藤田紘一郎さんの本「できる男はウンコがでかい」に書いてあったインドネシアの話である。
インドネシアでは「喜捨」と言う考え方がある。
お金を持っている人は持っていない人に施しをさせていただく、と言う考え方だそうだ。
お金は必要な分だけあればいい、捨てるぐらいなら自由に使ってください、と言う精神らしい。必要ないものをもらってもらうので、そこには見返りや感謝を期待しないそうである。
「そんな「喜捨」の精神で人と接しているとねたみやひがみ、恨みの気持が生まれなくなります。
他人に感謝を求め、期待する気持を持たなくなると、「自分がどうしたいのか」という、
自分に軸を置いた考え方ができ、生きるのが楽になるのです。」
(この3行は原文のまま)
ちなみにインドネシアでは「ありがとう」を「テレマカシー」と言うそうで、これは感謝ではなく「もらって当然」と言う意味だとか。その生活から藤田さんはこう考える。
「自分のやるべきことさえやっていれば、人からどう思われようとたいしたことではない。
陰で悪いことをしたり、他人を批判したりすることに意味はない。自分自身で物事を判断し、
自分で問題を解決することがいかに大事か。自分自身の「あるがまま」を感じ、
その「あるがまま」を率直に受け入れて生きていると、人生がおもしろいように輝きだすー。」
(この4行原文のまま)
日本は生活レベルが高すぎて、これでもかこれでもかとお金を使えてしまう。
お金を持っていることや、高いものを持つことがステータスにさえなって、持てる人と持てない人、ねたみやひがみでうずまいている。
本来だったら(私=ワーキングプアの生活レベルでも)貧しい国の人に比べたら全然幸せな暮らしなのに、隣の人はこれだけしているからと、妬む人、羨む人がいっぱいいる。
「自分はこれだけのことをしているから、これだけ贅沢して当然」みたいな驕り。
アメリカ流の考え方(戦いあって勝つことが素晴らしい)が正しいかのような錯覚。
年間3万人と言う自ら死んでいく人の数。(交通事故死の6倍以上だそうである。)
最近は生活保護にまでケチをつける風潮がある。
誰それは働けるのに働いていないとか、そんな風に。
(それでいて誰かが餓死してしまう時だけ大騒ぎ。)
その本家本元のアメリカに、キアヌリーブスさんと言う人がいて、どうやら映画界の大スターらしいのだが、お金もいっぱい持っているはずなのに、ベンチでひとりでパンとか食べてたりしてて、それが面白おかしいニュースになっていると言う。
私の勝手な想像だけど、この人はお金やステータスや地位に惹かれて取り巻く人たちが「アホ」に見えたのではなかろうか。だから生キアヌをわざわざそうやってさらしているのではないのだろうか。
まさに上の引用文の「あるがまま」精神。、ご本人はきっと幸せで、こんな自分がやがて認められるのを知っているのでは。(以上、勝手な憶測で失礼致しました。)
このニュースを読んで、そのうち将来はそういう時代になるかも、とかすかな希望を抱く。
インドネシアでは「喜捨」と言う考え方がある。
お金を持っている人は持っていない人に施しをさせていただく、と言う考え方だそうだ。
お金は必要な分だけあればいい、捨てるぐらいなら自由に使ってください、と言う精神らしい。必要ないものをもらってもらうので、そこには見返りや感謝を期待しないそうである。
「そんな「喜捨」の精神で人と接しているとねたみやひがみ、恨みの気持が生まれなくなります。
他人に感謝を求め、期待する気持を持たなくなると、「自分がどうしたいのか」という、
自分に軸を置いた考え方ができ、生きるのが楽になるのです。」
(この3行は原文のまま)
ちなみにインドネシアでは「ありがとう」を「テレマカシー」と言うそうで、これは感謝ではなく「もらって当然」と言う意味だとか。その生活から藤田さんはこう考える。
「自分のやるべきことさえやっていれば、人からどう思われようとたいしたことではない。
陰で悪いことをしたり、他人を批判したりすることに意味はない。自分自身で物事を判断し、
自分で問題を解決することがいかに大事か。自分自身の「あるがまま」を感じ、
その「あるがまま」を率直に受け入れて生きていると、人生がおもしろいように輝きだすー。」
