『ひいらぎの宿』 (32)第3章 山鯨と海の鯨の饗宴
締めくくりは、俊彦のイワナの話

「さてと。いつの時代でも真打は、最後に登場をするもんだ」
コホンと芝居じみた咳払いを見せた俊彦が、
囲炉裏で、いい具合に焼きあがり状態を見せはじめたイワナを指さします。
岡本が持ってきた鯨の刺身と、石工の作次郎老人が持ってきた鹿の刺身もすべて平らげたあげく、
囲炉裏を囲んだ全員の興味が、自在鉤(じざいかぎ)に下げられた『しし鍋』に移ってきました。
※自在鉤。囲炉裏(いろり)の上に下げて鍋(なべ)をつるす道具のこと。
鉤(かぎ)のある木を竹筒に通し、上端は天井の蛭鉤(ひるかぎ)に掛け、小猿(こざる)と
いう小さな横木によって、鉤を上下自在に調節する仕掛けがついています※。
「俺と岡本で釣り上げてきたイワナだが、
よく見ると、一匹だけだが、人相と風体の違う奴がいるだろう」
「おう。そういえば一匹だけ細身の奴がおるのう。
他のイワナがなにやら優しげな顔つきをしているに対して、こいつだけ目が鋭く
口も、体つきの割には大きめのような雰囲気がある。
身体の模様は、紛れもなくイワナの魚体そのものだが、昭和の始めの頃には
こんな感じのイワナが、いっぱい群れて居たような気がするがのう」
「さすがご老人、年の功です。
その通りで、こいつは今となっては本当に少なくなった『天然の魚』に近いものです」
「なに。幻の魚と言われているイワナの中でも、本物の天然ものなのか、こいつは!」
釣り上げた当人の岡本が、驚きの声を上げ思わず膝を前に乗り出します。
『いや、そうした可能性が有るというだけの話だ。まだ天然と決まったわけじゃない』
と、俊彦が軽く訂正を入れます。
「渓流での釣り師の夢は、大きく分けて2つある。
ひとつは誰も釣り上げたことがないような、超大物を釣り上げること。
もうひとつが、今となっては本当に少なくなってきた『天然の魚』と出会うことだ。
いま渓流に生息している魚たちは、そのほとんどが放流をされたものだ。
昭和30年代からの高度成長期に、相次いだ河川の改修や水質の汚染、
乱獲などのために、天然の魚たちは、急激に姿を消し始めた。
そうした状況を補うために、養殖魚を放流するという現在のシステムが始まった。
河川を管理する漁協は、定期的にこうして肴の放流を行い、
河川から魚が絶えないように努力をしている」
「そうか。そのせいで、イワナたちが同じような顔をしているんだな。
大量に餌をもらって養殖をされてきたものならば、性格が穏やか過ぎるために、
厳しい自然界を生き抜くための、精悍な顔つきにはならないわけだ。
なるほどなぁ。釣り上げた時の手応えに、何か物足りなさを感じたのはそのせいなのか。
しかし、何を持って天然ものの魚として判断をするんだ?。
背中に、天然ものと書いてある訳じゃないから、判断が難しいだろう。
なにか、基準といえるようなものがあるのか?」
「江戸や明治の時代に書かれた、古い図鑑の絵とそっくりなものを探す。
近代化が始まる前や、天然の魚種が溢れていた時代に書かれたものなら、間違いなく天然だろう。
清子に誘われて、ここに住まいを定めてから、俺のそんな渓流への挑戦が始まった。
なるべく人の入らない小さな支流や、魚止めを越えた源流部へ、
暇さえあれば足を伸ばしている。
だが結果は惨憺たるもので、どこへ行っても結局、同じような顔の
イワナばかりが居る」
「このあたりの河川に、天然のものは存在をしていないということか?」
「いや。気にとめていないような用水路や、ちょっとした支流から、
時たま、天然ものと思えるような、明治時代に書かれた図鑑そっくりのイワナが釣れるから不思議だ。
そんなやつを釣り集めて、自前の池で育ててみるのが、とりあえずの俺の今の夢だ」
「いいのかよ。そんな貴重のものを串焼きにして食っちまっても。
で、肝心の味の方はどうなんだ。やっぱり天然に近いだけあって味にも古典的なものがあるのか?」
