久しぶりに父の歌声をカセットテープで聴いた。
「これは何の曲だろう?」と言うと妹が杉良太郎の「すきま風」だよと言う。
「え?そんな曲歌ってたっけ?」と言うとけっこう歌っていたよ、と言う。
妹と私で、記憶にズレがあるようだ。
妹の旦那のお母さんが、「これがお父さんの声で聴けたらねぇ」と言うので二人で「父の声です。」と言うと、えっ!と驚いて、これはお父さんの歌声?何てうまいんでしょう?!音もきれい、どこで録音したの?と言うので、二人で「自宅です。」と言うとたいそう驚く。
「録音している時は音を立てちゃダメって言われるんだよね」と妹がいい、そうそうそうそう!と私は思い出した。でもこうして大人になってから改めて聴くと、本当にカラオケと歌のバランスがよくきれいに撮れていた。
しばらくすると「愛の水中花」がかかったので、「あれぇ~?」と私は言い、「これおじいちゃんが歌ってたっけ?自分でTVで覚えた曲かと思ってた」と言うと、「歌ってたよ」と妹は言い、「うちにレコードがあったもん。松坂キョウコがバニーガールになってるんだよ」と言われて、ジャケットを思い出した!
「そうだそうだ、うちにレコードがあったっけ。」と私は言い、だからこの歌歌えたのか、と言う。
「津軽海峡冬景色」も父が歌っていたのは覚えていなかった。でもたぶん父の歌で覚えたのかもしれない。「北の宿から」を年中歌っていたのは覚えていたが。。。
こう聞いているうちに、「カラオケ行きたいよね」と言う話になった。
そして父の娘2人、孫3人、全員カラオケ大好きで、これは「血が騒ぐ」と言うほど好きで、私達はこうして年中父の歌を聴かされて好きになったとしても、孫達は家でカラオケをしていないので「カラオケ好き遺伝子」が血液のどこかに組み込まれているのだろうと思われる。
全てのイベントが終わると、下の姪を連れて3人でカラオケに行った。
姪っ子はお気に入りのK-POPを歌い、私と妹は交互に父がよく歌っていた曲を歌うが、3時間歌ってもまだ歌いきらないほどだった。
妹は「歌える自信が無いけど『群青』を入れてみたい」と言う。
この谷村新司の『群青』は、私がkekeのお産の後に何度も聴いていた曲である。
自分の好きな音楽を持ってきておらず、家にあった谷村新司のCDをずっと聴いた。その時この『群青』が気に行って、何度も何度もリピートして聴いていると、母もこの歌が好きな歌だと分かった。
「この曲、お母さんも好きだった曲だよね」と言うと、妹曰く、この歌を父が歌うと最高だったと言う。
「でも(母が)この曲を聴くと戦死した父親を思い出すから、だんだん歌わなくなったんだよね。」と妹は言う。その話も私は知らなかった。
私が久しぶりに入れてみたかったのは、石原裕次郎の「時よお前は」梅沢富美男の「キャラバン」である。
忘れてしまっていて一人で歌える自信がなかったのだ。(でも歌っているうちに思い出せそう。)姪は梅沢富美男が歌手だったことを知らなかったので、ウケていた。
そして3時間歌うと、「それではそろそろ自分の好きな歌を」と妹は言い、ファンになっている何とかと言うK-POPグループの曲を入れ、「今度ハイタッチがあたった」「(下の姪と)コンサートに行く」等と言う。
何人かのジャニーズみたいな男の子が歌いながら踊り、妹は「この人が好き」と言い、途中歌わないので何をしているのかと思うと「今、ホントの声が聞こえたから聞いてたの」等と言う。そしてヒトカラをしていない妹がここまでノリノリ完璧に歌えるところをみると、いったいどれだけ家で聴いているのだろう。これでは氷川きよし、ペ・ヨンジュンを追いかけるオバ様と同じである。
あぁよく歌った歌った、と私達は言い、帰りながら「おじいちゃんの歌だけでこんなに歌える」「もっと定番な歌はまだ歌ってないのに。」と姪を驚かせ、「矢沢永吉はまだ1曲も歌ってなかったね」と言う。
「永ちゃんの歌は難しい」と妹は言い、「バラードは自分で歌ってもお経みたいになるんだよね」と言うとそうそうと妹も言い、「あの歌でうまさが分かる」「ああは歌えない」と口々に言い車に乗った。
「おじいちゃん、きっとそうだろそうだろと言ってるよ。」とシートベルトをしながら妹は言い「これ、sake家には一番ぴったりした偲び方だよね・・・・人には言えないけど。」と言って車を走らせた。
人には言えないけど、ブログには書いておこう。今日の記録として。
「これは何の曲だろう?」と言うと妹が杉良太郎の「すきま風」だよと言う。
「え?そんな曲歌ってたっけ?」と言うとけっこう歌っていたよ、と言う。
妹と私で、記憶にズレがあるようだ。
妹の旦那のお母さんが、「これがお父さんの声で聴けたらねぇ」と言うので二人で「父の声です。」と言うと、えっ!と驚いて、これはお父さんの歌声?何てうまいんでしょう?!音もきれい、どこで録音したの?と言うので、二人で「自宅です。」と言うとたいそう驚く。
「録音している時は音を立てちゃダメって言われるんだよね」と妹がいい、そうそうそうそう!と私は思い出した。でもこうして大人になってから改めて聴くと、本当にカラオケと歌のバランスがよくきれいに撮れていた。
しばらくすると「愛の水中花」がかかったので、「あれぇ~?」と私は言い、「これおじいちゃんが歌ってたっけ?自分でTVで覚えた曲かと思ってた」と言うと、「歌ってたよ」と妹は言い、「うちにレコードがあったもん。松坂キョウコがバニーガールになってるんだよ」と言われて、ジャケットを思い出した!
