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斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

えるのす参画講演会 in ニセコ

2017-11-02 23:23:35 | 人生
「高齢社会と介護の社会化を考える」講演会を10月29日(日)
ニセコ町民センターで開催しました。

主催は「未来のニセコを拓く会」と「公益財団法人北海道女性協会」。
講師は北海道立女性プラザ館長・北海道教育大学名誉教授の笹谷春美さんです。


笹谷先生をニセコ駅にお迎えに。



“超”高齢社会とは? その定義は
高齢化社会=65歳以上の人口が総人口の7%を占める社会
高齢社会 =65歳以上の人口が総人口の14%以上を占める社会
“超”高齢社会=①65歳以上の人口が総人口の21%以上を占める
        ②「後期高齢者」が「前期高齢者」を上回る社会
日本は高齢社会に25年で一気に到達してしまいました。
一方、スエーデンは80年、フランス200年という年月をかけて高齢
社会に至っています。 
日本の平成29年版「高齢化白書」によると65歳以上3459万人、
平均寿命 女性 91,35歳、男性 84,95歳、高齢化率27.3%です。
日本は世界一の高齢社会です。*夕張市は40%超となっています。

平均寿命は延びる一方、健康寿命も延びていますが、その差は女性で
13年余、男性も10年近い差がありその期間何等かの介護が必要になります。

笹谷先生の著書「フィンランドの高齢者ケア」から、
「人間は誰しもケア(乳児や障がい者の介護も含む)を必要とし他者に
依存しなければならない時期がある。また、これらの人々のケアを引き
受ける人々の存在を必然化する。その意味で、ケアは普遍的かつ社会的
な営為である。・・・ケアが必要な人々とケアを与える人々のケアリング
関係やその環境が双方にとってより良いものであるよう、社会的に保障
されねばならない。それは現行の介護保険制度のみでは限界があり、
日本の福祉国家レジームの総合的見直しとその政策をリードする理念や
哲学に関わっている。」

「介護」とは、「「社会保障」とは、現在の厳しい日本の現実をどうするのか、
私たちの「思考」と「選択」に課せられていると思います。


  

なんとなくホット!したひととき

2017-10-22 21:24:47 | 人生
今日は衆議院選挙投票日。
闘い済んで、あとは結果を待つのみ。
なんとなくホットした気持ちで家で静かに過ごしました。
外に目をやると我が家の庭の紅葉も今年は際立ってきれいに見えます。
暗くなる前に急いで写真に収めました。


  
長いこと黄葉がつづいて風もないのにはらはらと葉が舞い落ちていきます。
ひと風吹けば一瞬に吹き飛んでしまいそう。もう終わりごろです。
  
 
  
 錦木(にしきぎ)8年ほど前にご近所から小さい一株を分けていただきました。
 こんなに大きくなって紅葉よりもっと濃い赤色です。
  
 
        
 左から 実生の紅葉(5㎝ほどの丈のをいただきました)がこんなになりました。
 2つ目 近くの山林から見つけてきた楓、黄葉の中に真っ赤に染まった紅葉が
     ちらほら混ざっています。
 3つ目 赤ナラ 友人が小さな苗木を2本くれました。こんなに大きくなりました。
 4つ目 カシワの木 一粒の種がこんなに大きくなってお~きな葉を
     たくさん付けています。
 どれもみな思いで深いものばかりです。木の成長はほんとうに早いですね。
 
  
     
 霜にあたってくったりしていますが、忘れもしない、11年前にニセコ町に来た時、
 Aコープで九州の大分産の大きな銀杏の実10個入りを買いました。
 それを庭に植えたら 確り芽を出してくれました。今は4本しかありませんが、
 厳しいニセコの風雪に耐え抜きここまで成長してくれました。
 
 
    
  季節外れのルピナス一輪とメタセコイアの木  
  川原種苗さんから10年ほど前にメタセコイアの大木を2本分けていただきました。
  翌年の3月ごろその枝先を10数本雪の中に差しておきました。
  雪が消えかかった頃、水につけて、しばらくしてその枝を鉢に植えました。
  ほぼすべての枝が根付いて、4本残して他は人にあげてしまいました。
  その中の1本です。3m以上の高さにまで成長しました。
 
  
     
 
 あこがれの蔦の絡まる家になりつつあります。 
  
  
  頂いたばかりのおもちゃかぼちゃを階段に並べてみました。
  種を取って来年植えてみたいと思います。


  

  
 

「移植医たち」

2017-10-03 23:07:51 | 人生
谷村志穂さんの医療小説「移植医たち」(今年8月20日発行)に
これほど引き込まれて一気に読んだのは何年ぶりか、いや何十年ぶりか。
衝撃的な序章に始まり、最後まで惹き付ける小説だった。
著者は札幌生まれ、北大農学部で動物生態学を専攻した人である。

