起こします。


 「良い畑とは、土が元気な畑のことだ。
 土つくりは農業の基本にあたる。化学肥料や農薬に頼りすぎないことも大切だ。
 肥料をたくさんやれば、それだけ元気で立派な作物が育つ。
 だが勘違いをするな。それらはあくまでも肥料が育てたものであって、土のおかげじゃない。
 大切なことは、土に力をつけさせて安全で健康な作物を育てることだ。
 健康な土には、常に微生物が住む。
 ミミズが住んでいるような畑が、本当の意味での健康な畑だ。
 蚕も同じで、絹は、天然素材が100%という代物だ。
 生糸から作られた布地は、直接人の肌へ触れることになる。
 口に入れる食物たちと同様、蚕にも、細心の注意を払うのは当たり前のことだ。
 10年以上も耕作をしていない、痩せこけた土地に騙されるな。
 来年のために、まずはしっかりと有機の下準備をしておく」



 堆肥を軽トラックで運んできた徳次郎老人が、目を細めて笑っています。
老人が堆肥の元にしているのは、牛糞、鶏糞、小糠(こぬか)の3種類です。
それらに牧草や稲わら、剪定した枝、雑草などを加えオリジナルの堆肥を作りあげています。
自然素材のほとんどが工夫次第で、優良な堆肥に変わります。
またこのように身近なものを使えば、堆肥を作る経費はそれほどかかりません。



 「ロータリーでかき混ぜてしまえば、土に混じった雑草もそのうちに肥料へと変わる。
 堆肥は入れすぎてもまずいが、放置してあった期間のことを考えると、
 1反あたり、ここなら最低でも200キロは必要になるであろう。
 これをまんべんなく撒いてから、後でトラクターで土の中へすきこんでいく。
 すき込むことで、粘土質の土の中には、雑草の繊維なども一緒になって混ざり込む。
 この繊維質というやつが内部に、空気や水分を蓄えて、微生物たちの住み家となる。
 微生物は、形のあるものを元素レベルにまで分解をして、それらを栄養に変える。
 時間はかかるが、有機質の土壌には、土本来の元気と栄養が満ちることになる。
 堆肥の運搬は康平が担当をして、ロータリーは英太郎がやれ。
 サボるんじゃないぞ。
 それからな。今日は千尋ちゃんが遊びにやって来る日だから、
 バレないように気をつけて作業をしろよ。特に栄太郎はな。あっはっは」


 事情を察している徳次郎老人が、笑い声を残し畑から去っていきます。
そういわれれば、最近の英太郎は見るからに百姓の姿が板についてきました。
お気に入りは白いつなぎの作業着で、首にはタオルを巻き、
帽子はなぜか、顔が隠れるほどに目深にすっぽりとかぶっています。
すっかりと日に焼けてしまった顔には、京都からやってきたばかりの頃の、
あの青白さは、もうどこにも残っていません。


 
 「どこから見ても、もうすっかり百姓の顔だ。
 大丈夫だ。その真っ黒い顔なら、かつての恋人の千尋ちゃんと
 そのあたりの道でばったりと会ったって、向こうが全然、気がつかないだろうさ。
 気がついてもらえないのは寂しいだろうが、それもまた、身から出た男の錆だ。
 頑張っていれば、そのうちになんかいい事でもやってくるだろう。
 百姓は1に忍耐、2に我慢。3、4がなくて、5にやっぱり辛抱だ。
 いいことが何ひとつ無いってか・・・
 ばぁかやろう。百姓の仕事なんてやつは、いつまでたっても縁の下の力持ちだ。
 じゃあな、頑張れよ。見習い中の新人クンたち」


 と、赤いトラクターを運んできた五六も、なんだかんだと、
さんざん野良着姿の英太郎を冷やかした挙句、トラックで立ち去っていきます。
ロータリの運転席へ座り込んだ英太郎が、納得をしたような苦笑いのまま、
何故か、五六のトラックを見送っています。


 「♪~風に逆らう俺の気持ちを 知っているのか赤いトラクター
   燃える男の赤いトラクター それがお前だぜ いつも仲間だぜ
   さあ行こう さあ行こう 地平線に立つものは 俺たち二人じゃないか」
                     (小林旭・赤いトラクター歌詞より)


