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混乱のイタリア選挙 モンティかベルルスコーニか、だけか。(K)

2013-02-27 | 事務局のつぶやき・研究所では
 今、イタリアの選挙でモンティかベルルスコーニか、それとも再選挙かと報道されています。先の「イタリア人と日本人、どっちがバカ?」の著者は、第8章 モンティ新政権はイタリアを救えるのか? で次のように書いています。

 ベルルスコー二は、政治家として頂点をきわめた、初めてのビジネスマンだったといえます。そして、そのバックについていたのは、ミラノを中心とした北イタリアの経済界、とりわけ、金融業界でした。彼は、北イタリアの経済界、金融業界の声を、ローマ政界に直接反映させるという使命、もっと具体的に言えば、イタリアの政治の仕組みを、アメリカ型の「新自由主義」に変えること、そして、イタリアの経済を本格的に「グローバル化」するという使命を帯びて首相官邸に乗り込んで行ったわけです。
しかし、その彼がその目的を果たすにあたっては、連立政権内に入っていた「国民同盟」や「レーガ・ノルド」といった、地域主義を根幹とした政党の思惑との、妥協を強いられました。また、旧来のタイプの政党政治家、すなわちキリスト教民主党や社会党など、「グレーゾーン」にいた大多数の人々とも、折り合いをつけなければなりませんでした。
 つまり彼は、ミラノを中心とする北イタリアの経済界から、経営者としての視点を持った、「新しい政治家」になることを期待されたにもかかわらず、その政策遂行に当たっては、古いローマ政界の政治システムに頼らざるを得なかったのです。
その結果、世界経済がどんどんグローバル化し、「新自由主義」が世界を覆って行った中で、イタリアは周囲から取り残された存在になってしまいました。結果、ベルルスコー二は、彼のバックについていた勢力から見限られて、首相の座を降りることになったのです。
 そして、ベルルスコーニに代わって、北イタリア財界の「グローバリスト」「新自由主義者」たちが選んだ人物が、グローバル金融市場に関する専門家で、経済学者でもある、マリオ・モンティだったというわけです。
 つまり、ベルルスコーニ政権からモンティ政権に代わって、イタリアが今までとはまったく違う方向に向かい、新政権が、ベルルスコー二が目指していたのとは別の「新しいイタリア」の実現を目指すのだろうという考え方は、間違っていると、はっきり言えます。

国際金融システムによる「独裁」政権
 ここで言い添えておかなければならないのは、もともと、モンティが政権の座に就いた経緯そのものが、これまでの首相の選ばれ方とは、異質なものだったということです。
 モンティは、アメリカの大物銀行家・ロックフェラらの働きにより作られた私的な政策協議グループ「日米欧三極委員会」のヨーロッパ委員長を務めていました。また、欧米の王族・貴族、財界の大物、官僚などの代表から構成され、世界の政治・経済に、裏から影響を与ぇているといわれる「ビルダーバーグ・クラブ」の、主導的メンバーでした。そしてイタリアの「新自由主義」的経済人を多く出している、ミラノのポッコーニ大学の、総長も務めていた人物です。つまり、世界経済の「黒幕」とも言える人々と、非常に深いつながりを持った人物なのですが、政治家経験はなく、いわゆる金融・経済の世界の「テクノクラート」でした。

 どちらに転んでも、なかなかイタリア市民の生活はよくなりそうもありません。結局、日本と同じように第3極を選ぶのか。

「イタリア人と日本人・・・」シリーズはまだ続きますよ。

住民と自治3月号の特集は「東日本大震災復興-被災地からの検証」(K)

