昨日は小玉すいかを買いました。(^^;)
昨年、お友達が買っていて「中身ちょっとじゃないの?」と言ったら、「そうでもないよ」と。
想像以上に皮が薄いんです。ほら、ごらんの通り。
昨日は久しぶりに天気になって、「外に出たい!」と思いました。
午後から、近くを散歩しようと思うも暑くてバテそう・・・車でちょっと川沿いまで行くことにしました。
ちらっと見えた景色は、緑がまぶしくて、川で子供たちの遊ぶ姿が見えて、こんな景色、写真撮ってみたいなーと思ったのですが、観光地でもないのに、子供たちにカメラを向けるのと変質者かと思われそうで。。。結局車から降りもせず通り過ぎました。(コインパーキングもよく分からなかった。)
橋で地元のおじいさんが、まったり川や雲を眺めているのが見え、きっと私と同じ気持ちで子供たちを見ているのだなぁと思ったのです。
(そんな瞬間もちょっと捉えてみたかったなァ・・)
ちょっと後悔。
今、我が家の暮らしも、あと10年経ったら同じ暮らしは残っていないでしょう。
kekeはこの家にいるかどうか分からないし、私も定年を迎えているはずです。
その時はもちろん車は所持していないと思います。
今のこの暮らしを、どこかで何かで残しておきたい。。。。と思うのですが、部屋も散らかったままでなかなか一歩踏み出せないでいるんです。(^^;)
それに・・・作ったところでいったい誰が見るのだろうか?
私自身は、過去より今や未来を見ていたい気持ちが強かったり。そういうところは息子も同じでしょう。
メソメソしてそうで、案外切り替えは現実的なような気がしてます。
でもこの年になって思い出すのは、今の私ぐらいの時の両親のことです。
元気で生活にも余裕ができて、毎日楽しかった記憶がよみがえります。
※そうそう、先週、社長と秀クンが打ち合わせや食事をした方のご家族の方が「陰性」だったとわかりました。とりあえず、みんなでホッとしています。(^^;)
昨日はあれからグデグデの自分であった。
ちょっと数独でもしようかなぁ~と思いながら、気がつくとずっとそれをやっていて、お昼を作るのも面倒になって、冷蔵庫に残っていたいなり寿司の皮と缶詰でご飯を食べると、そのまま夜になろうとしていた。
本当はこんなはずではなかった。
私の脳内では、働き者の自分がいて、今日も朝からテキパキと作り置き料理に勤しんでいる予定だったのだが、そうしなければならない、もうそうするべきだと思うにつれ、心がそれを拒否するのだった。(朝の行動がその日の方向性を決めるみたいだ)
何か食べるものはないかなぁとやってきたkekeに「今日はやる気がなくなったから、自分の食べるものを買ってきてほしい」というと、kekeはからっぽな冷蔵庫を見て「お米といどいて。」と言って出て行った。
そして私はまた数独を始めた。
この数字と言うたしかな世界に没頭した。
ここには1から9までの数字しか存在せず、それらは例外なくひとつのルールによって唯一の座席が決まっている。それが間違いない「解答」であり「正解」であり、その矛盾のない確かな世界を「心地よい」と認識する。
世の中は矛盾に満ちた世界である。
誰が「良い」のか「正しい」のかも分からないし、またそう割り切れることではない。
そして正しいことが必ずしも勝つとは限らないし、そうならなければ正しいことも「間違い」とみなされる。
政治しかり。
会社生活しかり。
いつ滅びるか、クビになるかも分からない不確かな世界というのが、私の認識。
その中で1から9の数字が矛盾なく、間違いなく、やがて確実に収まるというこの小さな現象が喜ばしい。(行き詰ることも多々あるものの)
それにしても遅いなぁと思っていると、kekeは帰ってきた。
どこまで行ってきたの?というと、○○○というので、「歩いていったの?」と言うと「(わざわざ)車で行くの?」と言われた。
今日は頼みそこなった卵とチーズを買うべく、そのスーパーへ、歩いて行ってみた。
kekeが言うほど近くはなかったけれど、歩いて行ってもいいかも。
当たり前にこうしてみる近所の光景も、あと30年したらどう変わっているのだろう?