 「なんですか。その歌は」

 堆肥運搬車を操作中の康平が、英太郎へ声をかけます。



 「知らないんですか、康平さん。
 トラクター言えば赤で、赤いトラクターと言えば、やっぱり小林旭です。
 農業をやる男の定番ソングだと、お友達の五六さんから教わりました。
 最近、ウェブデザインの仕事をするときに、地元の『FMぐんま』を聞くようにしています。
 なかなかローカルで面白いし、時々、こんな面白い歌も流れてきますからね。
 そういえば、農家の夫婦の皆さんはみんな仲良しです。
 みなさん二人ひと組で仕事をしていますし、息の合ったコンビネーションで動いています。
 夫婦仲良くいるための大切なパターンの一つかなと、痛感しました」


 「この辺の農家の夫婦は、いつも24時間一緒です。
 ハウスで、トマトやキュウリなどを主に育てていますが、最盛期になるといずこも
 テンテコ舞いで大忙しです。
 朝から採り始めた野菜が、夕方になるとまた収穫サイズに育ってしまいます。
 結局、一日中収穫に追われ、日が暮れてから選別と出荷の作業に入ります。
 野菜には細かいランクが設けられているので、品質とサイズごとに
 選別をし、箱詰めや袋詰めにしてから、出荷をします」



 「え。箱詰めまで、農家が担当をするのですか?
 それでは、中間業者は何もせずに、ただ箱詰めされた野菜を右から左へ動かすだけで、
 中間マージンを手にすることになってしまいます。
 それでは農家の負担ばかりが増えて、手間暇ばかりが余計にかかってしまいます。
 皆さん、不平も言わずによく頑張ってますねぇ。まさに尊敬に値します」


 「役割分担の専業化という名目のもと、
 いつの間にか、そんなシステムが生産者と流通業者の間に出来上がりました。
 多少の不公平感はいなめませんが、昔から農家は、時の支配者たちに振り回されてきました。
 「百姓とごまの油は、しぼればしぼる程出る」といって、
 住民から、おおいに搾取してきたのが大昔の支配者や封建時代の領主たちです。
 封建時代の領主による搾取は、年貢の徴収を通じて行われてきました。

 当時の年貢(税率)は、普通に五公五民といわれるように、極めて高率なものです。
 時によっては六割を超える時代もあったと言われています。
 災害と闘いながら、心血を注いで作り上げた収穫物は、秋になるとその五割が直ちに
 年貢米として徴収をされてしまいます。
 従って農民たちは、蓄積はおろか、飯米にまで不足をきたす有様です。
 徴収をした年貢は、領主自身の諸経費と武士の給料にのみにすべてが使用されます。
 「百姓は生かすべからず。殺すべからず」ということばが、この時代には存在しました。
 藩の財政が急迫をすると、直ちに普通の年貢の外に、御用金や御繰合金、
 寸志金(元服するときの費用として差し上げる金=二十両)、
 分限金等という名目で、しぼれるだけ搾り上げたと言われています。
 その外に郷役という、しめつけなどもありました」


   ※郷役・生活環境維持のための作業や、行事などの集落総出での互助のこと。



 「康平さんは、なんだかんだと言いながら、農業に詳しいですね。
 スコップ片手の水路復旧の仕事も、なんだか楽しそうだし、畑仕事も様になっています。
 どうですか。居酒屋を辞めて、私と二人で農業に専念をしませんか」


 「5反だけの農業では、とうてい食えません。
 もともと、一人息子の跡取りなのですが、母も既に農家は諦めています。
 英太郎さんと同じように、昼間は畑で汗をかいて、夜は居酒屋の仕事で稼ぎます。
 いずれにしても、桑の畑が完成をするのは、これから3年後です。
 まだまだ前途は、すこぶに多難のようです」



 「当面のあいだはお互い様と言える、2足のわらじという厳しい現実ですか。
 たしかに、この時代に百姓で食うには、並大抵ではいかないようです。
 などと泣き言を言っていても、仕事は一向にはかどりません。
 じゃあ、諦めてそろそろと行きますか。俺とお前で赤いトラクタ~。なんて、ね!」





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