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「天国でもないけど地獄でもない」明るくたくましく社会主義をめざす国・キューバ 5(K)

2018-05-04 | 企画・行事
バラデロ キューバの主要な産業、観光産業のリゾートを体験して

キューバ第2のリゾート バラデロ

 バラデロはキューバ有数の観光地であり、リゾート地として国の経済に貢献しています。私たちが泊まったホテルはバンガロー式で6つくらいの部屋が平屋で1棟となっていて、部屋は広い。そうしたバンガローがいくつもあり、中庭にはプールや子ども用の広場もあります。海にも近く海から直接バンガローに入れるし、途中の道の所々にはシャワーもあります。エメラルドグリーンの海と砂浜はまさに南の島のリゾートです。物不足で大変な暮らしをしている町の人々の暮らしは想像もつかないくらいです。
 観光で稼ぎたくても元となる資金がキューバにはないので、贅沢なリゾートホテルはスペインとの合弁会社で作っているとのことです。大勢の観光客が来てお金を落としていくし、雇用の場にもなる。こんなに贅沢でキューバの人たちに申し訳ないと思いつつも、農業、製造業への財源となってキューバの人々が豊かになっていくならと思い、そして、近い将来、このリゾートもキューバの人たちが利用できればと思います。
 しかし、こんな施設がなくてもキューバの人たちは、ずっと前から、この暖かいサンゴ礁の南の島で、魚を捕ったり、バナナをとったりして暮らしていました。元々、毎日がリゾートみたいなものかもしれない。食料主権、経済主権、独立と平和があり、食料、医療、教育、文化、スポーツが充実すれば、本当に住みやすい国にちがいありません。

富豪デュポンの別荘 革命による富裕層の豪邸の接収の実態

デュポンの別荘からの眺望は海も絶景 ゴルフ場内にある

 7日目、同じ半島の中間に位置するゴルフ場内にあるデュポンの別荘へ。デュポンは日本ではオイルライターのブランドで有名ですが、もともとは化学製品の製造販売の会社です。デュポンは1802年設立され、火薬から始まり、ナイロンなどの開発に成功し合成繊維分野にも進出した世界で第9位の企業となっています。そのデュポンの別荘はマホガニーを使った建物で、中の食堂は今は観光客のレストランとなり、キューバの演奏が行われています。別荘の裏手は海でエメラルドグリーンと白い砂浜で明るく、当日は快晴で思わずみんなが声をあげてしまいました。
 この別荘の持ち主は革命のときにアメリカに帰ってしまい、革命政府とデュポン社は接収の交渉をしました。革命政府は簿価で、デュポン側は時価でと話が折り合わず、今も接収売買の交渉は進んでいないようです。しかし、持ち主は帰ってしまったので今はキューバ政府が管理し、観光のためにレストランなどを経営しています。

「誤りを隠してはいけない、誤りを認めて初めて改革ができる」 キューバの改革
 いま、キューバは自立の経済を作りつつあります。長い植民地経済の下で、本国に奉仕する経済からどう国民的経済にする改革中で、キューバは来るたびに、どんどん良くなっている、と添乗員の方は言っていました。しかし、改革は試行錯誤です。アメリカの経済封鎖のせいにしていては変えられない。自分たちの誤りを隠してはいけない、誤りを認めて初めて経済改革ができる、というのがキューバの政策で、ラウル・カストロの考え方でもあります。市場経済の拡大によって広がる格差を、どう再分配するのか。税と言う感覚がないこれまでの暮らしに、税負担と言う意識をどう定着させ、格差を縮小していくのか、課題は大きいのです。

キューバは天国ではない。そうかといって地獄でもない
 物不足だけれども、「キューバは天国ではない。そうかといって地獄でもない」とキューバの人たちは言っていると新藤氏は言う。そして、家庭医の医師が言ったように「人類に対する愛情で」明るく元気に、あるものをみんなで分かち合って、踊りと音楽と南の島の青空とサンゴ礁という自然をバックグラウンドに、たくましく改革を進めています。
 そして、私たちにできることは何かを考えます。キューバの独立を脅かすアメリカの干渉を絶対にやめさせる、そのために努力すること、また、キューバ経済発展のために日本からの投資や技術の支援を進めることでしょうか。

 以上はキューバ視察のルポです。

 この間に6つの現地講義も受けています。現地まで行って座学をする必要もない、日本で話を聞けば分かるのではないかとも思いました。しかし、現地の学者や国の大臣経験者が実際に現地のデータや文書を使っての話は、現実に起こっていることです。その事実を見たというのは何よりも代えがたいことです。確かに現地で進行している出来事なのです。
 ベネズエラで起こっていることや、コスタリカ、ホンジュラス、グアテマラはアメリカの目下の同盟者で、それを使ってアメリカは中米を支配していこうとしているということも現地で聞かなければわからないことでした。
 こうした内容を含む報告書は6月末を目安に完成を目指しています。講義記録も掲載しつつ、実際に共産党が政権を握って、社会主義を目指しているキューバが直面している困難にどう臨んでいるのか、率直に国民の前に誤りを認め、修正して改革を進めている様子も伝えていきたいと思います。
 
おわり

「天国でもないけど地獄でもない」明るくたくましく社会主義をめざす国・キューバ 4(K)