先日「全道フットパスの集いin ニセコ」で講演した谷村さんは
小説家になったきっかけは森鴎外の孫で(長男・於菟の四男にあたる)
森樊須(もりはんす) 北海道大学農学部教授、動物学者(著者の指導教官)
から「あなたは科学者になるより、作家になった方がよいですよ」と言われ、
森鴎外の孫から言われたのなら、作家に向いているのかもしれない、それなら
よし(作家に)なろうと決心したと話している。

この小説には私にとって懐かしい場所、思い出がたくさん出てくる。
アメリカの大学や生活の様子、神戸で1995年に起こった「阪神淡路大震災」、
北海道大学の様子、「奇跡のりんご」等々、そして初めて経験した大きな手術と
私を診察した内科医、外科医、麻酔医の先生たちとの会話のこと等、まだまだ
たくさん身近な光景がでてくることもこの小説に引き込まれた要因だと思う。

「百聞は一見にしかず」、関心のある方はぜひ読んでいただきたいと思う。

なお私は谷村志穂さんというとても美人の作家にお会いしたのはあの9月23日
のフットパスが初めてで、そういう作家の存在すら知らなかった。
フットパスで「文学歴史」のコースを歩いている時、とても美人で、なぜか惹き
つけられる若い女性がいたので、お話できたらと思ったが、チャンスはなかった。
たまたま講演会の中で谷村さんが発売したばかりの小説を何度か宣伝されて、
「ここに持ってきた小説が売れ残ったらすべて小川巌先生に買い取っていただきます。」
と冗談交じりに言っていたので、少し協力するぐらいの気持ちで手にしたのが、
この「移植医たち」である。一読の価値はあると思う。

私の入院日記 その①

2017-08-22 21:39:12 | 人生
5月半ばこれが5年目の最後の検査になる予定でした。
超音波内視鏡の検査結果、担当医師から「気になる所見」が
あると言われ、検査入院するように言われました。
今回の検査で膿胞に途切れている場所が見られるので上皮内がん
の疑いがあるということでした。“がん”の卵があるのではないか
と言われ、6月始め検査入院をしました。結果は6月末に出ると
いうことでした。

【青天の霹靂(へきれき)】

ところが6月半ば担当のE医師から直接電話が来て「早めの手術をした方が
良い」と言われました。まさに「青天の霹靂」でした。
何も問題ないと信じていただけに“手術”と聞いて、すごいショックでした。
E先生から6月中に必要な検査をすべて済ませてしまいたい、「物凄い早い段階で
見つけていると思う、家族にも一緒に来てもらった方が良い」と言われました。

先生の説明によると
「検査で“がん”を疑う所見が見られた。診断は確定できないが、恐らく
“がん”ではないか、確定は難しい。“がん”と疑って手術をする。」

私がどうしても手術が必要なのかとの問いに対し、
「今後経過観察をすることも考えられるが、今の段階で手術をすれば心配
ないのではないか」「今がタイミングだと思う」「“がん”ではないという
可能性もないとは言えない、が細胞検査で疑うものが検出された以上、
(“がん”ではないかと疑って)手術する」「手術前に肺から大腸まで
全身の検査を行う」と言われ、6月下旬、検査が行われることになりました。    
つづく            
                           


二つの卒業式

2017-03-23 01:05:14 | 人生
3月21日は近藤小学校、3月22日はニセコ小学校の卒業式に参列しました。

近藤小学校は第100回目の卒業式を迎え在校生12名中、卒業生は1人でした。
校長先生以下職員8名、保護者と地域の方々20名程、来賓15名が見守る中、
一人の児童の卒業証書授与式が1時間余りに渡り執り行われました。
学事報告書は16ページ、カラーのイラストがたくさん盛り込まれ、表紙には
卒業生のカラー顔写真が載せられていました。
参列した方々は感激で目を潤わせ、涙を流す人たちも。
私もなぜか自然と涙が溢れました。
卒業生にとって一生忘れられない人生の一齣になったと思います。

 

ニセコ小学校は第111回目の卒業式を迎え、在校生220名中、卒業生は
男子14名と女子14名の計28名でした。
職員28名、児童と保護者、来賓で体育館は人でいっぱいでした。
学事報告書はモノクロの12ページでした。
卒業生の内3名の女子はニセコ中学校とは違う制服でした。その中の一人の
女子の制服が目に止まりました。セーラー服に胸にはネクタイ、セーラーの線は
白ではなく黒、左肩にはマーク(藤の花)が着いています。
私が6年間通った学校の制服が半世紀余りも経った今も全く変わらないことに、 
遥か昔のことが懐かしく思い出されてきました。

2004年ニセコ町に初めて土地を見に来たとき、現在住んでいる家のある
土地(当時は原野)で出会った母親に抱かれた生まれたばかりの男の子は、
今ここで卒業式を迎えています。
あの12年前のことが懐かしく思い出されます。