落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(111)メロン記念日⑥

2020-06-09 17:24:14 | 現代小説
北へふたり旅(111)


 「2次会は、断然すすきの!」


 ジェニファが多数決で、行き先を決めましょうと手をあげる。
しかも「女子優先で」と片目をつぶる。
どうやら勝算があるらしい。


 数分後。「わたしも混ぜて」と、仕事を終えたユキちゃんがやって来た。
女子はユキちゃんをふくめて3人。
男子はわたしとアイルトンだけ。最初から勝ち目はない。


 すすきのは札幌を代表する繁華街。同時に全国に名をはせた歓楽街でもある。
すすきのの歴史は古い。
明治2年。開拓使がおかれ、札幌の建設が始まった時期までさかのぼる。
定住者わずか13人だった札幌へ、労務者1万人が集まった。


 街づくりがおおいな活気を見せた。
しかし彼らのほとんどは一稼ぎすると、本州へ戻ってしまう。
開拓使判官・岩村通俊が労務者たちの足止め対策を考える。
「金があれば男は遊ぶ。カギは女だ」
官営の遊郭設置に動きはじめる。


 明治4年。
南4条から南5条の西3丁目-4丁目の二町四方に、官許の薄野遊郭を設置する。
当時の記録によると散在していた女郎屋 7 軒を、現在の南4条~5条、
西3丁目~4丁目の2町四方4ブロックに集めたとある。
周囲に高さ 4 尺の壁を巡らせた。出入りの大門も設置した。
こうして大規模な遊郭が完成した。


 現在の呼び名になっている[すすきの]の由来は、
「辺り一面が茅(芦や薄の類)におおわれていたため」という説が一般的。
「遊郭の完成に奔走した薄井竜之の功を称えるため、岩村判官がその姓から
一文字をとってつけた」という説もある。


 明治5年。岩村判官は、官営の巨大妓楼(女郎屋)開業へ動き出す。
(最終的には民間に払い下げる形となる)建坪 193 坪の「東京楼」を
現在の南 6 西3に開業 。
榎本武揚をはじめ多くの高官接待に使われたという。


 しかし。いま近代ビルが林立するすすきのに、当時の遊郭の面影は
まったく残っていない。


 「最初の女子会は、寿司の立ち食いに決まりました」


 こちらですとジェニファーが指をさす。


 「繁華街のすすきのに、立ち食いの鮨屋なんか有るの。
 へぇぇ・・・驚いたなぁ・・・」


 「一軒だけではないしょ。
 このあたりにあと3軒、立ち食いの鮨屋さんがあるっしょ」


 すすきののど真ん中で、朝4時まで営業している立ち食い寿司。
となりにニッカおじさんで有名なビルが建っている。
いちばん安いネタが69円!。
早い!旨い!安い!とくれば、入らないわけにはいかない。


 店内は立ち喰い専門とあって、カウンターのみ。
9名ほどがラクに入れる。奥に3人。われわれが5人。これで店は満員。
ちゃんと板前さんが握ってくれる。


 「わたしは痛風三貫セット。それからおすすめの日本酒を一杯」


 「ぼくは、ホッ貝三貫セットと生ビール」


 アイルトンとジェニファーが早速、オーダーを出す。
痛風三貫セットは、うに、ますこ(鱒の筋子)の盛り合わせ。
美味しいのはあたりまえ。しかしネーミング通り、たしかに身体に悪そうだ。
アイルトンの真ツブ、ホタテ、ホッキは、北海道三大うまい貝。
おすすめを聞く。
するとこれを食べなきゃはじまらないと、ボタンエビをすすめられた。


 「じゃ俺はそのボタンエビと、旭川の地酒・大雪の蔵」


 矢継ぎ早の注文に板前さんが、電光石火の早業でつぎつぎこたえていく。


 「さすがに速いね」


 「長年の修練のたまものです。
 9席しかありませんからね、長居されると困りますから。あはは」


 こわもて顏の板前さんが、「はい。お待ち。鮮度抜群のボタンエビ」と、
甘エビの4倍ほどもあるプリップリのボタンエビを握ってくれた。
確かにでかい。エビに隠れてシャリがどこにあるのかわからない・・・
 


(112)へつづく


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