『ひいらぎの宿』 (14)第2章 石工職人たちの、囲炉裏端
・もと植木職人の一番弟子、善二の場合
「今戻りました」
作次郎老人の一番弟子、北川善二が戻ってきたのは午後6時を過ぎてからです。
熊野の田舎で生まれたという善二は10年ほど前に作次郎老人を訪ねて、ふらりと単身で
この石工の集落に姿を現しました。
「きっかけは、些細なことじゃ。
30数年も前にわしが伏見に呼ばれ、そこの稲荷で組みあげてきた石垣と、
参道の石畳の様子が、なにやら気に入ったそうだ。
物好きな男じゃ。なんでも、もともとは植木職人だったが、次に派遣された石材店を
わざわざ辞めて群馬の片田舎まで、弟子入りをするためにやってきたというのだから、驚きだ。
もちろん、わしはもうその時にすでに70を過ぎていたから、いまさら弟子などは
取らぬと、すっぱりと断ったがな」
「おやっはん。一番気に入っているのは、神が渡る石橋の造形美だと何度も言うております。
10年経っても最初の時の勘違いはそのまんまや。まいったなぁ、まったく・・・・」
「まぁまぁ、そう言わずに、お前様もこちらへお上がり。
今日は足尾からあんたが大好きな鹿肉も届いているし、あんたがタイプだとかいう、
舞の上手なお師匠さんも、こうして婿さんを連れてお見えですから」
「なんだかなぁ・・・・ばぁちゃんまで。
内緒だよと口止めした話をばらして、どうするんだよ。
そちらのお婿はんには、お初にお目にかかります。北川善二と言います。
紹介された通りに、熊野から作次郎はんに弟子入りにやって来た変わり者です。
今は下の石材店で住み込みで働いていますが、ここで親替わりに面倒をみてもらっています。
この家で寝泊りをする時間の方が、いまでは多くなってなっています」
「弟子入りがダメでも、親子同様の付き合いの許可をもらったのですか。
なるほど。見かけ以上に押しと運が強そうですね、善二さんは。
失礼しました。今度、清子とともに下の古民家で旅籠をはじめる予定の俊彦と言います。
似たような年代と思いますので、トシと呼び捨てにしてもらったほうが、好感が持てます」
一杯いきますかと俊彦が一升瓶を持ち上げると、善二がとたんに苦笑をみせます。
「あきまへん。酒は体質に合いません」と赤くなり、後頭部に回した手で首筋をかきます。
「伏見は、酒造りで有名な町ですが、どういうわけか俺は一向に飲めません。
宴会の席では、黙々と烏龍茶などを飲んで、酔っ払った人たちを家まで送るのが仕事です。
道楽と呼べるものもほとんどおまへんので、趣味と言えば『仕事』だけです。
特別面白くもなんともない、ありふれた男のひとりです」
善二が植木職人の仕事を始めたのは、30年ほど前のことだと言います。
植栽や植木の剪定、造園の石垣積みなどの仕事をこなしてきましたが、15年ほど前に
勤めていた造園会社から、伏見の石材店へ石が扱える職人として派遣されたことが、
善二自身の転職のきっかけになりました。
造園の職人から石工に転身する職人は、少なくありません。
大きな庭石やオバケ灯篭などの重量物を解体し、それらを運び、据え直す技術や、
飛び石や参道などの石を貼り、メジを押える技術や石垣を積んでいくセンスなどは
造園職人にも石工にも、共通をして重なる領域が多分にあります。
むしろ石仕事の後仕舞い作業として、土を戻したり整地をするなど、植木出身の職人たちの方が、
土での仕事を知っている分だけ、丁寧で優れた部分を数多く持っています。
善二が派遣された石材店でも、そんな風にして異業種から石職人となった人間が多く、
そのことがまた石を扱う仕事に、幅と厚みなどを与えてくれています。
善二は飄々とした面持ちで、仕事も常に着実に淡々とこなしていきます。
黒く焼けた顔に、ニカッと白い歯を出して笑いながら、冗談も時たま言い放ちます。
しかし根本的に「仕事が趣味だ」と言いきって、朝早くから晩遅くまで愚痴も不満もこぼさず、
与えられた仕事以上の仕事を、きちんとこなしていくのが、いつもの彼の日課です。
「で、どうなのですか。
師匠の目から見て、善二さんに石工の才能はお有りなのですか?」
「うむ。あと10年も頑張れば2番目くらいにはなれるだろう」
「あら。10近くも群馬で頑張ってきたというのに、
このうえに更にまだ10年も、頑張らなければだめなのですか。
そこまで頑張っても、まだ、2番目にしかなれないと言うのは実に大変な世界ですねぇ。
そうすると、1番目のお方というのは、そうとうな強敵手ということになりますねぇ。
いったいどこのどなたですか。業界で一番というお方は」
「バカ野郎。
大昔からどんなに頑張っても、師匠と親だけは乗り越えられないことに、相場は決まっているんだ。
俺が生きている限り、オメエはどんなに頑張ったって2番目のまんまだ。
オメエが一番になるときは、俺の墓に戒名を刻む時だ。
そん時には頼んだぜ。一番いい字で俺の墓に戒名を彫ってくれよ。
俺の自慢の、一番弟子さんよぉ。あっはっは」
「新田さらだ館」の、本館はこちら
さらだ館は、食と、農業の安心と安全な未来を語る、ホームページです。