2018-05-04 | 企画・行事
トロピカーナ キャバレーがクラッシックバレー水準のナイトシアターに
革命政府の柔軟な解決策


 ナイトシアターのトロピカーナ。ここは革命前の1939年に開店したマフィアの経営するキャバレーで、売春が行われていたそうです。当時はハバナの若い女性の7人に1人が売春していたという。
 そこで、革命政府はこれを閉鎖しようとしたところ、市民の反対が多く、また、踊り子たちの雇用もあり存続することにしました。しかし、退廃的なところをなくすために、ダンスをクラッシックバレーの領域にまで高め、歌も著名な歌手も出演するようになりました。昔は仕事もなく、身を持ち崩して踊り子になったものが多かったそうですが、今は踊り子になるためにバレーを習っているといいます。キレのある踊りで華やかで、一見の価値があります。2000人が収容できる屋外の会場で、毎日、満席になるくらいで予約が必要です。私たちは15,000円でしたがもっと高い席も多く、貴重な観光資源です。革命政府の柔軟さが社会主義をめざすキューバらしさのように思います。

コヒーマル ヘミングウェイが愛したキューバの家
油田開発よりも環境優先
 ヘミングウェイの家を出て、ヘミングウェイの愛したバーでカクテルも飲み、バラデロに向かう。途中、油田地帯があります。ここからの産出量はキューバの需要の1/3をカバーするという。さらに同じくらいの油田が発見されたが、環境を守ることを優先に現在は採掘していません。数日前の講義の中でキューバは環境的にも持続可能な社会をめざすと言っていましたがその実践と言うことになります。
 日本ではアマミノクロウサギ裁判と言うのがありましたが結局、絶滅危惧種のアマミノクロウサギよりもゴルフ場開発が優先されてしまいました。

つづく


「天国でもないけど地獄でもない」明るくたくましく社会主義をめざす国・キューバ 3 (K)

2018-05-04 | 企画・行事
国営高齢者ホーム 朝食から夕方の軽食まで。大半が80~90才

国営高齢者ホームで大歓迎

 4日目は、国営高齢者ホームの訪問。ホーム内の会場には、利用者が100人くらいが集まっていて、歌で歓迎してくれました。私たちも歌でお返しし、いくつかの質問をしました。ここはデイサービスのようなもので、1人暮らしの人、家族と一緒の人などの高齢者が通ってきて、朝8時から午後5時ころまで朝食、体操、おやつ、昼食、TV、活動、おやつを食べ、ゲームや趣味のことをして過ごします。98才の人もいて元気な様子でした。大体80~90才の人が来ています。若いころから歌を歌っていた女性がいて披露してくれましたが、とても張りのある声で年を感じさせませんでした。

ラテンアメリカ医学校 自分の国さえ貧しいのに
貧しい国の人々のために学費も寄宿費も出す


ラテンアメリカ医学校


同医学校 実習を終えてバスで帰ってきた学生

 ラテンアメリカ医学校を訪問。医師になるための勉強には7年間で870万円ほどかかるそうだが、発展途上国への医療支援と言うことで、勉強終了後には国に帰って貧しい人々の命を救うことを条件として、授業料など勉強に必要な教材などのほか、寄宿費、食事代、キューバに来るまでの旅費もすべてキューバ持ちにしているという。
 その医科大学には今、アフリカからの学生が多く来ている。キューバにはスペイン征服時代にアフリカから黒人が連れてこられたが、今は、アフリカやラテンアメリカ、東南アジアの国々に支援をしている。アメリカからも来ていて、アメリカの「平和の牧師団」との約束で貧困地区の医師をめざす若者を受け入れ、アメリカに戻ったらスラム街の人々の命を救う医師になるという。
 自分の国でさえ貧しいのに同じように貧しい国の人々のために自分たちのお金も教授も使うという。キューバでは余ったから人にやるのではなく「持っているものを分かち合う」という。

革命広場

革命広場 壁に描かれたゲバラの顔

 5日目はハバナ市内観光。まず、革命広場に行きました。いろいろな日にこの広場が人でいっぱいになるくらい50万人、100万人と集まるそうです。正面に国会会議場や共産党本部があり、左側の内務省の壁にゲバラの顔、情報通信省にはカミーロ・シンフエゴスの顔が描かれています。ゲバラの肖像の右下には、“Hasta la victoria siempre”「常に勝利に向かって」と書かれています。これを「永遠の勝利に向かって」と訳した人がいたそうですが、これは誤訳で「常に」が正解と新藤氏は強調していました。
 それぞれが記念写真を撮って、移動してゲバラ居宅を見学。閑静な住宅に、いまでもキューバ国民の尊敬の的である、その清貧な生き方が表れているように見える。

カバーニャ要塞とモロ要塞 内部に革命の展示

カバーニャ要塞

カバーニャ要塞にあるゲバラの写真

 カバーニャ要塞はゲバラが占領し、それによって革命が決定的になった所です。対岸にあるモロ要塞は、攻められにくい入り江に作られた要塞でイギリスの海賊などを退けている難攻不落の要塞でした。要塞からの海や旧市街の眺めは素晴らしく、この日も快晴で真っ青な空に青い海が広がる絶好の日和でした。

つづく