きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「選んでいるようで選ばされる」

2010-02-24 | 母子家庭だから思うこと
「思ったより元気じゃないか」みたいな言葉は、グレーゾーンで生きている者にはしらじらしいお世辞らしい。

では、代わりに何て言葉を掛ければよいのだろう?

たぶん、そんな言葉なんて何もない。
病気とか命とか、そう言う括りはよく分からないが、ゼツボウとか「どうにもならない」と言うカテゴリーを、少しだけ想像してみる。

例えば、私だってメチャメチャ傷ついて、どうにもならなかった時は誰にも何にも言ってほしくなかっただろう。
言う事さえ許せなかっただろう。
 
「またそのうち出会いがあるよ」みたいな事を言われたら、チッと思っただろう。
てめぇ、どんだけ偉いんだよ、と思っただろう。
「そんな事をしたからこうなった」みたいな説教くわされた折には、茶碗を投げたくなっただろう。

もう私には分かりません、お手上げです。
それしかないのではなかろうか。


中島みゆきの歌ではないが、選んでいるように見えて、実は限りある幾つかから選ばされている。
(知らないうちにこのレールに)乗せられた、とkekeは言う。

高校受験だって、何だかんだ言っても、能力に見合ったところしか受験はできない。
成績の悪い子がいい高校には入れないように、成績がいい子が低い高校に入るのも容易ではない、と言うか、それ相当の理由が強くないと、ありえない。置かれた環境がそれを許さないから。
親は必死で、どうにか選択肢が広がるように努力するけれど、それはどこの位置にズレるかだけで、幅自体はさほど変わらないのではないか・・・?
その思い自体が、もう子供をレールに乗せているわけであって、ある日息子に「知らないうちにレールに乗せられてしもうた」みたいに愚痴られるのだ。


話はそれてしまったけれど、要は理由を求める事に意味はないのではないか。
人生に失敗も成功も無いのではないか。
知らないうちに乗っかってるんだ、こう言う事は。

こうだから、こうなったとか
こうしなければ、こうなったのに、とか。

そりゃ科学的に問い詰めていけば、何パーセントかはそうなのかもしれないけれどさ、そんな事を追いかけるのは警察だけでよい。
そんな事を言っている奴は阿呆だ。

だから、あまり無理しないで、思いのままにしてるがいいよ。
頑張りたいなら頑張るのもいいし、そうでなければそれなりに。
結果や人目を怖れてビクビクするより、思うようにする方がいいよ。

よくkekeには「アンタはまだ若いんだから」と言ってしまうけど、本当は若いもクソも無いと思う。
早く死ぬ人もそうでない人もいるから、残り時間なんて、年と関係ないかもしれない。

だけど、貯金と言う意味では若いうちは頑張るのもいいと思う。
この後、大きくなって返ってくる可能性があるから。
でも、それも自分の人生だから、基本は好きにしてれば良いと思う。

だけど、あまり不幸に見舞われない奴に限って「こうしたからこうなった」とか「こうすればこうなるのに」とか言うんだ。
これから、そう言う奴の事をこっそり鼻で笑ってやろう。

また最後に余計なことを書いてしまった。