ちょっとづつ、ちょっとづつ変わるとわからないけれど、30年経つとやっぱり変わっているはずだ。
この当たり前な景色も、本当は残しておきたいな。。。
さすがに昨日は怠け過ぎたので、今日はほどほどに煮物を作ったり掃除機をかけたりした。
扇風機もここでやっと出すことにした。
これからまた暑くなるんだなぁ・・・。
パンも焼きました。
今日の昼間、たまたま自分のブログの「アクセスされたページ」なるものを見ていたら「kekeのていたらく」という日記があったので、読んでみることにした。
https://blog.goo.ne.jp/sakehamachi/e/e65b561db7a97682114558b2c744704f
これを読んで、うかつにも会社で吹き出してしまい、慌てて「ゲホゲホゲホ・・」と咳き込むフリをする。
kekeが好きな酢豚を作ってみたものの、要所要所で気に入らなかったらしく、自分の部屋でブツブツ文句をたれている、という日記である。そして私も前回まずいと言われた酢豚と同じものを作って平然としている日記である。
もしかしたら今だったら、「この前文句を言っていたから、今度は酢豚のあんかけの量を増やしてみようかな」と考えたかもしれない。
そう言えば昨日、ホットクックで初めて「いわしの骨までやわらか煮」を作ってみることにした。
魚を入れて調味料を回し、スイッチを入れて初めて「できあがりまで2時間半掛かる」ことが判明した。計算するとできあがりは夜の11時である。
kekeに「11時になったら、魚を皿に入れなおして」と言うと、やってくれた。
朝起きると、イワシを半分食べてみたようなので「イワシどうだった?また作ったら食べる?」と言うと、「(魚はあまり好きでないけれど)これなら食べられる」という返事だった。
あの当時だったら「イワシを骨まで柔らかくしたから食べろ食べろ」とkekeに言って、また嫌われていたかもしれない。
「野菜や魚はもっと食べるべき」「仕事は当たり前にするべき」私はこういうものをいっぱい押し付けていた。
果たしてそれはどこまで本当に「~~~すべき」だったのか・・・。
一番大切なことは、自分がやりたいことをしっかりやって、最後に悔いの無い人生を送れることではなかろうか・・・
蛭子さんが認知症の診断を受けたと言うニュースを読んで、私も他人事ではないと思う。
9年前と変わったのは、私の方だ。
今はまだ親が元気だから、やりたいことを好きにできる時期だから。。。
今日は帰ると、風呂場の電気がついています。
kekeがお風呂を掃除してくれていたのです。
一昨日は頼むとカレーを作ってくれて、今日はお風呂掃除までしてくれるとは。。。「どうして急にお風呂を?」と訊くと、風呂場のイスに黒かびが生えてきて身体に悪いから掃除をすることにしたのだとか。。。
それではkekeの好きそうなお惣菜を買って来よう!と思い、「久しぶりに○○でお惣菜を買ってくる」と言うと、「トングで自分で取る所のはコロナが気になる」というので、スーパーに買いに行くことにしました。
車に乗ると、夕焼けが赤くてきれい。。。。
この時期の雨が上がった夕方はこういう空になることがありますね。
(きれいだなぁ~)と思いながら、ほんのひと時の夕焼けにしあわせを感じたりして・・・・(*^o^*)カメラ持ってくればよかった。。。
意気揚々と買いにいったけれど、結局スーパーではよく買う餃子とお刺身を買って帰ってきました。
きれいなお風呂のお湯は夏場なので40度。
ごくらく、ごくらく~(^o^)
今日は家に帰るとカレーの匂いが・・・・^^
今日は冷蔵庫にカレーの材料が揃っているので、kekeに「カレー作っておいて」とLINEを送ったのでした。^^
