きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父の思い出総集編(ブログの最初の頃)

2014-08-10 | あとから選んだ総集編
昨日は料理屋さんで打ち合わせ。
妹が仕事が無い日を選んで私も一緒に行けるようにしてくれたようである。

ボンクラな私はほとんど発言らしき発言もせず、妹と担当の方のやり取りを見ているだけであったが、ふと父が生前「葬式には自分の歌っている歌をバックに流してほしい」と言っていたのを思い出し、その時流すのはどうかしら?と言うと、妹も賛成してくれた。(それが唯一の発言であった。)

父の経歴書が書けなくてと妹が言うので、「たしか出身学校は○○○だったような」と言うと、「お姉ちゃんが覚えている事があったら後でメールで送ってね」と言うので、そうすることにした。

家に帰ってから、できるだけいろんなことを思い出したいと思い、このブログの「父の記録」のカテゴリーの古い記事をざざっと読み返した。と言うのも、父は一時期、昔の同じ話をグルグル繰り返していた時期があったので、何か出てくるかもと思ったのだ。
本当は父との思い出は悲しくなりそうなのでしばらく封印する予定だったが、必要に迫られ読んでみるとどれもこれも和やかな思い出になっているのを発見する。

●父の話(2004年6月20日)

ブログを初めて2ヶ月が経ち、父をざっくばらんに紹介。
まだ認知症の兆候に気づかず「昔話を繰り返すボケ老人」なんて書いている。
ブログに父が登場するのは月に2回程度なのだが、今振り返ると、この「父の記録」のカテゴリーが一番充実しているような気がする。この後10年間父を介護し続けた妹はよく頑張ってきたものだ。
ここに登場する「設計会社の社長さん」も今は息子さんの代に変わっている。お元気なのだろうか。この時、父から電話の一本でもさせておけば良かったなぁと今思う。

●桜咲く母の法事で(2005年4月10日)

このカテゴリーの中でも、私がもっとも好きな記事。
母の法事で挨拶をする父の言葉にのけぞってしまいながらも、両親の仲のよさを思いユーモアと温かさを揃えたヒトコマ。
ちなみに父の遺影は、自分で選んであり、母の遺影の写真の裏に重ねて一緒に額縁に入れていたらしい。どんな写真なのか楽しみだ。

●妹のプチ怒り(2006年9月18日)

この記事を読んで、普段笑わない自分が吹き出してしまった。
ここで笑いのツボにストライクと書いてあるが、8年経った今でも笑いのツボに入ってくる。
これから何か悔しい事があるたびにこの記事を読んで笑おうと思い、選出。


こうして振り返るとまだ父が認知症と分かる前は、日に日に行動が逸れて行く父に呆れ、コバカにもしていたようだ。
妹夫婦が出かけてたまに父の所に行かなければならない時は「やれやれ、またあの話を繰り返されるのか」みたいな感じで、その一方でそんな風に思ってしまう自分を「でもいずれ別れがくるから後で後悔しないように」なんて書いている。

今になって振り返ると、こうしてコバカにしたり、いらだっていたことも、父が元気だった頃だなぁと思える。
「もっとああしておけば」みたいな後悔はなく、ただ、ただ、「父が元気でこんな頃もあったなァ」と言う感じ方である。このあと父の病気が分かり、逸脱さを増し、やがて病院に入る。その変化の中でだんだんと気持も代わっていったようだ。

経験者の方のコメントを読んでも、たぶんみんな父と同じような経過をたどっているような気がする。
今、親との関係がイマイチと思われても、10年の間には少しづつ変わっていずれはみんな同じ気持になるように思う。
今となるとどれも楽しかった思い出になりそう。