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28年前、小児医療センターはこうして創られた(K)

2012-09-27 | 小児医療センター
 患者や地域の人たちの反対を押し切って、県立小児医療センターの移転計画が進められている。
 9月9日 小児医療センターの移転を考える患者の会主催の「小児医療センター移転問題を考えるシンポジウム」が伊奈町で開かれた。シンポジウムの模様は埼玉自治体問題研究所発行のそよ風No.17 2012年秋号に掲載されている。ここでは、小児医療センターの現在地、岩槻区の自治会の役員の方が会場で報告した、「28年前、小児医療センターはこうして創られた」の発言を掲載する。内容は建設当時発行された「小児医療センター建設の概要」から抜粋と言うが、28年前の畑革新県政の時代にどんな思いで小児医療センターが建設されたのか、その一端を知ることができる。以下は「概要」を紹介した発言の内容である。

 
 当時、埼玉県東部地区の乳幼児死亡率は他と比べて高く、東部地区に小児病院が必要だった。目指す病院は三次医療機関としての小児専門病院。患者、家族にとって利用者の便が良いこと。更に対象である子どもたちが「静かで明るく温かな雰囲気のなかで希望を持って療養生活が送れる」そのための周囲の環境が良好であること。三次医療機関としての機能を果たすための面積の確保が重要である。
 現在地では、16号、122号の幹線道路に加えて東北自動車道も利用できる。東武線、高崎線、東北線など公共交通機関も比較的近い。県内全域が診療圏であっても交通アクセスは極めてよい。加えてこの地域は将来にわたってビル化の心配もなく、広大な面積を少ない予算で確保できる。
 更に、患者である子どもたちは“治療に伴う苦痛に怯えやすい”少しでも苦痛を和らげるためには、この自然環境は最適といえる
 病院建設にあたっては、当時世界の先端を行くストックホルムのカロリンスカヤ病院、ロンドンの小児医療センターなども視察し工事は始まった。最新の医療設備を備える。優秀な医師を確保する。温かくサポートしてくれる看護師の確保等に関係者は奔走した。
 また建物と周辺環境との融和を大事に、親子のきずな、ふれあいを表現した院内の施設にも心を砕いている。病院の周辺は緑がいっぱい。にも関わらず院内に改めて小公園を創り、そこに四季それぞれに花を咲かせる植栽が。やすらぎ・ゆとり・思いやりを配慮して建物は低層に。壁の色、トイレや洗面所のタイル1枚にまで心配り、気配りがされた“患者のために”を徹底的に追及した病院らしくない病院。それが現在の県立小児医療センターである。


 移転が予定されているさいたま新都心への計画は、当時の思いと環境がいかにちがうことか