2013-02-20 | 事務局のつぶやき・研究所では
 住民と自治3月号の特集は「東日本大震災復興-被災地からの検証」です。



 最初は「復旧・復興の2年目の現実と課題」は岩手と宮城、両地域の復興に向き合ってきた、岩手県立大学田(くわだ)准教授の「具体的な状況の記述を通して、何が進んでいるのか進んでいないのか、そして何が人間・地域本位の復興のために必要なのか」に迫るレポートです。
 雇用問題は大震災によって失業し、現在の就業率は岩手45.6%、宮城40.5%で、日雇いの人、それも叶わず食糧支援も受けている人もいると言う。
 雇用のミスマッチの現実、土木事業へは足りない人手、国の補助事業の産業別への偏重、失業の対象にもならない自営業者など。
 そのほか、製造業、観光などの地域経済の現実。
 暮らしの現実も語られている。生活が3・11で止まっている、精神的に不安定な状況が続くなど心身の問題を抱える被災者が依然として非常に多い。震災関連死、災害復興公営住宅、休廃止になった医療施設、医療・介護系の人手不足、打ち切られた被災者の医療費支援による課題、学校の統廃合など。
 全国で2700人以上の行方不明者は大震災がエンドレスであることを示している。高い水準の避難者数と長期化、人口減少、国の復興予算の不足など。
 そして、3年目に向けた論点・課題など。
 最後に、安倍首相の全国を視野に入れた10兆円の緊急経済対策は、被災地に資材と人手不足をもたらし復興が遅れると危惧する。住宅再建や雇用対策を挙げているが微々たる事業規模のようである、と警鐘を鳴らしています。

 次のレポートは、岩手県宮古市の復興の到達点の報告です。ガレキ処理とインフラの復旧、コミュニティー維持の仮設住宅整備などを、民間業者との連携と住民意見の反映でいち早く進めた状況の報告です。

 財政から震災復興を検証する-仙台市の場合業者の立場から見た復興の現状と課題福島の食と農の再生に向けて-放射性物質の分布マップの作成から「営農指導データベース」の構築へ・・・JAと生協の連携など。

 これを読むと、もしかしたら少しずつ他人事になりかけている被災地の現実をあらためて目の前にイメージされてきます。
 自分たちは今、何ができるか、何をすべきか、考えてみませんか。

NHKスペシャル、なぜ日本人が…~アルジェリア人質事件の真相~を見て(K)

2013-02-17 | 再生可能エネルギー社会
 今日、NHKスペシャル、なぜ日本人が…~アルジェリア人質事件の真相~を見た。日本は「資源が乏しいので海外に出ていかざるを得ないので、しかたがない」というようなことを最後にキャスターが発言していた。太平洋戦争は日本が石油を求めて、資源を求めての戦争だった。アルジェリアの事件を機に日本が軍事力の拡大に走らないか心配だ。

 日本は世界でも一人当たりエネルギーの消費量も大きく一人あたりですでに世界平均の2倍以上のCO2を排出している。アルジェリアの5倍のCO2を出している。(グローバルフットプリントネットワークNational Footprint Accounts 2010 editionより)アルジェリアは世界平均の44%しか出していないのに、そこから日本が輸入しようとするのは考えなければならない。

 日本は自然エネルギーに恵まれたエネルギー資源大国である。その開発にこそ金と政治をつぎ込むべきだ。

 日本がすべきことは再生可能エネルギーへの転換と省エネで、原発事故でも明らかになった。そして、それをしない限り、持続可能な社会は来ない。(K)

「イタリア人と日本人、どっちがバカ?」第2回 ベルルスコーニが延命できたわけ(K)

2013-02-17 | 事務局のつぶやき・研究所では
第2回はベルルスコーニです。

 ベルルスコーニは9年間イタリアの首相に就任し、長期政権を樹立した。その間、首相としての権限を使用してのメディア統制、汚職疑惑、性的スキャンダルなどの問題行為も取り沙汰されていた。その彼がどうして長期政権を維持できていたのか。

 ベルルスコーニが長期間政権に居続けられたことについて、本は次のように紹介しています

 イタリアの大衆は、政治の腐敗に「右」も「左」もないこと、政治家というものは、チャンスさえあれば、国のお金を私物化して、奪って行く存在であることを、思い知らされていました。そしてその裏には、政治家と結託・癒着した様々な勢力=実業家や、労働組合や、マフィアや、フリーメイソンや、カトリック教会や、その他さまざまな集団の利害関係が絡んでいることも知っていました。それはお年寄りから子供に至るまで、ほとんどイタリア人みんなが知っていることだった、と言っても良いかもしれません。彼らはもはや、政治に絶望し、「高潔な理念と目的」を持った政治家というものを、信用しなくなっていたのではないかとも思えます。
 政治の世界には、もはや「善玉」も「悪玉」もいないということ、ただ「白い豚」と「黒い豚」が、一つの餌をめぐって争っているだけだということを、多くのイタリア人が、見抜いてしまったのではないでしょうか。