(この4行原文のまま)
日本は生活レベルが高すぎて、これでもかこれでもかとお金を使えてしまう。
お金を持っていることや、高いものを持つことがステータスにさえなって、持てる人と持てない人、ねたみやひがみでうずまいている。
本来だったら(私=ワーキングプアの生活レベルでも)貧しい国の人に比べたら全然幸せな暮らしなのに、隣の人はこれだけしているからと、妬む人、羨む人がいっぱいいる。
「自分はこれだけのことをしているから、これだけ贅沢して当然」みたいな驕り。
アメリカ流の考え方(戦いあって勝つことが素晴らしい)が正しいかのような錯覚。
年間3万人と言う自ら死んでいく人の数。(交通事故死の6倍以上だそうである。)
最近は生活保護にまでケチをつける風潮がある。
誰それは働けるのに働いていないとか、そんな風に。
(それでいて誰かが餓死してしまう時だけ大騒ぎ。)
その本家本元のアメリカに、キアヌリーブスさんと言う人がいて、どうやら映画界の大スターらしいのだが、お金もいっぱい持っているはずなのに、ベンチでひとりでパンとか食べてたりしてて、それが面白おかしいニュースになっていると言う。
私の勝手な想像だけど、この人はお金やステータスや地位に惹かれて取り巻く人たちが「アホ」に見えたのではなかろうか。だから生キアヌをわざわざそうやってさらしているのではないのだろうか。
まさに上の引用文の「あるがまま」精神。、ご本人はきっと幸せで、こんな自分がやがて認められるのを知っているのでは。(以上、勝手な憶測で失礼致しました。)
このニュースを読んで、そのうち将来はそういう時代になるかも、とかすかな希望を抱く。
四行原文のまま、こちらの部分がなんだか
昨日私が描いたブログに少し似ていて、
ちょっとびっくりしました。でもこちらのほうは
さすがですね、自分自身を確固として持っている方は
おっしゃることが重身がある、凄いです・・。^^・
元気が出ました^^。sakeさん、今日の記事とても読ませていただいて元気が出ました、ありがとうございます!!
多分 賞を巡ってもいろんなやりとりがあるのだろうが、
いい作品を作ることにだけ、力を入れて、どんどん入ってくるお金には関心もなく
貧乏でシンプルな暮らしを楽しんでいる俳優さんは、女優さんは結構いるように
思います。
またそういう人達こそ、真の映画人、文化人なのだと思いますよ。
彼らの誇りとして、どんなに売れても決して、企業の広告には出ないですねえ。
なぜか分かりますか? 1企業の CM に出ると 多くにファンが離れるからだそうです。
日本の 俳優、女優さんや男優さんで そんな人いらっしゃいますか?
売れてもいないのにコマーシャルには出たいと、肩書きは 女優です、と
こんな世界は 日本だけと思いますよ。清涼飲料の CM に出ている人が結構、健康思考で
絶対に ベトベト甘いものなんか飲まない、ただしそのことは秘密、なんて人は山ほどいるのでは?
腸の先生も、本人も迂闊だったのでしょうが、胡散臭い宣伝に乗ってやられましたね。
どれだけ臭い世界かわかろうというものですね。本の世界も油断ができませんねぇ。
インドで施すというのは偉く素晴らしいと感じると思いますが、貰う側にすると屈辱的な事に成るようですから、あげますよって言うと馬鹿にしてるのか?と成ります。
人間は自分勝手で判断し、良い事だと思っている事は、実は非常に迷惑だと感じることも有るかもしれません?
問題は、言う側ではなく言われた側が間違って認識しないか?という事かも知れません。
出来れば自分の判断力の中でニュートラルにしないと真実は見えてこないかもしれません。
素直に受け入れる準備と柔軟な考えが必要なのかも知れません。
やっぱり人間は我儘です。不可解だ。
私もまだ確固たるものは持てていないのですが、kekeを見ているとそんな気がします。
息子に罪悪感を持って暮らしている自分が恥ずかしいと思うのです。
誰も傷つけてもいない、迷惑もかけてもいない。ただ生きることに消極的なだけ。。。
死んで行く人は、戦って勝ち取って行く社会に疲れてしまったのかもしれませんね。
もっとみんなでのんびり暮せたらいいですよね。^^
アメリカのスターはCMには出ないんですね。
それによってファンが離れる・・?
