ようこそ埼玉自治体問題研究所へ!

埼玉県での地域やまちづくりに役立ててください。
いろいろな情報を発信しています。

東日本の被災地は今 石巻・南三陸編 復興始まるか? 2012.10.5~6(K)

2012-10-15 | 被災地復興
最大の被災地 石巻

散歩中の人の話
石巻市の日和山公園で朝、散歩に来ていた2人のお年寄りから震災の時の様子を聞いた。

 日和山公園より南側には1300軒あったそうだが、ほとんど流された。
 地震の直後、自分は山の手に住んでいるので、娘家族が家に来た時には、「なんで来たんだ」と聞いた。「津波が来るから来た」と答えた。自分には何が起こっているのかはわからなかった。テレビでも津波はまだ映っていなかったので、そんなに大きな津波が来るとは思わなかった。津波が来るまでに30分以上あったので、もう来ないのではないかと、家にもう一度戻った人もやられている。 娘たちは車の渋滞の前に来たので間に合った。


 復興計画では、海岸堤防・240号線のかさ上げをすることが決まっていて、240号線の山側は家を建ててもいいとなっているが、なかなか進まない。
 ボランティアの人が来て家の泥を出してくれた。地元の若い人は見かけなかった(家族探し?仕事探し?)。

まちの中を通って

 がれきを処理している地域に入ると乾燥した腐敗臭がする。混合ごみを破砕処理してほこりが舞い上がっているのが見えるので、その匂いかも知れない。石巻は最大のがれきが発生したところだが、処理し始めたのは今年の5月に入ってから。期限内に終わらせるために、大型機械を使って大量に処理している。一方、一時仮置場のガレキの処理は、半年前と同じように山積みになったまま。


 被災後1年以上たってから始まったガレキ処理と、はかどらない一時仮置場の再利用と処理。どこに原因があるのだろうか。現地の処理業者と協力して行えば、業者も納得して効率よく処理が行えることは仙台の例でも明らかだ。大きなブロックにして、処理から埋立まで一括して委託した方式は、ゼネコンしか請け負えない、と地元の処理業者が言っていたのを新聞で読んだ。地元の業者に不満が募り、処理のノウハウを持っている地元業者の力を借りなかったことに問題があるようだ。


南三陸 復興商店街も

 歌津地区で死んだ人は1名だけ。津波が来るとわかったので浜の人たちは山に避難した。
 被災地は小さく切れ込んだ入り江で、まだ、ガレキはないが家の土台が残っている。まちには復興商店街ができ始めていた。仮設でようやく始めた洋品店の人は4~5000万円の商品が被害にあったが、どこからも補償が出ない、と言っていた。自営業だから支援しないというのはおかしい。生活するためには物が必要だし、地域経済・雇用の再生になる。小さな商工業者への、自立のための支援は必要だと思う。

南三陸町歌津伊里前地区


伊里前福興商店街


 志津川地区でも、被災地の様子は歌津と同様だった。あの鉄骨だけになった防災対策庁舎には献花台が設けられていた。避難を呼びかけながら自分も津波に流され死亡した町の女性職員を思い、視察で訪れた人々が手を合わせていた。
 防災庁舎を後に、山の方面に進むとプレハブで作った「さんさん商店街」ができていた。30数軒の店舗がコの字型に商店街を作っていた。魚や床屋、整骨院、電気店、写真館、飲食店、衣料品店、パン店などで、生活用、観光客用の商店街になっている。地元の人たち、視察観光に来た人たち、ボランティア帰りの人たちが買い物をしたり、食事をしたりしている。がんばって復興しようという地元の人の意気込みが伝わってくるようだ。

南三陸町志津川地区


南三陸町の防災対策庁舎



復興商店街「さんさん商店街」


商店街の真ん中には休憩スペース

最新の画像もっと見る

コメントを投稿