 「イタリア・ウーノ」、「レーテ・クアットロ」、「カナーレ・ナンクエ」という、イタリアの3大メジャー民放テレビ局の、すべてのオーナーであったベルルスコー二は、自分の政党の宣伝CMを、自動車や洗剤や、ミネラルウオーターの広告と同じようにして、自分のテレビ局の番組の合間に流しました。何度も何度も繰り返し画面に流されるCMには、大きな心理的影響力、というより、見る人をほとんど洗脳してしまうくらいの力があります。
 そして、そのCMと共に流される番組の多くは、明るく陽気な(そしてかなりバカバカしい)バラエティー番組でした。しかし、「しんきくさいRAI(国営放導なんか見るのは、やめましょぅ。明るいスタジオで、みんな騒いで大笑いできて、セクシーな美女がいっぱい出てくる民放の番組を見ましょうよ」というアピールを、イタリア国民は喜んで受け入れたのでした。
 世界有数の金持ちであり、イタリアの「成功者」の典型である彼(ベルルスコーニ)の、自由奔放なライフスタイルと外見が、ある種のカリスマ性を持っていたことも、確かです。

 日本とイタリア、似ていませんか

「イタリア人と日本人、どっちがバカ?」を読みました(K)

2013-02-13 | 事務局のつぶやき・研究所では
 今回は本の紹介です

 「イタリア人と日本人、どっちがバカ?」です。
 どんなことを連想しますか?ちょっと思い浮かべてください。

  

 著者は、ファブリツィオ・グラッセリ
 ファブリツィオ・グラッセリ氏が校長のイタリア語学校のHPによると著者は「イタリアのクレモーナ生まれで、ミラノで幼稚時代を過ごしました。ミラノ工科大学建築家を卒業。その後ロンドンやニューヨークに住み、またアジア諸国にも長い期間滞在した経験を持ちます。最終的に日本に移り住むようになり、既に長い年月が経っています。
 芸術、建築、デザインなどにかかわる全ての分野に興味を持つほか、イタリア語教授とイタリア文化の普及にも情熱を注いでいます。」と紹介されていました。

 「イタリア人は、先人の作り上げた文化財と街並みの美しきの恩恵を、ただ何もせず単純に受け取って、せいぜい美術館で切符切りの仕事をする程度」と思っていませんか、と著書は問いかけます。みなさんはどう思いますか。私はイタリア人は仕事の時間中もおしゃべりばかりしていてあまり働かないのではないか、と思っていました。私は、それはとても人間的でいいことだ、お互いがそういう働き方を認め合う社会になればいいと思っていたのですが。

 著書の一節を紹介します

 旅行者としての目線でだけ見ていると、誤解しがちな場面はいろいろとあります。
 たとえばヴェネツィアに旅行したことがある人なら、ヴェネツィア風の居酒屋「バーカリ」で、おじさんたちが夕方の4時ごろから、店のカウンターで、あるいは店の前で立ったまま、ワインのグラスを傾けているのを目にしたことがあるかもしれません。その情景だけを取り出してみれば「まだ日も高いのに、居酒屋にたむろしてワインなんか飲んで。やっぱりイタリア人はのんきなものだな」と思いがちです。
 でも実際は、彼らは朝の4時、5時から働き始め、様々な物資を船でヴェネツィア本島に運び込み(車がない町なので)、手作業で町の商店やレストラン、ホテルに運び込む人たちだったり、あるいは、ヴェネツィアのラグーナ(潟)で、魚を捕る漁師さんたちだったりするのです。観光客にとってはまだ早い時間の夕方4時ごろでも、彼ら地元の労働者にとっては、一日の長い労働の末、やっとホッとして一杯やる時間帯なのです。夜の8時、9時に、日本のサラリーマンが居酒屋で一杯やっている風景と、全く同じことです。ところが「イタリア人は働かない人たち」という先入観があると、「おじさんたちが酒場で怠けている風景」に見えてしまったりするわけです。
 ちなみに、イタリアの憲法には、イタリア国家の基本的定義として次のような文言が入っています。
 《イタリアは国民の「労働」に基礎を置いた、民主的な共和国である》
 これは、決して虚しい文言ではなく、現実のイタリアの姿を反映したものだと、私は思っています。

 意外でしたネ
 次回もまた紹介します。