小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

525出雲臣の西進 その10

2016年09月11日 02時27分59秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生525 ―出雲臣の西進 その10―
 
 
 では、熊野本宮大社の家都美御子大神(ケツミミコ大神)と熊野大社の櫛御気野命(クシミケヌノ
ミコト)の神としての性格はいかなるものなのでしょうか。
 それを解くカギが両の神の名に含まれる「ケ」だと思われます。
 すなわち「食(け)」であり、丁寧にすると「御食(みけ)」になります。
 
 ここで思い出しておきたいのが出雲臣の本拠地、意宇郡大庭に鎮座する神魂神社(かもす神社)
です。
 神魂神社が出雲臣にとって重要な社であることは、新しい国造に就任する時には神魂神社にて
火継の儀礼を行うこと、毎年出雲国造による新嘗祭がやはり神魂神社で執り行われることから明白
なのですが、ならばその理由は何なのか、という点を明らかにする必要があります。これは決して
地元にある神社だから、などという単純なものではないはずです。
 
 神魂神社の祭神は、伊弉作大神(イザナミ大神)と伊弉諾大神(イザナギ大神)です。
 ただし、祭神がイザナミとイザナキになったのは後世であって創建当時はまた別の神を祀っていた
と言われます。
 その本来の神とは。
 それは神魂神社という社名から、神魂命(カミムスヒノミコト)ではなかったかとも言われています。
 
 『古事記』には、神産巣日神(カミムスヒ神)が登場しますが、神産巣日神と神魂命は同じ神だと
されています。
 『古事記』では神産巣日神は、
 カミムスヒは『古事記』では、天之御中主神(アメノミナカヌシ神)、高御産巣日神(タカミムスヒ神。
『日本書紀』では高皇産霊尊)とともに、高天の原に最初に現れた神で、次に現れた宇摩志阿斯訶
備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂ神)、天之常立神(アメノトコタチ神)を含めた別天つ神(ことあまつ神)
と呼ばれる神として記されています。
 しかし、その原像は出雲で信仰されていたローカルな神であったようです。
 実際、カミムスヒ神は『古事記』では、八十神に殺害された大国主を生き返らせ、大国主と国作りを
行ったスクナビコナの父神として描かれています。
 
 また、『古事記』には神産巣日御祖命(カミムスヒミオヤノミコト)という神が登場しますが、これも
カミムスヒ神のことのようです。
 ところで、この神産巣日御祖命が登場する説話に注目したいと思います。
 
 天照大御神が天の岩屋戸に隠れる事件が起こった後、その原因を作ったスサノオは高天の原を
追放されて地上に向かいます。
 その途中、スサノオは大気津比売神(オオゲツヒメ神)に食べ物を乞いますが、大気津比売神が
口と鼻と尻から食べ物を取り出してそれを調理して差し出したことに対してスサノオは、
 「そのような汚らしいものを出すのか!」
と、激怒し大気津比売神を斬り殺してしまいます。
 この時、死んだ大気津比売神の頭から蚕が生れ、両目から稲種が生れ、両耳から粟が生れ、
鼻から小豆が生れ、陰部から麦が生れ、尻から大豆が生れました。
 神産巣日御祖神はこれを取り、五穀の種にした、というのです。
 
 つまり、スサノオとカミムスヒは五穀の誕生に関わる神話を持つのです。
 熊野大社の祭神、櫛御気野命がスサノオと同神とされていることもこれと関係がありそうです。
 
 
 そして、熊野と御食(みけ)について関係するのが神武天皇です。
 瀬戸内海から大和に入ろうとした神武天皇の一行はトミビコの抵抗を受け、大阪湾を南下して
熊野に上陸します。この時に、尾張連や熊野国造の祖である高倉下から霊剣布都御魂を渡され
るのですが、この神武天皇の名について、『古事記』は、
 
 「若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)、またの名を豊御毛沼命(トヨミケヌノミコト)、またの名を神倭
伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)」
 
と、記すのです。
 豊御毛沼命の名についてはともかく、もうひとつの若御毛沼命というのは、兄に御毛沼命
(ミケヌノミコト)がいるからでしょう。若御毛沼命というのは「弟のミケヌのミコト」という意味になる
からです。
 
 実は神武天皇は四人兄弟の末弟にあたります。長兄から、
 
 イツセノミコト(五瀬命)
 イナヒノミコト(『古事記』では稲氷命、『日本書紀』では稲飯命)
 御毛沼命、『日本書紀』では三毛入野命(ミケイリノノミコト)
 若御毛沼命(神武天皇)
 
と、いう順になります。

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