小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

477 難波と大和と神婚譚⑥

2016年02月06日 01時14分58秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生477 ―難波と大和と神婚譚⑥―
 
 
 さて、神漏岐命(カムロギノミコト)と神漏美命(カムロミノミコト)の二神が、皇御孫のミコトの
御膳に献上する水を作るために天つ水を与える、というのは、大嘗祭や新嘗祭において天皇の
御膳に献上する水を作るために天つ水を与えることを意味すると考えられます。
 そうすると、この二神は当然ながら宮中においても祭祀されていたことになるわけですが、
では、この二神はどのような神なのでしょうか。
 
 『古語拾遺』によれば、カムロギ神とは高皇産霊神(タカミムスヒ神)のことだといいます。
 同時に、カムロミ神は神皇産霊神(カミミスヒ神)のことだと『古語拾遺』にはありますが、こちら
については研究者の間でも説の分かれるところなのです。
 これに対してカムロギが高皇産霊神であるということは研究者の間でもほぼ一致をみる、と
言っていいでしょう。
 天孫降臨は、『古事記』では高木の神(高皇産霊神)と天照大御神、『日本書紀』では高皇産
霊神が司令して行われたことになっています。
 そのような神なので、カムロギと同神であったとしてもおかしくない、一方、カムロミについて
諸説あるうちのひとつに、この神を天照大御神だとする説があるのもそのためです。
 
 高皇産霊神と天照大御神と言えば、大和国十市郡の目原坐高御魂神社(めはらにいますたか
みむすび神社)と多坐弥志理津比古神社(おおにますみしりつひこ神社)の関係も思い浮かびます。
 この両社についても何度か採り上げたのでここでは簡潔に紹介しますと、目原坐高御魂神社が
外宮、多坐弥志理津比古神社が内宮という関係になります。これは『多神宮注進状』に目原神社を
「外宮 目原神社」とあるからです。
 次に祭神についてですが、目原神社の方は高御産巣日尊(高皇産霊神)とその御子神の栲幡
千々媛命(タカハタチヂヒメノミコト)です。
 多神社の方は、祭神は弥志理津比古(ミシリツヒコ)と弥志理津比売(ミシリツヒメ)ですが、『多神宮
注進状』には、珍子賢津日霊神尊(ウツノミコサカツヒコ)と天祖賢津日女神尊(アマツヲヤサカツヒメ)
とあり、さらに、珍子賢津日霊神尊とは天忍穂耳命のこととるので、それならば天祖賢津日女神尊の
方は天照大御神ということになるわけです。
 ちなみに多神社の祭神が夫婦神ではなく母子神と考えられるのは、多坐弥志理津比古神社に比定
される多神社からのぞむ春分秋分の朝日は三輪山のほぼ山頂から昇る関係から、三輪山の大物主の
妻子が多神社の祭神である、と考えられるからです。
 
 また、弥志理津比古(珍子賢津日霊神尊)が天忍穂耳命であるなら、やはり弥志理津比売(天祖賢
津日女神尊)は妻ではなく母ということになるのです。
 なぜなら、目原神社の祭神である栲幡千々媛命が天忍穂耳命の妻であり、ホノニニギの母だから
です。
 
 つまり、多神社はホノニニギの父神を祀り、目原神社は母神を祀っていることになります。さらには、
天孫降臨の司令者である高御産霊神と天照大御神をも祀っているわけです。
 だからこその外宮と内宮の関係にあるのでしょう。
 
 ここにもうひとつ見逃せない点があります。十市御縣坐神社(とおちのみあがたにます神社)です。
 一般的に、外宮と内宮と言うと、伊勢神宮を想像される人が多いと思います。伊勢神宮の場合ですと
、外宮の祭神は豊受大御神です。
 実は大和国十市郡には豊受大神を祀る神社も存在するのです。
 それが十市御縣坐神社なのです。
 
 しかし、目原神社と多神社の関係が天孫降臨だとすれば、豊受大神を祀る神社の存在は単なる偶然
なのでしょうか。
 豊受大神を祀る神社が存在するのは、天孫降臨に際してホノニニギが「斎庭の穂」、すなわち稲穂を
授かることと関係しているものと思われます。
 
 豊受大神は御食神であるとされます。食べものの神というわけです。
 『古事記』では、スサノオが大気都比売(オオゲツヒメ)を殺害した時に、その死体から五穀が生まれた、
とあり、『日本書紀』にはツクヨミが保食神(ウケモチ神)を殺害した時にその死体から五穀が生まれた、
とあります。
 大気都比売も保食神もともに保食神ですが、その死体より米が生まれたことになっています。
 
 天孫降臨は稲穂を授けた伝承でもあり、そこに豊受大神が祭祀されている形になるのです
 

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