小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

77 伊和大神の正体

2013年01月01日 01時58分24秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生77 ―伊和大神の正体―


 このように他の神との混同が見られる伊和大神の本来の姿とはどのような神
だったのでしょう。
 山上伊豆母(『神話の原像』)は、この神の正体を、古代の岩窟信仰に求め、
『出雲国風土記』の佐太大神も岩窟の神とします。

 しばらく山上説に従う形でお話しさせていただきますが、岩の神話と言えば、
まずは、『古事記』にある、イザナギが黄泉国の入口をふさいだ千引きの石が
最初に登場する岩の神ではないでしょうか。すなわち、

黄泉国の出入り口をふさいだ巨石はチガエシノオオカミ(道反之大神)と呼ば
れるようになりました。または、「さやりますヨミドノオオカミ(黄泉戸大神)
とも呼ばれるようになりました。「さやります」とは、「塞り坐す」、すなわ
ち黄泉国の出入り口をふさいでいる大神という意味です。
 イザナギが逃げ帰った、この出入り口から黄泉国にいたる道は黄泉比良坂
(よもつひらさか)で、今は出雲国(現在の島根県)の伊賦夜坂(いうやさ
か)といいます。

と、あり、岩に対して、道反之大神と黄泉戸大神の2つの神名が与えられてい
るのです。
 類似の話としては、岩でふさぐ少し前、イザナギが黄泉の追っ手に桃を投げ
てその足を止めたことから、桃にオオカムヅミノミコト(意富加牟豆美命)と
いう名を与えたものがあります。
 ただし、よくよく『古事記』を読んでみましたならば、この時にイザナギは、
桃に向かっては、
 「吾を助けてくれたように、この国の人たちが苦しんでいる時はぜひ助けて
やってくれ」
と、言っているのですが、岩に対してはそのような言葉はかけていないのです。
 岩は、イザナギのいる側から見ればこの世界に存在しますが、その反対側は
黄泉国に存在していることになります。

 『播磨国風土記』の揖保郡の項に、次の記事があります。

 佐比岡。佐比と名付けられた由来は、出雲の大神、神尾山に坐しき。
 この神、出雲の人がここを通る時に、10人で通ればうち5人を、5人で通
ればうち3人を殺した。
 そこで出雲の人たちは、佐比(鋤)を作ってこの岡に祀ったのでついに神も
鎮まった。
 しかる由来は、比古神が先に来て、後から姫神がやって来た。しかし、男神
は立ち去って行ってしまったので、女神は怨み怒った。
 後に河内国の茨田郡の枚方の里の漢人がここに来て、この神を敬い祀ったの
でやっと鎮まった。
 この神の坐す山なので神尾山といい、佐比を作って祀ったところを佐比岡と
いうようになった。

 これに登場する出雲の大神とは女神である、と思ってしまいますが、最後の
一文から、この神話は、元々は出雲の大神と姫神の別々の神話がくっついた可
能性も考えられます。
 出雲の大神は出雲の人たちがこの地にやって来て祭祀し(佐比岡)、姫神の
方は大阪府枚方市の渡来人たちが、おそらくこの地に移住してきて、祭祀をし
た(神尾山)というものだったのでしょう。

 姫神の方は、嫉妬からくるもので、黄泉津大神(イザナミ)を思い起こさせ
る話です。
 すなわち、イザナギに醜く腐った姿を見られたイザナミがイザナギを怨み、
 「愛する夫よ、こうなった上は、1日に1000人あなたの国の人間の命を奪い
ましょう」
と、言った『古事記』の神話です。

 それでは、一方の出雲の大神とはどの神なのでしょうか。
 出雲の人がここを通る時に、10人で通ればうち5人を、5人で通ればうち
3人を殺した、という恐ろしい祟り神です。

 そう言えば『古事記』のホムチワケ伝承でも、出雲大神の祟りでホムチワケ
は口がきけない、となっていました。そして、『古事記』でも、この出雲大神
の名前については明記していません。


・・・つづく

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