日本とは感覚が違うように思います。
日本で1000万円稼いでも3年経ったら無くなってしまいますから、自由業の方は稼げるときに稼ごうと思うのは無理がないように思います。
本を売る為には宣伝もしないとならないでしょうし。。。。しょうがないのかなぁという気がします。
あのCD買わす戦法?みたいなのはどうかなぁ。。。生きて行くためにはいろいろ考えなければならないけれど、ある程度お金が集まったら、それ以上ぜいたくしなくても良いのは・・・と言う気がしますね。
富って、ある人が抱え込むと、他には回らない気がするんです。仕方がない場合もあるけれど・・・見栄やぜいたく・・そんな見られたい概念?や「自分は当たり前」と思うことに抵抗は感じて行きたい気がするんですよね。。。
そうすると、何となく価値感が変わってくる気がするんだけど、どうかなぁ。。。
私は逆かと思っていました。
日本人が歩いていると、子供が何くれかにくれと言ってついてくる国だと思っていたからです。
私は大金持ちだったら、世界をあちこち旅行してみたいです。それでその話や写真を何かの形で伝えてみたい。
私はそういう話を聴くのが大好きなんです。
行ってみたいけど、自分は行くことができないから。
旅に出ている人のお話で代わりに行った気になれるから。^^
そういう好奇心はとても好きです。
そう言えば父も「人間はわがままなもの」と言ってました。そういうものなのでしょうね。
い様に感じます。ですが、これも考え
ると難解です。
(具体的に書くと問題がありそうなので)
一度あげると群れをなしてきます。でも
その方々は今日だけを生きるという感
覚が強いと思われます。施しは一瞬で
終わるのだと思います。
もしも、施しを正当に考えるなら一時的
では問題解決に成りませんから、一生
の間、その人に施すことが正しいのかも
解りませんが、逆に働く意欲を無くす事
に成るかもしれません。
そうすると、金持ちの自己満足?と批判
するかもしれません。
この考え方の尺度は皆様によってかなり
違うんだろうと思います。
やっぱり人間は難しい生き物ですね。
時々、自己反省と自問自答をしても結論
が出ない事が多い。
やっぱり受ける側の考え方が違う所に
委ねるんでしょうか?
単純にみんながほどほどに豊かさを分けあって、ニコニコ笑いながら暮らしたら良いのになァと思ったのです。
でも、それをありがた迷惑だと思う考え方もあるんですね。
どこで読んだのか、ある治安の悪い国の人に日本記者だか誰かが「大変ですね」と憐れんだところ、「おたくのように年間3万人も自殺する国の方がよっぽど可哀想」と逆に憐れまれたと聞きました。
やっぱり難しいですね。
みんながみんな幸せになるなんてことは、私が生きている間には実現しないような気がします。
ストレスがあまり掛からない程度にほどよく働いて1日の平和に感謝できたらいいなぁと思うのですが、やっぱり際限なく望みは膨れ上がるものなのでしょうかねぇ。^^
生まれた時から代々の金持ち
事業が成功して金持ちになった人
たまたま結婚した相手が金持ちだった
または金持ちになった
等々。
一番 始末に負えないのが“成金”かも
とは あくまでも個人的意見ですが。
全部のケースとご縁がない私が力説しても説得力ゼロでしょうけどね
私も自分は縁がないので、言いたい放題です。(^o^)
そうですね、お金持ちでもいろんな方々がいて、お金と言うより性格のような気もするんですよね。
よく二代目のボンボンと言う言葉もあるけれど、親の世代からお金持ちだった人は、どこかのんびりしてて心に余裕があるような気がします。庶民風な感覚があるような気がしますね。
なんとなく私が庶民なせいなのか、私の周りの友達はみんな庶民派なので、とても付き合いやすいです。
逆に友達がみんなブランド志向だったら、買えなくて淋しい思いをしたかもしれません。
そう思うと、友達にも恵まれたような気がします。^^