きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

整形外科に行く

2021-04-24 | 健康とか病院とか

数日前、また手首が痛くなったので、整形外科に行ってみた。
先生から痛いのはどこですか?と言われ、(今日は割りと落ち着いているのだけど)「ここいらです」と指をさすと、「この位置は腱鞘炎ではないと思いますよ」と言われ、レントゲン室へ。。。

やはり関節の骨?に原因があるのではないか?ということになり、「痛かったら注射をすると楽になりますよ」という話であった。(そこまで酷くはないと思い、大丈夫ですと言って帰ってきた。)

結局、ヘバーデン結節も関節の骨周りが腫れたりしているわけで、ホルモンバランスとかも関係するのかなぁ・・?その前には四十肩?五十肩?もあった。あの時も一時期は垂直から上に腕が上がらなくなってどうなるのかと思ったら、2年ぐらいしたらいつの間にか治っていた。厳密には元には戻っていないのかもしれないが、もう痛くも何ともなく腕も上まで上がる。

恐らくこの「骨?」なる原因も、1~2年したら何となく落ち着いているのでは?といいように解釈しよう。そうならなくても、一緒に付き合っていくしかないのだから。

ピアノが弾けなくても、写真は撮れるし、俳句も面白そう。季節に触れることは日々の生活を癒してくれる。コロナが終わったら、またカラオケにも行こう。楽しいことは土星のワッカのように、私の周りをいろいろキラキラ回っている。


今週は俳句が思い浮かばなかったなァと、歳時記を開くとたまたま「苜蓿(うまごやし)」という季語を見かけた。これはクローバー=シロツメクサのことなのだそうだ。
(昔の思い出の句を作ってもいいんだっけ・・・・)と思って、古き昔を振り返ると、(自分は学校がキライだった)という記憶である。幼稚園時代にいじめられて、小学校に上がっても(それを知らぬ児童が増えて濃度は薄まってきたが)、いじめる子がいるので、私は校庭の裏庭でひとりで、幸せの象徴である「四葉のクローバー」を細々と探していた、という記憶である。それが季語「苜蓿」から出てくる最初の引き出しなのである。(内容が暗くて句にならず)

(それじゃあなぁ~)と思って、更に「苜蓿」の記憶をたどると、次にはクローバーのペンダントが甦ってきた。たぶん父がどこかで買ってきてくれたのだと思う。記憶が正しければ、妹も似ているペンダントをもらっていたはず。そこからさらに連想して思い出したのが、「愛国から幸福行き」という切符である。当時その切符が流行していて、父がその切符の入ったキーホルダーを持ってきてくれたのである。(たぶん会社の粗品)

四葉のクローバーと言い、幸福行きの切符といい、父は娘に幸せになってほしいって願いがきっとあったんだねぇ・・・・。なのに私、こんな人生で良かったのかなぁ~・・・。でも、土星のワッカのようにキラキラ楽しいこといっぱいで生きてるから。。。。安心してね?(^_^;)



9 コメント

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じんわりと、感動 (onecat01)
2021-04-24 22:45:54
sakeさん

 文句なしに、応援 ! です。
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こんな人生で・・・ (marurobo36)
2021-04-24 23:32:28
こんな人生で 良かったんですよ きっと!!
生きてるだけでもっけもの!!
で行きましょう!!
keke君と一緒に 富士山にも行けるし、
コロナに感染して大変な事にもなってないし~
こんな人生で良かったんですよ きっと!!
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試練でも、幸せ! (mako)
2021-04-25 09:26:41
おはようございます。

