私も時々読んでいる「人生案内」である。
6月3日の「心満たすほめ言葉がほしい」と言う相談者に対して、海原純子先生はこのように書いた。
「あなたが心を揺さぶられ思わず立ち止まるすばらしい絵を描いた作家は、ほめ言葉がほしくて絵を描いたのでしょうか。すばらしい曲を作った音楽家はほめられるために作曲したのでしょうか。皆それぞれ才能に磨きをかけ、他人の評価やお金もうけなど無関係に、必死に努力し身を削って命がけで表現したのです。
多くの作家たち、作曲家は世間から認められず、不遇のうちに亡くなりました。彼らは不幸だったのでしょうか。ほめ言葉やお金がなくともしっかりと自らの表現を貫いたその姿勢に、人は心からの称賛をおくるのです。ほめ言葉を手放した時、自分の本当の人生がはじまります。」
↑
上の「ほめ言葉」を好きな言葉に置き換えてみよう。
例えば、私だったら「愛される人」かな。
「sakeさんは誰かから愛されるために勉強やドライブやカラオケをしているのでしょうか。いいえ、それとは無関係に必死で努力し命がけで表現したのです。sakeさんは愛される人もなく不遇のうちに亡くなりましたが、不幸だったでしょうか。それを手離した時、sakeさんの本当の人生が始まります。」
こんな感じかな。。。。(^_^)
ゼミ仲間のM君が「人は何かのために生かさているものだ。息子さんも早くそれがみつかるといいのに。」と言うようなことを言った。
私は思わず、「M君はそれがみつかったの?」と尋ねると、「まだみつかってないよ」と笑った。
私もそう言う「何かのため」とか「生かされている」とか、運命だとか神様だとか、そう言うのが好きである。
宗教だの霊だの天国だの、非科学的なものは一切信用してないが、運命とか神様の存在は好きなのである。
これは矛盾しているようだが、私の中では一本線が通っているのである。
ふいなきっかけで、車に乗り始めたときに私の中に「ピタッ」と何かが宿ったのである。
これだ!と思ったのである。
そして、とりつかれたようにグルグル車を乗り回したのである。
私は常人なので、日常レベルの範疇内でとりつかれているが、そのレベルが上がると、芸術家や科学者のように人生を掛けて追い求めるようになるのだろう。それは賞賛のためにやっているのではなく、結果的にその姿勢がそれにつながったのである。
そうか!
結婚していた時はいい母、いい妻をめざして、毎日花粉を除去するために布団にまで掃除機を掛け、料理を手作りし、布オムツも洗濯していた日もあったっけ。
転落人生。
「不遇」と呼ばれようと、呼びたい奴は呼べばいい。
「いい妻」から転落した私。
ある意味いいきっかけだったかもしれない。歌の神様と運転の神様が私に「行け!」と命ずる合図だったとしよう。
「いい母」からも転落しつつある今日この頃。
私は思いのままに走り続けるのだ。
6月3日の「心満たすほめ言葉がほしい」と言う相談者に対して、海原純子先生はこのように書いた。
「あなたが心を揺さぶられ思わず立ち止まるすばらしい絵を描いた作家は、ほめ言葉がほしくて絵を描いたのでしょうか。すばらしい曲を作った音楽家はほめられるために作曲したのでしょうか。皆それぞれ才能に磨きをかけ、他人の評価やお金もうけなど無関係に、必死に努力し身を削って命がけで表現したのです。
多くの作家たち、作曲家は世間から認められず、不遇のうちに亡くなりました。彼らは不幸だったのでしょうか。ほめ言葉やお金がなくともしっかりと自らの表現を貫いたその姿勢に、人は心からの称賛をおくるのです。ほめ言葉を手放した時、自分の本当の人生がはじまります。」
↑
上の「ほめ言葉」を好きな言葉に置き換えてみよう。
例えば、私だったら「愛される人」かな。
「sakeさんは誰かから愛されるために勉強やドライブやカラオケをしているのでしょうか。いいえ、それとは無関係に必死で努力し命がけで表現したのです。sakeさんは愛される人もなく不遇のうちに亡くなりましたが、不幸だったでしょうか。それを手離した時、sakeさんの本当の人生が始まります。」
こんな感じかな。。。。(^_^)
ゼミ仲間のM君が「人は何かのために生かさているものだ。息子さんも早くそれがみつかるといいのに。」と言うようなことを言った。
私は思わず、「M君はそれがみつかったの?」と尋ねると、「まだみつかってないよ」と笑った。
私もそう言う「何かのため」とか「生かされている」とか、運命だとか神様だとか、そう言うのが好きである。
宗教だの霊だの天国だの、非科学的なものは一切信用してないが、運命とか神様の存在は好きなのである。
これは矛盾しているようだが、私の中では一本線が通っているのである。
ふいなきっかけで、車に乗り始めたときに私の中に「ピタッ」と何かが宿ったのである。
これだ!と思ったのである。
そして、とりつかれたようにグルグル車を乗り回したのである。
私は常人なので、日常レベルの範疇内でとりつかれているが、そのレベルが上がると、芸術家や科学者のように人生を掛けて追い求めるようになるのだろう。それは賞賛のためにやっているのではなく、結果的にその姿勢がそれにつながったのである。
そうか!
