小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

152 草薙剣・布都御魂・十拳剣

2013年06月24日 00時44分56秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生152 ―草薙剣・布都御魂・十拳剣―


 それでは今回は、草薙の剣が天孫を経由した神宝であることには
疑問符が付くという、このことについて考察してみましょう、


 草薙の剣は、スサノオがヤマタノオロチを斬った時に、その尾の
中から取り出されたものですが、スサノオはこの剣を天照大御神に
献上します。

 スサノオがヤマタノオロチの尾を斬った時に、尾の中から草薙の
剣を取り出しますが、それがヤマトタケルに渡った経緯は、次のよ
うになります。
 まず、スサノオがアマテラスに献上し、天孫降臨の時にアマテラ
スはホノニニギに草薙の剣を携帯させます。以来、皇室が草薙の剣
を所有することになるわけですが、それが伊勢神宮に遷った理由は、
皇女が伊勢神宮の斎宮を務めるようになった際に、一緒に遷された
と考えられます。

 しかし、草薙の剣が神宝だとした場合、宮中から伊勢神宮に遷さ
れたのはアマテラスに返納したと解釈できても、ヤマトタケルがミ
ヤズヒメに預ける、というのはずいぶん軽んじた印象を受けます。

 もう1つ、不思議なことは、神武東征の際には、草薙の剣は神武
天皇が所有していたことになるのですが、熊野で危機に陥った時、
アマテラスと高木の神は、霊剣布都御魂(ふつのみたま)を神武天
皇に与え、これによって危機を克服しているのです。

石上神社内に祀られている出雲建雄神社の祭神出雲建雄は草薙の剣
の荒魂である、と伝えられており、石上神社もまた草薙の剣を祀っ
ていることになるのですが、石上神社そのものは、布都御魂を祀っ
ています。

 布都御魂は、『古事記』では、タカミカヅチの分身という扱いで
描かれていますが、その『古事記』には、タケミカヅチは、イザナ
キがカグツチを斬った時に、刀身についた血から生まれた神とあり
ます。

 この時の、カグツチを斬った剣を『古事記』では、十拳剣(とつ
かのつるぎ)と記し、さらに、

「カグツチを斬った十拳剣の名前は、アメノオハバリ(天之尾羽張)
といい、またの名をイツノオハバリ(伊都之尾羽張)」

と、しています。
 この天之尾羽張が単なる剣の名称でありません。『古事記』の国
譲りのところで、アメノホヒ、アメノワカヒコに続く第三の使者を
誰にするべきかというアマテラスの問いかけに対して、オモイカネ
の神が、天之尾羽張か、その子タケミカヅチを派遣すべき、と答え
ていること、また、その依頼に対して天之尾羽張が、タケミカヅチ
を派遣いたしましょう、と答えていることから、人格(神格?)を
持った神だったのです。

 さて、天之尾羽張が、その名「天の尾羽張」から尾張氏に関係し
ているのではないか、とする説は江戸時代から存在しました。
 もちろん、そのような説が生まれた背景は、単純に尾羽張と尾張
の名が似ているからなどといったものだけではなく、草薙の剣と天
之尾羽張、十拳剣が共通した伝承を有しているからです。

 ちなみに十拳剣は、「十束剣」、「十握剣」などとも書かれ、10
束(1束は拳ひとつ分)の長さの剣のことと言われています。つまり、
草薙の剣や布都御魂と違い、十拳剣はイザナキがカグツチを斬った剣
の固有名詞ではない、ということになります。『日本書紀』には、九
握剣や八握剣も登場するので、このことからも、やはり十拳剣は固有
名詞ではないと考えられます。

 尾張氏たちの祖ホアカリはアメノオシホミミの御子神ですが、アメ
ノオシホミミはスサノオがアマテラスの珠から生みだした神です。
 この時、反対にアマテラスはスサノオの剣を噛み砕いて宗像三女神
を生みだしていますが、このスサノオの剣もまた十拳剣でした。

 それと、スサノオがヤマタノオロチを斬った剣もまた十拳剣なので
す。

 さて、タケミカヅチは布都御魂をまず熊野のタカクラジに渡し、神
武天皇に献上するようにと言いますが、このタカクラジは、『先代旧
辞本紀』では、ホアカリの御子神天香語山命(アメノカゴヤマノミコ
ト)のこととしています。

 また、尾張氏と同じくホアカリ系の海部氏の『海部氏勘注系図』は、
天香語山命の子がタカクラジとしていますが、タカクラジの兄神とし
て天村雲命(アメノムラクモノミコト)という神を載せています。

 『日本書紀』には、草薙の剣という名称について、これはヤマトタ
ケルが火攻めにあった際に周囲の草を薙いだから付けられたもので、
元の名前は天叢雲剣(アメノムラクモの剣)であった、と記します。

 これらのことを総合しますと、草薙の剣の伝承は、初めから大和政
権に伝えられていたものではなく、尾張氏らの運動によって組み込ま
れたものと考えられるのです。
 さらに言えば、ヤマトタケルの東国遠征という物語そのものが尾張
氏らによって記紀神話に組み込まれた可能性さえあるわけです。
 だから、『古事記』は東国遠征の場面では主語を明記していないの
かもしれません。
 元は、大和政権側に伝わるヤマトタケルとは無関係の人物による物
語だったからです。


・・・つづく

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