そもそも、人生の幸せの基準てどこにあるのでしょうね。
何の不服もない人生なんて在り得ないと。
「今あることは、今起こっていることは後の試練かもしれないことを乗り越える為の訓練のもの。後のことに必要なプロセスかも知れない」そう思うことにしています。
それと、ちょっとね、視点を換えることでした。
例えば、手前味噌ですが、私には3人もの母がいます。
その始まりは8歳で母を亡くしたことから始まり、継母、そして、最終には養母。
もうそれだけで順風満帆ではなかったことが誰しも予想がつきますね。
それは私の人生に於いて必要なプロセスだったと。でもね、ちょっと視点を換えてみるとね、「私には3人もの母がいて何と恵まれていたことでしょう!」
そう思うことにしていたんです。
昔、exciteでブログを書いていたんですが。
そこで俳句絡みでそのことを書いたら、同級生で、お父さんが俳人さんだった同女子ですが、「3人もの母がいるのを恵まれていると思えるmakoちゃんは凄いこと」と他の同級生にメールで送ったそうです。
そのメールの相手が時々出て来る「蕎麦打ち名人」の男子でして。
人生色々ですが、正解なんて誰が決めるの?
そんな風に思って生きています。
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そうそう、俳句のことも (mako)
2021-04-25 09:38:56
俳句は辛い悲しいを書いてもいいんですよ。
ただ、季語の斡旋次第ですね。
悲しいことを言うのに、悲し気な季語を持ってくると、「付き過ぎ」というらしいです。
むしろ、明るい季語を持って対比させるのが良いとも学びました。
また、想いを書かなくても、目の前に在る「物」だけ並べてかいても、下手したら、名詞だけつらつら並べたような句でも名句になりますね。
ま、その時は助詞や助動詞などを使って、一物仕立てにするのですけどね。
前にも書いたかもしれませんが、手前味噌でゴメンなさいですが、
「新盆の遺影の前の哺乳瓶」などがその例で、新盆という季語に、ただ名詞だけを並べた句なんですね。角川俳句で採っていただきました。
要は淡々と観た景だけで詠むか、思いと相反する季語の斡旋で1句を成すということですね。
頑張って^^!
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>ねこ庭さん (sake)
2021-04-25 10:38:00
ねこ庭さん、こんにちは。
私は先日から「俳句」を勉強を始めました。今年の桜を見て急に思い立ったんです。「日本の桜っていいな」から始まって「この季節に対する思いを何か表現できないものか」と思って、たまたま俳句を作られるブロ友さんがいらしたことから、「触りだけでも勉強しようかな」と歳時記を買いました。

政治活動はちょっと苦手ですが、日本の古来の俳句や季節への思いを綴ることだったら、誰から反発もなく国への恩返しにもなるのでは?!と思ったのです。^^(馬渕大使の語る心の浄化にもなるのではと)

そして何か美しい(?)一句を詠もうと思うと、どうしても過去の思い出を振り返ることになり、昨日は四葉のペンダントと、幸福ゆきの切符を思い出しました。そして50年も過ぎてから父の思いに気がつきました。

そんなこともあるんですね。ねこ庭さんの綴られている毎日のブログもきっと、将来息子さんが読まれてその思いを感じる日が来ると確信しました。子供って、うんと後になって気がつくことがあるんですね。^^息子さんにブログの場所を教えてあげてくださいね。
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>maruさん (sake)
2021-04-25 10:54:30
そうですよね!
コロナになっても通常通り仕事してお給料をもらえるだけでも感謝しないと。また今度も緊急事態宣言で営業できないお店もあるようですよね。ちょっと夕方から買いだしで様子を見ようと思いますが。。。大型店舗も自粛と読んで、気になっているところです。

父も晩年に「娘は2人とも幸せでよかった」と言っていたので、私も良かったと思ってもらえているのかな?(ボケていて認識ができなかったのかもしれないですが)
あの世で安心していることでしょう。親子2人で仲良く暮らしていてほっとしていると思います。

ある本で「一番の親への供養は今、幸せでいること」と書いてありました。
あの世から親が見て「あれが自分の娘なんですよ、幸せそうでしょう」と言えることが一番の供養なのだそうです。
とりあえずkekeと仲良く暮らしていて、喜んでもらっているんじゃないかな~?と思います。^^
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>makoさん (sake)
2021-04-25 11:54:43
そうでしたよね、makoさんはお母様が早くに亡くなられてて、他にお母さんと呼ばれている方がいるとブログに書かれていました。makoさんはそのことを前向きに思われているとのことですが、きっと苦労もあったと想像します。