「ふむ。確かにわしが釣りを始めた昔には、このあたりの渓流には
獰猛な顔をした、イワナやヤマメが多かった。
餌の少ない山奥に住みついているために、貴婦人と呼ばれているヤマメは
水生昆虫や虫などを食べるが、雑食性の強いイワナは、硬い沢ガニや小さな蛇まで
平然と食べてしまうと言う。
うむ。天然に近いものならそいつはたぶん、自然たっぷりの
滋味豊かな味などが、するであろう」
「え?。雑食かよ、こいつは。
イワナってやつは、蛇まで餌にしちまうのかよ。恐れ入ったねぇ・・・・」
「頂点捕食者という言葉が自然界にはある。
今の世の中で、食物連鎖の頂点に立っているのは、人間だ。
自然界の生存競争に勝ち抜いてきたやつを、人間は簡単に捕獲をしてきて食料に変えている。
海においてはシャチが、海の食物連鎖の頂点に位置している。
生態系の頂点に位置しているホホジロザメや、巨大なシロナガスクジラすらも襲い、
人間を除いて、天敵はまずいないだろうと言われている。
だが、食物連鎖のピラミッドというものは、その頂点に立っている捕食者の存在を失うと、
一気にバランスを崩して大崩壊を起こしてしまうそうだ。
猿の惑星ではないが、上下の関係が崩壊をして弱肉強食のルールさえ変わることがある。
つい最近になってからその人間を脅かす、すこぶるの強敵が現れた。
そいつが福島第一原発が撒き散らした放射能というやつだ。
あいつは手ごわいぞ。
半減期が30年以上もかかるというし、一度崩壊すると人が近づくこともできなくなる。
ロシヤの原発事故や、アメリカのスリーマイルの原子力事故は他人事だったが、
さすがに東北の事故は、他人事というわけにはいかなくなった。
あれ・・・・話がいつのまにか脱線をしちまったようだわい。
いつのまにか、わしも飲み過ぎたようだ。すまん、すまん。あっはっは」

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締めくくりは、俊彦のイワナの話

「さてと。いつの時代でも真打は、最後に登場をするもんだ」
コホンと芝居じみた咳払いを見せた俊彦が、
囲炉裏で、いい具合に焼きあがり状態を見せはじめたイワナを指さします。
岡本が持ってきた鯨の刺身と、石工の作次郎老人が持ってきた鹿の刺身もすべて平らげたあげく、
囲炉裏を囲んだ全員の興味が、自在鉤(じざいかぎ)に下げられた『しし鍋』に移ってきました。
※自在鉤。囲炉裏(いろり)の上に下げて鍋(なべ)をつるす道具のこと。
鉤(かぎ)のある木を竹筒に通し、上端は天井の蛭鉤(ひるかぎ)に掛け、小猿(こざる)と
いう小さな横木によって、鉤を上下自在に調節する仕掛けがついています※。
「俺と岡本で釣り上げてきたイワナだが、
よく見ると、一匹だけだが、人相と風体の違う奴がいるだろう」
「おう。そういえば一匹だけ細身の奴がおるのう。
他のイワナがなにやら優しげな顔つきをしているに対して、こいつだけ目が鋭く
口も、体つきの割には大きめのような雰囲気がある。
身体の模様は、紛れもなくイワナの魚体そのものだが、昭和の始めの頃には
こんな感じのイワナが、いっぱい群れて居たような気がするがのう」
「さすがご老人、年の功です。
その通りで、こいつは今となっては本当に少なくなった『天然の魚』に近いものです」
「なに。幻の魚と言われているイワナの中でも、本物の天然ものなのか、こいつは!」
釣り上げた当人の岡本が、驚きの声を上げ思わず膝を前に乗り出します。
『いや、そうした可能性が有るというだけの話だ。まだ天然と決まったわけじゃない』
と、俊彦が軽く訂正を入れます。
「渓流での釣り師の夢は、大きく分けて2つある。
ひとつは誰も釣り上げたことがないような、超大物を釣り上げること。
もうひとつが、今となっては本当に少なくなってきた『天然の魚』と出会うことだ。
いま渓流に生息している魚たちは、そのほとんどが放流をされたものだ。