「そうだそうだ、うちにレコードがあったっけ。」と私は言い、だからこの歌歌えたのか、と言う。
「津軽海峡冬景色」も父が歌っていたのは覚えていなかった。でもたぶん父の歌で覚えたのかもしれない。「北の宿から」を年中歌っていたのは覚えていたが。。。
こう聞いているうちに、「カラオケ行きたいよね」と言う話になった。
そして父の娘2人、孫3人、全員カラオケ大好きで、これは「血が騒ぐ」と言うほど好きで、私達はこうして年中父の歌を聴かされて好きになったとしても、孫達は家でカラオケをしていないので「カラオケ好き遺伝子」が血液のどこかに組み込まれているのだろうと思われる。
全てのイベントが終わると、下の姪を連れて3人でカラオケに行った。
姪っ子はお気に入りのK-POPを歌い、私と妹は交互に父がよく歌っていた曲を歌うが、3時間歌ってもまだ歌いきらないほどだった。
妹は「歌える自信が無いけど『群青』を入れてみたい」と言う。
この谷村新司の『群青』は、私がkekeのお産の後に何度も聴いていた曲である。
自分の好きな音楽を持ってきておらず、家にあった谷村新司のCDをずっと聴いた。その時この『群青』が気に行って、何度も何度もリピートして聴いていると、母もこの歌が好きな歌だと分かった。
「この曲、お母さんも好きだった曲だよね」と言うと、妹曰く、この歌を父が歌うと最高だったと言う。
「でも(母が)この曲を聴くと戦死した父親を思い出すから、だんだん歌わなくなったんだよね。」と妹は言う。その話も私は知らなかった。
私が久しぶりに入れてみたかったのは、石原裕次郎の「時よお前は」梅沢富美男の「キャラバン」である。
忘れてしまっていて一人で歌える自信がなかったのだ。(でも歌っているうちに思い出せそう。)姪は梅沢富美男が歌手だったことを知らなかったので、ウケていた。
そして3時間歌うと、「それではそろそろ自分の好きな歌を」と妹は言い、ファンになっている何とかと言うK-POPグループの曲を入れ、「今度ハイタッチがあたった」「(下の姪と)コンサートに行く」等と言う。
何人かのジャニーズみたいな男の子が歌いながら踊り、妹は「この人が好き」と言い、途中歌わないので何をしているのかと思うと「今、ホントの声が聞こえたから聞いてたの」等と言う。そしてヒトカラをしていない妹がここまでノリノリ完璧に歌えるところをみると、いったいどれだけ家で聴いているのだろう。これでは氷川きよし、ペ・ヨンジュンを追いかけるオバ様と同じである。
あぁよく歌った歌った、と私達は言い、帰りながら「おじいちゃんの歌だけでこんなに歌える」「もっと定番な歌はまだ歌ってないのに。」と姪を驚かせ、「矢沢永吉はまだ1曲も歌ってなかったね」と言う。
「永ちゃんの歌は難しい」と妹は言い、「バラードは自分で歌ってもお経みたいになるんだよね」と言うとそうそうと妹も言い、「あの歌でうまさが分かる」「ああは歌えない」と口々に言い車に乗った。
「おじいちゃん、きっとそうだろそうだろと言ってるよ。」とシートベルトをしながら妹は言い「これ、sake家には一番ぴったりした偲び方だよね・・・・人には言えないけど。」と言って車を走らせた。
人には言えないけど、ブログには書いておこう。今日の記録として。