『ひいらぎの宿』 (26)第3章 山鯨と海の鯨の饗宴
南房総市和田町からやってきた鯨の肉

「あら。お早いお帰りですねぇ。
3月に入ったとは言え、午後になると陽が陰りますので、渓谷は予想外に冷え込みます。
丁度、お酒の肴も整ったところです。なにやら頃合を見計らっての
グッドタイミングでの、ご帰還というところでしょうか」
リニューアルの済んだ古民家の囲炉裏端で、清子の笑顔が2人を出迎えます。
岡本が手土産として持参したのは、千葉県南房総市の和田町で捕獲をされた鯨の肉です。
和田町は岡本の奥さんの出身地で生家は、江戸時代からの歴史を持つ「鯨組」の元締めです。
日本では、有史の以前からさまざまな手法による捕鯨が行われてきており、
西洋の捕鯨法とは別に、独自の捕鯨技術を発展させてきました。
江戸時代にはいると、大規模な捕鯨集団による組織的な捕鯨が行われるようになります。
明治時代には西洋式の捕鯨技術を導入して、遠く南極海などの外洋にも進出をするようになります。
ノルウェーやイギリスなどと並び、主要な近代捕鯨国の仲間入りを果たしまします。
規制が強まった今日においても、調査捕鯨を中心に限られた範囲とはいえ、
いまだに捕鯨を継続している数少ない国の一つです。
調査捕鯨は、IWC(国際捕鯨委員会)の管轄下で、母船式と小型船を併用した形で
南極海と北西太平洋を中心に行われています。
IWCが管轄外とする小型鯨類(イルカを含む)を対象とした日本近海の沿岸捕鯨は、
漁業として、今でも連綿として引き継がれています。
捕獲調査によって水揚げされたクジラは、有効利用が条約によって義務付けられており、
副産物として生じた鯨の肉は一般に販売されるほか、学校給食などの公益事業にも供されています。
そうして得た収入は、引き続く調査捕鯨の費用などに充てられています。
調査捕鯨については、「調査」に名を借りた事実上の商業捕鯨ではないかとの批判もありますが、
日本捕鯨協会はそうした事実を、全面的に否定をしています。
2011年現在。農林水産大臣より許可をされている沿岸小型捕鯨基地と、
鯨の鯨体処理場は、網走、函館、鮎川、和田、太地の5箇所と定められています。
鯨の肉はビタミンAが豊富で、高タンパク低カロリーのヘルシーな肉質を誇ります。
部位により、それぞれに特有の名前がつけられています。
尾の付け根あたりの肉を「尾の身」。鯨の皮を皮下脂肪ごと切り分け乾燥させたものが「コロ」。
舌の部分を「さえずり」。尾っぽの部分を"尾羽毛"と書いて「オバケ」と呼びます。
腹の部分は筋が畑の畝に似ているところから「うね」と呼ばれています。
「贅沢ですねぇ。尾の身の部分のお刺身は。
まぐろのトロにも負けないほどの、実に濃厚な味わいですし、
一方の赤身のお刺身は、柔らかくてさっぱりとした味わいになります。
下戸(げこ・酒が飲めない)でもお酒が欲しくなるそうですから、不思議です。
囲炉裏に架けた、ぼたん鍋にも火が通ってきました。
はるばると房総の和田町からやって来た鯨のお刺身と、足尾の山の中で採れたての
山鯨の競演です。今日はお酒がおおいに、すすみそうですねぇ。皆様の」
囲炉裏の周りには、清子によって既に酒の肴が整っています。
釣り上げてきたばかりのイワナに、俊彦が慣れた手つきで竹串を打ち、塩を振ってから、
そのまま遠火にひとつずつ並べていきます。
「捕鯨基地のある、房総の和田町での出来事が懐かしいですねぇ。
思いがけなく、岡本さんと奥さんの婚儀のお手伝いを買って出たりしましたねぇ。
うふふ。思い起こせば、わたくしも向こう見ずの無鉄砲でしたねぇ、あの頃は。
そういえば、あの鬼瓦のような顔をしていた、クジラ漁師のお義父さんは、
今でもお元気で過ごしていらっしゃるのかしら?」
「70になるというのに、いまだに先頭を切ってクジラ船に元気いっぱい乗り込むそうだ。
そりゃあそうだ。一人娘を極道に嫁がせてしまったら、ほかの楽しみは何一つ残っていないだろう。
たまには女房も里帰りをするが、最近は、娘も同行をしなくなってきた。
寂しい爺様にしてみれば、クジラ漁の始まる真夏が来るのが唯一の楽しみで、
身体が動くうちは、『生涯現役』だなんていまだに、ほざいてやがる」
「あらまぁ、なんという暴言を吐くのかしら。バチが当たりますよ。
お義父さんに向かって『ほざく』だなんて。
誰も聞いていないとは言え、少しばかり不謹慎です。
100歩も譲って、泣く泣く嫁ぐことを認めてくれたのに、今のひとことで
いまからでもいいから、やっぱり俺の娘を返せなんて説教をされてしまいます」
「返せというなら、返してやっても一向に構わないさ。今はそんな心境の今日この頃だ。
そうだよなぁ。・・・・惚れた腫れたでさんざんに大騒ぎをして、やっと結婚することが
出来たというのに、あれから早いもので、もう25年以上が経っちまった。
お前さんたちくらいだ。40も半ばを過ぎたというのに、いまだにラブラブなのは・・・」
「悪かったなぁ。いまさらながらなのに、俺たちがラブラブで。
おう、清子。かまわねぇから釣り上げてきたイワナはみんなお前が、食っちまえ。
口の悪い極道なんかに食わせるのは、どう考えてももったいない。
山鯨も食わせるな!。あっはっは」

