落合順平 作品集

現代小説の部屋。

『ひいらぎの宿』 (30)

2013-12-21 10:18:57 | 現代小説
『ひいらぎの宿』 (30)第3章 山鯨と海の鯨の饗宴 
囲炉裏端で、鯨の話は際限もなく続く




 「ほう。古典落語まで持ち出してくるとは、いまどきの極道にしては上出来じゃ。
 おおいに気に入った。わしが仕込んだ自家製の獨酒(そぶろく)を持ってきたが、
 お前さんのために、ここで口を開けちまおう。
 たったいま出来上がったばかりのわしの自慢の密造酒だ」


 作次郎老人が、自慢の瓢箪(ひょうたん)を懐からヒョイと取り出します。
清子によって囲炉裏端に並べられた茶碗へ、次々と、口いっぱいになるまで注がれます。
どぶろくは米を使った酒類では、最も素朴な形態をもったものです。
炊いた米に、米こうじや酒粕に残る酵母を加え、発酵させることにより製造することができます。
清酒に比べ濾過が不十分であるために、未発酵の米に含まれる澱粉や、澱粉が分解した糖により、
ほんのりとした甘い風味ともに、若干の酸味が含まれています。
アルコール度は清酒と同程度の14 ~17度になるため、口当たりの良さがあだとなり、
つい飲み過ごして悪酔いをしやすいと言われています。



 「どぶろくは、家庭で簡単に作ることができますが、酒税法違反の
 違法行為にもあたります。
 そのようなことから昔より密造酒の別名として、どぶや白馬(しろうま)、
 溷六(どぶろく・ずぶろく)などと、日本の各地で、いろいろに呼ばれてまいりました。
 溷六(ずぶろく)とは、泥酔状態にある酔っ払いのことを指す言葉です。
 テレビもついていない囲炉裏端での宴ともなると、みなさま一様に雄弁となられます。
 それでは私も、昔、湯西川で聞いた鯨の話などのご披露をいたしましょう」


 『あら、本当に飲みやすい』と、一口に獨酒を飲み干してしまった清子が、
茶碗の縁と濡れた自分の唇を小指の先で拭き取りながら、『はい』と、作次郎老人に、
2杯目となる獨酒の催促などをしています。



 「昔々、大昔のことでございます。クジラは山奥に住んでおりました。
 大きな身体のクジラはすぐにお腹を減らしてしまい、餌をとるにも大騒動です。
 食事のたびに山は崩れ、川はせき止められ、
 しまいには山の神様が住む大山に激突などをする始末です。
 山の神様は、乱暴な鯨にほとほと困ってしまって、海の神様に相談をします。
 クジラを海でもらってくれないか?と申し出た山の神様に、
 海の神様は、では、泳ぎが下手でいつも餌をとれないでいる不器用な
 イノシシが可哀想だから、イノシシを鯨の代わりに山にあげようと言いだしました。
 こうして住む場所を変えたクジラとイノシシでしたが、イノシシは不満です。
 大好物のエブラウナギ(海蛇)が、山にはいないためです。
 サワガニを捕って食べていたイノシシでしたが、ついに山の神様に直訴に行きます。
 すると、山の神様は自分に噛み付いてきたマムシを
 エブラウナギの代わりに食べて良い。と言い、それ以来、イノシシは
 蛇を食べるようになったのです。

 一方のクジラは広い海の中で大喜びで魚を食べていましたが、
 あまりに沢山の魚を食べるものだから、今度は魚たちが、海の神様に苦情を言いに行きました。
 海の神様は、クジラにオキアミを食べるように言いつけましたが、
 オキアミは小さ過ぎてクジラはなかなか満腹にならないので、神様の目を盗んでは
 魚を沢山食べていました。
 2度目の苦情を聞いた海の神様は怒って、シャチを呼びつけます。
 『クジラを見張って、もし言いつけを破るようなら、即座に噛み付いてしまえ!」
 と命令をしました。それで今でも、シャチはクジラが言いつけを破っていないか
 追い掛け回すようになったと言われています。
 クジラは悲しくて、もといた陸に帰りたいと思うようになりました。
 時々、陸に鯨が近づいてくるのは、いまだに陸を恋しがっているからだそうです」



 「なるほど。それでいまでも鯨はシャチに追い回されおるし、
 雑食の猪が、山で蛇を喰らうわけじゃ。
 それにしても面白い伝説じゃな。湯西川といえば、平家の落人伝説の里だ。
 そこには、マタギの暮らしに似た生活も有ったようじゃから、
 まんざらな話でも、ないようであるのう」


 「それも聞いた覚えがあります。
 マタギといえば秋田県・阿仁のマタギたちが有名ですが、栃木の山奥にも、
 冬山に狩りなどを行う男たちが居たと聞いております」



 「うむ。マタギといえばすぐにクマ狩りや獣を捉える姿を連想するが、
 大半は、山菜狩りや魚を捕まえる川狩り、キノコ狩りなど、山々からの自然の恵みを
 必要とする分だけ調達をして暮らしていたようだ。
 そんなマタギ衆のあいだでは、狩りは仲間全員でおこない、獲物は全員で
 平等に分けるという昔からのルールがある。
 また、むやみに動物の生命を奪ってきたわけでもない。
 捕獲頭数の制限を守るのはもちろんのこと、子連れのクマを撃たないなど厳格な掟を常に守り、
 山に生きる動物たちと、人間の共存を大切にしてきた民じゃ」


 「南氷洋では、捕鯨船団が入り乱れ鯨を乱獲し過ぎたあげく、絶滅状態をまねいたのとは
 対照的に、山では人と動物が共存するためのバランスを守り抜いてきたというわけか。
 たしかになぁ。資源というものには限りがある。
 山から海へ降りていった鯨が、泣いているはずだ。
 じゃあ、あの大きく上げる潮吹きは、鯨の呼吸ではなくて、
 長年の鬱憤と、涙なのかもしれんなぁ・・・・」


 美味そうに茶碗の獨酒を飲み干して岡本が、感慨深そうに
ポツリと小さくつぶやきます。






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