小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

276 大国主と垂仁天皇 その13

2017年03月06日 00時03分42秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生276 ―大国主と垂仁天皇 その13―
 
 
 そこで、アジスキタカヒコ神話とホムチワケ伝承の、その他での共通点をもとめると、
先に挙げた出雲の三沢と伊勢の水沢にそれを見つけることができるのです。
 
 出雲の三沢は、アジスキタカヒコの伝承の舞台で、伊勢の水沢とは四日市市水沢町
(すいさわ町)といわれています(ただし他にも比定地あり)。水沢も「みさわ」と読むことが
できるのですが、このふたつの地には共通することがあるのです。
 すでにお話したことなのですが、あらためてお話しすると。
 『出雲国風土記』の仁多郡三沢郷の条には、
 
 「今も孕める婦人はその村の稲を食わず。もし食う者があれば、生まれる子はもの
言わざるなり」
 
と、記されており、水沢町に鎮座する足見田神社(あしみだ神社)には、
 
 「神域の東にオシミ田という地があり、ここで農耕する者は、口がきけない子を生む」
 
という伝承が残されています。
 
 なお、四日市市は、船木氏ゆかりの太神社や、ホムチワケのお供をつとめて出雲に
赴き、その後に出雲大社の造営を任されたという菟上王を祀る莵上耳利神社が鎮座
します。
 
 さらに言うと、伊勢国は、やはり菟上王を祀る菟上神社(三重県いなべ市)、菟上王の
兄でともに出雲訪問に大きくかかわった曙立王を祀る佐那神社(多気郡多気町)などが
鎮座します。
 多気郡といえば、日置氏の拠点でもありましたが、佐那神社が鎮座する地は多気郡
多気仁田(にた)で、がアジスキタカヒコの神話の舞台も仁多郡(にた郡)なのです。
 
 曙立王は、『古事記』には、伊勢の品遅部(ほむち部)の始祖とありますが、品遅部は
ホムチワケに因んで置かれた部民なのです。
 『播磨国風土記』、賀毛郡(かも郡)の条には品遅部村が載せられており、この品遅部村の
次に載せられているのが三重里で、『播磨国風土記』には、
 
 「三重里。昔、ひとりの女がいた。たけのこを抜き、布に包んで持って帰って食したところ、
足が三重に曲がり起き上がることもかなわず。それが三重の名の由来である」
 
という伝承が記されています。
 一方、『古事記』にも三重村が登場し、と、言ってもこちらは伊勢国の三重村なのですが、
これは四日市市数沢町のことだといわれています(伊勢の三重村も水沢町以外に比定地
あり)。
 伊勢の三重村については、『古事記』に、大和に帰る途中のヤマトタケルが、三重村まで
たどり着いた時に、
 「わが足は三重の勾(みえのまがり=三重に曲げた形をした餅)のようになってしまい、
大変疲れた」
と、言ったので、この村は三重村と名付けられた、と記されています。
 
 このように、出雲の三沢と伊勢の水沢には、もの言わぬ子供が生まれるという言い伝えが
あり、播磨の三重村と伊勢の三重村には、足が見えに曲がってしまったという伝承がある
のです。三重村に関しては品遅部が関係していると思われます。
 
 この、一見異なるように見えるふたつの伝承はともに製鉄に関係するとする説があります。
 谷川健一(『青銅の神の足跡』)などが唱える説で、製鉄に従事する人々には、蹈鞴(たたら)
踏む作業のせいでそれを踏む方の足が悪くなるという職業病がある、というのです。
 つまり、足が曲がるというのは製鉄に従事する人々の職業病を指している、というわけです。
 また、足が曲がって歩くことが困難になる、というのは、水銀中毒による歩行困難を指して
いるとも指摘しています。
 
 水銀中毒を指すというのは、アジスキタカヒコやホムチワケが言葉を発しなかった、あるいは
もの言わぬ子供がうまれる、というのも同様で、これらは水銀中毒による言語障害だったと
指摘されるのです。
 
 一口に水銀中毒と言っても、その症状は軽度と重度によって異なりますし、無機水銀と
メチル水銀(有機水銀)の違いによっても症状が異なります。
メチル水銀の場合では中枢神経系に影響を与えます。
中毒の初期症状は、四肢末端や口唇周辺のしびれ感で始まり、進行すると手指のふるえ、
歩行障害、求心性視野狭窄などが現れます。
 水俣病もその原因はメチル水銀によるものですが、その症状のひとつとして言語障害が
挙げられるといいます。
 
 そして、水銀の採掘される地では鉄などの鉱物も採取されるのです。

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