小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

102 杉原川の製鉄者たち

2013年02月21日 01時12分34秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生102 ―杉原川の製鉄者たち―


 兵庫県を流れる加古川と言えば、『古事記』の中で、西国平定に向かう
オオキビツヒコとワカタケヒコキビツヒコが忌瓮(いわいべ)を据えた氷河
(ひかわ)に比定されていますが、この加古川を遡っていくと、西脇市で
杉原川が合流します。
 この辺りは、かつて杉原川に沿ってJR鍛冶屋線が走っていたところで
(1990年に廃線)、鍛冶屋という地名があるように、製鉄に関わる地域でも
あったのです。
 杉原川に沿うように、天目一箇神を祀る天目一神社があり、さらに北上す
ると荒田神社があります。
荒田は、『播磨国風土記』の託賀郡の項に登場する、

 荒田と名づけらえた由来は、ここに坐す神、名は道主日女命(ミチヌシ
ヒメノミコト)、父なくして御子をお生みになられた。
 盟酒(うけいざけ=神意を判ずるための呪術宗教的な祭儀のための酒の
こと)を造ろうと思って田を七町作ると、7日7夜のうちに稲が成熟した。
酒を醸造し、諸々の神を招いて、御子に、父神に酒を捧げさせると、御子
は天目一命(アメノマヒトツノミコト)に酒を捧げたので、この御子神の
父神がアメノマヒトツであることが判明した。

と、ある荒田です。
 これは、前にこの神話を紹介した時にもお話ししたことですが、『先代
旧辞本紀』では、ミチヌシヒメは天火明命(アメノホアカリノミコト)の
妻となっています。
 そうすると、ホアカリとアメノマヒトツは同神?と考えさせられるので
すが、『先代旧辞本紀』によれば、ホアカリとミチヌシヒメとの間に生まれ
たのが、鉱山を意味していると思われる天香山命ですから、やっぱり製鉄に
関係した神話をミチヌシヒメは持っていることになります。

 さらに杉原川を北上しますと、多可郡多可町加美区に青玉神社があります。
加美区鳥羽と加美区山寄上に、2つの青玉神社があるのですが、ここもまた
アメノマヒトツに関わる地なのです。

 このように、杉原川流域にアメノマヒトツに関わる神社がある理由は、製
鉄に携わった菅田氏がこの地にいたからだと考えられています。
 しかも、菅田氏は近江にもおり、菅田神社が、御上神社のある野洲市に隣
接した近江八幡市に残されているのです。
 製鉄に携わった氏族がいたのみならず、谷川健一は、『青銅の神々の足跡』
の中で次のように記していますので引用します。

 「西脇市の大木や市原、更に南の野村西方の山中には数カ所に旧坑がみと
められるといわれている。
 そのなかでもとりわけ吹屋ガ谷の旧坑は面積がおよそ一反歩で、鉱滓はお
びただしいという。伝えるところでは、杉原谷方面で採掘した原鉱を、この
吹屋ガ谷に運んで精錬したものだといわれる。それがいつの頃か不明である
が、一千年以上を経た旧坑の跡であることは疑いないと『三木金物史』は述
べている」


 さて、さらに北上を続けると、そこはアメノヒボコの拠点である但馬に入
ることになり、また、杉原川と本流の加古川に挟まれる形で旧氷上郡があり
ます。

 氷上郡といえば、出雲フルネ滅亡後に祭祀されなくなった神の祭祀が、丹
波国氷上郡の氷香刀辺の子に降りた神託によって復活したことが『日本書紀』
にあります。

 丹波と播磨の関係については、『播磨国風土記』には次のような記事があ
ります。
 ミチヌシヒメの荒田の神話を残す託賀郡のものです。

都麻の里
 都麻(つま)と名付けられた由来は、播磨刀売(ハリマトメ)と、丹波刀
売(タニワトメ)が国の境界を取り決めた時に、播磨刀売がこの村に来て、
井の水を汲んで飲み、
 「この水はうまし」
と、言ったので都麻という。

 また、同じ託賀郡の記事に次のようなものもあります。

都太岐
 都太岐というのは、昔、讃伎日子神(サヌキヒコ神)が冰上刀売(ヒカミ
トメ)を妻問した。その時ヒカミトメはこれを拒んだが、サヌキヒコはなお
もせまった。
 これにヒカミトメは怒り、
 「何故に吾に強いるのか」
と、言うと、建石命(タケイワノミコト)を雇った。
 タケイワは兵を用いて戦い、サヌキヒコは負けて逃げかえる時に、
 「吾は拙い(つたない)ものだ」
と、言ったので、都太岐という。

 サヌキヒコの神は讃岐の神だと思われます。
 さらには次のような記事もあるのです。

法太の里・甕坂・花波山。
 法太(はふだ)の里と名付けられた由来は、讃伎日子(サヌキヒコ)と建
石命(タケイワノミコト)が戦った時に、サヌキヒコ、負けて逃げ去る時に
手で這って逃げた。それで匍田(はふだ)という。
甕坂(みかさか)は、サヌキヒコが逃げる時に、タケイワがこの坂まで追い
やって、
「今より以後はこの境より入ることを許さない」
と、言い、境界として冠をこの坂に置いたことによる。
 また、ある伝えによると、丹波と播磨の境界を定めた時に、この坂の上に
大甕(おおみか)を生めて境界としたことによるという。それで甕坂という。
 花波山は、近江の花波の神がこの山に坐すのでこの名の由来という。

 花波の神のことはよくわからないのですが、それでもこの神が近江の神で
あることにも注意が必要です。


・・・つづく


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