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現代アート論(その3)

2019-10-21 | 社会問題
10月21日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


歴史を忘れた民族に未来はない。

歴史を直視できない国民に未来はない。

過去、日本と朝鮮半島は一つになり、

共に列強大国に立ち向かい東アジアを統一、

世界を植民地支配という暗黒時代から独立へと導くのである。

敗戦後、日本と朝鮮半島は分断され、

二度と団結しないよう対立しているのが現代である。

なぜなら、もしも再び日本と朝鮮半島が手を組むなら、

考えるだけでも恐ろしいからである。





人生はアートだ!・・・忘れてました。


アートは見る者に何を与えるのか。

たとえ、負の遺産でも芸術作品として展示される環境に置かれると、

それが何であれ芸術作品になるという二流のアーティスト論に対し、

例を挙げれば、大きめの鏡を前に映し出されたあなた自身が、

アートにとって重要な言葉を必要としない感性が生み出されるのは、

偉大な詩と同様、アートは日常的で不完全な感情をふるい落とし、

見る者を感性へと作品それ自体に引き付けるからである。


従ってこのブログはアートである。なぜなら、

ブログ上に書かれたものは空想ではなくできごとであるからだ。

スピリチュアルな感性と同時に、

現実をシンプルにすることで日常生活に喜びが感じられるからである。

感情を感性に高めて喜びを獲得すること、

それこそが私が行っている行為である。

概して私たちの生活は常に変化する感情的社会であって、

真実についての本質的な知識を必要としているのである。

現代アートの目的も同様に、

見る者の想像性に関してさらに洞察を得るための手段を与えてくれるものである。

実際、私たちはみな、外界から不完全な情報を受け取って、

独自の方法で完全なものへと仕立て上げてゆく。

アートが曖昧なのはそのためである。

感覚刺激は光学的なものであり、目が刺激されて生じる生物学的現象である。

対して、知覚とは感覚刺激とは異なり総合的に脳が関与する。

過去の経験や記憶、仮説の検証など学習に基づいて得られた知識と統合し、

それらに意味や有意性、価値を得ることでアートのプロセスとなる。

文脈がアートを提供してくれるのである。

問題なのは、その情報量が少なければアートとして不快なものとなり、

本質的にアートが快をもたらす理由は、

一般にそれによって想像的な自己が刺激され、ある種の芸術作品を前にして

ポジティブでスピリチュアルな経験がもたらされるからである。

視覚から得られる情報は真に脳による想像物であり、

私達が知覚するものは、現実と同時に生じるファンタジーである。

つまり、快をもたらすか不快をもたらすか。

事実に対する新たな事実がアートだ。




    つづく。