結婚していた時はいい母、いい妻をめざして、毎日花粉を除去するために布団にまで掃除機を掛け、料理を手作りし、布オムツも洗濯していた日もあったっけ。
転落人生。
「不遇」と呼ばれようと、呼びたい奴は呼べばいい。
「いい妻」から転落した私。
ある意味いいきっかけだったかもしれない。歌の神様と運転の神様が私に「行け!」と命ずる合図だったとしよう。
「いい母」からも転落しつつある今日この頃。
私は思いのままに走り続けるのだ。
そうでしょうか?
「社会的に認められたい」「自分の知識欲を満足させたい」
頑張る原動力って、そんなことじゃないかな?
芸術家だって認められたくて頑張ってるのと違うかな?
もっとも、社会的に認められるなんて大それたことと無縁の一般庶民は
「誰かを満足させたい」といった思いで頑張ることが多い気がするけどね。
sakeさんが、勉強やドライブやカラオケを頑張っているのは
自分を満足させたいからじゃない?
誰かに認められなかったら不幸かって言われたら
一概に不幸だと言いきれないけど
でも、
ほめ言葉やお金がなくともしっかりと自らの表現を貫いたその姿勢に、人は心からの称賛をおくるのです。ほめ言葉を手放した時、自分の本当の人生がはじまります。
っていう海原淳子先生? の 言葉には、なんだか
(ふぅ~ん…(-_-))と同意できない私です。
「そういう海原先生は、社会的に認められているから…誰かを満足させたいから、心療内科医で、そのうえ人生案内の回答なんてやってるんじゃないの?」
なんて思ってしまいます。
ちょっとへそ曲がりですね (^^ゞ
「人生案内」知りませんでした。
読売なんですね、お気に入りに即入れました。
毎日更新のようなので今日から読んでみることにします^-^
私だったら。。。
何だろう、、
浮かばん。。。^^;
難しいわぁ^^;
芸術家や音楽家って確かに、
自分の好きな事に命をかける人も多い(でも自分の才能を評価されたいと思ってた人もいるとおもう)、金がなくても明日食えなくても、、ってとこがある人が多いのは事実。
でも相談者の褒められたいと芸術家の評価されたいはちょーっと違うような気もするけど。。。
相談者が何か命をかけて死にものぐるいで命がけでしてるのならまだわかるけど。
この答えを読んで相談者は気持ちがスッキリ解決した事を祈るばかり。。
って・・・sakeさんが言いたかった事はこんなことじゃないよね!、ゴメンゴメン^^;
へそ曲がり2号かぁ?^^アタシ(笑)
たしかに~有名な心療内科で新聞のお悩みコラムももっておられる先生が「賞賛されなくても」云々と言う言葉は説得力がないかもしれません。
なるほどなぁ。
私は最近職場でも家でも褒められた事がなく、
この回答を読んで「そうっか~!ほめられなくてもいいのか!」と感激してコピペしたのですが、そう思う事自体、本音は誰かにほめてもらいたいのかもしれません。
うさぎさんのコメントを読んで「誰かを喜ばせたい」と言う気持→思い遣りのある方なんだなぁと思いました。
相手を先に喜ばせれば、自然と「ありがとう」と言う心の交流が生まれますものね。^^;
私とかあまり奉仕の気持がないと言うか、行動が自分中心の世界でクローズしてるんですね。よく言えば一つの事に邁進するのですが、周りが見えなくなる。
周りからほめられることが無い、と言うのもそれが要因かもしれません。
これからは「ありがとう」と言われるように・・・うぅ、そんな人周りに誰も居ない気がしますが、頑張ってみようと思いました。
私は何年前から読んでるんだろう?週に2回ぐらいは読みに行っていて、ほとんど読んできたような気がします。
回答は何人かの心療関係の先生や作家さんらが順番で答えているんですよ。^^;
たしかこの前後に大学を休んでいる息子の親御さんの悩みがあったような。。。(答えは参考にならなかったけど)
で、答えも相性があると言うか、私はこの海原先生が好きなのね。
じゅちろうさんが言うように、回答を読んで悩み主がスッキリするかどうかは、分からない。正論でも悩んでいる人には納得できない回答もあると思うし。
それも含めて、面白いです。
女らしいって言うかさぁ~、要は「こだわり」ですよ。
私とかまだ人間ができてないので、「これがもしもあったらば」とか思っちゃうんだよね。子の悩み相談者だったら「ほめ言葉」だったんだけど、そんなのって、しがみつくような事でないんだと改めて思ったの。
本当に大切なものは、自分がほしいとこだわるものより、意外と足もとにあるものではないか。。。
じゅちろうさんは、そんな風にしがみつくものはないのではないでしょうか?