昭和30年代からの高度成長期に、相次いだ河川の改修や水質の汚染、
乱獲などのために、天然の魚たちは、急激に姿を消し始めた。
そうした状況を補うために、養殖魚を放流するという現在のシステムが始まった。
河川を管理する漁協は、定期的にこうして肴の放流を行い、
河川から魚が絶えないように努力をしている」
「そうか。そのせいで、イワナたちが同じような顔をしているんだな。
大量に餌をもらって養殖をされてきたものならば、性格が穏やか過ぎるために、
厳しい自然界を生き抜くための、精悍な顔つきにはならないわけだ。
なるほどなぁ。釣り上げた時の手応えに、何か物足りなさを感じたのはそのせいなのか。
しかし、何を持って天然ものの魚として判断をするんだ?。
背中に、天然ものと書いてある訳じゃないから、判断が難しいだろう。
なにか、基準といえるようなものがあるのか?」
「江戸や明治の時代に書かれた、古い図鑑の絵とそっくりなものを探す。
近代化が始まる前や、天然の魚種が溢れていた時代に書かれたものなら、間違いなく天然だろう。
清子に誘われて、ここに住まいを定めてから、俺のそんな渓流への挑戦が始まった。
なるべく人の入らない小さな支流や、魚止めを越えた源流部へ、
暇さえあれば足を伸ばしている。
だが結果は惨憺たるもので、どこへ行っても結局、同じような顔の
イワナばかりが居る」
「このあたりの河川に、天然のものは存在をしていないということか?」
「いや。気にとめていないような用水路や、ちょっとした支流から、
時たま、天然ものと思えるような、明治時代に書かれた図鑑そっくりのイワナが釣れるから不思議だ。
そんなやつを釣り集めて、自前の池で育ててみるのが、とりあえずの俺の今の夢だ」
「いいのかよ。そんな貴重のものを串焼きにして食っちまっても。
で、肝心の味の方はどうなんだ。やっぱり天然に近いだけあって味にも古典的なものがあるのか?」
「ふむ。確かにわしが釣りを始めた昔には、このあたりの渓流には
獰猛な顔をした、イワナやヤマメが多かった。
餌の少ない山奥に住みついているために、貴婦人と呼ばれているヤマメは
水生昆虫や虫などを食べるが、雑食性の強いイワナは、硬い沢ガニや小さな蛇まで
平然と食べてしまうと言う。
うむ。天然に近いものならそいつはたぶん、自然たっぷりの
滋味豊かな味などが、するであろう」
「え?。雑食かよ、こいつは。
イワナってやつは、蛇まで餌にしちまうのかよ。恐れ入ったねぇ・・・・」
「頂点捕食者という言葉が自然界にはある。
今の世の中で、食物連鎖の頂点に立っているのは、人間だ。
自然界の生存競争に勝ち抜いてきたやつを、人間は簡単に捕獲をしてきて食料に変えている。
海においてはシャチが、海の食物連鎖の頂点に位置している。
生態系の頂点に位置しているホホジロザメや、巨大なシロナガスクジラすらも襲い、
人間を除いて、天敵はまずいないだろうと言われている。
だが、食物連鎖のピラミッドというものは、その頂点に立っている捕食者の存在を失うと、
一気にバランスを崩して大崩壊を起こしてしまうそうだ。
猿の惑星ではないが、上下の関係が崩壊をして弱肉強食のルールさえ変わることがある。
つい最近になってからその人間を脅かす、すこぶるの強敵が現れた。
そいつが福島第一原発が撒き散らした放射能というやつだ。
あいつは手ごわいぞ。
半減期が30年以上もかかるというし、一度崩壊すると人が近づくこともできなくなる。
ロシヤの原発事故や、アメリカのスリーマイルの原子力事故は他人事だったが、
さすがに東北の事故は、他人事というわけにはいかなくなった。
あれ・・・・話がいつのまにか脱線をしちまったようだわい。
いつのまにか、わしも飲み過ぎたようだ。すまん、すまん。あっはっは」

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