しかし、既読マークがついたのは3時ごろだったような。。。(いつまで寝てるんだか)・・でも家に帰るとカレーの匂いがしてたんです。
そして台所の灯りが点り、kekeがお皿を洗っているので、「お皿も洗ってくれてるの?^^」と言うと、「ここまでやらないと気がすまないから」と言ってましたよ。
それでお風呂もお湯を沸かしてあったんです。
ハハハ、玄関をあけて、カレーの匂いに、お風呂へ直通なんて、超しあわせ~~~~♪
「まるで、どこかのご主人様みたい」と言ってしまいました。(^_^;)
昭和は~昭和は~って、いまさら昭和の話をしてもしゃーないんですが、やっぱり昭和の「男が外で働き、女は家事にいそしむ」というスタイルっていいですよね。ご主人が外で働いても、家に帰ってきてお風呂に入れて、その間にツマミやご飯の用意ができていたら、疲れも吹っ飛びますよね。(^_^;)
でも、たま~にこういう日があるからで、毎日になったらこれも当たり前になってしまうのでしょうね。
いつもそんなことはないから、こういう日がうれしいのでしょうね?
こんな日のことも、いつか思い出すこともあるのかなぁ。。。(^_^)
そうだ、昨日は歯が悪くなってしまって、抜くことになった夢を見たんだっけ。。。(-_-;)コロナで何となく歯医者も行ってないんですよね。。。「ちゃんと歯磨きせにゃあかん」という先祖様からの闇の声かも。。
夜に帰ってきて、ご飯が残り少なかったので、昨日も今日もkekeに夕飯の支度をしてもらいました。(^_^;)
昨日は焼きそば、今日はお好み焼き。
昨日の焼きそばは、フライパンを洗うところからやってくれましたが、今日はイヤそうだったので、種まで私が作って、焼いてもらいましたよ。
お風呂からあがって、すぐに食べられるって幸せだなぁ~(^o^)丿
その一方で、kekeの転職どうなってるんだろ??kekeに訊いてものれんにクギ押しで、どうなっているのかよぉ分からんし、あまりしつこく訊くのもタブーな感じで、失業保険の手続きも「まだいい」「自分で決める」とか。。。??
これが我が身のことなら「返事もはっきりしないし、ちょっとよそにも履歴書出してみようかなぁ」とか思うんだけど、本人が待つというのだから待っていればいいのかなぁ~??このまま放っておいて大丈夫なのかね?
今日も秀クンと、ダルマさんの話になって、「あの人の借金が無くならないのは奥さんのせいだって、Y子ちゃんですら言ってるよ」というので、「え?なんで奥さんのせいなんですか?!」と言うと、「奥さん働かないじゃん、働き出してもすぐ辞めちゃうし」と言う。
でも今まで自営業で奥さんしていた人が、よそで雇用されて働くのは大変ではないのかなぁ・・・。
私もこの年でまったく新しい環境に飛び込んで、そこで働くのは大変だろうと思うもの。
自分も今の生活に限界を感じる。
仕事から帰ってきて、ご飯を作っていたら、それで一日が終わる。
早く年金生活に入って、のんびりしたいなぁ・・・あえて言うならそれが今の私の夢なのかも。。。
今日は天気がいいのでコタツ布団を干して出かけた。
朝出て行く時にkekeに「後で入れておいて」と言おうとしたけれど、寝ているのでそのまま出かけた。
(あの子、これで本当にいいのかしら?(-_-;))とも思ったりするけれど、こんな風に同じ家で息子が寝ているというのも、この先いつまで続くか分からない。あと3年?5年?それとも10年ぐらいこの生活が続いているのだろうか。いずれにしても、いつかは終わってしまうんだよね。
そう言えば、いつも愛妻弁当を持ってきている課長が、この前カップラーメンにお湯を注いでいたので、「今日はお弁当じゃないなんて珍しいですね!」と話すと、「息子が大学を卒業したから弁当ではなくなったんだよ。」と返事が返ってきた。
