1946年4月10日 初めての普通選挙。女性も投票。39名の女性議員も。吉田内閣が成立。
6月 政府の改正案提出
7月25日 帝国議会でも修正が始まる。衆議院帝国憲法改正案委員小委員会。14名の委員からなりそれぞれの政党が、独自の修正案を出し合って審議した。
条文の修正がGHQの要求だけでなく日本人自らも発案していた。
生活困窮、餓死者を目の当たりにして生存権を盛り込む
最低限度の生活を保障した生存権の追加や9条の修正が行われた。森戸も社会党の国会議員として委員になっていた。「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」生存権の規定は政府の改正案にはなかった。
7月29日 森戸は生存権の追加を提案
ワイマール憲法は「各人をして人間に値する生活を得しむることを目的とする」と規定している。戦後、日本は生活は困窮し餓死者が続出していた。現実を目の当たりにしてワイマール憲法の理想を実現したいと考えた。「生活安定を得られないものがたくさんあるというのが今日の社会の状態です。その状態を何とか民衆の権利を基礎にして良くしていくというところに生活権の問題というものが出てくる。」と森戸氏が主張して最終的に賛同を得る。
全国の教師たちからの陳情で義務教育期間延長
義務教育の条文も修正された。政府案は初等教育、すなわち小学校に限定していたが、延長の提案がされた。背景には全国の教師たちからの陳情があった。最も熱心に活動した愛知県の教師たちの中心になったのが守山青年学校校長 黒田毅。日本の再建のために中等教育の義務化が必要と。「戦時中の浅ましい所業、敗戦後の醜悪な世相は何が原因しているでしょう。それは過去の教育が特権階級、有産階級などの恵まれた少数の者に対する教育にのみ力を注いだ罪です。」(「学制改革への努力」より)そして、中学校までの義務教育が認められた。
自衛のための戦力を合憲化・・・芦田委員長
第9条にも修正が加えられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/82/e033d2aeb927a7f71beda8ce8fa992a7.jpg)
GHQ原案
7月27日 鈴木義男が提案。第9条の前に「日本国は平和を愛好し国際信義を重んずることを国是とする」趣旨に規定を挿入する。「戦争をしない、軍備を捨てるということはちょっと泣き言のような消極的な印象を与えるから」戦争の放棄をみずからもっと積極的に宣言するようにしたい。
7月29日 芦田委員長の提案
その後、芦田委員長が最終的に次のようにまとめた。これに、法制局の佐藤達夫が指摘。「こんな修正をすると自衛のためには戦力は持てると司令部が解釈して『こんな修正は許さないと』いうかもしれませんね」と。芦田さんは「そんなこと大丈夫だよ 大丈夫だよ」と言った。芦田は後に自衛力は持てると主張している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/fc/c88937ed2122d6fc3e7b4e953ba8e5d1.jpg)
修正された第9条
第9条の修正はGHQに報告され、了承された。
のちに極東委員会で再軍備につながるとして問題になるが、ソ連の提案による総理大臣および大臣は文民に限るという条件で成立することになる。
1946年11月3日 日本国憲法が公布。
日本人自らの提案で新たな条文が追加・修正されていった。戦争の放棄、国民主権、基本的人権を掲げた日本国憲法は60年を迎える。
以上で終わる。
今も6年前と同じ 先人の熟慮を今にいかす
このDVDは今から6年も前のものである。しかし、今でも同じことが言われている。従って騙されないように事実を覚えていなければならない。
国民が自ら産み出そうとしていた新しい憲法は国民主権、基本的人権、平和思想を盛り込み、GHQの基本原則と共通にするものが多い。それに対し政府の草案は国体護持に固執し、国民主権や基本的人権を否定あるいは制限するものになっている。時の政府が残そうとした古い憲法こそ国民の意思と異なるもので、国民への押し付けだった。
憲法を考えるとき、日本政府とGHQの間の不眠不休の議論、国会での議論を忘れてはならない。表現・結社の自由、国民主権、基本的人権は、人間らしく生を全うするとともに、戦争への歯止めになる。
特に極東会議での被侵略国の主張を忘れてはならない。自衛という名の侵略を警戒する。アジアへの侵略は自衛と言いつつ行われ、多くの犠牲者を出した。日本への信頼はそう簡単に取り戻せない。いみじくも、1946年1月24日 幣原は「世界から信用を無くしてしまった日本にとって戦争を放棄するというようなことをはっきりと世界に声明することそれだけが日本を信用してもらえる唯一つの誇りとなることではないだろうか」とマッカッサーに述べている。軍隊を持つにとどまらず、海外にまで出るということは日本への不信をさらに強めるだろう。まして、日本は太平洋戦争の侵略・加害責任への反省が不十分なのだ。
加害も被害も経験のある日本、もう戦争はしないは当然の帰結。世界は経済が絡み合っている。ASEANのように外交と国際世論で紛争を解決する努力が必要ではないのだろうか。