「新田さらだ館」の、本館はこちら
さらだ館は、食と、農業の安心と安全な未来を語る、ホームページです。
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南房総市和田町からやってきた鯨の肉

「あら。お早いお帰りですねぇ。
3月に入ったとは言え、午後になると陽が陰りますので、渓谷は予想外に冷え込みます。
丁度、お酒の肴も整ったところです。なにやら頃合を見計らっての
グッドタイミングでの、ご帰還というところでしょうか」
リニューアルの済んだ古民家の囲炉裏端で、清子の笑顔が2人を出迎えます。
岡本が手土産として持参したのは、千葉県南房総市の和田町で捕獲をされた鯨の肉です。
和田町は岡本の奥さんの出身地で生家は、江戸時代からの歴史を持つ「鯨組」の元締めです。
日本では、有史の以前からさまざまな手法による捕鯨が行われてきており、
西洋の捕鯨法とは別に、独自の捕鯨技術を発展させてきました。
江戸時代にはいると、大規模な捕鯨集団による組織的な捕鯨が行われるようになります。
明治時代には西洋式の捕鯨技術を導入して、遠く南極海などの外洋にも進出をするようになります。
ノルウェーやイギリスなどと並び、主要な近代捕鯨国の仲間入りを果たしまします。
規制が強まった今日においても、調査捕鯨を中心に限られた範囲とはいえ、
いまだに捕鯨を継続している数少ない国の一つです。
調査捕鯨は、IWC(国際捕鯨委員会)の管轄下で、母船式と小型船を併用した形で
南極海と北西太平洋を中心に行われています。
IWCが管轄外とする小型鯨類(イルカを含む)を対象とした日本近海の沿岸捕鯨は、
漁業として、今でも連綿として引き継がれています。
捕獲調査によって水揚げされたクジラは、有効利用が条約によって義務付けられており、
副産物として生じた鯨の肉は一般に販売されるほか、学校給食などの公益事業にも供されています。
そうして得た収入は、引き続く調査捕鯨の費用などに充てられています。
調査捕鯨については、「調査」に名を借りた事実上の商業捕鯨ではないかとの批判もありますが、
日本捕鯨協会はそうした事実を、全面的に否定をしています。
2011年現在。農林水産大臣より許可をされている沿岸小型捕鯨基地と、
鯨の鯨体処理場は、網走、函館、鮎川、和田、太地の5箇所と定められています。
鯨の肉はビタミンAが豊富で、高タンパク低カロリーのヘルシーな肉質を誇ります。
部位により、それぞれに特有の名前がつけられています。
尾の付け根あたりの肉を「尾の身」。鯨の皮を皮下脂肪ごと切り分け乾燥させたものが「コロ」。
舌の部分を「さえずり」。尾っぽの部分を"尾羽毛"と書いて「オバケ」と呼びます。
腹の部分は筋が畑の畝に似ているところから「うね」と呼ばれています。
「贅沢ですねぇ。尾の身の部分のお刺身は。
まぐろのトロにも負けないほどの、実に濃厚な味わいですし、
一方の赤身のお刺身は、柔らかくてさっぱりとした味わいになります。
下戸(げこ・酒が飲めない)でもお酒が欲しくなるそうですから、不思議です。
囲炉裏に架けた、ぼたん鍋にも火が通ってきました。
はるばると房総の和田町からやって来た鯨のお刺身と、足尾の山の中で採れたての
山鯨の競演です。今日はお酒がおおいに、すすみそうですねぇ。皆様の」
囲炉裏の周りには、清子によって既に酒の肴が整っています。
釣り上げてきたばかりのイワナに、俊彦が慣れた手つきで竹串を打ち、塩を振ってから、
そのまま遠火にひとつずつ並べていきます。
「捕鯨基地のある、房総の和田町での出来事が懐かしいですねぇ。
思いがけなく、岡本さんと奥さんの婚儀のお手伝いを買って出たりしましたねぇ。
うふふ。思い起こせば、わたくしも向こう見ずの無鉄砲でしたねぇ、あの頃は。
そういえば、あの鬼瓦のような顔をしていた、クジラ漁師のお義父さんは、
今でもお元気で過ごしていらっしゃるのかしら?」
「70になるというのに、いまだに先頭を切ってクジラ船に元気いっぱい乗り込むそうだ。
そりゃあそうだ。一人娘を極道に嫁がせてしまったら、ほかの楽しみは何一つ残っていないだろう。
たまには女房も里帰りをするが、最近は、娘も同行をしなくなってきた。
寂しい爺様にしてみれば、クジラ漁の始まる真夏が来るのが唯一の楽しみで、
身体が動くうちは、『生涯現役』だなんていまだに、ほざいてやがる」
「あらまぁ、なんという暴言を吐くのかしら。バチが当たりますよ。
お義父さんに向かって『ほざく』だなんて。
誰も聞いていないとは言え、少しばかり不謹慎です。
100歩も譲って、泣く泣く嫁ぐことを認めてくれたのに、今のひとことで
いまからでもいいから、やっぱり俺の娘を返せなんて説教をされてしまいます」
「返せというなら、返してやっても一向に構わないさ。今はそんな心境の今日この頃だ。
そうだよなぁ。・・・・惚れた腫れたでさんざんに大騒ぎをして、やっと結婚することが
出来たというのに、あれから早いもので、もう25年以上が経っちまった。
お前さんたちくらいだ。40も半ばを過ぎたというのに、いまだにラブラブなのは・・・」
「悪かったなぁ。いまさらながらなのに、俺たちがラブラブで。
おう、清子。かまわねぇから釣り上げてきたイワナはみんなお前が、食っちまえ。
口の悪い極道なんかに食わせるのは、どう考えてももったいない。
山鯨も食わせるな!。あっはっは」

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