小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

96 余呉湖の天女と大嘗祭

2013年02月08日 01時08分47秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生96 ―余呉湖の天女と大嘗祭―


 この「丹後国風土記逸文」に共通しているのが「近江国風土記
逸文」です。

 古老が伝えて曰く、近江国伊香(いかご)の郡。余呉の郷。伊香
の湖は郷の南にあり。
 天の八女(やおとめ)、白鳥となって天より降りてきて、湖の南
の津にて水浴びをしいていた。
 時に伊香刀美(いかとみ)という者が西の山よりこの白鳥たちを
見ていたが、どうも普通の白鳥ではない、もしかすると神の化身で
はないか、と思い、白鳥の降り立ったところまで行ってみると、や
はり神であった。
 伊香刀美は恋してしまい、白い犬を気づかれないように放つと、
八女の中で一番歳下の天女の、天の羽衣を奪ってこさせた。
 水浴びを終えると他の7人の天女たちは天の羽衣をまとって天に
帰っていったが、一番年下の天女だけは飛び立つことができなかっ
た。
 天女が水浴びをしていた浦を今は神の浦という。
 羽衣を奪われた天女は伊香刀美と夫婦になって4人の子を生んだ。
男子が2人に女子が2人である。
 兄の名は意美志留(いみしる)、弟の名は那志登美(なしとみ)。
娘は、姉を伊是理比(いぜりひめ)、妹の名は奈是理比(なぜ
りひめ)。伊香連(いかごのむらじ)らの始祖はこれである。
 後に母の天女は羽衣を見つけると、それを着て天に帰ってしまっ
た。
 伊香刀美は嘆き、悲しみの歌を詠み続けたのであった。

 天女の羽衣伝説は他の地域にも伝えられているようですが、丹後の
旧竹野郡と近江に伝えられていることは注目に値するでしょう。
 と、言うのも、ヒバスヒメ、タカノヒメ姉妹の父ミチノウシ王は、
『古事記』に、

 また近淡海(近江)の御上(みかみ)に祀られておりましたアメノ
ミカゲの神(天之御影神)の娘オキナガミズヨリヒメ(息長水依比売)
を娶られてお生まれになったのが、
タニワノヒコタタスミノウシノミコ(丹波比古多多須美知能宇斯王)、
次にミズノホノマワカノミコ(水之穂真若王)、
次にカムオオネノミコ(神大根王)またの名をヤツリノイリヒコノ王
(八瓜入日子王)、
次にミズホノイホヨリヒメ(水穂五百依比売)、
次にミイツヒメ(御井津比売)
の5名。

と、あり、ヒコイマス王が近江のオキナガミズヨリヒメを妻に迎え
て生まれたとしますので、ヒバスヒメ、タカノヒメ姉妹は近江の女
性を祖母に持つことになるのです。
 しかも、オキナガミズヨリヒメは神の御子とあるのです。
 ただ、同じ近江と言っても、アメノミカゲの神は滋賀県野洲市の
御神神社の祭神ですからオキナガミズヨリヒメもこの地の人と考え
られ、余呉湖は滋賀県長浜市と、距離的には離れている点が引っ掛
かりはしますが。

 とは言え、これらのことを考慮して、タカノヒメ(『古事記』で
はマトノヒメ)の伝承に巫女としての性格を指摘したのが折口信夫
であり、さらに、井上辰夫(『古代王権と語部』)は天女の羽衣伝
承と大嘗祭を結びつける説を唱えています。
 「丹後国風土記逸文」も「近江国風土記逸文」もともに天女は8人
であり、これは大嘗祭において、8人の采女が主水司(もんどのつ
かさ)、水取部(もひとりべ)に続いて刷筥(つくろいばこ)を運
ぶことを指しています。
 この采女は正確には10人なのですが、『江家次第』には、

 典水二人、一人は巾筥(たなごいばこ)を執り、一人は小刀筥を執
れ、采女八人各供神幷びに供御の雑物などを執る。

と、あり、典水2名、采女8名というように区別をしているのです。

 さらに、この大嘗祭において天の羽衣が登場するのです。
 大嘗祭で、天皇が大嘗殿(悠紀殿)に入る前に、廻立殿(かいりゅ
うでん)にて沐浴をするのですが、この時天皇が着るものが天の羽衣
と呼ばれるものです。
 ここでの天の羽衣は、浴衣(本来の浴衣は、文字通り入浴する時に
着るものでした)を指しますが、この沐浴は言うまでもなく身を清め
るためで、あたかも天女の羽衣伝説を彷彿させるものです。

 そして、タカノヒメの伝承は、羽衣を奪われたために天に帰れず地上
で人間と生活を共にすることになった天女と重なるわけです。

 また、丹後の竹野神社の近くにある神明山古墳は、ヒバスヒメの陵墓
に比定されている奈良市の佐紀陵山古墳と、造成法、副葬品などで類似
性があることが判明しています。
 もちろん、佐紀陵山古墳が本当にヒバスヒメ陵かどうかはわからない
のですが、近くに秋篠寺で有名な秋篠の地があり、ヒバスヒメの葬儀に
関わった出雲の野見宿禰の子孫に秋篠氏がいることは単なる偶然で片づ
けるわけにはいきません。
 しかも、佐紀陵山古墳の近くには平城山(なら山)もあり、近鉄京都
線の平城駅もすぐ近くです。
 平城山といえば、タケハニヤス王の反乱の時の丸邇氏の祖ヒコクニブ
クが進軍した地でもあります。
 丸邇氏、息長氏は、安曇氏とともに近江に関係した氏族でもあるのです。


・・・つづく

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