『ひいらぎの宿』 (17)第2章 石工職人たちの、囲炉裏端
片思いのお相手は、沢入にある石材店の未亡人
「沢入の石材店に嫁いできたのですか。片思いのお嬢さんは」
「おう。世話する人がいて、はるばる石材店の跡取り息子のところへ嫁いできおった。
こう見えても沢入の石は極上品が多く、神社や仏閣の補修などには重宝がられている。
必然的に古都の京にも縁が有り、流通のパイプが通じておる。
善二が、俺のところへひょっこりとやってきたのは、その祝言から3ヶ月ほど経った頃だ。
修行がしたいとやってきたが、あいにくと俺も70歳を超えていた。
地元の石材店を紹介してやり、そこで働くことになったがどうやら本来の目的は、
嫁いできたお嬢さんの行く末を、ひたすら見守ることのようだった。
やっていること自体が、惚れたオナゴに一生をかけて忠誠を尽くし抜くという、
あの、無法松の一生そのものだ。
俺がそのことにようやく気がついたのも、実はつい最近のことだ・・・
もうろくしたわい。気がつくのが遅すぎたようだ」
「つい最近のことですか?。
それまではまったく気づかれることもなく、ひたすら胸に秘めてきたということですか。
凄いなぁ。俺にはまったく真似できない芸当です。
待てよ。そういえば最近、沢入の国際サーカス学校の近くに、
最近未亡人になってしまった美人女将のいる石材店があると、噂で聞いたことがある。
店主が病気で亡くなったために、女将が後を継いでいるという話ですが」
「それじゃよ。
葬儀の帰り道で妙にこいつが塞ぎ込んでいるものだから、無理に酒を飲ませた。
どうにも悲しみようが大袈裟すぎるので、不審に思ったからだ。
そうしたらようやくのことで、こいつめ、ついに本音を吐きおったわい」
「沢入の国際サーカス学校といえば、3.11以降の放射能騒ぎで
いち時期、休校をしていたはずですが、もう再開したのでしょうか?」
「うむ。この10月から、ようやく再開しおった」
沢入にあった廃校を利用して、2001年から国際サーカス学校がはじまっています。
学校を運営するNPO法人、国際サーカス村協会は2011年12月19日。
同校周辺で測定された放射線量が比較的高く、「放射能汚染を理由に退学した生徒もおり、
今の状態では学校活動の継続にためらいがある」ことを理由に、同年12下旬から始まる
冬期休暇から2012年9月までの間、同校を一時休校すると決めました。
福島第一原発の事故後、フランス人留学生が放射能汚染の懸念を理由に家族から促され、
帰国をしたのを皮切りに、日本人生徒も同様の理由で相次いで退学をしています。
協会からの要望を受け、市が11月22日に同校が練習場としている周辺の雨どい下の排水溝や
側溝などの4カ所で放射線量を測定したところ、0・76~0・28マイクロシーベルトの
放射能を検出しています。
市の定点観測では、6月以降においても地上1メートルで毎時0・292~0・216マイクロシーベルト、
12月13日の測定でも、同0・218マイクロシーベルトを計測しています。
「放射線量が高く、休校せざるを得なくなったサーカス学校の関係者4人が、
西日本を公演旅行をしながら『原発はいらない』と、公演先の各地で訴えています。
山あいの元小学校を使っているために、昨年の12月。除染の目安とされる
毎時0・23マイクロシーベルトを超える、0・77マイクロシーベルトの測定値が出たため、
今年9月までの休校を決めたからです。
学校を運営しているNPO法人国際サーカス村協会の西田敬一代表(68)は、
『なぜ休校になっているのか、原発は不要だということを多くの人に伝えたい』として、
約2カ月間、西日本へ公演の旅へ出かけてきました。
ワゴン車の後ろ窓には『沢入国際サーカス学校は、放射能被害で休校中』
『原発はいらない』と書いた紙が貼られていたというのも、有名な話ですからね」
「それだけではありません。
爆発の当初は風の影響を受けて太平洋へ流れ出たとされる放射能が、
3月の20日以降からの風を受けて、陸地内部へ流れ込んできたと言われています。
折からの雨の影響を受けて、群馬県桐生市から沢入や赤城山の山頂に、浮遊中の
放射能物質が大量に降り注いだと言われています。
高濃度の汚染により、いまだに赤城大沼ではワカサギが禁漁中です。
山林を中心に栽培されている、しいたけなども深刻な影響と風評被害を受けています」
「おっ。矛先が変わり話題がそれた途端、元気になってきましたね、善二さん」
「そういうことではありませんが、あの3.11でわしの考えも根本からかわりました。
未曾有の惨状と被害の様子を目の当たりにしたとき、人の命の儚さをつくずく実感しました。
おやっはんから意見をされた通りに、やっぱりいつの日か告白をしようと、
強く、わしは、心にきめました」
「いつの日にか、ですか?」
清子が呆れはてたように、目を丸くしています。
「いやいや、こいつにすれば、そう言うだけでも上出来じゃろう。
清水の舞台から飛び降りたつもりでそう決意したのであろうが、いまだ行動には
移せずに愚図愚図としておる有様じゃ。
不謹慎な話ではあるが、もう一度、大きな災害でもこなければ、
こやつの本気は動き出さぬであろう。
はてさて、どうにもこうにも、埒の明かぬ話じゃのう・・・・
まったく歯がゆくて、聞くに耐えん」
「新田さらだ館」の、本館はこちら
さらだ館は、食と、農業の安心と安全な未来を語る、ホームページです。