6月 政府の改正案提出
7月25日 帝国議会でも修正が始まる。衆議院帝国憲法改正案委員小委員会。14名の委員からなりそれぞれの政党が、独自の修正案を出し合って審議した。
条文の修正がGHQの要求だけでなく日本人自らも発案していた。
生活困窮、餓死者を目の当たりにして生存権を盛り込む
最低限度の生活を保障した生存権の追加や9条の修正が行われた。森戸も社会党の国会議員として委員になっていた。「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス」生存権の規定は政府の改正案にはなかった。
7月29日 森戸は生存権の追加を提案
ワイマール憲法は「各人をして人間に値する生活を得しむることを目的とする」と規定している。戦後、日本は生活は困窮し餓死者が続出していた。現実を目の当たりにしてワイマール憲法の理想を実現したいと考えた。「生活安定を得られないものがたくさんあるというのが今日の社会の状態です。その状態を何とか民衆の権利を基礎にして良くしていくというところに生活権の問題というものが出てくる。」と森戸氏が主張して最終的に賛同を得る。
全国の教師たちからの陳情で義務教育期間延長
義務教育の条文も修正された。政府案は初等教育、すなわち小学校に限定していたが、延長の提案がされた。背景には全国の教師たちからの陳情があった。最も熱心に活動した愛知県の教師たちの中心になったのが守山青年学校校長 黒田毅。日本の再建のために中等教育の義務化が必要と。「戦時中の浅ましい所業、敗戦後の醜悪な世相は何が原因しているでしょう。それは過去の教育が特権階級、有産階級などの恵まれた少数の者に対する教育にのみ力を注いだ罪です。」(「学制改革への努力」より)そして、中学校までの義務教育が認められた。
自衛のための戦力を合憲化・・・芦田委員長
第9条にも修正が加えられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/82/e033d2aeb927a7f71beda8ce8fa992a7.jpg)
GHQ原案
7月27日 鈴木義男が提案。第9条の前に「日本国は平和を愛好し国際信義を重んずることを国是とする」趣旨に規定を挿入する。「戦争をしない、軍備を捨てるということはちょっと泣き言のような消極的な印象を与えるから」戦争の放棄をみずからもっと積極的に宣言するようにしたい。
7月29日 芦田委員長の提案
その後、芦田委員長が最終的に次のようにまとめた。これに、法制局の佐藤達夫が指摘。「こんな修正をすると自衛のためには戦力は持てると司令部が解釈して『こんな修正は許さないと』いうかもしれませんね」と。芦田さんは「そんなこと大丈夫だよ 大丈夫だよ」と言った。芦田は後に自衛力は持てると主張している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/fc/c88937ed2122d6fc3e7b4e953ba8e5d1.jpg)
修正された第9条
第9条の修正はGHQに報告され、了承された。
のちに極東委員会で再軍備につながるとして問題になるが、ソ連の提案による総理大臣および大臣は文民に限るという条件で成立することになる。
1946年11月3日 日本国憲法が公布。
日本人自らの提案で新たな条文が追加・修正されていった。戦争の放棄、国民主権、基本的人権を掲げた日本国憲法は60年を迎える。
以上で終わる。
今も6年前と同じ 先人の熟慮を今にいかす
このDVDは今から6年も前のものである。しかし、今でも同じことが言われている。従って騙されないように事実を覚えていなければならない。
国民が自ら産み出そうとしていた新しい憲法は国民主権、基本的人権、平和思想を盛り込み、GHQの基本原則と共通にするものが多い。それに対し政府の草案は国体護持に固執し、国民主権や基本的人権を否定あるいは制限するものになっている。時の政府が残そうとした古い憲法こそ国民の意思と異なるもので、国民への押し付けだった。
憲法を考えるとき、日本政府とGHQの間の不眠不休の議論、国会での議論を忘れてはならない。表現・結社の自由、国民主権、基本的人権は、人間らしく生を全うするとともに、戦争への歯止めになる。
特に極東会議での被侵略国の主張を忘れてはならない。自衛という名の侵略を警戒する。アジアへの侵略は自衛と言いつつ行われ、多くの犠牲者を出した。日本への信頼はそう簡単に取り戻せない。いみじくも、1946年1月24日 幣原は「世界から信用を無くしてしまった日本にとって戦争を放棄するというようなことをはっきりと世界に声明することそれだけが日本を信用してもらえる唯一つの誇りとなることではないだろうか」とマッカッサーに述べている。軍隊を持つにとどまらず、海外にまで出るということは日本への不信をさらに強めるだろう。まして、日本は太平洋戦争の侵略・加害責任への反省が不十分なのだ。
加害も被害も経験のある日本、もう戦争はしないは当然の帰結。世界は経済が絡み合っている。ASEANのように外交と国際世論で紛争を解決する努力が必要ではないのだろうか。