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・もと植木職人の一番弟子、善二の場合
「今戻りました」
作次郎老人の一番弟子、北川善二が戻ってきたのは午後6時を過ぎてからです。
熊野の田舎で生まれたという善二は10年ほど前に作次郎老人を訪ねて、ふらりと単身で
この石工の集落に姿を現しました。
「きっかけは、些細なことじゃ。
30数年も前にわしが伏見に呼ばれ、そこの稲荷で組みあげてきた石垣と、
参道の石畳の様子が、なにやら気に入ったそうだ。
物好きな男じゃ。なんでも、もともとは植木職人だったが、次に派遣された石材店を
わざわざ辞めて群馬の片田舎まで、弟子入りをするためにやってきたというのだから、驚きだ。
もちろん、わしはもうその時にすでに70を過ぎていたから、いまさら弟子などは
取らぬと、すっぱりと断ったがな」
「おやっはん。一番気に入っているのは、神が渡る石橋の造形美だと何度も言うております。
10年経っても最初の時の勘違いはそのまんまや。まいったなぁ、まったく・・・・」
「まぁまぁ、そう言わずに、お前様もこちらへお上がり。
今日は足尾からあんたが大好きな鹿肉も届いているし、あんたがタイプだとかいう、
舞の上手なお師匠さんも、こうして婿さんを連れてお見えですから」
「なんだかなぁ・・・・ばぁちゃんまで。
内緒だよと口止めした話をばらして、どうするんだよ。
そちらのお婿はんには、お初にお目にかかります。北川善二と言います。
紹介された通りに、熊野から作次郎はんに弟子入りにやって来た変わり者です。
今は下の石材店で住み込みで働いていますが、ここで親替わりに面倒をみてもらっています。
この家で寝泊りをする時間の方が、いまでは多くなってなっています」
「弟子入りがダメでも、親子同様の付き合いの許可をもらったのですか。
なるほど。見かけ以上に押しと運が強そうですね、善二さんは。
失礼しました。今度、清子とともに下の古民家で旅籠をはじめる予定の俊彦と言います。
似たような年代と思いますので、トシと呼び捨てにしてもらったほうが、好感が持てます」
一杯いきますかと俊彦が一升瓶を持ち上げると、善二がとたんに苦笑をみせます。
「あきまへん。酒は体質に合いません」と赤くなり、後頭部に回した手で首筋をかきます。
「伏見は、酒造りで有名な町ですが、どういうわけか俺は一向に飲めません。
宴会の席では、黙々と烏龍茶などを飲んで、酔っ払った人たちを家まで送るのが仕事です。
道楽と呼べるものもほとんどおまへんので、趣味と言えば『仕事』だけです。
特別面白くもなんともない、ありふれた男のひとりです」
善二が植木職人の仕事を始めたのは、30年ほど前のことだと言います。
植栽や植木の剪定、造園の石垣積みなどの仕事をこなしてきましたが、15年ほど前に
勤めていた造園会社から、伏見の石材店へ石が扱える職人として派遣されたことが、
善二自身の転職のきっかけになりました。
造園の職人から石工に転身する職人は、少なくありません。
大きな庭石やオバケ灯篭などの重量物を解体し、それらを運び、据え直す技術や、
飛び石や参道などの石を貼り、メジを押える技術や石垣を積んでいくセンスなどは
造園職人にも石工にも、共通をして重なる領域が多分にあります。
むしろ石仕事の後仕舞い作業として、土を戻したり整地をするなど、植木出身の職人たちの方が、
土での仕事を知っている分だけ、丁寧で優れた部分を数多く持っています。
善二が派遣された石材店でも、そんな風にして異業種から石職人となった人間が多く、
そのことがまた石を扱う仕事に、幅と厚みなどを与えてくれています。
善二は飄々とした面持ちで、仕事も常に着実に淡々とこなしていきます。
黒く焼けた顔に、ニカッと白い歯を出して笑いながら、冗談も時たま言い放ちます。
しかし根本的に「仕事が趣味だ」と言いきって、朝早くから晩遅くまで愚痴も不満もこぼさず、
与えられた仕事以上の仕事を、きちんとこなしていくのが、いつもの彼の日課です。
「で、どうなのですか。
師匠の目から見て、善二さんに石工の才能はお有りなのですか?」
「うむ。あと10年も頑張れば2番目くらいにはなれるだろう」
「あら。10近くも群馬で頑張ってきたというのに、
このうえに更にまだ10年も、頑張らなければだめなのですか。
そこまで頑張っても、まだ、2番目にしかなれないと言うのは実に大変な世界ですねぇ。
そうすると、1番目のお方というのは、そうとうな強敵手ということになりますねぇ。
いったいどこのどなたですか。業界で一番というお方は」
「バカ野郎。
大昔からどんなに頑張っても、師匠と親だけは乗り越えられないことに、相場は決まっているんだ。
俺が生きている限り、オメエはどんなに頑張ったって2番目のまんまだ。
オメエが一番になるときは、俺の墓に戒名を刻む時だ。
そん時には頼んだぜ。一番いい字で俺の墓に戒名を彫ってくれよ。
俺の自慢の、一番弟子さんよぉ。あっはっは」
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