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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父の容態

2010-07-28 | 父の記録と母の思い出
父の手術もうまく行ったようで、よかった。

週末には行く事にしている。
認知症の専門病棟ではないから、いつも看護士さんの目も届いているわけではないし、父はもうナースコールのボタンも分からない。
だから、平日は妹が毎日通っている。

週末はどんなだった?と妹が言うので、いつもより大人しくて意識がはっきりしてないような感じだった、と言うと、「やっぱりそうだよね」と妹も言う。
急に環境が変わったせいなのか、痛み止めか何かの薬がそうさせているのか、眠たくてうつろと言う感じである。
骨折した事も分かってないので、姿勢によって足が痛くなかったりすると、どうして自分がここに居るのか分からない。
というより、前の施設やシアワセばあさんの事もすっかり頭から飛んでしまっている。

たまに父は不眠症になることがあって、そう言う時は逆に神経がしっかりしている。
どうして自分はここに居るんだ?いつからどうしてここに来たんだ?と気になって何度も尋ねる。
こう言う時のほうがむしろ、現役時代を彷彿させるが、でも、今度はそれしか頭にない。


Aさんともそんな話をするんだけど、この年になると、いよいよ(若い時分に描いていた)ごく普通の人生って言うのは、必ずしも努力や実績だけで届くものではない、と言うことだ。

「子供が障害があって、その上ダンナは子供の面倒もみず、夜中まで家に帰ってこないんだ。あれは可哀想だ。もう離婚すればいいのに。」と言うから、「でも、ダンナが居てきっと励みになっている部分があるんだよ。」と私は言う。
絶対にそんな事はない、それで義理親も同居で、孫をケイベツしてるんだ、と言う。

身近な者がそう言うのだから、やっぱりそうなのだろう。
それ以上は何も言えない。

私たちは、ダンナさえ居ればどうにかなる、どうにか心の支えにはなってくれるだろう、と思っているフシがあるけど、実際にはそうでないのかもしれない。
むしろ、この居心地の良さ、面倒のなさ、自由さには感謝するべきかもしれない。

あぁ、今日もまた仕事だ。
また怒られ怒られ、仕事をしますかな。

でも、家で義理親と一緒にずっと居るのもしんどいだろう。
大変なのは私だけじゃない。
むしろ、そっちの方が多数派なのかもしれない、この位の年になったならば。

当たり前の事。
でも、よくみんな死なずに生きているよなぁ。
みんながみんな子供が居るわけでないのに、何に支えられて生きてるんだろう。
私は全国の人に訊いて回りたいぐらいだ。

そして、どれだけの人がシアワセだって自覚しているのだろう。
こんな風に思うのは私だけなのか。