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「なるたけ医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣」/五木寛之さん

2014-05-12 | 読んだ本
「なるたけ医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣」/五木寛之さん

五木寛之さんと言う人は聞いた事があるが、本を読んだことは1度も無かった。
たまたま先日、雑誌か立ち読みか何かで読んでいつかそのうち借りてみようとチェックしていたのである。そして借りてみたのが上記タイトルの本である。

この本を読んで私はたちまちこの人のファンになった。
何て言うのかなぁ。一言で言うと「真っ当」なのである。
正々堂々でありながら、しなやかなのである。

この方は腰に持病があるそうで(80歳にもなるとあちこちに具合が出てくると書かれているが、ページを割く割合からも腰に相当神経を使っているように思われる。)そういうものも今さら治そうとはしない。症状が出ないように、時に身体を休め、負担のあるポーズは取らないように、症状をできるだけ表に出さないように仲良く付き合っていきましょう、と言う考えである。

「常に体に問いかけていれば、孤独ではないものです」とも書かれている。
「今日はどうだい、お前さん」と体に問い掛け、食べ物1つでもそれが今の自分の体に合うものであれば、良い便が出る。そういう所をチェックしてあとは運命に従って生きて行きましょう派である。前に紹介した近藤誠さんや、藤田紘一郎さんのセリフも出てきている。「病院にはなるべく行きたくない」派なのである。ご自身の選択で健康診断は行かない。症状が表れて手遅れになった時、その時はその時と考えるからなのだ。

「健康法とは他人の養生である。1万人に効果があっても自分に合っているとは限らない。自分に合わないと思うものはすべて続かない、自分の体の声を聞こう」
なんせ80歳も生きているじいさんなので、いろんな人の死に目を見ている。その結果「健康に注意している人が必ずしも長生きでない」ことを発見したようである。逆に仏教の創始者に(当時の時代にもかかわらず)長生きしている人が多いのに着目して、仏教からの引用も多い。(ご自身でも相当仏教を研究されているようである。)
「人生は苦しみの連続」として、一日何回か「あーあ」と深いため息をつくことを推奨。「笑うことも心身によいが、泣くことも同じ」と言う。「最終的には他力」と言う瀬戸内さんの言葉も引用、自分の心地よいことを愉しみながら、死については時期がくれば自然に迎えられる、と言う。

このおじいさんは、文章のいたるところに謙虚さがあり、ある種のお茶目を持っている。
60歳で免許を返納したそうであるが、1度も事故を起こさなかった。
「人からは運がいいと言われる、自分でも感謝している」とはしながらも、それでも実はこういう風に慎重に運転してきたんですよ、高速道路でもスピードは出さなかったし、列の最後尾にはならないようにしたし、要は頭を使って運転してきましたからね、なんてことをボヤく辺りがお茶目なのである。そしてそれがイヤらしくないのである。

こういう男性作家さんとは、もっと上から目線で自説論をかますものかと思っていたが、そういうおごりが文章にみじんもなく、人徳を感じる。(こうして書いてる自分の方が驕り三昧で恥かしい。)

文章を書いていると、その人柄が表れるのだなと私は発見した。
私のも悪い所がいっぱいある。それはそれで認め育てながら、このおじいさんのようにしなやかな人間になりたい。
まだまだ私は心のどこかで「自分は50年近く生きてきた、いろんな経験も悩みもしてきたから、人より考えてることがいろいろあるんだよ」そんな驕りがあるように思う。そしてそれをどうしても言わずにはいられないのだ。
そんな自分を諫め認め、私の自分の体の声を聞いて今日一日も元気に暮していこう。