kekeは鶴の恩返しのように、部屋に篭っている。
昨日はご飯は食べれるようになったし、よく寝ている。
言いたい事は山ほどあるが、ちょっとためらっている。
こうして、一刻一刻と時は流れていく。
そう言えば、乳がん検診だ。
最後に受けたのは、1年半前だ。
行きたくなったのは、最近乳が張る感があるのである。
よく生理前とか、よくあることらしいので、そんなものだろうと思っているけれど、受けて何でもなければ安心ができる。
それに乳がん検診は、飲めないバリウムを怒られながらやっと半分飲んで、グルグル回されてゲロゲロ吐きそうになったりはしない。(MY実話)
あれは前の会社で体験したが、一度で懲りた。
マンモグラフティはちょっとつぶされて痛い感も多少あるが、耐えられないものではない。
この前(と言っても2ヶ月ぐらい前だ)、フォンドボーの彼が、社長のもとに挨拶に来た。
検査入院していたと聞いていたが、ものすごく痩せて、まるで別人のようだった。
うっかり口が滑って「やせましたね」と言ってしまったら、笑顔一つなく「17キロ痩せました」と言われた。
社長の見送り方と言い、あの様子・・ただならぬ様子。。。。
(そのちょっと前にAさんの事を「5年間は気が休まらなくて大変だよね」などと言っていたのに。。。)
周りの同年代でこう言う事が立て続けに何件もあるので、いよいよ私もそういう年代になったのだと思う。
少しでもその時に慌てないように、覚悟はしておこうと思うが、無駄な努力かな。
私がここ数年で目にするのは、澄み渡った空のように何ひとつ不幸の種のなさそうな人が、突然雷雨に遭う様である。
離婚・借金・病気・倒産・・etc
(自分でも家族でも)
生きて行くことは、ろくでもない事に襲われて、それを耐え忍んで進んで行く事なのかもしれない。
私らは子供の頃右肩上がりの時代を経験しているから、年をとれば金持ちになり、幸せになると信じていた。
ところがどっこい、年を取るとはそういう事ではなかったのだ。
明日誰に何が起こるかは、分からない。
人の不幸に理由や自己責任だけを探しているうちは、まだケツが青いとしか言いようがない。
理由はある場合もあるし、でも大抵はある日突然の雷雨である。
探せばありうるが、同じようにしている人が必ずしもそうなっているとは限らない程度の可能性である。
町中に居たって、ゴルフ場に居たって、雷雨には変わりない。
そんな風に考えて、他人がするかもしれない原因追求より、この雲が晴れるのを待ちたい。
ある日突然の雷雨はあるが、突然湧いたように幸福になる人は見た事が無い。
落ち着くのは時間が必要なのだろう。
受け入れる時間も、解決する時間も。。
昨日、読売オンライン(読売新聞)の人生案内(人生相談コーナー)をみてたら、何も起こらない平穏な人と、不幸・困難が起こる人がいる様な事が書いてあった。
どうしてそんなに不公平なのかと思うぐらい、ギャップがあるらしい。
その方曰く、不幸ばかりが起こる人はそれに耐えうる力があるから、神様から与えられているのではないか、と言う。
そう思うと、何かと納得できるではないか。
昨日はご飯は食べれるようになったし、よく寝ている。
言いたい事は山ほどあるが、ちょっとためらっている。
こうして、一刻一刻と時は流れていく。
そう言えば、乳がん検診だ。
最後に受けたのは、1年半前だ。
行きたくなったのは、最近乳が張る感があるのである。
よく生理前とか、よくあることらしいので、そんなものだろうと思っているけれど、受けて何でもなければ安心ができる。
それに乳がん検診は、飲めないバリウムを怒られながらやっと半分飲んで、グルグル回されてゲロゲロ吐きそうになったりはしない。(MY実話)
あれは前の会社で体験したが、一度で懲りた。
マンモグラフティはちょっとつぶされて痛い感も多少あるが、耐えられないものではない。
この前(と言っても2ヶ月ぐらい前だ)、フォンドボーの彼が、社長のもとに挨拶に来た。
検査入院していたと聞いていたが、ものすごく痩せて、まるで別人のようだった。
うっかり口が滑って「やせましたね」と言ってしまったら、笑顔一つなく「17キロ痩せました」と言われた。
社長の見送り方と言い、あの様子・・ただならぬ様子。。。。
(そのちょっと前にAさんの事を「5年間は気が休まらなくて大変だよね」などと言っていたのに。。。)
周りの同年代でこう言う事が立て続けに何件もあるので、いよいよ私もそういう年代になったのだと思う。
少しでもその時に慌てないように、覚悟はしておこうと思うが、無駄な努力かな。
私がここ数年で目にするのは、澄み渡った空のように何ひとつ不幸の種のなさそうな人が、突然雷雨に遭う様である。
離婚・借金・病気・倒産・・etc
(自分でも家族でも)
生きて行くことは、ろくでもない事に襲われて、それを耐え忍んで進んで行く事なのかもしれない。
私らは子供の頃右肩上がりの時代を経験しているから、年をとれば金持ちになり、幸せになると信じていた。
ところがどっこい、年を取るとはそういう事ではなかったのだ。
明日誰に何が起こるかは、分からない。
人の不幸に理由や自己責任だけを探しているうちは、まだケツが青いとしか言いようがない。
理由はある場合もあるし、でも大抵はある日突然の雷雨である。
探せばありうるが、同じようにしている人が必ずしもそうなっているとは限らない程度の可能性である。
町中に居たって、ゴルフ場に居たって、雷雨には変わりない。
そんな風に考えて、他人がするかもしれない原因追求より、この雲が晴れるのを待ちたい。
ある日突然の雷雨はあるが、突然湧いたように幸福になる人は見た事が無い。
落ち着くのは時間が必要なのだろう。
受け入れる時間も、解決する時間も。。
昨日、読売オンライン(読売新聞)の人生案内(人生相談コーナー)をみてたら、何も起こらない平穏な人と、不幸・困難が起こる人がいる様な事が書いてあった。
どうしてそんなに不公平なのかと思うぐらい、ギャップがあるらしい。
その方曰く、不幸ばかりが起こる人はそれに耐えうる力があるから、神様から与えられているのではないか、と言う。
そう思うと、何かと納得できるではないか。