今だって、娘ぐらいに年の離れた新人さんが入ってきましたが、どう接していいかよく分からないぐらいです。あまりかまって、うるさく思われるのも嫌だろうし、女同士ゆえに難しいですね。男の子だったら相手もそれほど気にしないのでしょうが。年が離れているから愚痴で気をひくのも大人気ないし、愚痴をだんだん聞いてくると、今の職場がつまらなく思えてきちゃいますよね。と言っても、流行のドラマやスポーツは一切知らないし。何を話していいのか分かりません。

悪気はないのだけど、彼女にとって私が居心地いい存在になっているのかどうか、微妙です。きっとmakoさんの継母さんも、悪気はなくてもどう接していいか分からないこともあったと想像するんですよね。
でもそういうことも、前向きに良い経験として栄養にしているmakoさんは素敵だと思いました。^^
そうなんです、いくら絵に描いたように幸せな環境にあっても、その人の心が満たされなければ、更に上、上を望むでしょうから・・・案外、現状を楽しんでニコニコしている方が幸せなような気がします。^^

そして俳句は、悲しいことに新しい季語で対比させるという手段があるんですか?!
つくづく思うけれど、それって読み手に俳句のたしなみがあってこそ、伝わるんですよね。私が名句を読んでも何も気がつかないでしょうから。。

思いと相反する季語を入れて作るなんて、高級テクですね。悲しい+悲しい季語は、句会の場がしらけてしまいますよね。俳句って同情を得るための文学ではないと思いますものね。

愚痴っぽい人は俳句に向かない・・・いや、愚痴ぽくても俳句をたしなむうちに、性格が上向きになるような気がします。17文字の世界で悲しい訴えをおこしては、周りがみんな引いていきますからね。
悲しみも、明るいクリームで包んで柔らかに・・というのが俳句の世界だと思いました。(しいては日本の心とも)
背筋を伸ばすように、心の姿勢も整えて詠みたいです。(^_^;)
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こんにちは♪ (みみ)
2021-04-25 12:32:12
私も幸せの基準は自分が決めるものだと思ってます。
それに下を向いて歩いていると不幸な人に見られそうだけど(笑)上を向いて歩いていると元気そうに見られる・・・かな?
だから「上を向いて歩こう」がヒットしたのか?
それはともかく sakeさんは少なくても不幸な部類には入らないと思います。
これだけは自信もって言えますね 私。
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>みみさん (sake)
2021-04-25 16:56:51
私はこの業界に入った当時(20数年前ですね)、社内で姓名判断のホームページをみつけて、やったことがあるんです。
それで私の名前の画数が良かったことで、ある人から「それじゃこの占い当たってないね(私が不幸と言う意味)」と言われたんですよ。「感じ悪い人!!」と思って、20年以上経った今でもしつこく覚えています。
(その人は会社をやめているので、もう会うこともありませんが。)

当時は何かとそういういい方されることが多くて・・・腹が立つ・・というより、悲しいことが多かったです。
不幸に見られているというのもそうですが、それを平気で口にする人の無神経さですね。
ブログ開設もその鬱憤晴らしもありました。

でも今にして思うと、そんなことを平気で人に口にする心の貧しいこと。
当時は悔しくて悲しくて・・でしたが、今だったら「こんな人がいてこんなこと言われたよ」とブログに書いて笑い飛ばせると思います。人の気持ちが分からない可哀想な人だなぁと。

それもこれも、今までの歩んだ経験から生まれたんですよね。これから息子のことも「まだ結婚しないのか」とか「自立しないのか」とか「孫は」とか、言ってくる人もいるかもしれませんが「とっても親孝行な息子なので親と一緒に暮らしてくれるんです」とハナで笑ってやろうと思って楽しみにしてるんです。

幸せの基準とか、子供はこうあるべきとか、人それぞれでいいと思うんですよね。
みみさんの言われるように、自分の受け止め方だったんですね。息子のことも悩んで下を向いていると、みんなに余計なことを言われて更に傷つく・・・でも、笑って上を向いて歩いていると、誰も何も言わずに受け入れるんですよ、同じ状況ででも。

父もある時期からそれに気づいたのだと思います。アクシデントも多かったけれど、その分成長させてもらえましたよね。^^
しかも自由だし。これで良かったのだと思います。
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