斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

貪瞋痴(とんじんち)

2013-03-02 17:40:39 | その他
今日3月2日は父の祥月命日です。
私は4人兄弟姉妹の末で兄が2人いますが、事情があってか、
実家の仏壇を家に預かってから10数年になります。
お坊さんには年3回、父の祥月命日、お盆、新年に
お経をあげていただき、お寺の行事にも参加していますが、
信者ではありません。
しかし宗教というものに強い興味・関心があります。

お坊さんに尋ねると今日はなんと父の23回忌でした。
存命なら101歳になります。
母は高齢で施設にいることもあって、父の法事の事など誰一人
として言い出す者もなく、預かっている実家の仏壇はどうなるか
時々考えさせられます。

この仏壇は曽祖父の時代からあり、100年以上が経ち、
置かれている仏像の裏には「享保第十二丁・・・」奉開眼とあり、
過去帳の一番古い年代では弘化3年と記されています。
(昭和の初めごろに書き換えられているので、追記した可能性
もありますが?真偽はわかりません。)

弘化3年は明治維新前の孝明天皇朝1846年に当たります。
この時曽祖父はすでに北海道に渡って来ていたのか、
歴史に思いを馳せられます。札幌の豊平川の豊平橋のそば、
今のルネッサンスホテルの辺りで、初めは居酒屋を営み、
(本州からお酒を仕入れ)まもなく少し離れた所で造り酒屋を
開業し終戦まで営業していたと聞いています。

その酒造業をしていた酒蔵は戦後20年以上は住居として利用され、
私はそこで生まれて10歳まで育ちました。壁の厚さは40~50㎝位
あり、真夏でも20度位の温度で快適だったことを思い出します。
ある建築家がその酒蔵を解体する前に克明に写真を撮り写真集を
出しています。(解体時は日本にいなかったので、一度だけ、
帰国後その写真集を見せてもらったことがあります。)
未来の住居は冷暖房がなくても住むのに適した温度を一定に
保てる構造を目標にしたいものです。

1856年(安政3年)~1858年(安政5年)にかけて蝦夷地の
探検に来た松浦武四郎は豊平川を遡りここに立ち寄ったのでは?、
他にも間宮林蔵、最上徳内、近藤重蔵は?等、多くの探検家や、
蝦夷地に渡って来た人たちの休憩地点になっていたのでは!?
あれこれ勝手に想像が広がります。

仏壇とは別に20数年前、父から生前それぞれ朱塗りの厨子に入った
仏像3体を渡されました。一番大きい厨子で縦30、幅25、奥行き15㎝、
次が27,17,12㎝、一番小さい厨子で26,11,9㎝あります。

父から「これは大切なものだから、大事にするように」と
言われました。
仏像には金箔が施され、その裏には大正6年5月15日と記された
像が2体、8月7日と記された仏像が1体、それぞれの仏像の裏に
いろいろ文字が記されていますが、いずれも感得主は曾祖母です。
一体の中に曾祖母の年齢が記されており、今の私と同じ年でした。
大正6年(1917年)は、ロシア革命の起こった年、
1914年~1918年は第1次世界大戦の最中でした。

歴史を調べていくとその当時の様子が限りなく広がってきて
のめり込んでしまいそうですが、今しばらくはお預けして
本業の仕事に打ち込まねばなりません。

《貧瞋痴》は6年余り前、昆布のお寺でのお説教から教わりました。
今日も原発エネルギー問題からその議論が展開しました。
人間の持つ《三毒》をどこまで抑えられるか、これからの
人類のエネルギー政策の方向性と結びついていることは
確かな気がします。

貧瞋痴(とんじんち):人間が生まれながらに持つ《三毒》
貧=貪欲、あくなき欲望 
瞋=自分の心に逆らうものを怒り、恨むこと、
痴=言っても仕方のないことを言って嘆くこと、





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