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竹島の帰属を考える その1(K)

2012-08-28 | 竹島、尖閣諸島問題
 8月24日、野田総理は、総理大臣官邸で記者会見を行った。その中で竹島問題の根拠について次のように言っている。

 「竹島は歴史的にも国際法上も、日本の領土であることは何の疑いもありません。江戸時代の初期には幕府の免許を受けて竹島が利用されており、遅くとも17世紀半ばには我が国は領有権を確立していました。その後、1905年の閣議決定により竹島を島根県に編入し、領有の意思を再確認しました。
 韓国側は我が国よりも前に竹島を実効支配していたと主張していますが、根拠とされている文献の記述はあいまいで、裏づけとなる明確な証拠はありません。
 戦後、サンフランシスコ平和条約の起草の過程においても韓国は日本による竹島の放棄を求めましたが、米国はこの要請を拒否しています。こうした経緯があったにも関わらず、戦後、韓国は不法な李承晩ラインを一方的に設定し、力をもって不法占拠を開始したのです。」

 他方、日本共産党は1977年の「竹島問題について」が、基本的文書となっているが、その見解の中で次のように言っている。

 「竹島は、1905年に島根県に編入されて以来、半世紀にわたり日本領とされてきた。1951年のサンフランシスコ条約第二条a項も、竹島を、朝鮮に対し放棄する島の中に含めていない。」という現実がある。
 しかし、「竹島の帰属をめぐる歴史的状況についていえば、19世紀末までは無価値な無人の岩礁であったこの島の帰属は、必ずしも文献的に明確ではなかった。
 1905年の日本の領有手続きについて、朝鮮民主主義共和国も「韓国」も、無効を主張している。明治政府が朝鮮植民地化を進めていた当時の状況からいって、この主張には検討すべき問題がある。」

ここでの主張の違いは
1. 19世紀末までの評価である。野田首相は「江戸時代の初期には幕府の免許を受けて竹島が利用されており、遅くとも17世紀半ばには我が国は領有権を確立していました」としているのに対し、日本共産党は「19世紀末までは・・・この島の帰属は、必ずしも文献的に明確ではなかった」としている。
2. 1905年以降の日本の編入に対し、野田首相は「サンフランシスコ平和条約の起草の過程においても韓国は日本による竹島の放棄を求めましたが、米国はこの要請を拒否」で正当化しているのに対し、日本共産党は「1905年の日本の領有手続きについて、朝鮮民主主義共和国も「韓国」も、無効を主張は・・・当時の状況からいって、検討すべき問題」としている。
(次へ続く)

竹島の帰属を考える その2(K)

2012-08-27 | 竹島、尖閣諸島問題
その違いをもう少し詳しく見てみる

19世紀末までについて
 なぜ、日本共産党の見解には、【解説】竹島問題の背景、がついている。そこでは、これらの経過が詳細に触れられている。

 竹島は樹木が一株もないはげ岩で、人が常住することはできない。とはいえ、日本海航海者の好目標であったため、古くから日本人に知られ、「松島」の名で文献にもあらわれてきた。
 竹島(当時の「松島」)について最初に記述している日本の文献は、1667年(寛文七年)の・・・『隠州視聴合記』(巻1)という本だとされています。
 この本に始まって、17世紀後半になるといくつかの文献に現在の竹島(当時の「松島」)の名があらわれ、当時の日本人が竹島について正確な知識を持っていたことや同島にさざえやあわびをとりに行っていたことが文献によっても明らかになっています。
 一方「韓国」側は、1454年刊の「世宗実録地理志」など15世紀以来の古文献にある「千山島」や「三峯島」が、今日の竹島(朝鮮名「独島」)だといいます。

 竹島を「朝鮮附属」としていた日本側の文献もあります。・・・「外務省出仕」として朝鮮に送り込まれた佐田白茅らが1870年(明治3年)4月外務省に提出した「朝鮮国交際始末内探書」いわば、朝鮮についてのスパイ報告書には、「竹島松島朝鮮附属ニ相成候始末」という一項があります。ここにいう「松島」は現在の竹島、「竹島」は現在の鬱陵島です。(本文には「松島ハ竹島ノ隣島ニシテ松島ノ儀ニ付是迄掲載セシ書留モ無之」とあり、松島は竹島の隣の島だが、朝鮮においては松島について掲載された書き留めもなかった、という意味であろう。・・・筆者記)


 そもそも、それ以前はどちらが実効的占有をしていたのか。
 双方とも明白な根拠に欠けるように思える。そもそも誰のものでもなく入会で使っていたのではないだろうか。

1905年の編入についても【解説】には次の記述(要旨)がある
 1905年、明治政府は竹島であしか猟に従事していた隠岐島の中井養三郎の「領土編入並びに貸下願」の提出を受け、あしか猟の実態があると認め、竹島を「本邦所属トシ島根県所属」とのべていいます。あしか猟に従事していたことを国際法上の「先占」と確認し、竹島の日本領編入を有効とした。
 これに対し、朝鮮民主義共和国や韓国は、日本から強制された「日韓議定書」(1904年2月)や「日韓協約」(1904年8月)によって、朝鮮の外交権は日本に奪われ、島根県告示に異議を唱える余地さえない条件のもとで行われたので無効である、と主張していることを紹介している。
 サンフランシスコ平和条約発効3カ月前の1952年1月18日、李承晩の「韓国」政府は、竹島を「韓国」領と主張した。

 征服は国連憲章下では認められない。合意していないので譲渡にもあたらない。歴史的にどちらが実効的に占有してきたのかが問われている。


* 領有権の根拠となるものは何か。Wikipediaでは次のように説明されている。

領土権を主張する根拠(権原)として、歴史的には以下のようなものがある。
・ 譲渡(売買、交換、割譲)
・ 征服 (国連憲章下で現在認められない)
・ 先占 (無主地を国家が領有意思を持ち実効的に占有すると当該土地がその国の領土になる)
・ 添付 (自然現象や埋め立て等で土地が拡張する場合)
・ 時効 (土地を領有の意思を持って相当期間平穏公然に統治することで領有権を取得する場合)
がある。