それが良いのではないかと思いますよ。^^
(書いちゃってから気にしてもしかたないのにね )
私の悪い癖です。
こんなキツイコメントに 思いやりのある…なんて返信を書いてくれるsakeさんこそ
やさしいですよ
私って、昔から 人生相談やら育児相談やらに
偉そうに回答している人が嫌いなの
中には「なるほどねぇ~」って思うことも少なくないけど
多くは「そんなこと言われなくったってわかってる!
それでも悩んでるから相談してるんじゃない」
などと反発してしまいます。
育児相談も同じ。
息子2人 育てたけど育児雑誌は大嫌いでした。
健康面や食事面などは、色々参考にしたけど
「子供の育て方」みたいな育児雑誌は本当に1冊も読んでません。
だって、みんなそれぞれ違うじゃない?
悩んでいる事だって、困っていることだって…。
一般的な回答はあるだろうけど、「子供を育てるってのは・・・」みたいに
決まりきった事を書かれちゃうと
「うちの環境や子供の性格が、あなたにわかるの?」って(苦笑)
誉めてあげればいい子なのか、厳しくしたほうがその子の為に良いのか、
その子によって違うし、それが一番良くわかっているのは母親じゃないかな?
それに、母親が自信を持って子供を育てなくちゃ、
その自信の無さは、絶対子供に見抜かれると思う。
母は強し って言うでしょ?
いろんな意味で、強くて良いんだと思います。
人生相談も同じ気がします。
そんなへそ曲がりの私なので、ついつい回答者の海原さんに噛みついてしまいました(^^ゞ
私は育児雑誌のように育てようとしては挫折して現在に至っています。育児雑誌のようには育たないと悟るのに2年ぐらい時間が掛かりました。
うさぎさんが言うように、子供も性格や個性、親にも性格がありますから、同じ悩みに対して「こうしなさいよ」と一概に言えないんですよね。^^
この子には励みになる言葉も、ある子にはプレッシャーになって緊張になってしまうことがあると思うんです。それは今まで培ってきた親子の絆が一番だと思うんです。
そう思うと、人生相談の答えも、同じかもしれないですね。
本当に二つの選択肢で悩んで相談する人もいますが、多くはこちらを選ばなくてはいけないけど、その心構えで悩んでいる事が多いですから、「こうしましょう」と言われたところで、スッキリはしないことが多いかもしれません。
私もkekeの中退だのに投稿しようかな、と一瞬思ったので、悩んでいる人は本当に悩んで投稿しているのでしょう。そういうのを踏まえると、ちょっと手厳しい回答もあります。
子育ては「子育てにマニュアルが無い」って気付く事が一番の成果かもしれません。
子育てをしたことが無い人は、それが分からないので、「ああしつけたからこうなった」と言いがちですね。
うさぎさんの「偉そうに回答」って言うニュアンス分かりますよ。
こう言う回答を出されている方なのですから、人目やほめられたいと言う動機では無くて
(一方通行でも)人の役に立ちたいと思って今のポジションを築いたのだと思います。
まゆままさんのお友達も何か立ちあげられたんですね。^^
ボランティアのような計画なのでしょうか。お金が払われないものだと余計に意識?に見返りを期待する方もいるかもしれません。
人間関係もいろいろ難しいですよね。
偶然 オジャマしました^^;
家を出て 子供と3人 実家に居候生活二ヶ月半のワタシです
sakeさんの言葉が 他の方のコメが どれも胸を揺さぶります
40も過ぎて 親と怒鳴り合ったり 自分がこんなにだらしなくて ダメダメな人間と思い知らされています
ひとつずつ sakeさんのブログ 読み進めていきます
その先に 何があるか 判らないけど
無気力な毎日の中で 『読みたい』って そう思えるから
突然のコメ失礼しました
私が離婚したのは14年前です。
もうすっかり昔話になってしまいました。
当時、親にはイヤミを言われました。
2度も出戻ったので、親も言わずにはいられなかったのでしょう。
でも、私が息子に今、怒鳴っているのに比べれば私の両親の方がはるかに「まとも」でした。
私もとてもだらしないです。
掃除も2週間に1度できればよい方です。
私もダメダメ人間だと思っていますが、どうやらそれも子供に悪影響を与えていたようです。
まだとんちんさんは間に合います。
お互い、ここで愚痴って、子供の前では明るいお母さんで居ましょう。
そんな風に役に立てばうれしいです。