小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

612 八千矛の神 その18

2017年10月15日 00時36分39秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生612 ―八千矛の神 その18―


 葛城氏と吉備との間に強いつながりがあったのではないか、というのは以前にも
採り上げたことがあります。
 そこで今回は簡潔に触れておくだけにしておきますが、葛城氏と吉備の関係を
思わせるのが吉備最大の規模を誇る岡山県総社市の造山古墳です。

 高橋護の著作「吉備と古代王権」(小林三郎編『古墳と地方王権』に収録)に
よれば、造山古墳と大阪府堺市の石津ヶ丘古墳(伝・履中天皇稜)は、平面形も
側面形もまったく同じで、両者を重ねるとほぼピッタリと一致する、双子のような
古墳であり、同じ設計図をもとに造られた古墳としか思えないというのです。
 しかも、造山古墳から採集された埴輪や他の遺物群、それに周りの堀の状況から、
造山古墳の方が天皇陵だとされる石津ヶ丘古墳よりも先に造られたと考えられると
いうのです。

 なお、石津ヶ丘古墳は全長が360メートル。造山古墳は全長350メートルです。
ただし、古墳の大きさというものは、建造当時に比べて欠けている部分もあり、また
土や樹木に覆われているため、正確な数字ではありません。
 だから、石津ヶ丘古墳の360メートルと造山古墳の350メートルでは10メートル
もの差がありますが、この規模の古墳としてではまったく同じ大きさと言っても
いいでしょう。
 全国規模で見ても、石津ヶ丘古墳は全国第3位の大きさを誇り、造山古墳は全国
第4位の大きさを誇ります。
 そんな造山古墳の造営には一体いかほどの費用が必要だったのでしょう。
 岡山県古代吉備文化財センター『古代吉備を探る』「巨大古墳の築造」、それから、
前回に紹介した高橋護(岡山県教育庁文化課文化財保護主事や岡山県立博物館副館長を
歴任。ただしこのプロフィールは1992年当時のもの)によれば、

 人員は現在の土木用具を使用した場合でのべ150万人以上で、この数字は当時の
日本全土(東北北部と北海道、沖縄を除く)の推定労働人口に匹敵するもの。
 そして総工費は昭和63年の時点で約200億円以上の試算。

 そうすると、吉備の豪族は単独で造山古墳を造営するのは不可能という結論に至る
わけで、大和政権の主導、もしくは全面的な協力によって造られたとしか考えられない
のです。
 この時に、造山古墳の造営を統括し、吉備側と折衝したのは誰か、と考えた時に、
真っ先に思い浮かぶのが当時の大和政権の中に置いて絶大な力を誇った葛城氏です。

 石津ヶ丘古墳の被葬者は、記紀の記述から17代履中天皇だとされています。
 履中天皇は仁徳天皇の御子ですが、生母は葛城襲津彦の娘、石之日売(イワノヒメ)で、
葛城氏の女性なのです。
 言うまでもなく、古墳の被葬者というものは、記紀の記述から当てはめたものであり、
近年の調査によってその被葬者とされる天皇の推定在位期間と古墳の造成時期にずれの
あることが判明したケースもあります。
 ですが、記紀の記述が、現存する古墳に被葬者を適当に振り当てたわけではないと
思われます。と、言うのも、もし適当に振り当てたのならば、巨大な古墳はすべて
いずれかの天皇の陵墓に当てはめられているはずだからです。
 事実、全国第4位の造山古墳もそうですが、5位から7位の古墳は被葬者が不明なのです。
 第5位の大阪府羽曳野市と松原市にまたがる河内大塚山古墳。
 第6位の奈良県橿原市の五条野丸山古墳。
 第7位の大阪府堺市のニサンザイ古墳。
 いずれも全長300メートル以上の巨大古墳で、かつ大阪府と奈良県に存在する古墳
なのに記紀にはその被葬者が記されていません。


 しかし、19代允恭天皇から21代雄略天皇の時代に、葛城氏の本宗は天皇によって
滅ぼされてしまいます。
 それに歩調を合わせるかのように、雄略天皇の時代に、吉備下道臣前津屋(さきつや)の
不敬からの討伐、吉備上道臣田狭(たさ)の離反、さらには雄略天皇崩御直後に起きた
星川皇子の反乱に際しての吉備上道臣の加担などが起き、吉備の勢力は衰退していくことに
なるのです。

 雄略天皇の時代は、天皇と大和の中央政権が絶大な力を有した時代でもありました。
 それは葛城氏をはじめとする有力氏族たちの力を奪うことでなされたものでもありましたが、
葛城氏や吉備の豪族たちはいずれも臣の姓を持つ氏族たちでした。
 それに替わり、雄略朝時代に台頭してきた氏族たちは、物部氏、大伴氏、中臣氏といった、
いずれも連(むらじ)の姓を持つ氏族たちでした。
 もうひとつ、これらの氏族の特徴は、葛城氏や吉備の豪族たちが古代天皇家から枝分かれ
して生まれたとする始祖伝承を持つのに対し、物部氏、大伴氏、中臣氏は、いずれも
天孫降臨の時にホノニニギに従った神々を始祖に持つという伝承を持っていました。

 こうした中で、物部氏が次代のカギを握ることになるのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