(え!@@、旦那さん1人だとお弁当ではなくなるの?!)と軽くショックを受けたが、世間はそんなものなのだろうか。(でも私ももしも結婚していたらそうだったかも。)
(もう本当はkekeもお弁当作ってあげるような年ではないのだろうな・・)思いつつ、お弁当で持って行った方が安上がりだし、身体にも優しいような気がするんですよね。。。(-_-;)
それに一緒に暮らしている間でしかできないし・・
今日は車で、中島みゆきさんの「離郷のうた」ばかりリピートして聴いてしまった。
この歌を聴くと何だか泣けてしまう。昨日も泣けた。今日も泣けた。
「ゆく手に道なく、まして待つ人なく」とはいつかひとりになった自分のことではないかとまた泣ける。
中島みゆきさんは、故郷の北海道の歌や、故郷に帰る歌が多くありますが、この歌ももう戻れない故郷を思い、あの頃を思う歌だと私は解釈しています。フルコーラスで聴くと、ラストに向かうにつれ、どんどん思いがじ~~んと伝わってくる歌なんですね。
歌詞が変わってくるわけでもなく、メロディーに変化があるわけではなく、声を張り上げているわけでもないのに、ただただ強い思いばかりが伝わってくる曲なんです。
すごい表現力・・・という以外の何者でもありません。
何度も何度も聴いてしまいます。
音楽とか芸術は年齢が重なるほど表現も幅が広がるのだろうか・・・と思って見たり。
昨日は帰ると、kekeがさっさと食洗器に皿をセットして洗ってくれたり、洗濯物も干してくれた。
(たまにはこういう日もあるらしい。)
そして珍しく夕飯を一緒に食べた。
TVも無いので特に話題もなく、「これからのコロナと日本が心配」と言うと、kekeは「その時は周りもみんなそうなる」「心配する意味がない」と言い、会話もその一言で終わった。不毛なお題だった。
思えば私と父もそういう間柄だったと思う。
病院に行っても特に共通の話題がなくて、父は一生懸命しゃべっていた。そしてその会話は10分で一回りし同じ話題をぐるぐる回り、やがては5分で一回りとなり、そのうちにさっき聞いたばかりの会話がまた繰り返していた。
「あれはストレスがたまる」と妹に言うと、「私は毎日その繰り返しなんだよ」と言われた。
親子というのはそういうものなのだろうか。
私はこうしてTVのない食卓で、kekeとの会話をひねり出す。
人付き合いもろくになく、共通の知り合いも妹一家ぐらいしかなく、今はTVもないのでタレントのこともよくわからない。動物もろくにわからず、花も名前なんぞわからず、最近知る所はネットでの政治ネタとコロナぐらい。
「これからコロナと日本はどうなるのか」
返事のしようがない会話である。夢も希望も何もない会話である。
私は第2弾として「今、kekeは昼間何をしてるの?」と尋ねると「麻雀ゲーム(ネット)とか」と言う。
「そういえば麻雀はおじいちゃんが得意だったらしいよ」と言う。
とは言え、それは本人が過去にそう言っていただけである。
「触るだけでハイが分かったらしいよ。」「麻雀はズルもできるんだって。」
「ズル?どういう?」
「‥‥??わからない・・・そこまで詳しく聞かなかった。。」
「kekeはどんな手を打つの?」とか聞いてみるけれど、ストレートな回答があるわけなく、その時の手札(パイ?)とか、今勝っているか負けているかにもよるし、相手の捨てハイにもよるらしい。(そりゃそうだよね)
「それから赤ドラがあるかどうかとか」
「赤ドラって何?」
赤ドラというのは、ドラの他に5のハイ4枚の中に赤いものがあるそうで、それがあると点数が増すそうである。
「それ、最近のルール?」
「平成に入ってからだと思う。」
昨日はそういう会話であった。
kekeが打っているところを一度見てみたいが、それは断られてしまった。