詳しくはこちら
片思いのお相手は、沢入にある石材店の未亡人
「沢入の石材店に嫁いできたのですか。片思いのお嬢さんは」
「おう。世話する人がいて、はるばる石材店の跡取り息子のところへ嫁いできおった。
こう見えても沢入の石は極上品が多く、神社や仏閣の補修などには重宝がられている。
必然的に古都の京にも縁が有り、流通のパイプが通じておる。
善二が、俺のところへひょっこりとやってきたのは、その祝言から3ヶ月ほど経った頃だ。
修行がしたいとやってきたが、あいにくと俺も70歳を超えていた。
地元の石材店を紹介してやり、そこで働くことになったがどうやら本来の目的は、
嫁いできたお嬢さんの行く末を、ひたすら見守ることのようだった。
やっていること自体が、惚れたオナゴに一生をかけて忠誠を尽くし抜くという、
あの、無法松の一生そのものだ。
俺がそのことにようやく気がついたのも、実はつい最近のことだ・・・
もうろくしたわい。気がつくのが遅すぎたようだ」
「つい最近のことですか?。
それまではまったく気づかれることもなく、ひたすら胸に秘めてきたということですか。
凄いなぁ。俺にはまったく真似できない芸当です。
待てよ。そういえば最近、沢入の国際サーカス学校の近くに、
最近未亡人になってしまった美人女将のいる石材店があると、噂で聞いたことがある。
店主が病気で亡くなったために、女将が後を継いでいるという話ですが」
「それじゃよ。
葬儀の帰り道で妙にこいつが塞ぎ込んでいるものだから、無理に酒を飲ませた。
どうにも悲しみようが大袈裟すぎるので、不審に思ったからだ。
そうしたらようやくのことで、こいつめ、ついに本音を吐きおったわい」
「沢入の国際サーカス学校といえば、3.11以降の放射能騒ぎで
いち時期、休校をしていたはずですが、もう再開したのでしょうか?」
「うむ。この10月から、ようやく再開しおった」
沢入にあった廃校を利用して、2001年から国際サーカス学校がはじまっています。
学校を運営するNPO法人、国際サーカス村協会は2011年12月19日。
同校周辺で測定された放射線量が比較的高く、「放射能汚染を理由に退学した生徒もおり、
今の状態では学校活動の継続にためらいがある」ことを理由に、同年12下旬から始まる
冬期休暇から2012年9月までの間、同校を一時休校すると決めました。
福島第一原発の事故後、フランス人留学生が放射能汚染の懸念を理由に家族から促され、
帰国をしたのを皮切りに、日本人生徒も同様の理由で相次いで退学をしています。
協会からの要望を受け、市が11月22日に同校が練習場としている周辺の雨どい下の排水溝や
側溝などの4カ所で放射線量を測定したところ、0・76~0・28マイクロシーベルトの
放射能を検出しています。
市の定点観測では、6月以降においても地上1メートルで毎時0・292~0・216マイクロシーベルト、
12月13日の測定でも、同0・218マイクロシーベルトを計測しています。
「放射線量が高く、休校せざるを得なくなったサーカス学校の関係者4人が、
西日本を公演旅行をしながら『原発はいらない』と、公演先の各地で訴えています。
山あいの元小学校を使っているために、昨年の12月。除染の目安とされる
毎時0・23マイクロシーベルトを超える、0・77マイクロシーベルトの測定値が出たため、
今年9月までの休校を決めたからです。
学校を運営しているNPO法人国際サーカス村協会の西田敬一代表(68)は、
『なぜ休校になっているのか、原発は不要だということを多くの人に伝えたい』として、
約2カ月間、西日本へ公演の旅へ出かけてきました。
ワゴン車の後ろ窓には『沢入国際サーカス学校は、放射能被害で休校中』
『原発はいらない』と書いた紙が貼られていたというのも、有名な話ですからね」
「それだけではありません。
爆発の当初は風の影響を受けて太平洋へ流れ出たとされる放射能が、
3月の20日以降からの風を受けて、陸地内部へ流れ込んできたと言われています。
折からの雨の影響を受けて、群馬県桐生市から沢入や赤城山の山頂に、浮遊中の
放射能物質が大量に降り注いだと言われています。
高濃度の汚染により、いまだに赤城大沼ではワカサギが禁漁中です。
山林を中心に栽培されている、しいたけなども深刻な影響と風評被害を受けています」
「おっ。矛先が変わり話題がそれた途端、元気になってきましたね、善二さん」
「そういうことではありませんが、あの3.11でわしの考えも根本からかわりました。
未曾有の惨状と被害の様子を目の当たりにしたとき、人の命の儚さをつくずく実感しました。
おやっはんから意見をされた通りに、やっぱりいつの日か告白をしようと、
強く、わしは、心にきめました」
「いつの日にか、ですか?」
清子が呆れはてたように、目を丸くしています。
「いやいや、こいつにすれば、そう言うだけでも上出来じゃろう。
清水の舞台から飛び降りたつもりでそう決意したのであろうが、いまだ行動には
移せずに愚図愚図としておる有様じゃ。
不謹慎な話ではあるが、もう一度、大きな災害でもこなければ、
こやつの本気は動き出さぬであろう。
はてさて、どうにもこうにも、埒の明かぬ話じゃのう・・・・
まったく歯がゆくて、聞くに耐えん」
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