そういえば私も昔、麻雀ゲームにはまって居た頃があったなぁ・・・・(それは二人麻雀のゲーム機だったけど)
父もこうして私が面会に行くと、一生懸命話題をひねり出していたのだろうな・・・今となってはそんなことも思われ。。。
息子の転職・・・息子の仕事を見ていた方から自分の会社で。。とお誘いがあったのですが。。やはりこんな時期だからなのか、なかなか具体的にいつからになるのか決まらないようで。。。。まだしばらく先になってしまいそう。。。
時期が時期なので、仕方ないよねと思ってはいましたが。。。
「その間バイトでも探すようかねぇ」「失業保険の手続き取ったら?」とかアタフタ言うと、「それは本人が決めること」と言われてしまいました。。。
今は私が稼いでいるので、それでお金に困ることはないし、そんなに焦らなくても良いのですけどね。
今日は買い物がてら、少し遠回りで散歩してみました。
ウォークマンも持たず、花なんて探しながら歩くと、ふと今までのことがあれこれ思い出されます。
小さい頃の記憶はもうはるかかなたで、信じれないほど遠くになっています。
(思えば遠くまできたものだとはこのような気持を言うのか?)
最近はお皿を毎日洗ってくれるようになりました。(食洗器にセットしてスイッチを入れてくれるのです。)
「今は何かあっても私が働いている。」
でもやはり私はいつまでも元気でいるわけではありません。あの子はあの子でこれから困った時に支えあえる誰かが必要なのですよね。
出会いがあるという事は、別れがいつかは来ると言うことです。
そう思うと、今の一つ一つのことを大切にしていきたくなります。
両親がまだ元気で、私がまだ家を出ていなかったあの頃が、とても楽しく懐かしく思い出されるように、今のこの時代が、いつかkekeにとって懐かしい時代になっていくことでしょう。
この時代を、私は元気に過ごして、送り出せなければならないのです。
kekeには本当に幸せになってほしい。
今まで、苦労をさせてしまったから。。。。
今日はパンを焼いてみた。keke曰く「少しパサパサしてる」そうだが、どうすればいいのだろう?
kekeのお昼にはカニの缶詰でチャーハン。
(缶の汁は味噌汁に)
私のお弁当は大根チャーハンとアジの南蛮漬け。
息子が最近、食洗器で皿を洗ってくれるようになりました。・・というのも私は食洗器に汚れがこびりついたままの皿を入れるのに抵抗があって、ついつい汚れを落としてから食洗器に入れていたのです。(何となく排水口が詰まったらイヤだなぁと)
なので食洗器が我が家に来てからも、何となくいつもシンクに汚れた皿がたまってました。「それでは意味がない」と息子が食洗器に入れるようになったのでした。
(本当にこんなにこびりついた汚れが落ちるのか)と思いきや、結構落ちているものですね。
いつもやってもらっていましたが、この前ため息をついてブーブー言っていたので、洗い終えた皿は私が片付けることにしました。
何となく台所が片付いていると、気持ちがいいです。(^^;
それから、kekeが食器棚も整理してくれました。
この2週間でkekeは一度だけ外出をしたのが、その食器棚の仕切り台を買いに行ったことです。
スッキリきれいになったのだけど、身長が18cmぐらい違うので、上の方が手が届かず踏み台を使ってます。(それも、私が撮影用に購入したかわいいお皿がなぜか上の届かない所に収まっているんですよね。)
あの子なりの優先順位なのでしょう。。。
家族にこういう風にされると、もっときれいに暮らさないとな!と思うんです。。。。
でもなかなか行動に移せず。。。。
レパートリーを増やそうと買ってみました。
もったいなくてまだページを開いていません。。。。
読んでもなかなか、その通りにはできないんですよね~